この章の、メインとなる話です。
久々のヒロイン登場。
14話 他人事のように
つぐみとの面会を終え、俺は家までの帰り道を普段よりも気分良く歩いていた。これまで友達という概念を、俺はえらく複雑に考えていたらしい。俺が『Afterglow』の皆に感じるこの気持ちに、友情という名を付けてもいい事を、改めてつぐみに思い知らされた。1人1人と、改めてゆっくり話したいな。
そんなことを考えていると。
「……ん、雨か」
頬が僅かに濡れる感覚を覚え、ふと空を見上げると空はどんよりとした灰と濃紺を混ぜた怪奇な色へ染まっていることに気づく。確かに天気予報でも今日は夜中に雨が降るって言ってたけど……まだ19時過ぎだぞ?
「本格的に降り出す前に、っと……」
折り畳みの傘は常備しているが、多少心許ない。家までの距離はまだかなりある。急がなければと自分に言い聞かせ、俺は早足で帰路を歩いた。
しかし不幸なことに、道半ばで小雨は本降りへと変わってしまう。
「っは、やばいなこの雨っ」
慌てて折り畳み傘を開くも、あまりの雨量に折り畳み傘の面積ではカバーしきれていない。靴や鞄はもうびしょびしょに濡れてしまっている。不幸中の幸いと言うべきか、残り徒歩5分程で家には辿り着く。早く帰りたい、その一心で歩き続け、俺はようやく家へと帰り着いた。
しかしそこには。
「…………………………は?」
豪雨に打たれながら立っている、彼女がいた。
「…………ひま、り……?」
恐る恐る呼び掛けると、彼女はゆっくりと俺の方に体を向けて、笑う。
「……お帰り、ハルちゃん」
その笑顔は、
誰だ君は、と問い質したくなる程に。
明るく、闊達な普段の面影は何処かへと消え失せてしまっている。
「どう、したんだ、こんな、雨の中……」
「ちょっと、当たりたい気分だったの」
空を見上げ、彼女は呟いた。
一体、何があったんだ──?
「……とりあえず、1回ウチに来い。話はそれからしよう」
頑なに動こうとしないひまりの腕を掴み、俺は無理矢理自宅へと引きずり込んだ。
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「……ほら、拭きなよ」
「…………」
俺の部屋になんとか連れ込んだまでは良かったが、タオルを差し出してもひまりは顔を上げずに床に座り込んだまま。ひまりは結局一言も口を開かず、沈黙の真意は未だに謎に包まれている。
「……服、びしょ濡れだろ?着替えないと風邪引くぞ?」
「…………」
「……着替え、俺のスウェットでいいよな?ここに置いとくから着替えなよ。5分くらい部屋の外に出てるから、それまでに着替えてないと文句は受け付けないから。いい?」
この言葉にも、返事はない。
俺はため息を一つ吐くと、棚から適当にフリーサイズのグレーのスウェットを上下で取り出し、タオルと共にひまりの側に置いて部屋を後にした。
部屋の壁に背をあてながら、俺は思案に耽る。考えるのは、ひまりの沈黙の原因だ。
思い当たる原因としては、一つしかない。今日向かったスタジオで、メンバーと何かあったのだろう。
蘭、モカ、巴……その場にいたメンバーを思い浮かべると、やはり蘭が怪しい。が、蘭とひまりが衝突する場面を想像する事が出来ない。彼女達と俺の関係性から予測できる範囲はここまでだ。あとは彼女本人に聞くしかない。
律儀に携帯で5分を計り、部屋を3回ノックする。が、しかし返事はない。忠告はした。ここは俺の部屋だ、何言われても知らぬ。
そっと扉を開くと、ひまりはしっかりと着替えてくれていた。無造作に脱ぎ捨てられた濡れた制服を拾い上げ、適当にハンガーへと掛ける。そして俺は、ひまりと対角になるよう、ベッドの淵へと腰掛けた。
「……で、どうしたんだ?」
「…………」
「言ってくれないと、わかんないぞ?」
「…………」
再三による呼び掛けも、返答はない。
果てさて、どうしたものか……と、考えていた時。
「……ハル、ちゃん」
普段通りだが、普段と違うその呼び方。
聞きなれない声色に、俺の表情は引き攣る。
「ん?どうした?」
それでも努めて冷静に、平常心を装って俺は答えを返した。
そして彼女は笑う。しかしその笑顔は、自分を嘲笑うモノ以外の何物でもなくて。
「───私、やっぱりリーダー無理だよ」
「……どう、して?」
「……今日ね、あれからスタジオで練習があったんだけど──」
そこからひまりは綴る。
要点を纏めれば、蘭と巴が衝突したらしい。曰く、練習に遅れた蘭を心配した皆に対して蘭が反発したことに、巴の堪忍袋の尾がついに切れた、と。蘭はここ最近、授業も受けずにずっと屋上に居続けているとか。それを言及したひまりに対して、蘭が口にした『みんなには関係ない』という言葉。この言葉が、巴の気に障ったらしい。
そしてその後、蘭はそのまま外へと飛び出してしまい、モカは蘭を追いかけ、巴は頭を冷やしてくると外へ。そしてひまりは──。
「──私、何も出来なかった」
乾いた笑顔のまま、彼女は言う。
しかしその笑顔は、彼女の本当の心の内を隠すための、仮面に過ぎない。
「部屋を飛び出していくみんなに、私は何も声を掛けられなくて、ただ黙って眺めることしかできなくて……本当、ダメダメだなぁ。私、リーダーなのに」
彼女の自嘲は止まらない。吐けば吐くほど、自分自身を傷つけていく。いや、寧ろ彼女はそれを望んでいるのか。
「何してるんだろ、私、本当に。情けないなぁ……リーダー失格だよ」
何度も出てくる、“リーダー”と言う言葉。
思い出すのは、いつかの会話。
“リーダーなんだからしっかりしろ”。この言葉が、彼女を励ますと同時に──戒めていたものならば。
──俺は彼女に、なんてものを背負わせてしまったんだ。
「ははは………………ねぇ、ハルちゃん……っ」
彼女の声が、震え始める。
無感情を装う仮面が、溢れ出る感情を塞き止めることが出来なくなり始めている。
そして彼女は、漸く俺を振り向き、呟く
「────助けて」
「っ──!」
「どうしよう……このまま元に戻れなかったらどうしよう……みんなバラバラになっちゃったら……嫌、嫌だよぅ……ハルちゃん……ハルちゃんっ……!」
溜め込んだ不安が、ついに溢れ出した。
仮面は決壊し、瞳から大粒の涙が零れる。
何と声を掛ければいいかわからない。部屋の中には、只々ひまりの声を押し殺した嗚咽が響き続けている。
──なんだ、コレは
俺は、何を見ている?
ひまりが、泣いている
何が、ひまりを泣かせた
誰が、ひまりの笑顔を奪った
この涙は、いつものとは違う。ひまりの優しさが如実に現れた、哀しみの涙。
繰り返す自問自答。その中で俺は一つの答えへと辿り着く。
──俺はどこまで、他人事のつもりでいたんだ
思い返せば、シグナルは多々あった。
つぐみの過労も、蘭の不調も、全て前から気づいていた事だ。それを俺が口を出すことじゃないと、彼女達の問題だと決めつけて、大丈夫だと高を括って。剰え、つぐみが倒れた俺はそんな彼女達の心情を慮ることもなく、ライブのことだけを見据えて。
──巫山戯るのも、いい加減にしろ
そんな俺の自分本位が積み重なって、ひまりの涙は生まれた。壊れゆく歯車に、俺が何か一つでも本気で働きかけたなら、彼女が涙を零す事はなかったかもしれない。
俺はやっぱり、最低な奴だ。
だが。だからといって、立ち止まっている暇は俺にはない。
俺の他人事のような態度がこの結果を生んだのならば。俺のやるべきことは、1つしかないのだから。
そして俺は、ひまりを強く、抱きしめた。
「……ハル……ちゃん……?」
言葉は要らない。俺は返事をせずに、彼女の頭をいつものようにそっと撫でる。
彼女の心に、温もりが伝わるように。
自分を責め続ける彼女に、手を差し伸べるように。
「……ぇぐっ……んぐっ……ぅぁぁ……ぅあぁぁん…………」
そんな思いが伝わったかはわからない。しかしひまりは、力強く俺を抱きしめ返して、再び泣き始めた。
これは彼女達の問題?それがどうした。
俺が口を出すことじゃない?だから何だ。
俺に何が変えられる?そんな事は関係ない。
──ひまりが、泣いている。
それだけで、俺が何かするには、十分すぎる理由だから。
蘭の為じゃない、『Afterglow』の為じゃない。俺はただ、ひまりの為に。ひまりの笑顔を遮る何かから、ひまりを守る、ただそれだけの為に。
俺の全てを以って、君が笑えるように。
それが俺なりの君を“支える”ってことで、それだけが俺の行動理念となり得る確かな感情だから。
だから俺は行くよ──君と、
「……頑張ったね、ひまり」
「違う、違うの……私は、何も“頑張れなかった”の……だからみんな、あんな、風にっ」
「そうじゃない。君の頑張りは、ちゃんと俺が見てたから。君が大好きなあの場所を、無くさせたりなんかしない。だからもう泣くなよ。君が笑ってくれないと、俺も元気になれないんだ」
笑顔を向けた俺を、ひまりは未だに涙の止まらぬ瞳で、じっと見つめている。その涙をそっと拭い、俺は再び頭を撫でた。
「大丈夫。君は信じてくれればいい。俺をじゃない。君の大切な仲間を、信じるんだ」
「大切な……仲間……」
「皆だって、君と同じ気持ちさ。こんな形で離れ離れなんて、5人の誰も望んでない。だからひまり、大丈夫だ」
意図的に、大丈夫という言葉を繰り返す。気休めにしかならないだろうが、その気休めはきっとひまりを救うはずだから。
「……落ち着いたら、家に帰りなよ。無理そうなら、このままここに居てもいい。俺は今から出掛けてくるから」
「出掛けるって……どこに?」
「ちょっとね。そんなにはかからないから安心して」
俺の言葉にしばらくひまりは黙っていたものの、やがてひまりは、涙に濡れた笑顔で、俺に言う。
「──ありがとう。大好きだよ、ハルちゃん」
「……おう。俺に任せてよ」
「えへへ……」
ひまりは再び、俺を強く抱きしめた。
チクリと胸を刺す心の痛みを振り払うように、俺はかぶりを振る。
──ああそうさ、君が
──君の笑顔を、
魔が刺しそうになる心に何度も言い聞かせ、理性の炎で灼き尽くす。集中しろ、余計な想いは全て棄てろ。俺は俺の出来ることをするだけだ。
──例え
俺はただ、君の為に動くだけ。
暗い炎を心に燃やしながら、俺は“独り”、そう誓った。
▼▽▼
「……ただいま」
時刻は、しばらく巻き戻る。
スタジオを飛び出した後、追いかけてきたモカから逃げるように、蘭は家へと帰宅した。
時刻は19時を回っている。普段なら日差しがまだまだ刺している時間帯だが、空を見れば厚い雲が点を覆い尽くさんとしている様子が見えた。深夜に雨が降ると言っていたから、その予兆だろう。
そんな蘭に、玄関先で声をかけたのは。
「──まだ“そんなもの”を持って学校に行っているのか、蘭」
「……父さん」
蘭の父、
華道の名家『美竹家』の当主かつ、同名の流派『美竹流』の主である。
「何度も言っているだろう、いつまでも“そんなもの”で遊んでいないで、華道に専念しろと。お前は“美竹”を継ぐ存在なんだという事を早く自覚しなさい」
「……るさいなァ……わかってるってば」
その言葉に、先ほどのメンバーとの衝突も相まって荒れていた蘭の苛立ちは、一瞬で最高潮に達した。
“そんなもの”。自分の楽器を指して、父は確かにそう言った。それがどれほど蘭の心を傷つけているのかを、一心は知らない。
“何の意味もない”、“ごっこ遊びに過ぎない”。
その言葉は、蘭のプライドと反骨精神をズタズタに引き裂いた。反抗を拒否され、抑圧を強制された蘭の心には、1人では抱えきれないほどのストレスで満ち溢れている。
「何だその態度は」
「…………」
「待ちなさい、蘭ッ」
一心の言葉には耳を傾けず、蘭は二階にある自室へと急いだ。
部屋に入るなりカバンを床へと放り投げ、ベッドへと飛び込む。歯を食いしばり、右手で布団を強く掴んだ。
苦しい、悲しい、悔しい。
様々な思いが一緒くたになった蘭の感情は濁りに濁って、先の見えない暗闇の中に1人放り出されるようだった。
それでも。
寝返りを打ち、仰向けになると、両目を右手で覆う。
──泣かない。絶対に泣かない。
蘭は強く自分に言い聞かせ続ける。負けてたまるか。自分に、父に、現実に。泣いて終わるような、弱い人間には、なりたくない。そんな取るに足らないような微かな意地が辛うじて蘭の心を繋ぎとめている。
──わたしは、酷く不器用だ。
蘭は人に感情を伝えることが苦手だった。幼い頃から親の厳しい躾を受け、自分の意思がこれまで通った事など、皆無に等しい。その過剰な抑圧は、自分の思いを伝えようという意思と、その方法を知る術を根刮ぎ枯らし尽くしてしまった。15歳になって、信頼の出来る何より大切な幼馴染の出来た今でも、それは変わらない。
それでも、彼女達は、理解してくれた。
言葉足らずな自分の言葉を補い、その真意をしっかりと解釈してくれて。そんな彼女達の存在に、自分は何度も救われてきて。
──そんな彼女達に、自分は今日、酷い事をした。
自分が本当に嫌になる。甘えて、依存して、傷つけて、手放して。身勝手にも程がある。しかし、それをどうしようもないほど、蘭の心は擦り切れてしまっていた。
こんな自分になんて、生まれなければ。
とある“彼”に似た卑屈な思いを抱きながら、蘭は静かに目を閉じた。
──────♪
「っ……!!」
突如鳴り響いたインターホンの音に驚き、蘭の体が跳ね上がる。疲れが溜まっていたのか、目を閉じている間に寝てしまったようだ。机上の時計に目をやると、時刻は20時半前。1時間程も寝てしまっていた。
こんな時間に来客なんて、誰だろうか。しばらく考えて、蘭はどうせ父の関係者だろうと思い直し、制服を脱ぎ捨て、部屋着へと着替えることにした。そして着替え終わった瞬間。
『蘭、起きているか?』
「っ!?は、はいっ!」
扉越しに聞こえた、父の声。予想外の事態に、蘭の背筋が見えない何かに引っ張られたかのように伸びる。
『そうか。お前に来客だ。通すぞ』
「へ、わたしに……?うん」
そして開けられたドア。そこに立っていたのは。
「……へ?」
「……やぁ、蘭」
濡れた黒髪に、ジャージ姿。
そこには申し訳なさそうに笑う、宮代陽奈が立っていた。
ひまりの為に、蘭を救う。
歪んだ彼ららしい考えですね。
新たに高評価をくださった、
artisanさん、かってぃーさん本当にありがとうございます!!
次回もよろしくお願いします!