近すぎるからこそ、触れ難い。
そんな恋も、あると思います。
夢の無いドリーマー
1話 夢の無いドリーマー
人は皆、何かに劣等感を抱えて生きている。
大なり小なり違えど、自分の嫌な所があり、理想の自分とのギャップを抱えながら生きていくものだ。
その過程で心が荒み、前へ進むことを諦めてしまっていく人だっている。
だからこそ、俺には君が眩しく見えた。
素直で、闊達で、明るく笑顔で俺の前を歩み続ける君が。
そんな君の背中を、俺はただ見てるだけ。
それでいい、それだけでいい。
足の止まった俺が、君にかける言葉なんて。
何一つとして、無いのだから。
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「……ですから、この式は2次方程式の応用で解くことができ──」
四月も終わりが近づき、木々の花が散って青葉の息吹を風と共に感じる季節へと移り変わり始めた。日中は蒸し暑い日が増え、学校指定の学ランでは額に汗を滲ませてしまう。
高校での新生活には約一月も経ってしまえば慣れてしまい、最初こそしっかり聞いていた授業も今はただの音として耳から擦り抜けていく始末。授業に集中するべきである思考は、今日の放課後のことや観たいアニメの続きなど、関係のない些細事へと分散していく。そんな中俺は、窓の外から差し込む木漏れ日へと目を向けた。
生い茂る青葉が、光を反射しながら風に揺れる。俺はそんな有り触れた、極当たり前の日常的風景に潜む普段は気にしないような音が綺麗に感じられて、好きだった。こっちの方が、先程から教卓で甲高い声をわざわざ張り上げようとする数学の女性教師の話よりも、余程耳を傾けるべき“音”のように思える。
「ではこの問題を……
そんな微睡みをぶち壊す、教師の声。座席表に書かれた名前に従い、その生徒の名前を呼んだ。
途端に教室が騒めき、クスクスと笑い声が響き出す。その状況に小さく舌打ちをした後軽く溜息を吐くと、俺は立ち上がり、教師を睨みつけた。
「先生……
声色に苛立ちは隠さない。1回目ならまだしも、入学してもう1ヶ月経つんだぞ?何回授業してきたと思ってる。そしてその都度何回間違えば気が済むんだこの
そんな俺の心の声はきっと届くことはない。俺の言及に、教師は申し訳なさそうに目を細めた。
「あら、ごめんなさい……!私ったら身内にはるなちゃんがいるせいでつい癖が……」
申し訳ないが、何のフォローにもなってないんだその発言。“ハルナ”が女の名前だってことを改めて認識させることと、自分の間違いを正当化する発言にしか聞こえないから。
まぁでも実際問題、どうしようもないことだというのはわかっている。寧ろこの教師、俺の名前が“陽奈”でハルナと読むとわかるだけマシなのだ。
改めて自己紹介すると、俺の名前は
そこそこの共学校に通う、立派な男子の高校一年生だ。
見ての通り、“陽奈”なんて名前の
まず漢字。普通に読めばどう考えても“ヒナ”ちゃんです。ありがとうございました。よしんばこの変化球に気づき、“ハルナ”という読みに至ったとしてもまさかの性別が男だという隙を生じぬ二段構え。一の太刀を躱しても二の太刀が、名前を見抜いても性別が襲いかかってくるという教師絶対◯す仕様。名前をつけてくれた祖父曰く、『太陽のように、優しく寄り添う人間であるように』という願いが込められているとのこと(奈という漢字には、優しく温かくという意味があるそうだ)。祖父自身も破天荒で、女性らしいとか男性らしいとかいう考え方を非常に嫌っており、『陽奈は、陽奈らしく生きていけばいいんじゃよ』は祖父の口癖だった。
しかしそんな祖父の願いとは裏腹に、学友は“オンナの名前をしたオトコ”に好奇の目を向けた。不幸にも容姿すら中性的なもので、周りのからかいは留まることを知らなかった。
名前で弄られるなんてものはまだ可愛いもので、誕生日プレゼントに少女モノの鉛筆や下敷きを渡してきたり、外で遊びたい俺を女の名前だからと省ったりするなんてことも普通にあった。そんな男子を糾弾し、俺を庇ってくれるのはやはり女子な訳で、それもまた女に守られてる、男なのに女みたいだと馬鹿にされる始末。
そんな日々を過ごしてきた俺は、この名前に込められた思いに僅かばかり感謝こそすれど、それ以上に陽奈という名前を嫌悪し、辟易していた。
高校になれば多少は変わるだろうと思っていた環境も、どうやら小中時代と大差ないらしい。俺はいつまで、この呪縛に苦しめられればいいんだ。
──“こんな名前”になんて、生まれなければ
自己肯定感の欠片もない、卑屈に歪んだ感情を遣り場のない怒りの炎に焚べながら、俺はもう一度だけ溜息を吐いて着席した。
▼
放課後になり、教室が再び騒めきを取り戻す。部活動に向かう人、その場で居残り勉強を始める人、何処かへ遊びに行こうと、色めいた声を上げる人。数多の感情や思惑が揺れ動くこの喧騒にも近い“音”も、俺は好きだった。その音を十分堪能した後、帰宅部の俺は帰路に着こうとカバンを片手に立ち上がろうとした……その時。
「──おーい、
級友からの呼び声に、反射的に眉を細める。
「今日そのまま帰り?それなら一緒に帰ろうぜ!」
屈託のない笑顔を俺に向けるコイツは、このクラスでも比較的良好な関係を築けている方だ。ただ一点、どうしても看過できない点があるわけだが。
「……その呼び方、やめろって言ってるだろ?」
「いいじゃんか別に!呼びやすいし、ほら、“あの子”もそう呼んでただろ?」
タチの悪いことに、コイツは本当に悪意のかけらもないのだ。俺を女の名前で弄りたいわけでもなく、本当に呼びやすいから俺を“ハルちゃん”と呼ぶ。そう呼ぶキッカケを作った元凶の顔を思い出し、俺は露骨に顔を顰める。悪いやつではないし、呼び方以外は普通にコイツのことが好きだし、仲良くしていきたいと思っている。だからこそ、この呼び方を本当に訂正していただきたいわけだが。
「はぁ……わかったよ、帰ろうぜ」
よっしゃ!とガッツポーズをした後下駄箱へと駆け出した級友の背を目で追いながら、俺はゆっくりと教室の外に歩き出した。
▼
「どっか寄ってく?」
「いや、今日は普通に帰るよ」
「そっか、今度お前の家遊び行ってもいい?」
「気が向いたらな」
どこにでもありふれているようなごく日常的会話をしながら、俺たちは校門へと向かっていく。日没の時間も日に日に遅くなり、夕刻が近づいた今でもまだ空は青い。
「なぁ、今日は“来てないのか”?」
「なにが」
「またまたぁ、“あの子”だよ!前も迎えに来てただろ?お前のこと」
「あれはたまたまだし、約束とかも別にして……な……」
「ん?どうした?」
級友を遇らいながら、ふと校門に目を向けると
そこには彼女の姿があった。
「……来てる」
「うっそ、マジかよ!!」
校門に寄りかかる、透き通った桃色の髪を靡かせ、両耳に刺したイヤホンから流れる曲に合わせて笑顔で鼻歌を口ずさむ少女。まるでモデルのようなスタイルと美貌を兼ね備えたその少女は、校門を過ぎる多くの学生達を魅了し、視線を釘付けにしている。
そんな少女はややあって辺りを見回し、俺と目が合うと、その笑顔を一際輝かせた。
「あ!来た!おーい“ハルちゃーん”!」
そして俺の名を“最悪な呼び方”で叫んだ後、こちらに向けて全力で手を振る。そのせいで、周囲の目線が一気に俺へと突き刺さった。横にいる級友もニヤけた顔を隠しきれずに俺の脇腹を突いてくる。その全てに苛立った俺は、それを隠すこともせずに顰め面で彼女へと歩み寄った。
「やっほー!ハルちゃん!遅かったね、何してたの?」
「……校門で待つのはやめてくれって言わなかったか?なぁ、
「え、えぇ〜そうだったっけ?」
「言った。来るときは連絡しろとも言った。連絡したか?してないよな?おかげでこんなにも悪目立ちだ、どう責任とってくれるんだ?あぁ?」
「うっ……は、ハルちゃん、なんか怒ってる……?」
「安心したよ。俺を見て怒ってるのがわからないほど君が鈍感じゃなくて」
「ひぃ……っ!なんかわからないけどごめんなさいっ!」
涙目になりながら、深々と頭を下げる彼女──
現に今俺は女の子を泣かせたクズという無実の罪で、周囲から更に厳しい目線が突き刺さっている。
……いつものことだ、こんなこと。
俺は今日何度目かになる溜息を吐いて、ひまりに声をかける。
「……で、何の用?」
「へ……いや、今日“練習”ないから一緒に帰れればなぁと思って」
「そのためにわざわざ来てくれたわけ?」
「う、うん……ダメ、かな?」
涙目のまま、上目遣いで俺に問いかけるひまり。それを可愛いと思ってしまう自分が、本当に情けない。俺は後ろを振り返り、俺達の方へと近寄って来た級友に声をかけた。
「……ごめん、俺今日ひまりと帰るから」
「え、いいの?」
「わざわざ俺のために来てくれたんだろ?だったら一緒に帰ろうよ。ってなわけで、ごめんな」
「気にすんなって別に!せっかく“カノジョ”が迎えに来てくれたんだから!」
「彼女じゃねぇよ」
「……ほーんと冷めてんな。それじゃな、ハルちゃん!」
弄りに反応しない俺が面白くなかったのだろう、少しだけ顔を顰めたものの、級友は最後笑顔で俺達の前から去って行った。
「……良かったの?帰る約束してたんじゃないの?」
「大丈夫だよ。アイツもわかってくれてるから。ほら、行こう?」
……そろそろ周りの目が本当にしんどいんだ。
歩き出した俺の後ろを、ひまりは笑顔で追いかけて来た。
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「“他のみんな”はどうしたんだ?」
「今日はもう帰っちゃったよ?私はハルちゃんを迎えに一人でここまで来たけど」
「あぁ……練習休みって言ってたもんな」
家が近いので、帰る道も同じ。徒歩20分ほどの道のりを、俺とひまりはゆっくりと歩いていた。先程から会話に出てくる“練習”という言葉。気になっている人もいるだろう。
何を隠そう彼女、ひまりは幼馴染5人で組んだガールズバンドのリーダーなのだ。その名を、『Afterglow』という。5人は小学校の頃からの友達で、ある1人の言葉がキッカケとなり、中学時代の文化祭で結成、以後も5人の絆を紡ぐ大切な居場所となっている。俺はひまり以外に面識はなかったのだが、ひまりを経由してバンドメンバー全員と顔見知り以上の関係となっている。
「……久々に練習、見に行ってみようかな」
「えっ、本当!?みんな喜ぶと思うよ!」
「誰が喜ぶんだよ」
「主に私だね!」
えへへっ、とにこやかに笑ってみせるひまり。そういう勘違いさせるような事を素でやってくるコイツのそんなところが、俺はどこか苦手だった。
最も、幼少期の荒んでいた俺を救ってくれたのは間違い無くひまりで、そんなひまりのことを苦手だと思うことはあっても、嫌いだと思うことは一度もない。
──彼女は、
「今度こそ、みんなで『ガルジャム』に出るって頑張ってるんだー!」
嬉しそうに、皆で夢を追うことが楽しくてたまらないと言うように、ひまりは笑う。
「私も、ハルちゃんに見てもらうために沢山練習頑張ったんだよ!」
俺の心の中も知らず、何時も変わらずに俺に接してくるひまり。嬉しさと嫉妬が入り混じった複雑な感情を抱えて、俺は苦笑いを浮かべる。
──彼女は、
大切な仲間、自分が自分でいられる居場所、自分を表現する勇気……挙げ出せばキリがない。そんな彼女に向ける俺の眼差しは、きっと綺麗なものじゃない。喜び、妬み、情愛、嫉み……様々な感情のレンズを通して、俺は何年も、何年も君を見てきた。辛い時も、嬉しい時も、俺の側には君が居た。そんな君だったからこそ、俺の目には鮮烈に映ったんだ。
──そんな君を、後ろでずっと支えていけたら、なんて
卑屈で歪んだ俺の心じゃ、こんな風にしか思えない。
君の隣に立とうだなんて烏滸がましい事、今の俺には許されないことだから。
君に恋するなんてこと、とてもありえない。
そうするには君の姿は──余りにも、眩しすぎる
もう一度改めて、俺の名前は宮代陽奈。
夢はないけど、
これはそんな俺と、夢を追う彼女の物語だ。
初めまして、またたねと申します。
ひまりヒロインの小説少なくね?と思い至り、この度自分で筆を手にした次第です。
上原ひまりと、Afterglowの魅力を全力で伝えていくつもりですので、どうか応援よろしくお願いします。
宮代陽奈という少年が存在する、Afterglowの“もしも”の物語を、どうぞ楽しんでください。
次回もよろしくお願いします!