予想外のジャイアントキリングを起こした薬師高校は次の試合に出場が予想されている水木のビデオを穴が開くほどに見つめていた。
「こいつはやっばいな」
「ふはは、こいつを倒して俺が関東ナンバー1右腕になりますよ」
投手の真田と三島は投手視点での評価が下される。圧倒的な完成度の高さ、ランナーを背負っても一切変わらないその安定感。吸い込まれていくような直球に冗談のように曲がっていく軌道の変化球。それらが放たれていく、美しさすら感じるそのフォーム。投手だからこそわかる、ここに至ることがどれほど難しいのか、どれほどの時間が必要とされるのか。
そんな投手の映像を見ても彼ら二人の笑顔はなくならない。そんな難しい相手だからこそ燃え上がるエースとどんなときでもポジティブな一年生の笑顔が薬師高校の自信を表していた。その自信の源となって居る薬師の主砲、轟は映像から目を離さずにひたすら手元のバナナを食べまくり、ついには横にいた秋葉が持っていたモノを無言で食べようとして、その腕を叩き落されていた。
そんな彼らとは別に同じ映像を見つめている人間が薬師高校にはいた。監督である轟雷蔵は生徒たちよりも冷静にそして明確に状況を理解していた。自分の息子、雷市は間違いなくトップクラスの打者でプロ注目の三年生と比べても決して負けないだろうと感じている。しかし、そんな4番を有しながらもこの試合は分が悪いと言うことを認めざるを得なかった。それでも勝てないと言うことはないということを彼はこれまでの長い野球人生で学んでいた。
勝負の世界で戦う男の研ぎ澄まされた勘が勝ち目があるとすれば、このエースのプライド。桐生との練習試合で岩崎と勝負をやったということは風の噂で聞いた。このエースを雷市が打てれば、市大三校戦の再現ができると彼の勘が告げていた。
青道高校のメンバーは食堂で市大三校と薬師高校の試合をしっかりと見直していた。
「全員よく振ってくるチームだなぁ」
御幸はスコアブックを片手に試合を見ていると、横からあまりにものんきな声が聞こえてきた。
「薬師戦はお前が先発するんだぞ、しかも市大三校を倒して勢いに乗ってる。油断できる相手じゃないぞ」
「ぶっちゃけ打たれるイメージが湧かないわ。気をつけるべきなのは4番の轟、あとは地味にこのあとから出てきた真田って選手だけでしょ」
その言葉はその場にいた選手全員に聞いていたし、水木もそれを理解していた。
「これならうちの打線の方が怖い。打倒桐生を掲げる以上、躓いて良い相手じゃないでしょ」
その言葉に込められていた多くの意図をそれぞれがそれぞれのやり方で捉える。
「確かにその通りだな」
一言漏らし、近くにおいてあったバットを持って、素振りに行く結城。
「市大倒して手に入れた勢い根こそぎいただくぞ!! オラァ」
全員を鼓舞し、叫ぶ伊佐敷とそれに答える下級生たち。そんな彼らを見ながら一人拳を握りしめる丹波。
「水木、しっかりとほかの打者の特徴も頭に入れておけよ」
この賑やかな雰囲気を作り出し部屋に帰ろうとしていた張本人に、クリスは冷静に宿題をだした。
「……ウース」
けだるげに返された返事だったが、彼がこのあと映像を見返し、全員をしっかりと分析するということと、それを気づかれないようにするための適当な返事だと言うことをわかっていたクリスは何も言わずに映像を巻き戻し轟の打席をもう一度観察し始めた。
西東京の四強を決める戦いは注目度も上がってきていて、これまでよりも多くの観客が入っていた。
そんな観客の注目は市大三校を倒した勢いを青道高校がどのように対応するのか、もしも青道が対応できなければもう一度ジャイアントキリングに期待ができるのではないか、薬師の打線には観客を引きつける不思議な魅力があった。
薬師の先頭打者の秋葉はバットを短く持って、とにかくセンターから逆方向を強烈に意識していた。そんな意識を切り裂くような直球がインコースに投げ込まれた。
反応すら許さない直球に秋葉はバットを振ることすらできなかった。
さらに水木のギアは上がっていき、最後もインコースへの直球で空振り三振を奪った。
二番を任されている山内を見たクリスは顔をしかめた。一つは極端に短く持ったそのバット、一番打者の秋葉も短めに持っていたがこの選手はさらに短く持っている。その上少しオープン気味なスタンスに構えて、バッターボックスの後ろに立っている。前の試合で見たフォームとは少し代えてきていることにクリスは気づき、アウトコースに直球を要求した。
しかし、水木は首を横に振った。
クリスは変化球のサインを出したが水木はそれに対しても首を横に振った。
インコースへの要求をその態度で雄弁に語るエースに、クリスが折れた。インコースに構えたキャッチャーミットを見て水木は不敵に笑う。
その笑顔を見せられたバッターボックスに立っている山内は笑われていると思い、ふつふつと湧き上がる怒りを感じていたが、それすらも仕方ないかと思えるような体験をバッターボックス上でさせられた。自分のバッティングにそこまでの自信があったわけではなかった。だからこそ監督の指示道理にとにかくボールを見る、粘って甘いボールを狙い撃とうとしていたし、それぐらいならできるだけバットを振ってきたと思っていた。それが全く手すら出ずに追い込まれて、最後は絵に描いたようにインコースのスライダーに空振り。ホームベース上に尻餅をつかされた。
三番を任されている三島の顔からは普段の笑顔が消えていた。
映像と本物は全く別物だと身をもって実感していた。まず威圧感が違う、もしかしたらそんな威圧感なんてモノは自分が勝手に感じているのかもしれないが、体が重く感じていた。
初めての体験に困惑が隠せない。それでもアウトコースへのボールに何とかバットを出したが、一気にボールが自分から逃げていった。
スライダーだったということを空振りするまで気づけなかった。そんな三島の耳にうるさい笑い声が聞こえてくる。
「カハハハハ」
ネクストバッターサークルですさまじいスイングを繰り返している四番の轟雷市の笑い声に三島は自分のリズムを取り戻した。
「フハハハ、次は打つ!」
自分に言い聞かせるように強い言葉を口に出す。次につなぐために短く、鋭くバットを振り抜いた。
インコースどん詰まりの打球はふらふらと上がり、ファーストの結城がつかんで初回薬師の攻撃は終わった。
初回、青道の攻撃。
この試合薬師が先発として送り出したのは背番号18、実質的エースだと考えられる真田が先発した。一番の左打席に入った倉持のインコース攻めに粘るも最後はセカンドフライに終わった。
二番を任されている小湊はその荒々しい投球を相手に見事に粘り、インコースに投げ込まれたカットボールに詰まらされてしまう。情報が無かったボールに見事に打ち取られた小湊は少ししびれさせられた手を振りながらネクストバッターサークルのクリスに食い込んでくるボールの存在を伝えた。
ベンチではその徹底した、危険すら感じるインコース攻めに倉持はいらだちを見せていた。小湊はそんな倉持の横に腰を下ろした。
「しっかりとゾーンに投げ込まれてたよ。あれを打てなかった俺たちの技術不足だよ」
「……うっす。……亮さん、水飲みますか」
「もらうよ」
冷静さを取り戻した後輩から水を受け取った小湊はこの試合が予想よりも難しいものになることを覚悟していた。
グラウンド上ではクリスが見事にインコースのボールを捉えたが、その鋭い打球は三遊間を抜けることなく、サードの轟雷市に奪い取られた。
このチームに強豪校の強さは余り感じられないが、どこか不気味なアンバランスさがある。そしてそういったモノが人を引きつけるのだと小湊は理解していた。
このスタジアムに見に来ているファンの中で一体何人がさっきのプレイで薬師を応援しようとなっただろうか、一体何人が連日のジャイアントキリングを期待しているだろうか。
先制点がこの試合の鍵を握る。そして、こう言った高校の弱点はいつだって“機動力と小技”と相場が決まっている。
自分たちで相手の守備を崩す。そういった覚悟を決めて、小湊は守備に向かった。
すさまじいスイング音を響かせながら、ゆっくりと足を進める轟雷市の目にはもうすでに水木しか写っていなかった。
「水木…優大!!」
自分の予想よりもすごいかもしれないという期待に胸を膨らませて、ついに彼はバッターボックスに立った。