夕暮れの君は、美しく輝いて   作:またたね

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Himari is GOD.

But,GOD isn't Himari.

Because, Himari is Venus.


渦中の花

5話 渦中の花

 

「……よし、じゃあ今日の練習はここまで!」

 

 ひまりの声で、メンバーの張り詰めていた緊張の糸が緩んだ。あれから彼女達は俺からの指摘が多かった箇所や、自分の自信のない箇所を重点的に練習し、それが一通り終わった所で部屋の時間が尽きた。非常に密度の濃い練習だった。2時間程の練習の中で、休憩を挟んだのはほんの僅か。それも外から俺が言い出さなければ彼女達は2時間ぶっ続けでやり抜いていたことだろう。それほど練習に集中していた、ということだ。

 

「…………」

「モカちゃん、そのスタンドそっちじゃないよ」

「え?あー、ごめんごめん。ありがと、つぐー」

 

 その反動か、メンバーの皆は疲労の色が濃い。特にモカなんかは気を抜いたら眠ってしまいそうなほどだ。

 

「しかし、陽奈が来ると練習が捗るなー」

「うんうん!あっという間に練習終わっちゃった!」

「やっぱり私達だけじゃ気付けなかった場所も多いから、本当に助かるよ」

 

 巴とひまり、そしてつぐみが俺を見ながら笑顔で話している。所詮素人の意見だが、俺なんかのアドバイスでも彼女達の力になることが出来ているのだろうか。

 

「……ハル」

「ん、何?蘭」

「今日はありがと。本当に助かった。わたしも自分では耳が“良い”方だと思ってるけど、やっぱりあなたには到底敵わない」

「大したことしてないよ。邪魔になってないなら良かった」

「……良かったらだけど、学校練は無理でも、スタジオ練だけで良いから、ハルの都合がつく範囲で練習を見に来て欲しい」

「……!」

 

 驚いた。あの蘭がこんなお願いをしてくるなんて。何か裏があるのだろうか……なんて事を考えてしまう。

 

「……いいのか、俺なんかで」

「寧ろ、ハルが見てくれることに意味がある」

「俺が見ることに……?」

「わたし達は、ハルが見てくれるから頑張れる。わたし達の事を思ってくれてるハルの言葉なら、無条件に信じられる。だからお願い、ハル。

 

 

───わたしに、力を貸して」

 

 

「蘭……」

 

 普段から表情の変化が小さく、感情が読みづらい蘭。その言葉の真意は、顔馴染み程度の俺では殊更見抜くことができない。しかし俺を見据える、燃えるような真紅の眼に秘められた、このバンドに賭ける熱い情熱は、流石の俺でも感じ取ることができた。

 俺如きに、何ができる。

 その思いは、今でも消えない。だがここまで俺に信頼を向けてくれる蘭の思いを、俺には無理だと一蹴することはどうしてもできなかった。

 

「……わかった。俺で良ければ幾らでも練習見に行くよ」

「ありがと。嬉しい」

「だったらもっと嬉しそうな顔しろよな?」

「…………ごめん」

「冗談だよ」

 

 ばつの悪そうに目を逸らした蘭を見て、俺は笑う。そして皆の片付けを手伝おうと蘭の前から去った。

 

 

 

 

 

 

 

「わたしにとっては──最後の機会(チャンス)かもしれないから」

 

 

 

 

 

 

 蘭の呟きには、気付かぬままに。

 

 

 

 

 それから俺たちは各々帰路へと着いた。

 モカは行きつけのパン屋……やまぶきベーカリーだっけか、に寄ってから帰るらしい。つぐみもそれに着いて行った。

 蘭は俺たちと帰る予定だったが、途中誰かから電話が掛かってきて、『先に帰ってて』と言われた為、蘭とも別行動。

 ということで俺はひまりと、家の方面がある程度似通った巴の3人で帰宅している。

 

「陽奈、高校での生活はどうだ?」

「んー……まぁ、中学とあまり変わらないよ。でも友達は出来た」

「そうか……また先生に名前を間違えられたり、とかか?」

「もうこれに関してはお家芸みたいな所あるから、イライラしながらも自虐していくしかないね」

「ははは!随分前向きに捉えるようになったじゃないか!」

 

 冗談交じりに肩を竦めながら笑ってみせた俺を見て、巴も快活に笑い声をあげる。

 実は、というほどでもないが、俺はひまりの幼馴染4人組の中で、順位をつけるのもよくないとは思うけれども巴と1番仲が良い。

 4人の中で唯一同じクラスになったことがあるのが巴であり、彼女の気さくな接し方は俺にとって好感のもてるものだった。適度な距離感、というのだろうか、近すぎず、遠すぎない。そんな距離を保って付き合いを続けてきた彼女は、もしかして友達と言ってもいいのかもしれない……本人はどう思っているかはわからないが。

 俺が自分の名前を気にしていることをわかっていながら、それには触れない。至って普通の男子として俺に接してくれる巴の態度が、本当にありがたかった。

 

「久し振りに君達の演奏聴いたけど、想像以上に上手くなっててびっくりしたよ」

「その割には随分ボロボロに言ってくれたじゃないか?」

「辛口評価しろ、って言ったのは君達だろ?色々言ってしまったけど、俺は君達が下手なんて思ってないんだ、本当に。心から君達の“音”を堪能してたよ。ひまりには、感謝しなくちゃな」

「えぇっ!?わ、私?」

 

 (珍しく)空気を読んで俺と巴の話を聞いていたひまりが、急遽自分に話題が向いたことに驚きの声を上げる。

 

「今日は誘ってくれてありがとう。本当に良い“音”を聞かせてもらった」

「いやいや!私達も、ハルちゃんが来てくれて嬉しかったよ!ね、巴?」

「あぁ。久し振りに会えて良かったよ。にしても……陽奈の言う“音”って、アタシ達の思ってる音とはやっぱり違うモノなのか?」

「んー……感覚的な問題だから何とも言えないな。でもまぁ俺は綺麗な“音”が好きなんだ」

 

 音と“音”。俺が言う“音”とは、音と音が重なり合って奏でられる“音”のことだ。

 1つじゃ成り立たない、様々な音が重なって作られる、1つ間違えれば騒音になってしまいかねないそれが、俺にはとても心地よく感じられた。

 先程の演奏だってそう。ギターが、ベースが、ドラムが、キーボードが……それぞれが奏でる、全く違う性質を備えた音達が、1つになって重なる。そしてそれに、彼女達の思いを乗せた声という音が溶けて、最高の“音”と化す。そんな“音”を聴くことが、なによりも好きだった。

 

「ハルちゃん、ピアノやってた時からそれ言ってたよねー」

「え、陽奈、お前ピアノやってたのか!?」

「あー……うん、まぁ」

 

 流石安定のひまり節。俺の言って欲しくないことを簡単に言ってのける。そこに痺れもしないし憧れもしないが、驚いた様子の巴の声かけに反応した俺の言葉は、酷く曖昧なものになってしまった。それを補うべく、俺は言葉を続ける。

 

「小2から中2くらいまでかな。あんまり覚えてないんだけど、親に頼み込んで自分から始めたいって言ったらしい」

「ハルちゃん凄く上手で、コンクールでも何かしらの形で絶対名前を呼ばれてたんだから!」

「へぇ!凄いじゃないか!なるほど、陽奈の“超音感”のルーツはそこか」

「だから……あれはそんな大層なもんじゃないんだってば」

 

 褒め称える2人の言葉が、どうにもこそばゆい。

 

「なぁ、どうして辞めちゃったんだ?」

「…………」

 

 巴のその問いには、今度こそ閉口するしかなかった。まぁ浮かんで当然の疑問だろうな。

 辞めた理由を聞かれるのは、正直好きじゃない。だが相手が巴だったからだろうか、不思議と言おうという気持ちになれた。そして俺は、意を決して口を開く。

 

 

 

 

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「っ……」

 

 笑顔を作ったつもりだったが、どうやら失敗したらしい。巴の表情に明らかに影が刺した。

 

「……申し訳ない。言いにくいことを言わせてしまった」

「良いよ全然気にしなくて。巴に悪気あったわけじゃないの、わかってるし」

 

 巴のこういう所が、好感のもてる所なんだ。

 普段は俺の内面を全然気にしていない素振りを見せるくせに、咄嗟の場面で俺を心配してくれていることがわかるような反応を見せる。正に適切な距離感。巴のそんな配慮に、俺の心は救われていた。

 

「……でもやっぱり、私はハルちゃんがピアノ弾いてる所もう一回見てみたいなぁ」

「おいひまりっ……!」

 

 ひまりの呟きに、巴が焦った様子を見せる。その呟きは確かに俺の心にチクリと小さな痛みを及ぼした。

 

 

「──だってハルちゃんがピアノ弾いてる所、すっごく()()()()()んだもん!」

 

 

「っ───!」

 

 

 狙ってか、狙わずしてか。ひまりなら恐らく後者だろうが、コイツはいつも言ってくる。心の何処かで、俺が欲している様な言葉を。俺の劣等感を、拭い去ってしまいそうになる言葉を。

 微かな痛みの中に、確かに宿る暖かな感情。

 笑みを浮かべそうになる程幸せに思えるそれを、それより大きく主張を始めた感情が、無理矢理押し殺す。

 

 

 

 ──どうせひまりの言葉は、考え無しだ

 

 ひまりの何の慮りもない言葉に、勝手に救われた気持ちになるなんて

 

 

そんなの、ただ俺が惨めなだけじゃないか

 

 

 

 

「……嫌だね、俺はもうピアノは弾かない」

「えぇ〜!お願い、一回だけ!一回だけでいいからもう一回弾いてよ」

「あー煩い煩い。今からコンビニでスイーツ買って帰ろうと思ったけど、やっぱそのまま家に帰ろうかな」

「なっ……や、約束したじゃんひどいよハルちゃん!」

「そんな事より、ひまり今から俺の家でベースの練習するから。あの場じゃ言い足りなかったことがまだまだ沢山あるんだ。それが終わるまで勿論スイーツなんて抜きだからな」

「えぇーーー!!!そんなーー!!」

「終わったらスイーツなんだぞ?それを楽しみに頑張ればいいじゃんか」

「あっ、本当だ!よーし頑張るぞー!」

「……単純かよ」

 

 驚いたり悲しんだり、叫んだり喜んだり。

 本当に、表情豊かなやつだ。成長したのは外見だけで、中身は初めて会った頃から何も変わっちゃいない。どこまでも正直な君は、やはり俺には眩しい存在だ。

 

 

 

 『そんな君のようになれたら』という憧れと

 

 『そんな君が羨ましい』という嫉妬

 

 

 

 2つの思いが入り混じって、ぐちゃぐちゃになってしまった俺の感情に、まだ名前は付かない。

 

 

 

▼▽▼

 

 

 

 ──陽奈も報われないな。

 

 巴は言い合いながら歩く陽奈とひまり、2人の姿を見ながら心中で呟いた。自分どころか、街行く無関係の人々から見ても、2人の仲の良さは感じられるだろう。それ程、2人の距離は──物理的には勿論、心理的に──近い。自分達4人もひまりと幼馴染だが、ひまりだけとの関係性に絞れば、自分とひまりの関係は、陽奈とひまりの関係には遠く及ばないと巴は感じている。

 

 初めて陽奈に出会ったのは、中学一年の時だった。

 

 それまでも、ひまりに仲のいい男子の友人がいる事は知っていたものの、その時になるまで実際に会ったことはなかった。だが実際にひまりに紹介されて彼と邂逅し、巴が抱いた陽奈への第一印象は──

 

 ──なんて憂いた眼をしているんだ。

 

 これに尽きる。彼の背景を知らない巴からすれば、見るからに捻くれているこんな少年とひまりが友人以上の関係だということが俄かには信じられなかった。第一印象は最悪、しかしそんな印象は、彼が最初に放った一言で一気にひっくり返ることとなる。

 

『──ひまりがお世話になってます。いつも本当にありがとう』

 

 捻くれた見た目からは想像もつかない、優しい笑顔と共に放たれた、心からの感謝の言葉。声色から感じる優しさに、嘘や方便は欠片も感じられなかった。それ以上に籠る、ひまりへの情愛と慈しみ。それを感じた時、巴は思った。

 

 ──あぁ、彼は心から、ひまりのことが大切なんだ。

 

 それがわかれば、見た目など関係ない。

 幼馴染の大切な友人だ、一瞬でも疑った自分が馬鹿だった。それから年月が経った今でも、彼の印象は変わらない。

 巴は知っている──陽奈は、ひまりにだけ自分達より厳しく、ひまりにだけ自分達より優しい。それは信頼と愛情の裏返しだと、第三者の巴から見てもわかる。

 恋愛感情を抱いているのかまではわからないが、少なからず意識しているのは間違いないと言えるだろう。何時からかはわからない。だが少なからず、自分と初めて会ったあの時には既に、そうだったのではないか。それならば、あの時彼から感じた思いにも、説明がつく。しかしそれを確かめる術を、巴は持たない。

 劣等感の鎧でガチガチに自分の心を塞ぎ切っている彼に、一体なんと声をかければいいのか。

 

『──()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先程の彼の言葉が、脳裏に焼き付いて剥がれない。自分を慮ってくれたのだろう、陽奈は笑顔を見せたものの、それは巴にもわかる程乾いたものだった。

 己の失言を悟り、巴は激しく後悔する。少し考えれば、直ぐに答えにたどり着けたはずなのに。陽奈は、自分の名前を酷く嫌っている。彼はこの名前が原因で長い間からかいを受けてきたらしい。そして彼はその劣等感を拗らせ、自分の全てを否定する様になってしまった。

 

 もし。彼が自分のコンプレックスが原因で、ひまりへの思いを断ち切ってしまっているのなら。何とかしてあげたい、そう思ってしまう。陽奈はとにかく自尊感情が低い。大なり小なり自分の嫌いな所があり、認められないのが人間という生物だとしても、陽奈のそれは度が過ぎている。彼が自分自身に備わった“優しさ”を少しでも認めることが出来たなら、彼はひまりに向かっての最後の一歩を踏み出すことができるのではないか。

 

 

 逆に、ひまりは陽奈をどう思っているのか。

 

 

 これには、確信がある。

 何年も見てきた、ひまりが陽奈のことを話す時の嬉しそうな表情。ひまりが想い出を語る時、そこには必ず陽奈の名前が出てくる。ひまりが陽奈をどう思っているかなんて、火を見るよりも明らかだ。

 

 

 

 ひまりにとっての陽奈は──大切な存在である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──()()()()、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるで家族のように大切、ずっと一緒に過ごしてきて、それが当たり前。故に起こってしまった、成長の過程で得る、人間として異性に在って然るべき筈の感情の欠如。

 

 ひまりにとって陽奈は──()()()()()()()()

 

 だから、陽奈には恋愛感情を抱けない。異性としての目線を向けることは出来ない。何故なら、家族同然の存在だから。家族を恋愛対象として見ることは、決して出来ないことだから。そう思い続けてきた時間が、余りにも長過ぎる。

 

 

『──だってハルちゃんがピアノ弾いてる所、すっごく()()()()()んだもん!』

 

 

 陽奈の心の傷を、癒してくれるような言葉を、ひまりはいつも口にする。本人からすれば、そんな事には全く気づいていないのだろうが。ひまりは、ピアノを弾く陽奈を()()()()()ではなく、ピアノを引く陽奈が()()()()()あんなことを言ったのだ。これが陽奈の為を思って告げられた言葉なら、きっと彼はそれを受け入れることが出来る。しかし陽奈は、ひまりがそんな事を微塵も考えていないことを知っているのだ。故にその薬を、治療を、彼の歪んだ価値観が頑なに拒み続ける。

 

 ひまりにとって、陽奈は家族同然の存在。今更その認識を変えることが果たしてひまりに出来るのか。

 しかし、何らかのきっかけで変えることができたなら。ひまりの陽奈への想いが、恋愛感情へと擦り変わる時が来たなら。それはきっと、2人にとって幸せな道への第一歩となり得るはずだ。

 

 

 

 ここで、問いは繰り返される。

 

 もし陽菜は、()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──なんて残酷なんだろう。

 

 その恋は、今のままではきっと叶わない。

 

『陽奈なら、きっとひまりを幸せに出来る』。そう言うだけなら、簡単だ。だが陽奈の強すぎる劣等感が、決してそれを認めようとしない。そしてひまりの認識もそれを許さないのだ。これじゃ余りにも、報われなさすぎる。

 

 2人はこんなにも互いを思い合っているのに。

 様々な要因が2人の恋路を阻む。

 これが運命だというのなら、酷が過ぎる。

 

 

 陽奈にとって、ひまりへの思いを殺し続けることが“正解”だなんて

 

 

 そんなの悲し過ぎるじゃないか──

 

 

 

 当人ではない巴ですら、苦痛に顔が歪む。

 様々な仮説の上に成り立つ予測ではあるものの、多少の差異はあれど客観的に見て概ね間違っていないだろうという確信はあった。

 巴にとって、陽奈もひまりも大切な存在だ。だからこそ、2人の幸せを願ってやまない。

 今の現状を打破する様な切っ掛けを、巴は只々望んでいた。

 

 

 

 

 





陽奈のひまりへの思いと、第三者の巴から見た互いの思いでした。

ランキング13位ってまじですか?
みなさん本当にありがとうございます!

次回はひまりの独白回です。よろしくお願いします!

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