互いにエンジンがかかってくる投手たちは長所を生かしながらイニングを消化していく。
特に真中はその直球で稲実の打者を押していく。四球が出ても、ヒットを打たれてもそのスタイルで押していき、そのスライダーは切れを増していく。
三振を量産し、雄叫びを上げるその姿はまさにエース。徐々に会場の声援が集まっていく。
その熱量を背負い、市大三校が実力以上のモノを発揮しようとした。
それが最も出たのが守備だ。ヒット性のあたりを体を張って止めて泥臭くアウトを掴み取る、いや奪い取っていく。
三回の表アウトコースに逃げていくスライダーで二人の打者を三振に取ると、直球を痛打されたがサードの大前がボールを前に落とし、抜けるとツーベースというあたりをアウトにした。
そういったプレイがまた高校球児らしさを求める観客の期待をあおる。こうして会場が完全に市大三校の応援に回ったところで稲代実業は顔色を変えることもなかった。
その象徴が北野だった。彼はは真中とは違い、非常にシンプルなリードで球数を節約しながら確実に抑えていく。その中で大きな役割を果たしたのは持ち玉の一つシュートだ。
右打者の胸元をえぐり、バットの芯を外させ、左打者のアウトコースで駆け引きを求めてくるこの球を市大三校は打ちあぐねた。
三回の裏見せ球はカーブ、決め球はシュート。一大三校の打者は頭では理解しているがそれでも打てなかった。インコースには早く厳しく、アウトコースは遅く正確に。
緩急とコントロールでしっかりと三人の打者を手玉にとり、イニングを終わらせる。
「どっちとやりたい」
スタンドで観戦している御幸が横の水木に話しかける。
「どっちともやりたくないね、俺は楽に甲子園に行きたい」
しかめっ面のエースはいやそうに、本当にいやそうに答えた。
「質問を変えようか、どっちとやりたくない」
エースの言葉に御幸はうれしそうな笑みを浮かべた
「オーケー、外野手御幸その質問に答えよう。俺は稲実とやりたくない。いや、北野と投げ合いたくない」
水木は御幸が外野手としての守備練習、試合出場をネタに煽っていく。
この言葉に御幸の眉間にしわが寄る。
「てめぇ、けんか売ってんのか」
その御幸の顔を見て今度は水木がうれしそうに笑う。
「黙ってみてろよ、試合が動くぞ」
四回の表、一番最初に動いたのは稲実の国友監督だった。
稲実側ベンチの前に選手たちは集まり、監督と言葉を交わしていた。水木たちの場所からは聞こえないが国友監督は攻撃面での指示を与えていた。
国友監督は四番から始まるこのイニングを国友監督は中盤の勝負所と捉えた。
彼がつけ込むべきだと判断したのはエースの経験不足とキャッチャーとのコミュニケーション不足。
そのため徹底して揺さぶってきた。四番のセーフティバントで出塁すると五番打者はバントの構えを見せ、見逃すこと二球。
三球目のボールをバスターで思いっきり引っ張り一二塁間を鋭い打球が抜けていった。
見事なサインプレーと四番の俊足が相まって、あっという間に稲実に先制点が入った。
これが稲実の強みであり、同時に弱みでもあった。監督が四番に堂々と勝負してこいと言うことができない、五番打者にバスターという選択肢をとらせなければならない、そして何より一番タイプの俊足好打のバッターを四番に置かねばならない打撃陣の弱さ。
それでもしっかりと自分の仕事をすることができ、チームのメンバーが全員自分たちが劣っているという自覚を持っていることこそが最大の強みであり、個人としてではなくチームとして戦う稲実の組織力は市大三校を大きく上回っていた。
真中の投球は決して悪くなかったし、彼自身もとても良い投手だが、観客の声援に押されるような経験はなかった。さらに相手がチームとして攻めると言うことも中学時代も二軍で経験を積んでいたときもなかった。
彼は初めて見知らぬ大勢の人から応援され、さらに組織として一点をもぎ取りに来る敵と相対した。初めての状況に戸惑い、わずかに見せた動揺。
それでも何とかして立て直そうとするが六番打者の原田はその隙を見逃さなかった。
自信のある決め球、スライダーを狙い打つ。
打球はライン際を転がり二点目が入る。ここまでの展開からして決定的ともいえる二点、それでも真中のスタイルは変わらなかった。あくまでストレートとスライダーで三振を取るスタイルで四回の表を乗り切った。彼は揺らがなかった。自分を見失えばやられるということを青道高校との対戦で学んでいた。六回五失点の屈辱を北野同様、経験を力に変えていた。
そんな力投を、粘投を続けるエースに奮起を誓うチームメイト。その前に立ち塞がった北野、彼は一年前の市大三校戦の惨敗を一日たりとも忘れたことはなかった。
マウンド上の北野は目を閉じれば、まぶたの裏に去年の光景を鮮明に映し出すことができた。
泣き崩れる三年生、宙を仰ぐ同級生、スタンドは沈黙に包まれて夢の舞台を目前にチームの夏が終わった。いや自分が終わらせた、その事実が自分にゆっくりと忍び寄り、自分の体から熱が消えていく感覚。
何度やり直したいと思ったかわからない。去年チームの夏を終わらせた俺にもう一度チャンスを与えてくれたこのチームを今年こそはあの場所へ連れて行く。
まぶたの下から出てきたその瞳にはエースとしての覚悟が込められていた。
たたかれたグローブ、マウンド上の立ち姿、放たれている覇気、それら全てが変わっていた。
「……別人かよ」
誰かの口から漏れたその言葉が北野の変化を最もよく表していた。
その変化に満足げな表情を国友監督は浮かべていた。
去年の敗戦からうつむき、自信なさげな投球を続けるこの男を国友監督はずっと見てきた。
練習を続けフォームこそ改善されたが、それでも物足りなさが残った。そんなエースに何も言わず、ただ待った。
去年の敗戦にとらわれ、自分のために戦うことを忘れたエースの目覚めを待った。最後の夏が始まってもそれでも待った。その成果が今現れていた。
「ようやく立ち直ったか、一年待ったぞ」
悩み抜いた才能は今大輪を咲かせた。
初球142キロのストレート。
ポーカーフェイスの悩めるエースは、闘志あふれる戦うエースへ。
経験を糧にすることと、トラウマを乗り越えることは違う。彼は経験を糧にし、トラウマを乗り越えて、今自ら閉ざしていた扉を開けた。
人間が体を動かすときに意識的に動かせる部分と無意識的に動かしている部分がある。精神面での問題は無意識的な部分に影響する。プロの世界でも怪我の影響で感じる違和感が原因で引退を余儀なくされた投手は多い。
彼の場合は精神的な問題で最後の一歩を踏み出せていなかった。その一歩は数センチの差しかなかったがその数センチがしっかりとした土台が彼の半年間の努力をボールに伝えた。
130前半の直球が140前半になった、これはこれまで投げられていた変化球の意味を大きく変えていた。
まずカーブはしっかりとつけられた球速差でこれまで以上に打者の感覚を惑わし、シュートは変化量が少なくなっていたがしっかりと手元で食い込む切れの良いボールになっていた。
四回の表、一年越しの援護はエースのトラウマを解消するという最高の援護になり、四回の裏の攻撃は正面からねじ伏せられる結果になった。
市大三校のベンチに漂いだした独特の敗北感。
根拠はないがもしかしたら勝てないのではないか、そんな空気感が流れ始めたのをみて市大三校の田原監督は何かを変える必要を感じていた。
五回の表、点差を感じさせずにマウンドに向かう真中を見送りながら決断を下す。
「天久ボーイ、肩を作り始めろ。もしもう一点取られたら君に投げてもらう」
流れを変えるために天才一年生の投入を決めた。もし自分たちが負けることになっても秋、そして来年以降のよい経験になるだろうという考えも込めて