“帰ってきた”とか“戻ってきた”とかいやにうるさい。別に俺は戻ってきたわけじゃない。
回り道をしてきたのだろう、何度も怪我をするうちに自然と顔の怖い医者と顔なじみになった。
必死に新しい道を探して、たどり着いたところが昔と同じだったと言うだけのこと。そしてその努力を彼らは知らない。目の前の幼なじみたちもそれを知らない、それを知っている人たちは今自分の後ろで俺を支えてくれている。久しぶりの全力の投球で自分の中のさび付いたギアが回り出すのを感じる。選手の成長は階段のように一気に、爆発的に伸びていく。
今水木は階段を上った、崩れ、塞がれた成長の階段を迂回し、次の階段を上った。
岩崎実に遅れること二年、ようやく彼は怪物の領域にその足を踏み入れた。
彼の投球を支えているのは、鞭のようにしなる腕のスピード。それを可能にする安定した下半身。
プロの投手とアマチュアの投手、最も違うのは直球と変化球の腕の振りが変わらないことといわれている。変化球というモノは変化する必要がある、直球と違いを生む、変化させる。曲げる、遅くする、差が大きければ大きいほど効果を生む、差を生むために腕の振りを変えてしまう。それが最も簡単な方法だから、最も簡単に差を生むことができる、自然と人間はそれに頼る。如実に差が現れるのはスライダー、水木の決め球の一つであるこの球はもはやプロのレベルに達している。しかし、もう一つのウイニングショットは違う。
ナックルカーブは未だ未完成、その腕の振りが直球とは明らかに違う、その事実に気づけている選手は二人、そしてその違いに対応できるのは……
クリスの配球からカーブがなくなっていく。しかし、直球とカットボール、スライダーこの三つだけでも打ち崩せないのに、そこにやっかいなカーブが加わった。そう考えを誘導された桐生の打者たちのバットは鈍くなってしまった。
たとえ投げられなくても可能性が残っているだけで打者の思考は制限される。投手を助けて、野手から自由を奪っていく。クリスのリードがこの試合を飲み込んでいく。
桐生の打者に対応はできなかった。全国を制覇したチームが無残に三振を積み上げるしかなかった。
逆に館は押され始めていた。彼自信が感じていた。自分は天才ではないということを、毎日見てきた岩崎の怪物ぶりを、いとも容易くバットに捉えてスタンドに運ぶ。工夫を凝らしてようやく勝負になるかどうか……そんな世界の人間と戦う自分を彼自身が想像できない。
勝てない存在と自分で認めてようやく前に進める。彼はそんな存在だった、そんな彼が三振に終わった。あれが自分の目指していたモノだ。体の中が少しだけ熱くなった気がした。でもその熱はすぐに冷まされた。凡人の戦い方をやっている自分自身の手によって……
心の中に抱えたモヤモヤはすぐに投球に現れる。
春には全国の最も高いマウンドに立った男はそのマウンドにはいなかった。今マウンド上に立っているのは懸命に怪物たちに挑み続けていた頃の館だった。
伊佐敷は前の打席まで感じていた締め付けるような圧を感じなくなっていることに、しかし打者を圧倒するような圧が出ていた。それはまるで水木と初めて戦った時に感じたモノと一緒。打者を飲み込んで行くような気迫は一年前を思い起こさせる。
しかし、この一年間その水木と一緒に戦うために必死に練習してきた。
ヒット性のあたりが出だすがファールゾーンへと打球が切れていく。
カウントが追い込まれてからのフォークにも伊佐敷はうまく食らいつき驚異の粘りを見せる。
その後伊佐敷はファーストフライに討ち取られるも、徐々になれてきたのか館の球数が増やされていく。
白州と坂井も討ち取られてしまうが伊佐敷との三人で計20球を投げさせた。
桐生側打撃陣も水木の攻略に手を打ち出した。
やり方はシンプル、来た球を打つ。全国制覇した実力で勝負する。
(ボールゾーンには全く手を出さなくなったな……どういう作戦だ)
クリスが桐生の作戦が生み出した流れから来る思考の渦にとらわれていた。
一番からという好打順、その中で仕掛けてきた作戦。その作戦を水木は明確に見抜いていた。
(四番の岩崎の前に何とかしてランナーを、ってことだろ。泉がやりそうな手だね、いろいろ考えさせて、気づいたときにはもう手遅れってことでしょ)
クリスのリードに首を横に振る、明確な拒絶を示す。わざわざ相手に併せる必要はない。こちらのやり方で相手を圧倒する。
「あ~、さすがに無理かぁ。昔はもっとかわいげがあったのになぁ、すっかり男の子らしくなっちゃって」
桐生ベンチの泉が少しだけ残念そうに、そしてすごくうれしそうに声を上げた。
「このイニングに俺の打席はないだろうな」
淡々と事実を分析する岩崎の言葉に泉が楽しそうに、本当に楽しそうに答える。
「心配しなくても良いよ、勝負の舞台は整えてあげるから、二人は全力で戦って」
「ああ、ちゃんと見ててくれ。俺が勝つところをな」
雄叫びが上がる、スコアボードに刻まれるゼロの数字。
マウンド上に立つのは一人の怪物。背伸びをしようと、努力をしようと、凡人の戦える領域ではない。努力を続ける天才たちの戦いは第二ラウンドに移行しようとしていた。
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怪物同士の戦いは強烈な衝撃を周囲に与える。人間は目に見えるモノしか受け入れようとしない、そして見たモノを受け入れて、理不尽を受け入れたとき、凡人すら目覚める。
ようやく天才たちの戦いに割り込む資格を得る。
信じるキャッチャー、
「さぁ、怪物退治だ」
現実を受け入れたエース、
「俺は、俺だ。桐生のエースはこの俺だ」
愚直な四番、
「俺に東さんのようなキャプテンシーはない、クリスのように周りが見えているわけでもない。それでも胸を張って言おう、任せろ」
そして微笑むマネージャー
「さぁ、出番だよ」
この試合の鍵を握るのは主役ではない。
どこまで戦えるのか、彼らの戦いが勝敗を左右する。