成宮鳴にとって高校に入ってからの数ヶ月つまらないことの連続だった。調子の上がらないエースに、実力不足感が否めない三年生。今すぐにでもエースになれるぐらいの実力は持っているつもりだった。
甲子園が狙える高校でエースになれるところを選んだつもりだった。しかし、蓋を開ければエースにもなれず、関東大会でも投げることはできなかった。雑誌で次世代の東京ビッグスリーなんて騒がれながら公式戦には一度も投げられなかった。ようやく回ってきたチャンスに自然と笑みがこぼれた。
ブルペンから走ってくる投手の顔に笑みが浮かんでいるのを見て北野の口から漏れた。
「あいつ、やっぱり大物だな」
北野は去年、同じような状況に立った自分のことを思い出していた。
一杯一杯になって自分のことすら見失っていた。そのときに比べて今の成宮の姿はどうだ、怖いもの知らずの一年生が持つ度胸が故か、それとも絶対的な自信があるのか……
目の前に立ってグローブを突き出してくる後輩の姿は昔の自分がなろうと思い、なれなかった姿だった。
「任せてください、絶対抑えますから」
にっこりと笑いながらも、笑っていない瞳がギラギラと輝いていた。
グローブの中にボールを置いたとき、なんとなくだが自分の役目が終わった気がした。ベンチに向かい足を向けたところ……
「待ってください、北野さん。北野さんはライトにつけって」
国友監督と目が合った。
(なるほどねぇ、不安の残るこいつのために俺を保険として残しておく……と)
北野自身、成宮のことは認めていた。こいつは絶対に自分よりも良い投手になるだろうと期待もしている。しかし、どうしてこれまで公式戦で使われなかったのか、成宮は子供なのだ。無邪気にはしゃぐ子供の後ろに頼れる兄貴を置くということだろう。
「成宮ぁ、任せるわ。甲子園まで連れて行ってくれや」
成宮の頭を帽子の上からかき回した。こういうタイプは認められ、頼られることを好む。それが年上で自分よりも上の人間であれば余計に上がる。
ライトの選手とグローブを交換する。
「この試合終わるまで借りとく」
「おう、後のことは頼むな」
マウンドからライトまで、自分の場所から遠ざかっていく。僅かな距離が途方もない距離に感じる、たどり着かないんじゃないかと思うほどの途方もない距離がすぐになくなった。
ライトからの見える光景は普段見ている景色とは大きく違った。
ああ遠くまできた。ここから見るマウンド上の投手は輝いて見えた。
未だノーアウト、この状況で出てきた成宮は二番打者を圧倒して三振を取って迎える三番のクリス。リードを読むクリスは知っていた。この成宮という投手は水木とにたタイプの投手と言うことを、直球で押してスライダーで空振りをとる。出てきたばかりでエンジンがかかりきらないうちに状況をよくして東につなげたい。
甘めの直球に食いついた。
軌道が変化する、頭の中にはなかった変化。シンカー気味に沈んだボールがバットの芯を外して当たる。勢いを殺された打球をショートがつかみ、見事なゲッツーを食らった。
逆転を狙った青道だがそのもくろみは潰された。ここで流れに乗りきれなかった代償は大きかった。
七回の表アクシデントが発生する。まず今川が走塁の際に負傷していた。体を無理にひねったため右肩に痛みを抱えた。
一人目の打者の振り抜いたバットがクリスのキャッチャーミットを強打した。
バッテリーの負傷交代。
もちろん意図せぬアクシデント、しかしその影響は大きく代わりに入った御幸は確かに優秀なキャッチャーだが途中出場で試合の流れになじむのは簡単ではない。バッテリーごとの交代だが専任になっていたわけでもないため投手との意見の食い違いや、流れの読み間違いは致命傷になる。
四球でランナーが出て、なじめていないキャッチャーを狙った盗塁をみすみす許してしまった。それでも何とか立て直し、二人のバッターを見事なスライダーで三振に取る。しかし三人目にうまくタイミングを合わせて運ばれる。
二塁の選手の好走塁の結果失点となってしまった。
うまく試合に入り込んだ成宮と試合の流れになじめなかった青道バッテリー、この差が試合の明暗を分けた。エンジンがかかりながらも空回りしてしまい三振をとるモノの抑えることができていない。結果として七回の表、三振を三つ奪うも一つおおきな失点をしてしまった。
水木はベンチで誰とも目を合わせずに座り込んでうつむいてしまった。
もう一度同点に、そして逆転をと考える青道打撃陣を稲実のキャッチャー原田が軽く躱した。四番の東、五番の結城を敬遠した。
嫌がる成宮に無理矢理にでも言うことを聞かせた。
六番、七番、そして八番、小湊の三人を討ち取った。七回の裏逆転への絶好の打順を指導は躱されてしまった。
八回の表、稲代実業の打者は水木の本気を味わった。
鬼気迫る投球は稲実の打者を圧倒した。三者三振の投球を御幸は止めることに精一杯だった。入学直後の頃から大きく離されたことを感じていた。あの時バッテリーを組んで投げたときはここまでの差を感じなかった。
八回の裏。同点に持ち込むべく九番打者の水木が懸命に粘る。あまりに粘られたことで頭に血が上った成宮が完璧な三振をとるべく低めへのフォークを投げた。
(やべっ)
指にかかってしまったボールがホームベース前でワンバウンドしてしまう。しかしそのボールが成宮の頭の上を越す。
ノーアウトから出たランナー、しかも打者は長峰。もしかしたらもしかするのではないかと期待が高まる。しかし、一点差の状況で八回の裏おそらくこの試合最後の打席に少し堅くなってしまい、インハイの釣り球に手を出してしまう。
ここまでかみ合ってきた青道の歯車が不協和音を奏でる。
二番の選手の送りバントでツーアウトながら二塁に選手をおいた。三番で途中出場の御幸は勝負強さが武器の選手だ。しかし、そのバットは三度空を切る。
勝負強さの元になっているキャッチャーとしての経験からくる読み、しかしそのキャッチャーとしての純度が下がってしまっていた。読み合いに敗北してしまっていた。
九回の表、御幸は自らを信じられなくなっていた。
水木は自分のリードに難色を示し首を横に振る。さっきの打席では得意なチャンスの場面でボールをバットにかすらせることすらできなかった。
周りの人間において行かれるような感覚、それと一緒に押し寄せてくる無力感に押しつぶされそうになっていた。
それでも水木は稲実打者を抑えていった。
彼はすさまじい勢いで自らを取り戻していった。直球の切れは段飛ばしで上がっていった。
(甲子園に待たせてる人間がいるんだよ、こんなところで負けられねぇよ)
眠りについていたもう一人の怪物が目を覚まそうとしていた。しかしそれは遅すぎた。
九回の裏、四番の東は初球を狙っていた。クリスからのアドバイスを受けて狙った直球。すさまじく高い弾道の打球が飛ぶ。しかしかれらは神に見放されていた。強い逆風に打球が押し戻されていく。ホームランと思われた打球がセンターのグローブの中に収まった。そのときスタンドからは悲鳴と歓声が上がる。
ベンチの選手から懸命な応援が飛ぶ。五番打者の結城がアウトコースのスライダーを完璧に捉えてツーベースを放ちチャンスを作った。
しかしそのチャンスをモノにする打力が下位打線には残っていなかった。
六番、七番、の二人が討ち取られ試合が終了した。
目の前で稲実の選手が喜びの中にいることを目の前にして三年生が涙を流して崩れていた。その姿を目の前にして水木と御幸は涙を流すことすらできなかった。彼らにはその資格がなかった。ただ見ていることしかできなかった。この景色を忘れないように、絶対にこんな気持ちをしないように……
「この負けは俺らの責任だなぁ」
いち早く涙が止まった今川がぽつりと漏らした。
「……俺のエラーが原因だよ、あの二失点があれが原因だよ」
「俺や、最後の場面。あの打席俺が打たなあかんかった」
全員が責任を感じていた。しかし
「最後チームが負けるときに俺はもう何もできなかった。声を張ることしかできなかったんだよ……一生夢に見そうだよ」
彼らの夏は終わってしまった。
これで一年生編は終了で、次からは原作を始めたいと思っています。