酒とタバコと、コーヒーと硝煙の気持ちの悪いにおいが充満している事務所に、かすかに香る上品な香水のかおり。
僕とバルメとトージョはココが座るソファーの後ろで【休め】の姿勢で何が起こってもいいように待機している。
「ハイヤーでお出向かい、というわけには行かず申し訳ない」
ワイリと同じくらい身体の大きい黒人――サングラスをしたダッチと名乗った男がココにコーヒーを差し出した。
「いえ、なかなか楽しい時間をすごせました。ミスターロックのおかげで」
ココは差し出されたコーヒーを手にとって一口、口に含む。「なかなか良い豆ですね」とココは意外そうな顔をした。
「特別な方にしかお出ししない、オリジナルブレンドでしてね」ダッチはココの言葉に満足そうに頷いた。
「で、ご用件はなんでしょうか?」
ココはカバンから束になった書類を取り出してダッチに渡す。「あらあら」とダッチは困ったように口の端を上げて笑う。
「このリストに書いてあるものを明日までにそろえていただきたい」
ココの声が変わる。いつもの軽やかな女性の声から、背筋が凍るような魔女のような声に。ダッチは少しだけ顔をしかめて、手に取ったリストをぺらぺらとめくりながら「明日までにねえ……」と困ったようにつぶやいた。
「バルメ、ここってそんなにヤバイの?」
僕は隣にいるバルメにだけ聞こえるような小さな声できいてみた。
「それはもう。一言で言うなら最悪です」
「そんなに?」
「日本とは真逆だよ」
後ろにいたトージョが僕に耳打ちする。
「外に出るときは武器を持たなきゃいけない。ここに集まる人間のほとんどが犯罪者ばかり。観光できて棺桶で帰る、そんな物騒な街なのさ、ロアナプラは」
トージョはロアナプラに何か嫌な思い出でもあったのか、僕はトージョの言葉からとげがあったような気がした。
「……どうにかしよう」
ココに手渡された資料に黙って目を通していたダッチは天井を見上げて大きく息を吐いた。
「さすがはラグーン商会。今回も期待していますよ」
ココは手のひらを合わせてダッチにうれしそうに笑って見せる。
「もちろん、報酬は弾みます。ここからさっさとオサラバできるのでしたら」
「そいつは違いねえ」
ダッチはココの言葉に同じ気持ちだと言わんばかりに大きく頷いて見せた。
「さて、そうと決まれば善は急げだ。おいロック!」
ダッチは野太い大きな声を出して、下の階にいるロックを呼んだ。
「ここのリストにある大部分は、明日までにはどうにかなる。だけれど、残りの分は純正品をお望みなら、取り寄せるまでに一ヶ月はかかると思います」
ぼさぼさの髪と眼鏡が特徴的なベニーと名乗った男がソファーの端に腰をかけながら、ココが渡した資料にペンで何か書き込みながら言う。
「その場しのぎの代用品でよろしいのでしたら、とりあえず明日の昼には全部そろうでしょう。それで問題なければ、ご希望通り明日の夜にはこことはオサラバです」
「これが代用品のリストです」ダッチの隣に座るロックがココ、ダッチの順に資料を手渡した。
一人で窓際から、つまらなそうに外を眺めているレヴィと紹介された女が「お嬢様にはこんな街は似合わないからねえ」と口の端をゆがめて笑った。そのレヴィの口調をココへの宣戦布告ととったバルメが「私のココを侮辱するなんて許せません」と怒鳴った。
「それなら、どうするってんだい?」とレヴィの方もやる気満々で、指の骨をポキポキト鳴らして、バルメを威嚇する。
バルメと、レヴィ。
お互いがお互いの間合いにずかずかと無遠慮に入っていく。そんな二人の様子を、僕とトージョはハラハラしながら、見守ることにした。
僕たちのチームの中で、格闘戦の腕は最強のバルメを僕とトージョは止めることはできない。それにどうやら、レヴィの方もそうらしく、ロックが大きなため息を吐いて天井を見上げたのが見えた。
しかし、ココはというと、レヴィに言われたことなんて気にする様子も無く、二人の様子をチラリと目の端に収めつつも、ロックから手渡された資料を美味しそうなケーキを出されたみたいに鼻息荒く、興奮して見つめていた。
「この短時間でこれだけまとめるのは流石です!」
ココはロックの資料を手にとって立ち上がり「後はそちらにお任せします」とソファーから立ち上がった、その瞬間――。
部屋の電気が一斉に消えた。
その刹那、窓ガラスが割れ、銃弾が舞う。
何百発もの口径もバラバラな弾丸が光の線となって、部屋の中へと入る。
僕は腰にさしていたブローニングを手に取り構え、中腰でガラスの欠片が飛び散る、窓際まで走った。
今、撃ち出されている銃弾には、けん制と敵が侵入しやすくするための、入り口を作る意味しかない。
弾を撃っている相手も、これで僕らが死んでくれると、思っているわけじゃない。
それに、本当に僕達を殺したいのなら事務所に爆弾をしかけるか、ミサイルランチャーを打ち込むのが手っ取り早い。
僕たちを襲っている敵は、誰が誰だかわからない死体がほしいわけではない、ということだけは確かだった。
僕はヒリヒリとした戦場の空気を肌に感じながら、野球選手がするスライディングのように腰を低くしたまま窓の下へと身体をもぐりこませた。
そうそうにバルメとレヴィはケンカを辞め、グロックのスライドを引いて、ココの腕を引き、ソファーの影に身を隠す。
トージョはココの無事を改めて確認すると、僕とバルメに手で合図をして、僕と反対側の窓際の様子を覗いて短い悲鳴を上げた。
僕もトージョにつられて、窓の外をチラリと覗く。
いつの間にか集まった三十人を超える男たちが住を片手に、鼻息も荒く、いきり立っているのが見えた。
銃弾の嵐が止み、次に男達の「いくぞ」「殺すぞ」の大合唱が始まった。
まるで男達はお行儀の悪い三才児のように、声を荒げながら、つばを吐き、酒を飲み戦意を高めている。
「こうなると思ってたぜ」とレヴィは一人、楽しそうに雄叫びを上げ、腰にぶら下げていた二丁のベレッタを引き抜いた――両方の手に。
「おいおい、ここは西部劇か!」
トージョが叫ぶ。
レヴィが笑う、骸骨のように。
「お客様に、最高のガンマンショーをお見せしよう」
レヴィは役者がやるような、丁寧なお辞儀をすると、窓に梯子をかけて登ろうとしていた男に、一発。梯子を押さえていた男に、もう一発リズミカルに食らわせる。
僕とトージョはレヴィに誰かが撃った球があたらないよう。レヴィがベレッタを撃つ、その隙を敵に狙わせないために、窓から銃だけを出して狙いを定めず撃ちまくる。
レヴィは下で銃を構える男たちに、片手で撃っているとは思えないほどの命中精度で銃弾を当てていく。
レヴィは曲芸のような身のさばきで敵の射線からよけ、僕たちめがけて飛んでくる手榴弾を神業的な反射神経で打ち落とす、僕とトージョはレヴィを援護しながら、
レヴィの技術に改めて驚いた。
レヴィの動きは僕がココに付き合わされて見た、西部劇の二丁拳銃のガンマンそのものだったからだ。
「ロック、お客さんを頼むぞ!」
ダッチが部屋に隠していたショットガンを取り出して、外の敵に向けて一発、二発と打ち込む。ロックはダッチの言葉に頷き、中腰の体制でココとバルメを階段の方へと手招きする。
「ベニーが車を用意してます、早く!」
ココがロックの後をついていく、二人を守るようにバルメが、すこし間を空けて、僕とトージョが窓際から離れ、レヴィも二丁のベレッタで弾幕を張りつつ、後ろへ下がる。
「やっぱり、おいでなすったか。ですだよ姉ちゃん!」
レヴィが身体をブリッジするみたいにのけぞる。今までレヴィの身体があった空間に銀色の刃が月の明かりに照らされて、一瞬光ったのが見えた。
「芸がねえんだよ、シェンホア。そんなんじゃ、あたしを殺せないぜ?」
空を切った刃が、突然その向きを変え再びレヴィを狙う。
「今回のワタシの狙いはオマエじゃないネ!」
レヴィはベレッタでそのカタナを受けた。
変な言い回しと、アクセントに問題がある妙な英語をしゃべる長髪のピンヒールを履いた女が、もう一方の手からナイフ、と呼ぶには大きすぎるカタナをココに向かって投げつける。
バルメがとっさに、それをグロックの九ミリ弾ではじく。
グロックに弾かれたカタナが、ピンヒールの女の手に戻る。どうやら、女が操るカタナには特殊な紐がついているようで、それを巧みに操ることで、一撃必殺の殺傷力をもった弾数無限の、投擲武器として扱っている。
「私のココはやらせません!」
バルメはピンヒール女の手にカタナが戻る前に、間合いをつめながら、グロックの弾を打つ。けん制弾以外の何物でもない、弾丸はピンヒール女をかすめることすら出来ず、空を舞う。
バルメは銃弾を撃ち尽くして、弾装が空になったグロックをピンヒール女に投げつけながら、腰にさしていたナイフを抜いてピンヒール女の腹を狙う。
ピンヒール女はとっさに身体の向きを変え、紙一重でそのナイフをかわし、速度が乗って一瞬身体が伸びきったバルメの首筋に、その重さを乗せたカタナを振り下ろす。
バルメはナイフを突き出した速度を活かし、地面に手をついて身体を前転させ、ピンホール女のカタナの届く範囲から逃れた。
ピンヒール女の一撃をよけたバルメは、前転したときの勢いを踏ん張って殺し、その反動を使って身体をバネが弾けるように速度をつけて立ち上がり、再びピンヒール女の間合いに踏み込みつつ、ナイフを横に薙ぐ。
ピンヒール女は背後から襲いかかるバルメのナイフを一方のカタナで受け、もう一方のカタナをバルメの顔めがけて投げるが、バルメは身体を沈めてそれをよけ。ピンヒール女から離れて距離をとった。
二人のやり取りを見ていたレヴィは楽しげに笑いながら、ダッチとともに次々と、部屋の中に入ろうとする、敵に弾を撃ち込んでいた。
僕はピンヒールを女とバルメとの攻防を目の端に収めながら、トージョ、ロック、ココ、僕の順で階段を下る。
「これを」ロックはいつの間にか手に持っていたい手榴弾をトージョに渡す。「これはこれは」とトージョは軽口を叩きながらロックから渡された手榴弾のピンを抜き、下の階へと投げ込んだ。
一瞬の間のあと、命乞いのような悲鳴と手榴弾の爆発による短い閃光が起こった。
「さあ、行きましょう」
トージョはベレッタの銃弾を狙いをつけずにところかまわず撃ちながら、敵からの反撃を防いでいる。
僕も階段を下りながら、トージョと同じように銃弾をばら撒く。
「これだから、ロアナプラは嫌!」
ココはヒステリー気味に手榴弾の破片でボロボロになった一階の家具を、ハイヒールで踏める場所を探しながら、早足で進む。
「死ねや!」ボロボロになった部屋の瓦礫の中から男が現われるも、トージョにすばやく脳みそに弾丸を打ち込まれて、うめき声を上げながら倒れた。
「まだ、他にもいるかもしれない。ココ、急ごう」
残念なことに、トージョの予言は的中した、
手榴弾の爆発を聞いたのか、他の敵が一階にどんどんと集まってきて、銃弾の雨を降らせる。
僕たちはとっさに入り口から見えない場所にある物陰に隠れた。
とりあえず、物陰に隠れるというのは最高ではないけれど、最低限の
「ミスター・ロック。どうするんです!」
「もう少し待ってください!」
ロックが激しい銃撃のなかで頭を手で覆いながら叫ぶ。
僕とトージョは弾数が残り少なくなった銃をなるべく相手に当たるように、撃つ。
撃つは、撃つのだがこの銃撃戦の中でじっくりと敵に狙いをつけながら撃つのは、自分を殺してくれ、と言っているのと同じで、銃撃戦の中で棒立ちでマシンガンを撃って敵を倒せるのはハリウッドスターだけだ。
一瞬顔を出して、撃つ。相手の銃が見えたら隠れる。
増えていく空薬莢、減っていく九ミリ弾。
僕の準備していた最後のマガジンが切れる。
「トージョ、弾は?」
「こっちもない!」
僕もトージョも準備していた弾が無くなった。
簡単に言えば、絶体絶命の状況だ。
「もーヤダ。ディ○二―ランド行きたい」
ココが隠れている瓦礫にもたれかかりながら、遠い目をして言った。
突如、銃撃が止む――。
一瞬の間。
それは数秒だったのかも、知れないし。数十秒だったのかもしれない、あるいはコンマ何秒か。
とにかく、僕の目にはすべてがゆっくりに見えた。
目がつぶれるほどのライトの光。
悲鳴と叫び声、と壁が剥がれる「ギシギシ」という音。
地震のような衝撃で、建物全体が揺れ、僕はバランスを崩す。
そして、僕たちの目の前には平べったい顔をした、いかにも重厚そうなふるいアメリカ車が壁をぶち破り、敵と瓦礫を押しのけて、激しい衝撃と共に鳴り物入りで入場してきた。
「型が違う? ってことは……」
僕の隣のロックの顔が青ざめるのがわかった。
「どうしたんですか、ミスター・ロック。まさか……」
ココもロックの様子に気づいたようで、ココの笑顔が一瞬固まった。
「あの車はベニーのじゃない!」
ロックが叫ぶのと同時に壁を破り乗り込んできた車のドアが一斉に開かれた。