ルシウスがミニゴブとともに山に入っていく話です。ゴブリンとも戦いますが、前半は対話戦であり、物理的な戦闘は後半からになります。


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主演:ルシウス ミニゴブ 女性ゴブリン 少女ゴブリン 錬金術師 その他ゴブリン
バレンタイン前のお話になります。
誤字脱字はご容赦ください。


ゴブリン・イン・ザ・ダーク

 ルシウスが山にはびこる魔物の討伐を依頼されてから数日になる。ルシウスはおおまかな規模を把握しており、後は急襲するのみ。山頂や中腹には出入り口らしきものが見受けられたが、使われた形跡が薄いので放置することにした。村長からの前情報によれば魔物はラウンドウルフなどの小型の魔物だったが、実際に近辺を調査したところ、通称【立ち犬】と呼ばれる大型魔物の足跡があった。おいそれと真似できる代物ではない。実物が聞いた話と違うのはいつものことだ。しかしこれを単独でどうにかしなければいけないのは現実的な問題だ。後で証拠を持っていって追加報酬をもらわねばならない。

 

 

 今回の依頼にティナやフィーナは関わらせていない。時節はちょうどバレンタインデイの前後にあたり、ティナやフィーナは団長のためにどんなチョコを作ろうかと頭を悩ませているからだ。ティナやナルメア、アンスリアが夜な夜な厨房に出入りしているところから見るに、共同でチョコレートの制作にあたっているのだろう。そこにルシウスが魔物討伐の依頼を承ったのだが、チョコの味や団長の動向に一喜一憂する妹たちを眺めていると、甘酸っぱいものを魔物で邪魔するのはいかにも無粋だった。ということで、団長に話を通しただけでルシウスは騎空艇を離れた。

 

 

 なるべく早く魔物を処理して戻りたい。バレンタインの前日にあまり不在にするのも何であるし、ティナの顔を見ていると、おそらく近日中にチョコレートの材料や何かが足りなくなる。

 

 

 明け方頃、ルシウスは山頂近くに位置する巣に近づいた。自然にできた洞窟に魔物らが巣食い、入り口から覗ける闇には腐敗臭が漂っていた。【立ち犬】らしき体毛も何本か落ちている。このまま入るかと思った矢先、洞窟から足音がしてルシウスは頭を引っ込めた。誰かが来る。

 

 

 洞窟内からやってきたのはゴブリンだ。弓、刀、それから剣を携えている。

 

 

 ゴブリンというのは数だけは異常に多く、グループを作った場合は各人が異なる武器を持つ。だがそれも行き倒れた冒険者から奪った武器だったり、捨てられていたものを拾ったりで練度は低い。とはいえ雑魚でも数が多ければ一般人にとっては脅威だ。現にルシウスの村は母もろともゴブリンたちに蹂躙された。既に王であるゴブリンキングは討伐していたが、王がなくとものうのうと生きている姿は見るからに浅ましかった。改めて腐った魔物に対する復讐の念が湧いてきて、新しい殺意が心理を塗りつぶす。

 

 

(ひとつ試してみるか)

 

 

 離れた木陰に隠れたルシウスは短刀を抜いた。ルシウスは普段は剣で戦うものの、遠距離攻撃に乏しいという欠点がある。パーティならばフィーナやティナにいぶりだしてもらえるものの、単独の場合は自分でカバーしなければならない。そこで考えついたのが短刀投擲であり、特に東国から伝来したという苦無をルシウスは好んで用いていた。投げやすさがあり手に馴染む。弓を持ったゴブリンにあたりをつけて苦無を構えたルシウスの後ろで声がした。

 

 

「ピカピカしてるゴブー」

 

 

 予測していなかった声に思考が凍ったが体は動いた。振り向いて近くでしゃがんでいたミニゴブリンメイジを発見すると、急いで彼女を抱えて木陰を走った。後ろではゴブリンたちがルシウスとミニゴブを見つけて騒ぎ始めている。矢の一本が木の幹に突き刺さって彼は呻いた。

 

 

 山の中の全力疾走は骨が折れた。枝や倒木が邪魔するのはもちろん、茂みも足を滑らせて滑落しそうになる。だが数分も走るとゴブリンたちは彼らを見失ったらしく、怒声が次第に離れていく。ため息をついて見下ろすと、ルシウスに抱えられたミニゴブがキラキラした目で苦無を見つめている。

 

 

「ルシにーちゃん、これ、もらっていいゴブ? フィーねーちゃんにお土産したいゴブ!」

 

 

「これは土産物じゃない。あと、俺はルシにーちゃんではない」

 

 

「じゃあウスにーちゃんだゴブ」

 

 

「……ルシでいい」

 ルシウスはもうひとつため息をついてから腰を下ろしてミニゴブを座らせた。ミニゴブが何かいう前に口を開く。

 

 

「おい、ミニゴブリンメイジ。どうしてここにいる。どうやってここに来た」

 ルシウスはミニゴブを指さした。ミニゴブはくせっ毛のある髪の毛をフードで覆った女の子に見えるが、れっきとしたゴブリン族だ。ゴブリンを蛇蝎のごとく忌み嫌うルシウスにとってミニゴブは悪魔の子孫であり、正直いって良い感情はなかった。それでもフィーナが面倒を見ている手前、またミニゴブが他人とうまくやっているため、意識して彼女からは目を逸らしている。だがここまで来た理由は解せない。

 

 

「んーとね。いまはフィーねーちゃんとかティーねーちゃんが、チョコ作ってるゴブ」

 ミニゴブは上目遣いにルシウスを見た。何をジロジロ見ていると怒鳴りそうになったがルシウスは我慢した。このゴブリンが村を襲ったわけではないのだ。それにしてもティーねーちゃんとは、ティナか。

「それでミニゴブもいっしょにチョコ作ってたゴブ。そんなときにルシにーちゃんがどこかに行っちゃうゴブ。一緒に住んでる家族が真面目な顔して、行き先もいわずにどこかに行くって、やっぱり気になるゴブね?」

 

 

「……そうだな」

 ルシウスは頷いた。ミニゴブに家族扱いされることには虫酸が走ったがそれもいわないでいた。

 

 

「それにルシにーちゃんは真面目な顔してたゴブ。なにかお手伝いしたかったゴブ。だからこうしてついてきたゴブ!」

 

 

「帰れ」

 ルシウスはすげなくいった。

「これは仕事だ。お前の出番などない。皿洗いでもしていろ。そもそも今回は――」

 

 

 草木が乱暴に踏み荒らされる音がしてルシウスは舌打ちした。かなり離れたのだが。山腹を見上げるに弓を持ったゴブリンが二人を睨んでいた。他のゴブリンより一段と小さいせいで発見が遅れた。代りの苦無を抜く前にゴブリンは叫んでいる。

 

 

「居タゾッ! ココダ! 殺セ殺セ!」

 叫びながらゴブリンは弓に矢をつがえた。ルシウスが苦無を構えた瞬間、ミニゴブが杖を振った。なにか黒く輝くものがルシウスの横を飛んでいった。それが弓ゴブリンの頭に命中すると、ゴブリンは頭でも殴られたようによろめき、ふらついて前のめりに倒れた。地面は斜面だ。ゴブリンは頭から地面を転がり丸太のように落ちていった。

 

 

 別のゴブリンが草むらから首を突き出したが、その時ルシウスとミニゴブは物陰に身を潜めている。ちょうど弓ゴブリンはかなり下まで落ちていったようで、ルシウスたちからも見えない。ゴブリンはペッとツバを吐くと別な方向に行った。

 

 

「……行ったか」

 ルシウスは安全を確認してから下を見た。ゴブリンが落ちていった方角である。上がってくる気配はなかった。

「何をした?」

 

 

「危ないから眠ってもらったゴブ」

 ミニゴブはいった。

「落ちちゃったけどゴブリンは丈夫だから平気だゴブ。三日くらい寝てるゴブ」

 

 

「そのゴブゴブ言うのはなんとかならないのか」

 いってからまずいと思ったがもう遅い。口を滑らせた。

 

 

「うん……ごめんなさいゴブ、あっ」

 ミニゴブが口を押さえた。

「ご、ごめんなさい……」

 

 

 ルシウスは腕組みをしてため息をついた。眼を閉じる。自分にもし天敵がいるとするならこのミニゴブリンメイジだ。これほど扱いにくい相手も他にいない。しかしこのままでは自分が悪者なだけだ。ルシウスが眼を開けるとミニゴブは心配そうにこっちを見ていた。

 

 

 考える。仮にもルシウスは修羅場をくぐり抜けたゴブリンスレイヤーだ。そのルシウスに全く気取られないままミニゴブは尾行してきた。乗り合い騎空艇や森に入ってからの数日。動物の気配ぐらいは察知していたがミニゴブには気づかなかった。自分の気が抜けているというより、ミニゴブにもそういう才能があるということにしておこう。それにミニゴブはさきほど、とっさにゴブリンを戦闘不能にできた。機転が利くところは得難い才覚であり、足手まといになることは少ない。それにここで邪険にしすぎて後でフィーナやティナにバレた時、人間関係として面倒になる。ルシウスは口が下手だ。さっきみたいに口が滑ることもあるだろう。過去に何度かあったが、妹に嫌われるのはかなり堪える。

 

 

「このまま回れ右して帰る積りはないんだな?」

 

 

「ないゴ……ない。もしお仕事の邪魔じゃないなら、手伝いたい」

 ミニゴブはどこかギクシャクした口調でいった。不便さがモロに見えている。

「ルシにーちゃんのお手伝いしたい」

 

 

 なぜこうまでして一緒に住んでいるだけの赤の他人にこだわるのか。ルシウスにはそれが理解できない。

 

 

「わかった。最初にいっておくが、足手まといになるようなら帰らせるぞ。これは遊びじゃない。魔物は俺たちを返り討ちにしようとする」

 ルシウスはミニゴブに合わせて目線を下げた。

「もうひとつ。敵にゴブリン族がいても俺は容赦なく斬るからな。さっきの様子だと、あのゴブリンどもはお前が女のゴブリンだからといって容赦するようには見えない。自分の群れ以外はすべて敵とみなすのだろう。だからお前も襲われたら本気で戦え。これもいいか?」

 

 

 ミニゴブもうなずいた。彼女も思うところはあるだろうが、ここまで来たらやむを得ない。

 

 

「後はだ。語尾のゴブも戻していい。いつもと違うとどこかで間違えるからな。わかったなら行くぞ」

 ルシウスが立ち上がろうとするとミニゴブが裾を引っ張った。ルシウスが振り向く。

 

 

「ルシにーちゃん、終わったらあのピカピカを欲しいゴブ」

 ミニゴブはいった。口にしている途中で欲しいものを思い出したのか、眼が輝いてきた。

「あのとんがったピカピカゴブ! フィーねーちゃんにあげるんだゴブ!」

 

 

「……一本だけだぞ」

 ルシウスはあえてミニゴブの顔を見ないようにいって、斜面を登り始めた。背後でミニゴブが嬉しそうにはしゃぐ声が聞こえたし、その声で何かしら揺さぶられるものはあったが、それで心の中のゴブリンに対するわだかまりが消えるものではなかった。なにせ村が滅びたのだ。

 

 

 *****

 

 

 残った二匹のゴブリンを始末しなくてはいけなかった。登り切ってしばらくすると、刀のゴブリンが遠くの茂みを漁っている姿が見えた。ルシウスたちから視認できる位置に剣ゴブリンもいる。前々から外をウロついていたので歩哨だろう。ここで倒すか。

 

 

 ルシウスが苦無を取り出そうとすると、ミニゴブがそれを制した。疑問に思っていると、先程の黒い光を呪文で取り出すと、それを剣ゴブリンに向けた。剣が頭に命中して倒れる最中、刀ゴブリンが気づいた。ミニゴブがもう一度杖を振ると、今度は黄色い輝きが飛んだ。刀ゴブリンの胴体に当たると全身が感電でもしたように波打ち、やはりゴブリンは動かなくなった。ルシウスはゴブリンが戦闘不能になったとみなすことにした。ミニゴブの手前、やはりとどめを刺すことはためらわれた。

 

 

 二匹をまとめてふん縛り、念のために武器を破壊する。弓をへし折りながらルシウスは訊いた。

 

 

「あの黒い奴と黄色い奴はなんだ? 魔法か?」

 

 

「うん。黒いものは眠くなって、黄色いのは麻痺しちゃうゴブ。あと、確か赤いのもあるゴブ」

 

 

「火傷でもするのか」

 

 

「即死するゴブ」

 

 

「お前とは喧嘩しないほうが良さそうだな」

 

 

 洞窟入り口まで戻るとどことなく影が濃くなっている。太陽は登ってきているのに内部から染み出す闇がねばついてきている。中にはゴブリンメイジがいるかもしれない。

 

 

「明かり、つけるゴブ?」

 

 

「いやいい。これから先は長いだろうから、杖は温存しておけ」

 ルシウスは小型のカンテラを取り出すと明かりをつけ、蓋をした。体にくくりつける。ミニゴブが物欲しげにこちらを見ているので、ため息をついたルシウスは予備の一つをミニゴブの腹にくくりつけた。バンザイの体勢で明かりをとりつけてもらうミニゴブはニコニコしており、ルシウスは自分が保父にでもなった気がした。あるいはゼエン教のスタッフか。離れるなよと告げて洞窟に入る。敵地に入る緊張感もあったが慣れない子どもとおっかなびっくり歩くこともあって落ち着かなかった。

 

 

 どんどん酸素がねばついていった。外では意識しない服のごわつき加減や汗が如実に感じられる。明かり二つが無音で移動する様は自分で見ても不気味だった。一つ分かれ道があった。右と左にわかれていたが左の道はなだらかな上り坂になっており、右はどちらかといえば下る。ルシウスは念のためにバツ印をつけると右に足を向けた。

 

 

「左には行かないゴブ?」

 

 

「魔物が棲むとしたら薄暗い奥地だ、」

 いいかけたルシウスの真上を何かが飛び抜けた。瞬時に後方に飛び退って苦無を構える。無音。ミニゴブに合図して明かりを上に向けさせると、ちょうどよく岩盤の隙間に足を差し入れたケイブバットがいた。一匹や二匹で敵意は少なそうに見える。体全体がこちらを向いていた。殺すかどうか迷ったが身動ぎしただけで動き出しそうな気配がある。ミニゴブに魔法を使わせるか考えていると、奥から二つの足音が聞こえた。

 

 

 照射で明るみに出た姿は最初は鋼鉄そのものに見えた。よく見るとそれは擦り切れたガラス窓をはめ込んだ巨大なシールドだ。ミスリル製かもしれない。シールドを前面に構え、つま先の部分は鋼鉄で補強されている。持ち主はゴブリンで、仰々しい兜をかぶっていた。シールドにはいたるところに鋼鉄製の棘が生えており、これで叩き潰すだけで破壊力はかなりのものだ。盾兵ゴブリンは一定の距離を保ったまま動かないが、その後ろで女の声がした。

 

 

「こんにちは」

 

 

 盾兵の後ろから顔を覗かせたのは銀髪の女性だった。理知的な声だ。学校の先生でもしていそうだな、というのが第一印象だった。それでいて洞窟に似つかわしくない目鼻立ちをしており、外で水浴びをしているほうがよほど様になっている。姿は軽装だったがその瞳を見てルシウスは油断ならないものを感じた。ここは魔物ではなく山賊のアジトだったか? だが後ろにいるミニゴブが耳を尖らせたのを感じて、察した。

 

 

 こいつは女性ではなく女性型のゴブリンだ。いわゆるミニゴブの成長形といっても良いが見るのは初めてだ。女性は無防備を装うように横に身体を出すと手を上げた。腰には小型スタッフを下げている。

 

 

「この子はブロックくん。なんでも防げるシールドバッシュが使えるからその通りの名前。そして私の名前はエンペラ。では自己紹介終わり。次はそちらの番ね」

 

 

「皇帝でエンペラか? 寝言は死んでからいえ」

 ルシウスは改めて抜刀した。アジト全体に報奨金が出ている。無防備なうちにケリをつけるのが得策だ。

「ミニゴブ、構えろ。こいつは敵だ」

 

 

「敵ゴブ?」

 ミニゴブはおそるおそるという口調でいった。

「倒したほうがいいゴブ?」

 

 

「違うわよ。ねえ、ゴブリンちゃん。他の女の子に会いたくない?」

 エンペラが口にした途端ルシウスは自分の失策を悟った。さっさと斬ればよかったのだ。今からでも間に合うかと踏み出したところ、盾兵が眼前に出てきた。威圧感を押し出しているのを見るに、これが本来の姿か。

 

 

「奥にね、他の女の子ゴブリンもいるの。ここに男のゴブリンはほとんどいないわ。このブロックくんや見張りのゴブリンはね、女の子のゴブリンを見ても何とも思わないわ。男のゴブリンは乱暴で、無節操で、ルールがない。私たちはそれが嫌になって出てきたの。いまはここに住んでるけど、いずれ別の……もっと明るい土地に行くつもり。でもこんなところで女の子のゴブリンに出会えるなんて、夢みたい!」

 

 

「くだらない嘘はやめろ」

 ルシウスは低くいった。この女、ミニゴブを惑わす気だ。

「お前はゴブリンのフリをしているだけの阿呆だ。ミニゴブ、下がれ。こいつの相手は俺がする」

 

 

「私の家にもうひとりいるの。お友達、欲しくない?」

 エンペラはにっこりとした。ルシウスは苦無投擲を考えたが、それを背後の声が遮った。

 

 

「会いたい! 会ってみたいゴブ! ミニゴブみたいなお友達、いるゴブ? 女の子いるゴブ?」

 

 

 エンペラの笑みが深くなった。それは本心からの笑みにもとれたが見せかけの笑みのようでもあった。彼女はくるりと後ろを向くと、スタッフを用いて明かりをつける。ミニゴブを誘う。

「おいで、ゴブリンメイジちゃん。お友達に会いましょう。そこのお兄さんも、よかったらどうぞ」

 

 

 なおもルシウスは構えていたが盾兵が武装を解いた。盾を背中にくくりつけるとルシウスには眼もくれずにエンペラに従い、前に出たミニゴブはチラチラとルシウスとエンペラを見比べている。ルシウスがため息をついて剣をしまうと、ミニゴブはいままで見たこともない輝かしい表情で歩き出した。体にくくりつけた照明のせいで異様なほど洞窟がよく見えた。

 

 

 やはり連れてこなければ良かった。

 

 

*****

 

 

 ルシウスは洞窟を進み洞窟は彼の思考を体現するように険しく深くなっていった。徐々に道は下り始めいくつも分かれ道ができた。他に侵入者がいたのだろうか、分かれ道の先からは腐臭が漂っていた。エンペラは迷うことなく慣れた足取りで道を選ぶ。罠にはめられたんじゃないかとルシウスは思っていたが、前を行く盾兵は歩くだけだったし後ろから他のゴブリンが迫ってくる気配もない。ちょうどミニゴブが挟まれた形になっているので奪い返すことも難しい。途中でいくつかエンペラが壁を押すと、音がして壁や床の一部が落ち窪んだ。エンペラはそこを踏んで通り過ぎながら、侵入者防止用の罠なのよ、といった。

 

 

 ミニゴブとエンペラは何か話していたが、最後尾にいるルシウスには盾兵の巨体も相まって聞き取れなかった。事前に口止めしていなかったのでミニゴブは騎空団のこともペラペラ喋っているかもしれない。しかし口止めしたとしてもどうしてか首を傾げるだろう。ミニゴブは性善説で動いている。悪人について理解できないのだ。エンペラは主に聞き役だったが自分のことも語っているのが少しずつ聞き取れた。

 

 

 曰くゴブリンキングから離れた分家のそのまた一部。

 

 

 曰くここをねぐらとしてゴブリン族のオスとは繁殖期にしか会わないし会ってもすぐに帰ってくる。

 

 

 曰くここに連れてきたゴブリン族の女の子はまだひとりだがもっと増やしたい。

 

 

 どこまで本当やら。

 

 

 剣の滑りを頭でイメージしながら歩いていると途中から花の香りが漂ってきた。先にある空間から漂ってくる。盾兵の横から覗いてみるとぽかりと空間が開き、オレンジ色の光源が感じられた。ミニゴブが作る明かりに近い照明だがかなりしっかりしている。それに光の加減や暗闇の減退からいって、明かりは複数ある。まさか開けた空間で奇襲されることはないと思うが、ルシウスは最後まで剣の柄に手をかけていた。

 

 

 出た先は大きめのホールだった。騎空艇の甲板を思わせる広さで、天井や壁にはオレンジ色の魔力灯が埋め込まれていた。ところどころ吊られているのもある。壁は基本的に岩そのままだが、花柄の壁紙だったり水色のマットレスで装飾されているところもある。ところどころに香り壺が置かれており、そこから花の匂いが漂ってくる。隅には荒っぽい造りながらも水場、厨房が備えられている。時節柄かチョコの香りまで漂ってきそうだ。大きめの戸棚や本棚まで置いてあるのが見事だった。本格的に生活していることは明らかだ。奥にも部屋がある。

 

 

 明かりの下には洞窟に似つかわしくないテーブルと椅子が揃えられ、椅子には女の子が腰掛けていた。毛布をかぶりながらカップから湯気が立つものを飲んでいる。時間はまだ朝方だ。寝ているところをエンペラに起こされたのかもしれない。服装はミニゴブのようなロープ姿でエルーンのような耳が生えていた。

 

 

 事ここに至り、ルシウスは本気で衝撃を受けた――女の子がいたのだ。それもゴブリンの。いままでミニゴブしか知らなかったが、この種族にも本当にメスがいた。

 

 

「エンペラ姉さん!」

 手芸をしていた少女が途中のものを放り出すと、椅子を蹴立ててエンペラへと走り寄った。彼女が待ち構えていたというふうに抱きかかえる。その仕草が人間そっくりに見えた。その様子はいかにも自分が理性的だと言い張っているかのようでルシウスは腹が怒りで煮えくり返るのを意識した。盾兵は自分の役目は終わったとでもいうように壁際に向かうと、そこにあつらえられていた作りおきの椅子に腰を下ろした。エンペラが抱えていた三つ編みの女の子が険しい眼でルシウスをにらむ。

 

 

「この人? 私たちの家をずっと見ていた人。そんな人を中にいれたの」

 なるほど、とルシウスは納得した。監視済みだったとは。この数日の動向はすべて丸わかりだったと見ていい。もっと魔力の面から警戒すべきだった。

 

 

「あなた、名前なんていうゴブ? アタチはミニゴブだゴブ」

 ミニゴブが首をかしげるとゴブリン族の少女はミニゴブをつついた。久しぶりの来客が面白いのだろう。

 

 

「ほわわわ、つんつんしないでゴブ!」

 ミニゴブが慌てたが少女は介さない。だがルシウスが一歩前に出ると子どもは鳥のように逃げ出し、エンペラの背後に隠れた。

 

 

「…………ある程度話は本当のようだな」

 ルシウスがにらむようにエンペラを見ると、彼女は笑ってルシウスを見返した。どこまでも真意が読み取れない。

 

 

「そうよ。一年ぐらいここにこもりきりだから飽き飽きしてるの。こうしてお客様が来られると嬉しくって嬉しくって」

 

 

 何がお客様だと返そうとしたが押さえた。ここは奴らの力場だ。会話しているうちに少女はミニゴブを連れ、ルシウスから離れたところに歩き出している。向かう先は遊び場のようで、区切られた一角には床にマットを敷いておもちゃが置かれていた。ミニゴブは小さな木馬に杖をたてかけると少女と手遊びをしはじめた。

 

 

「よければかけて」

 エンペラが口にすると既に本人は椅子にかける。盾兵を呼ばわると厨房の方向を指差し、茶を淹れるようにいう。

 

 

 ルシウスは最後まで糸を使わないあやとりで遊んでいるミニゴブから眼を離さないまま席についた。

 

 

 

 *****

 

 

 

「最初にいっておくけどあの子は進んで私についてきた。ゴブリン族の女は男に比べて極端に数が少ないことは知ってるでしょ」

 

 

 ルシウスは頷いた。自分の中のゴブリン知識を総動員する。

 

 

「定説はないけれど、私の考えだと、もともとの元祖であるゴブリンキングが男性だったからだと思う。性別が遺伝子に引っ張られて、そのせいで男性の数が極端に多い。それに合わせるためかゴブリンの女はとても丈夫でとても多産。少ない数で種族をまかなおうとすれば当然そうなるわよね。その分狩猟や戦いには向かない体をしてて、住処にこもって子孫育成が主な仕事になる。そういった前提はあるけれど、それ以上にゴブリンの女というのは地上において超希少種。なぜだと思う?」

 

 

「囲い込みか」

 

 

「正解。ゴブリン側は血の流出を恐れて生まれたコミュニティから出さないようにするの。ゴブリンは一度その地に根付くとモロに属性や地域の星晶獣の影響を受ける。バルツのゴブリンはほとんどが火属性で水属性のゴブリンはよそ者なんて話もあるぐらい。さらに言えば女性ゴブリンは魔力を使う関係で体つきにもその土地の影響が出る。生きていくだけで大変ってことね。

 

 

 そこにもって外部へ女性を動かしたり呼び戻したりするのは問題外。子孫育成に悪い影響が出る。だから女性は一地域一人ぐらいの割合で置かれている……のが普通だけど、最近の事情はちょっと違う。

 

 

 例えば優秀な女の子が産まれるとするでしょう。その子は子孫育成としての手段として期待される他、子孫育成を終えた後や前でもトレードの対象になる。特徴としては、魔力に光が宿るとよくいわれるわ。魔力というのは単なる流れでしかないけれど、優秀な子の魔力は一般人にも見えるぐらい可視化される。それにそういう子は属性数を何回も変えられる。フリーパスといってもいいかもしれない。魔力の規模も一般ゴブリンより桁違い。異種族の形をしているから潜入工作や破壊工作も可能になる。だからそのくらいの規模になると対軍兵装や攻城兵器としての運用もできる。もうそこに生き物としてのルールはない。通称は破壊の女神。産めよ絶やせよ、我が女神」

 

 

「星晶獣扱いといっても良さそうだな」

 ルシウスはチラリとミニゴブを見た。魔力光。属性。二つともミニゴブに当たり、そうなるとミニゴブはやはりゴブリンの考えでいえば優秀か破壊の女神なのだろう。が、それはいわないでおく。

 

 

「そう」

 エンペラはうなずいた。

「優秀な女は優秀な子を数百育て、数百の軍勢は島を落とす。かの呪われしゴブリンキングの時代から続いてるルールの一つよ。男は戦え。女は秘して撃て」

 

 

「人族はかつてドラフを奴隷としたが、いまもってゴブリンは女性全体を奴隷としているわけか。どいつも変わらんな」

 ルシウスは足を組んだ。

「恨むべきはゴブリンキングだな。もっとも、あいつは死んだ」

 

 

「知ってる。それに時代は変わるもの。人間は進化してきたし、私たちもそれなりの進化をしてきた。いずれこの風習が終わる時も来る」

 エンペラは前に身を乗り出した。

「また質問だけれど、遊んでいるあの子は優秀だと思う? トレードされるだけの才覚はあると思う?」

 

 

「…………悪いほうではないと思う。だがトレードされるほどかといえばわからんな」

 

 

「だいたい当たり。あの子はコミュニティによっては中の上、別のコミュニティでは中の下ね。つまりトレードされず子どもを育てるために地下に閉じ込められる。一生、日の目を浴びることはないの。そして寿命を迎えれば死ぬ。戦いがあれば引っ張り出されるけれどそこで死ぬかもしれない。遺体は地下奥深くに土葬されて我らが血族を属性力によって守るための養分になる。土地から動かずしてすべて終わる」

 

 

 ブロックが茶を淹れてきた。ルシウスよりもかなりでかい手だがカップに注ぐだけの器用さは持ち合わせているらしい。レモンティーだが、なかなかうまい。

 

 

 エンペラは続けた。

 

 

「そもそもの私について話してなかったわね。私の住んでいたコミュニティは人間との戦争で滅びたわ。以前に四大属性のバランスが崩れる事件が起きたでしょう。あれで最終的に島がいくつか落ちた。私たちはその崩れた島に住んでいたの。

 

 

 もともとあの島は戦争状態だった。私たちを討伐するために人間の軍隊がやってきていたの。戦争は何ヶ月にも及んで長期戦になると思われたのに、突然軍隊が島から立ち去った。どう考えてもおかしいからあれこれ調べてみたら、四大属性のバランスがヒットした。明らかに均衡が崩れていて、大気中のマナも麻痺したようになっている。悪影響を恐れて人間たちは立ち去ったのね。そのうち島に大嵐が吹き荒れ、山が崩れてきた。放棄された砦にひとりでに火がついた。一族の会議は紛糾したけれど最終的には籠城になった。たぶんいつまでも人類の影に怯えていたんでしょうね。私は一族を見捨てて逃げることにした。

 

 

 そもそもゴブリンの女というのは地下にいるのが当然なのにどうして逃げようなんて思ったのかしら? 細かいところは覚えていないけれど、たぶん相手を見たからじゃないかしら。人間たちが立ち去る前、私は情報収集と司令塔を兼ねていた。魔力レーダーを使っているときに、向こうの狙撃手が見えたの。魔視モードに切り替えたら、木々の上に組み立てた小屋に住んでいたのが確認できた。熱源を透視できるから丸見えだったわ。向こうもこっちの存在なんて知らなかったでしょうし。

 彼らの生活は単調だった。ゴブリンが来れば撃って、そうでないときは暮らす。手紙を書く。大抵は無言だったけど、バディと遊ぶことがあったわ。カードを交換したり、取り合いするの。夜になると詩を朗読したり、本を回し読みして、寝る。あと、食事していても、チョコバーを片方が食べてると、もう片方がそっちをよこせというの。意味分かんないわよね、自分の分を食べればいいのに。私が見ていたのは二、三日かしら。その監視が始まって、見て、そして終わった。彼らは自分たちの船に戻って去っていった。でもあのチョコバー……人間はあんなことするんだと思うとね、バカだなって思えて、すると胸の辺りがこそばゆくなってね。それはゴブリンの家にはこれまでもなかったし、これからもない。

 

 

 決断したのは会議の終わったすぐ後のことだった。私は一族の頭脳。このまま残っていたら地下深くに押し込められる。それを避けるために出るしかなかった。これまでコミュニティを出たゴブリンなんていなかったから、ここを出るんだって思ったら心臓がドキドキして、破裂するかと思った。ひとりで両手を組んで、神様がいるならこの山場を乗り切らせてくださいってお祈りまでしたぐらい。夜中に洞窟を抜け出して砦に入って……廃墟を目の当たりにして……別の砦に向かい……夜中にそれの繰り返し。もう追手が追撃していて、一度見つかったときに矢を射掛けられた。びっくりしたわ。連れ戻されるのかと思ったけれど躊躇なしに殺しに来たの。兵士が誤射しただけなのかはわからない。でも、ある意味でそれで決心がついた。追手を吹き飛ばすと私は先を急いだ。

 

 

 軍隊が最後まで駐留していた砦に入ると、ああ助かったんだなと思った。奴らが残していった壊れかけの騎空艇があったから、それを動かした。島のへりから船が出た途端、思わず泣き出したわ。泣くなんて思わなかった。後は近くの島に向かって、私はエルーンと偽って救助された。非常食を食べながらいままで住んでいた島が落ちるのを見た時も涙が出たけれど、これは安心したからでしょうね」

 いい終わるとエンペラが一息にお茶を飲み干した。うつむいてお茶のカップをソーサーに戻した顔を見た時、ルシウスは彼女の顔に刻まれている疲労を見てとり、同時にエンペラが長い年月を生きてきたことを知った。

 

 

「内部分裂はどこにでもあるんだな」

 もう少し話そうかと思ったが、エンペラはまだ話し足りない顔をしている。ルシウスは先を促した。会話相手が足りないのは本当かもしれない。

 

 

「私はそうして生き延びた。その後、広い外の世界を知って……ドラフ、星晶獣、お酒、お祭り、バルツ公国、海、エルステ帝国……他の女性ゴブリンを探そうと思った。私のようなゴブリンがいたのだから、この世界には幽閉されているゴブリンがいるはずだ。探そう。彼女たちを助け出そう。そう思ったわ。雇われ仕事で路銀を稼いで、酒場で聞き込みして、情報屋のところに通いつめて……ひとつのコミュニティを見つけた。男は百人ほど。女は一人。あの子……ハシスがいたコミュニティ」

 エンペラはミニゴブのフードを引っ張って遊んでいる三つ編みの少女を指さした。さきほどルシウスに険な顔をした少女だ。

 

 

「最近できたコミュニティか、ゴブリン女が病気か何かで死んだのね。ハシスは子孫育成の年齢まで達していなかったの。素性を明かして魔力光を見せてやると、あっけなくあいつらはハシスの下に連れて行ってくれたわ。あわよくば私も捕まえようとしていたのかもしれないわ。ハシスに出会って、話をした。私が外で見聞きしたものを全部伝えた。ハシスは全部吸収した。私と同じ、外について何も知らなかったの。この子に魔力光は使えないことはわかっていた。だからこの子がトレードされることはないし、一生太陽が及ばない地下に閉じ込められるのはわかっていた。隕石が落ちたりおとぎ話の王子様でもやってくればハシスは逃げられる。でもそんなのは来ない。絶対来ない。私の時に来なかったから。だから、私が逃がすことにした」

 

 

 ルシウスはカタリナとルリアのケースを思い描いた。あのケースもはじめは同情が原因ではなかったか? 

 

 

「ハシスはそれを承諾したのか?」

 気づけば口をついて出た。エンペラは少し考えて頷いた。

 

 

「私は太陽や海、あと思いついた建物をスケッチして彼女に見せた。はじめ彼女はくだらないと笑ったの。でも何枚も渡すと笑いが消えた。そんなにたくさんの嘘をつけるわけがないもの。彼女は黙りながら紙をずっと見ていた。三つ編みをくるくる指でいじりながらさせながら。

 

 

 私は【五十メートルも上に登ればそこがあるの】といった。

 

 

 彼女はちょっと笑って【いいなあ】っていった。それで、私は訊いた。

 

 

【行きたい?】

 

 

【行きたいなあ。アイスクリームを食べてみたいなあ】

 

 

 それで脱出を決心した。彼女の手を掴むとドアを爆破して、彼女を連れ出した。上に行けるとわかった彼女の顔は忘れられないわ。連れて行くともちろん男ゴブリンたちが襲ってきた。最初は私もろとも捕獲するつもりで縄や網……最後は弓矢にゴブリンメイジ。私の時と同じ、従わなければ殺す気が見え見えだった。でも一度、年老いたゴブリンが出てくると何かいった。ハシスの父親か叔父だったのね。彼が叫ぶと、ハシスが青い顔をして一瞬立ち止まった。私も止まって、彼女が家族を大事にするために残るなら、私は単独で逃げよう、と思った。でも年老いたゴブリンは私たちに剣を投げてきた。それでおしまい。ハシスが走り出して、私も走って、ゴブリンを蹴散らして、外に出た。日光に顔を押さえるハシスを抱きかかえて私は空を飛んだ。飛行術が使えるの、私。そのうちあのメイジちゃんも使えるようになると思うわ」

 

 

「あいつの名はミニゴブだ」

 

 

「それ、あなたが名付けたの?」

 エンペラは眼を細めた。どちらかというと蔑みの意志が込められていた。

「もっとまともな名前はなかったの?」

 

 

「俺が名付けたわけじゃない」

 

 

「そう。私だったらもっといい名前をつけるな」

 エンペラは遠くのミニゴブを見つめながら眼を細めた。その仕草はまるでミニゴブを自分の所有物としたかのようで、ルシウスはいまこの場にフィーナやティナや団長がいたら何をいうだろうかと考えた。しかしここにいるのは自分だけであり己は別の考えに立脚している。

 

 

「なるほど。ゴブリン側から見れば子どもさらいだな」

 

 

「ある面ではそうね。でも子どもたちは実際に外に出たいの。だから私はそうした。いずれは他のコミュニティの……困っている子たちを救い出したいと思う。でも、私の考えがどこかで間違ってくれればいいとも思う。だって、すべての女ゴブリンが虐げられているなんて、ひどすぎるじゃない。だから中には、男と女が平等だったり、対立してなかったり、女ゴブリンのほうが立場が強い……そういうコミュニティもあってほしい。あるいはよりいっそう違う立場の女ゴブリンがいてほしい。私なんかの考えなんて取るに足らないような、強くて強くて強いゴブリンが。それこそゴブリンクイーンとでも呼べるような」

 

 

「お前の希望に関心はない。それで、自分たちの防衛のために麓の村を荒らすわけか。ここに賞金がかかっているのは知ってるな?」

 

 

「知ってる。悪いことをしたとは感じてるわ。だけど人は殺してない!」

 エンペラは初めて声を張り上げた。

「ただ食べ物を頂いて、生活用品を拝借して、それから……服も借りただけよ。代価として宝石も置いてきたし。ゴブリン族の財宝を、いくつか」

 

 

 ルシウスは片目を開けた。依頼の際にはなかった情報だ。エンペラを嘘をいっているようにも思えない。ひとまず話を変えることにした。

 

 

「それでも魔物まで使役するのはやりすぎじゃないのか。あのブロックなんぞ男ゴブリンなんだろう。いいのか、そんなことをして」

 

 

「彼は他のコミュニティからのハグレよ。身体が大きすぎて追い出されたの。他のゴブリンも似たり寄ったり。それに私たちも鬼じゃない。きちんと世話はしてる」

 

 

「じゃあ【立ち犬】とかの魔物は」

 

 

「あれは自衛戦力」

 エンペラの眉が怒りに歪んだ。

「どうしても私たちだけじゃカバーに限度があるの。敵はゴブリンだけじゃない。人間だって私たちを隙あらば殺すし、説明して逃げられると思う? 私たちはゴブリンの中でも虐げられているほうで、戦意はありません……いざここに攻めてきた兵士たちがそれを聞いて、兵士たちがわかりましたって帰る? 人間には前科があるの。ゴブリンキングは人類に滅ぼされた。彼は良い王ではなかったけど、けれどもシンボルだった。そんな人類と共存するのは無理。リスクがありすぎる」

 

 

「ならお前はミニゴブを見習うべきだな。あいつはリスクを積極的に打開している」

 

 

「あの子はリスク自体を知らないの。それは無謀。そもそも、あなたたちの素性を聞いていなかったわね。どこから来たの?」

 

 

 ある意味で待ちに待った質問だった。ルシウスは滔々と自身の村がゴブリンに蹂躙されたこと、妹のティナを連れてゴブリンスレイヤー・ゴブリンキラーになって各地のゴブリンを狩りまわっていること。そして念願叶ってゴブリンキングを攻め滅ぼしたことを話した。

 

 

 エンペラの顔にあからさまな敵意は見出せなかった。

 

 

「なるほど、聞いた覚えがあるわ。スレイヤーとキラーの二人組。まさかあなたとは思わなかった。それであなたとティナのほぼ単独で彼らの軍勢を討ったの? 無理でしょ。どこかと組んだ筈」

 

 

「ノーコメントだ。それくらい自分で調べろ」

 

 

「そう。で、あなたは慈悲の心があるのか、あのミニゴブちゃんは殺さずに連れてきた。そうよね、見た感じは人間の子どもだものね、豚のように殺すには葛藤があるからね」

 

 

「勘違いするな。あいつはフィーナにくっついてきただけだ。俺とは関係ない」

 

 

「フィーナ、フィーナね。ゴブリンハンター。三人が組んでゴブリンをやっつけた。楽しい話じゃない。で、あのミニゴブちゃんはどうするの? いずれ殺すの? 屠殺場に連れて行く?」

 

 

「ふざけるな。俺には理性がある。あいつは……」

 ルシウスは言葉を切った。ミニゴブの将来など考えたことがなかったことに気づいた。そもそも自分の一年先ですら考えていなかったのだ。赤の他人を慮るにも無理がある。

「……あいつなりの道を見つけるだろう」

 

 

「あらそう。ゴブリン族の女はやがてゴブリンの子どもを産むでしょう。異種族と交わっても同じこと。産まれるのはハーフよ」

 エンペラが冷徹な眼でルシウスを見た。彼の考えを察知したかのようだった。

「まさかミニゴブちゃんに子どもを産むなというつもり? 他のゴブリンに混ざるなというつもり? 私たち知性のある生き物の前にはさまざまな可能性が開けている。それぞれの幸せがある。だけどミニゴブちゃんから最初から可能性を取り上げるの? あなたは本気でそれを正しいと思ってるの?」

 

 

 ルシウスは言葉に詰まった。エンペラの考えの通りにいえば、ルシウスがゴブリン殲滅を至上としている以上、いずれはどこかでミニゴブと袂を分かつことになる。もしミニゴブの血族が村を襲うようになれば兵士やルシウスたちが駆り出されるし、最終的にはミニゴブと剣を交える未来も十分に想像できた。

 

 

(競り負けるな)

 ルシウスは歯を食いしばった。

(こいつは俺を追い込もうとしている。競り負けるな)

 

 

 いまここで己は何らかの決断をしなくてはならない。そもそもミニゴブとルシウスの道ががいままで重なっていたことが奇跡だったのだ。ゴブリン族を殺すのにミニゴブと暮らす矛盾を解さなければならない。どこかで曖昧だった自分を明白にしなくてはエンペラに負ける。そうなったらこの女は徹底的にルシウスを言い負かすしそうなるとルシウスは精神的に負ける予感があった。一度捻じ曲がった信念は再起させるのがかなり難しくなる。ルシウスはかつてゴブリンキングを討伐した後、抜け殻のようになった虚無を通してそれを理解している。あの時のルシウスは未来もなく目的もなく、ただぼんやりとティナの都合の良い幸せを祈りながら生きていた。そんな人生は味気なく薄いスープのように喜びや楽しみを腐らせ最終的には日々の明かりを消し去る。あの時は団長やまわりの助けのおかげで戻ってこれた。

 

 

 だが今回は。

 

 

 今回は単独で競り勝たなければならない。

 

 

 自分のために。これ以上揺るがないために。

 

 

 最初のゴブリンを殺した時、そしてミニゴブを手にかけなかった時から、既にこの道が選ばれていたのだ。

 

 

「賽は投げられた」

 ルシウスがつぶやくとエンペラが怪訝な顔をした。彼女が口を開くより先にルシウスは武装を取り外すとテーブルの上に置いた。ゴトンという音に各々のゴブリンたちが振り向いたが、ルシウスは構わずにいった。

 

 

「お前なんぞに武器は必要ない。心配なら盾兵に没収させろ」

 

 

 

 *****

 

 

 

 ミニゴブはチラリとルシウスを見やったが視線を戻した。ルシウスは昔はイライラしたり神経質な顔をしていたけれど、最近は少しほがらかになった気がする。彼はフィーナや団長――場合によってはティナにも――馴染めなかったけれど、いろいろなものに慣れてきたように思う。おかげでミニゴブはいつも隠れなくても良くなったし、こうして二人で行動する勇気も持った。

 

 

「なんかあの人、怖いね」

 ハシスがいった。最初の自己紹介の時に自分はお姉ちゃんだと宣言した子だ。三つ編みにした長い髪がきれいで、ミニゴブの髪型ではなかなか真似できない。

「ブロックくんは動かないけどさ、心配だよね。乱暴じゃない?」

 

 

「ミニゴブはあんまり心配してないゴブ。ルシにーちゃんは優しいゴブ」

 

 

「ミニゴブちゃんてさー、なんか名前がカタいよね」

 ハシスがいう。さっきも出た話題だが混ぜっ返してきた。ルシウスとエンペラが剣呑な調子で議論をしているから、ムードを変えたいのかもしれない。

「ねえ、新しい名前決めようよ。もっとこう、ラブリィ! ブラボー! ってヤツ」

 

 

「ミニゴブはこのままでいいゴブ」

 

 

「ミニゴブちゃんしゃらっぷ! じゃああたしからね。ご、ご……ゴリラ!」

 

 

「えっ、ラ……ラ……ランドセルだゴブ!」

 

 

「……ぶりカツ」

 

 

「それはしりとりだゴブ! そんな名前はヤだゴブ!」

 ミニゴブがつっこむとハシスが大笑いした。おほほほといいながらゴロゴロする。

 

 

「あはは、間違えちゃったのだわ……ツナマヨ」

 

 

「まだ続けるゴブ!?」

 ミニゴブがまたつっこむとまた笑った。結局みんな固有名詞で名前にならない。自己紹介をした後はだいたいこんな感じでダラダラしていて、ミニゴブとゴブリン族の少女は家族のように親しんでいる。同族であるおかげか細かいところがツーカーで通じるし、かゆいところに手が届く。

 

 

「そういえばそれは指輪ゴブ? ピカピカしてるゴブー」

 ミニゴブはハシスがしている指輪に触れた。ハシスはニコリとしたが自然とミニゴブの手を離した。

 

 

「これね、エンペラ姉さんがくれたの。私らさ、モロにその土地の影響を受けるじゃない。属性もなかなか変わらないし。土地の力場から守るためにこれつけてるんだ。魔力が込められてる。ミニゴブちゃんは?」

 

 

「アタチはしたことないゴブ。属性もけっこう変わるゴブよ。火属性とか水属性とかできるゴブ」

 

 

「え」

 ハシスが眼をむいた。

「それもしかして優良児ってことじゃん。ねえ、魔力光出せる?」

 

 

「出せるゴブよー」

 ミニゴブは右手に黒い光を出してみた。左手に赤い光を出すと混ぜ合わせ、紫色を作リ出す。

「ふっふっふ。これに触れると死ぬゴブぜ」

 

 

「…………すごいねー」

 ハシスがぽかんとした。ミニゴブとしては遊びのつもりだったのだが、どこか食い違っている。少し黙ってしまった。

 

 

「あーあ、ミニゴブちゃんがずっとここにいたらなあ」

 おほん、と咳払いしたハシスが話を変えた。

「同族だしさあ、いろいろ便利じゃん。ここ狭いし暗いけどけど住めば都っていうし、なんか男ゴブリン来るから基本ヒッキーだけどさ、たまに街のお祭りとか見に行けるよ? アイスの買い食いとかできるし騎空艇も乗れるしさー。一回でいいからアウギュステ行きたいよー、海見たいよー」

 

 

「ミニゴブはずっとグランサイファーに乗ってるゴブねえ。それにアウギュステで泳いだことあるしジュエルリゾートだって入ったことあるゴブ」

 

 

「……ブルジョアね、こやつはブルジョアだわ!」

 ハシスがまたミニゴブをつんつんした。逃れようとするとのしかかってくる。

「くぬっ、えいえいっ、そのブルジョワ成分をわけなさい」

 

 

「ひょわわわ、できないゴブよ!」

 ミニゴブがばたばたした拍子に脇においていたカンテラが転んだ。どこかぶつけたらしい。

「あ、ルシにーちゃんのが転んじゃったゴブ。壊れたら大変ゴブ」

 

 

「……ねえミニゴブちゃん、あのルシウスさんと旅をしていて楽しい? ちょっと怖くない?」

 

 

「そんなことないゴブよ」

 まだほっぺをつんつんされていたがミニゴブは返した。

「ミニゴブはフィーねーちゃんと暮らしてるゴブ。ティナねーちゃんともご飯食べてるから暮らしてるゴブ。あ、そうなるとルシにーちゃんとも暮らしてるゴブね。でもみんなといると楽しいゴブ。ニコニコするゴブね」

 

 

「えーそうなんだあ」

 ハシスがいった。ミニゴブから降りるとハート柄のクッションに座る。

「ゴブリンってさー、昔から嫌われ者だったじゃない。おとぎ話でも童謡でも悪役でさあ。だからかな、他の種族より同族同士でいるとホッとするって研究もあるんだって。でもヒューマンと暮らしててもうまくいくんだねえ」

 

 

「アタチは初めてグランサイファーに乗った時、知らない人がたくさんいたから緊張したゴブ。いまでもどんどん新しい人が来るから、やっぱり緊張しちゃうゴブ。でもフィーねーちゃんと手遊びしていると落ち着くゴブね」

 

 

「……でも、フィーナさんってゴブリンハンターなんでしょ?」

 大人同士の話を聞いていたようだ。ハシスが耳打ちするようにいった。

「怖くない?」

 

 

「あんまりないゴブ。でもたまに、フィーねーちゃんがミニゴブにいってきますをしないで出ていく時があるゴブ。帰ってきたフィーねーちゃんはいつもより静かで、ちょっと嫌だゴブ」

 

 

「ああーわかる。大人ってさあ、急に黙る時あるよね。嫌な仕事してる時とかさ。あたしも前のゴブリンの巣にいたときそうだったもん。大人たちが会議してるとね、あたしは全然会話に入れなくてさ」

 ハシスが顔をうつむけた。彼女もミニゴブのつむじをクリクリ指でかいてから、また顔をあげる。

「そういう時は黙ってるしかなくてさ。何すればいいかわかんなくて、辛かったね。結局何だったのか教えてくれないし」

 

 

「それは辛いゴブよねえ……」

 ミニゴブがハシスの頭をなでた。なぜかハシスが頭をなで返してきたので二人してナデナデしているよくわからない状況だ。そっとハシスがミニゴブを抱擁した。

 

 

 ハシスの服は温かかった。

 

 

 

 *****

 

 

 

「つまり私がいいたいのはこういうこと。ミニゴブちゃんはグランサイファーではなくここに住むべきということ。心理的な面からも、安全的な面からも」

 

 

 とうとう本題に来たな、とルシウスは思った。連れてきたのはこういう目的があったのかもしれない。椅子を蹴って出ていく選択肢もあったが、ルシウスは敢えて話に乗ることにした。

 

 

「まずお前の前提をひっくり返そう。こういう話にはつきものだが一番目に本人の意思を尋ねていない。ミニゴブがここを拒否したとしてもお前は囲い続けるのか? それは幽閉だ」

 

 

「私は《安全》にまつわる話をしてるの。いくら楽しいとはいえ危険なところに住むというのは困難。それに永遠に定住しろというわけじゃない。ミニゴブちゃんの宿としてここを提供するの。いずれ成長して旅に出たくなったらグランサイファーに乗ればいいし、個人で動いてもいい。でもいまは幼いのよ? 子どもさらいや奴隷商人がどこで動いているかわからない」

 

 

「仮定が多すぎるな。ところで騎空艇のどこに危険要素がある? 団員たちは仲良しで騎空艇は基本的には安全だ。どこでミニゴブが狙われる。そもそもお前が語れるほど騎空艇を知っているとは思えん」

 

 

「例えばメネア皇国。あそこはゴブリンキングの討伐を行った国でありゴブリンを第一級絶滅指定種にしている。ゴブリンの首一つにも報奨金も出す国よ。騎空団である以上、メネア皇国に立ち入ることはよくあるしそこの兵士にミニゴブちゃんを見つけられることもありえる。誰何された時にミニゴブちゃんは説明しきれる? 自分はゴブリンじゃないって嘘をつかせるの?」

 

 

「……」

 

 

「その二。さっきミニゴブちゃんから旅の目的を聞いたわ。イスタルシアに行くという。そんな島が本当にあると思ってるの? 空の果てに行ったとしてそこにあるのは島ではなく単なる空の終わりでしかないことは考えないの? 瘴流域や他の障害についてはどう考えてるの?」

 

 

「俺たちはそういうことを込みで団長の船に乗っている。もちろんミニゴブもだ。蒸し返すようだがミニゴブの考えをお前は理解していない。尊重もしていない」

 

 

「彼女は幼すぎるの。洗濯物なら干せるかもしれない。でも危険な仕事を任せられるほど成熟してるの? 《フィーナの家族だ》ということで乗せてもらっているんじゃないの? 聞けば、エルステ帝国ともドンパチやってるそうね。一歩間違えればいつ沈んでもおかしくない船に乗って、安全といえるの? 死ぬことを承知した……って、それ本気でいえるの? ミニゴブちゃんがあなたのように危険性を把握しきったとは考えにくい。彼女はきちんとした保護や教育を必要とするわ。少なくともあと数年」

 

 

「まるでここが叡智の殿堂みたいな口ぶりだな?」

 

 

「ゴブリンにとってはそうよ。発情期。ゴブリン特有の魔力属性について。魔力光。自分の体の仕組み。ゴブリンの短い歴史。人間との戦争。他種族に対して注意すべき点。それからて他のゴブリン族の男の特質と彼らからどうやって逃げるか。こういうことを教え込む必要がある。ミニゴブちゃんは平和的で他のゴブリンらに関心がないかもしれない。でも他のゴブリンどもはゴブリンの女を狙うものよ。ふらふら外を歩いている希少種なんて、鴨が葱と鍋を背負って来ると同一。ゴブリンキングが死んだことで、奴らはいっそうその心理を強めている。自分たちの根本が切り崩されたことで、奴らは繁栄によって安息を得ようとしているの」

 

 

「なるほど。性別が異なるだけなのに魔物と人間ぐらいの差異があるな」

 

 

 ルシウスは半ば皮肉ったがエンペラは額に手をついてため息をついた。

 

 

「時々そう思う。私やハシスもあいつらほど本能的に振る舞えたらどれほど良かったら。あれこれ考えなくて気楽に生きられたら。でも現実は違う。私は自分や他人の境遇について考えられるし考えてしまう。そして実際に苦境に陥っている。苦境にあるということは、打開しなければならないということ。あるいはこの構造はどこかでバランスを取っているからかも。私たちは人間のように理性的に振る舞って、男たちは魔物の本能を発揮することで種族としての平衡を保っているのかもしれない」

 

 

「……」

 

 

「とにかく、男ゴブリンから身を護るため、最低限の自衛戦力を備える必要がある。ミニゴブちゃんは魔力をうまく扱える? 結構。依頼を受けて他の魔物もやっつけている? それも結構。だけど悪質な手段を使って女をさらう魔物への対処の仕方を知ってる? 外にいるゴブリン族の女がどうやって自衛するか知ってる? 騎空艇でそれを教えられる人がいる? あなたの話だとグランサイファーには王族やら星晶獣が乗っているそうね。でもゴブリンに身の振り方を教えられる人は乗っているの?」

 

 

「なるほど痛いところを突いてきたな。じゃあフィーナに教えさせよう。あいつは女性だから少なくとも俺よりはミニゴブに寄り添える。ハンターだからゴブリンの習性についても承知だろう」

 

 

「これは私の中でもかなり葛藤があるし、さきの話をひっくり返す考えでもあるけれど、ミニゴブちゃんもゴブリンの一部だと考えている。極端にいえば彼女も魔物よ。私たちは人間をできる限り襲わないように努力しているけれど、ミニゴブちゃんのほうはどうなの? その習慣を教えることはできるの? 理性的に振る舞うよう指導するのは私たちの方が適している。フィーナはゴブリンハンター……だから、たぶん彼女の感覚で教えようとしても溝が広がるばかりだと思う。私たちになまじ知性と感情があるだけ、誤解は大きくなる。そうなってからではミニゴブちゃんも他の面々も辛いだけだわ」

 

 

「ではお前の線で押してみよう。俺たちの騎空艇にはティアマト、ユグドラシル、ブローディアなどの星晶獣が乗り合わせている。彼女らは以前に俺たちと戦ったことがある。だがいまでは共存することを学んだ。ミニゴブが同じことをできるかと問われれば、俺はイエスというだろう。俺は魔物と星晶獣の具体的な違いについては門外漢だが、少なくともミニゴブは彼女たちの道に沿って学ぶことはできる」

 

 

「それは道を歩けるだけ成熟すればの話。ミニゴブちゃんは幼い。子どもと考えても良いわ。あなたの考えが通用するまであと数年……少なく見積もっても三年はかかるでしょう。その間、ミニゴブちゃんを保護しながら教育できる仕組みは、グランサイファーにはない。私はそういう結論」

 

 

「つまりノーか。だが俺の結論では続けてイエスだ。では次に問おう。お前のいるこの環境ではどうだ? それこそここは? ゴブリンの女たちを男から守れる環境なのか?」

 

 

 エンペラが何かいいかけたがそれはやはりルシウスに反対する意見だったのかあるいは間接的な否定だったのかもしれない。しかしそれを知るより早く地面が揺れ、二秒後には天井が激しく震え照明同士が揺れてホールの天井に不気味な陰影を作った。ルシウスは直感した。

 

 

 これは地震ではなく襲撃だ。

 

 

 

 *****

 

 

 一番早く顔を上げたのはハシスだった。くっついてゴロゴロしていた彼女が天井の岩石を均した岩に眼を向けた途端、洞窟全体が揺れ始めた。ミニゴブが遅れて気づいた時には石の欠片がミニゴブの頭に落ちてきていた。

 

 

 正確にいえば大岩の名残だった。ミニゴブは名残が落ちてくる際、自分たちの真上に魔力で編まれた網があることに気づいた。ミニゴブはフィーナとともにあやとりをするが、フィーナが格子を作っては牢屋に入ったルシウスを作るのでよく笑っていた。それに似ている。ネットのように張られた、魔力で編まれた格子は落石を防ぐ。岩の大きさを自動的に検知すると落下エネルギーを吸収して跳ね返し、砂粒だけを下へ落とす。

 

 

「ブロック! ティラノス! フロントに!」

 エンペラが揺れている椅子から立ち上がると背後に向かって命じた。椅子に座っていたブロック――洞窟の入り口をギリギリ通れるの巨大さだ――が立ち上がり、洞窟の奥にある部屋からは大きな二本足の魔獣――さながら四足歩行から進化したベヒーモスだ――ティラノスがやってきた。ルシウスがいっていた【立ち犬】だ。ティラノスの背中は大盾でカバーされ、腕や足、頭は戦闘用のフェイスヘルムが装着されていた。腕にはガントレットめいた漆黒の武具が取り付けられ、人間の兵士を真似した恐竜のようだった。ティラノスが吠えながら突進し、後続を盾兵が続く。奥側は単なる寝室と思っていたミニゴブはぽかんとしながら見送った。

 

 

「ミニゴブちゃん、こっち」

 ハシスがミニゴブを抱き寄せ、呪文を詠唱する。周囲に緑色の膜ができあがった。ドームのように彼女たちを覆った膜からは緑色の槍が突き出す。ハシスは目を閉じて何かを指すように天井と洞窟入り口、それから後方――いまティラノスが出てきた場所――を指した。

 

 

「――敵影七、八……エンペラ姉さん! 上から、」

 彼女が叫ぶと天井の軋みが激しくなった。地面の揺れは相当で立っていることが困難になる。ドームが二重になる。ルシウスが武具を掴んだ。

 

 

 遠くから何かを爆破する音が聞こえていた。揺れに乗じてやってくる破壊音は真上から、真横からしていてものすごくうるさかった。やがて唐突に止んだ。一呼吸分置いてから天井が内側に爆発し、崩落した岩石の大部分が絨毯にからめとられた。衝撃エネルギーを次々吸収する絨毯に続いて落ちてきたのは――オーガゴブリン。両腕には半ば自分よりも巨大なドリルがあったが、さながら邪悪な発明品のように腕そのものとドリルが一体化していた。肩の付け根から異様な音がする。オーガゴブリンの背後から次々と着陸するのはソルジャーゴブリンの群れ。彼らは絨毯に弾かれながら、濁った眼で真下を睨んでいた。天井に空いた穴からはわずかに青空が見えた。

 

 

「行け――――ッ!」

 ハシスが叫ぶと緑のドームから矢が飛び始める。数は十五。緑の矢は絨毯をすり抜けるとオーガゴブリンの顎を真下から打ち抜いた。さながら釘打ち機で打たれたようにオーガゴブリンが吹っ飛ぶ。逃げ遅れたゴブリンが二匹ほど足を貫かれて絨毯に転ぶ。ひととき遅れて絨毯に赤い魔力が満ちると、倒れたゴブリンが油でもかけられたように炎に包まれた。

 

 

「一番槍ィ!」

 頂点に空いた穴から降下してきたメイジゴブリンは槍のように杖を構え、絨毯に突き立てた。水属性の魔力が絨毯に流れて拮抗し、絨毯が不穏な点滅をする。メイジゴブリンがもう一度絨毯に杖を突き立てようとした途端、メイジの首に苦無が突き刺さった。ルシウスの投擲。首を押さえるメイジの杖を奪ったソルジャーが代わりに杖を突き立てるが効果はない。悪態をついたソルジャーは死にかけのメイジを踏みつけて足場にした。メイジが燃える顔で叫ぶ。

 

 

 揺れの中を無理やり走り込んできたエンペラがドームに入る。全員が無事なことを確認すると自身も詠唱をする。どうやら絨毯を再構築する積りで、すぐにエンペラから放たれた魔力光が天井の絨毯へと飛んでいく。入り口では破壊音と打撃音。いまのところティラノスと盾兵が役割を果たしているのだろう。だけどさっきハシスは後ろも指していて――

 

 

 奥の詰め所が爆発した。あそこの通路は寝室やティラノスたちの待機場所につながっているとミニゴブは聞かされた。だけど入り口ではなくどうしてそこが爆発するのか。ドームへ瓦礫が降り注ぐが彼女たちを包むシェルターに溶けた。緑の槍が向きを変えて詰め所へと方向を定め、放たれる。

 

 

 詰め所だったところから走り出てきたのはゴブリンめいた生き物だったが最初から頭部がなかった。手足はついているが頭の部分に木箱が据えられていた。緑の槍が生物の手足をかすると転び、そして炸裂した。

 

 

 まるで砲弾が間近で爆発したような衝撃に体が震えた。目を凝らすとルシウスは倒したテーブルを盾にして爆発を避けている。ミニゴブリンを向いて頷くと苦無を抜いた。向ける先はあの生き物たち。

 

 

 そうではない。あれは生き物ではない。もうゴブリンでもない。手足がついた自走爆弾だ。

 

 

 

 *****

 

 

 

 ルシウスは苦無を放った。足と腹に当たる。二体。各自が倒れて爆発する。テーブルに突き刺さった何らかの破片から見るに、あちこちに金属片が仕込まれている。それにもましてルシウスは顔をしかめた。痛みというより嫌悪感のほうが勝っていた。

 

 

 敵は見るからに男ゴブリンの群れだ。ここの女ゴブリンを力づくでさらいに来たか。それにしてもゴブリンのくせにこんなくそ爆弾を作った知恵にヘドが出る。つい先日まで行き倒れの武装をはぎとるような生活をしていた奴原どもが、どうしてこんなことを考えついたのかは不明だが。

 

 

 しばらく待ったが自走爆弾の次ウェーブは来ない。ルシウスは天井を警戒しながら足を進める。絨毯上に残ったゴブリンは六。焼け死んだ仲間の死骸を足場にしているか、壁にとりついている。爆発で広くなった詰め所に近づくと、中で動く気配がした。おそらくは先程と同じオーガゴブリン。詰め所に入った直後、真横の死角からオーガが襲ってきた。眼で見ないで剣先を切り下げ、足を深く斬る。足を半ばで切断されたゴブリンはバランスを崩し、床にドリルをこすりつけた。首を切り落とすとその首を詰め所へとつながっている道へ――ついさきほど、山の向こう側から掘ってきた道だろう――蹴り込んだ。

 

 

 蹴り込んだ先からソルジャーゴブリンが群れで襲いくる。

 

 

 一番手の首を呼吸なしではねると、続く剣先で二番目の胸を刺す。その後ろから襲いかかる一体をかわすと腹を蹴る。剣を抜きしなに肩口へ切り下ろし、切断。脇の一体の顔面には苦無をお見舞いする。一呼吸置いたところで暗闇から矢が飛んできた。一発が脇腹をかすめる。うめきたくなったがこらえて、苦無を音のほうへ投げ込む。悲鳴がして動きが消えた。呼吸を整える間に声が聞こえてくる。

 

 

「お見事お見事。先遣隊は全滅か。まさにゴブリンスレイヤー」

 

 

 言葉とともに風の刃が飛んできた。視認はできない。気配を感じて転がるといまいた場所に大きな斬り跡が入っている。暗闇でわずかに、ホールからの光にぼんやり照らされた男の顔が見えた。黒魔術師特有の帽子をかぶっている。二発目、三発目の刃が飛んでくるがこれもかわす。通路で戦ったのでは不利だ。

 

 

 ホールまで後退する。男もじらす積りはないのかホールまで追ってきた。エンペラが、ミニゴブが、ハシスが、男を見る。男も少女たちを見返した。

 

 

「君らは超希少種だ。殺したりはしない。痛めつけもしない。警戒を解いてほしい」

 

 

「エルステ帝国にしては洒落た物言いができるじゃないか」

 ルシウスはいった。状況把握の時間を稼ぎたかった。

 

 

 男が眼を剥いた。戦闘に関しては油断できないがこの時は隙だらけだった。だが男はまっすぐルシウスに風の刃を投擲したので躱すしかない。二発、三発目を避けてから後ろにエンペラたちがいる位置に来る。男が歯噛みした。

 

 

「我々をあんな俗物どもと一緒にするな、下郎」

 男がいった。

「我々はいっそう高級な価値のために研究しているのだ。一時は共闘をしたが、あんな魔晶などで満足している屑に賢者の価値がわかるか」

 

 

 ピンときた。こういう発言をする奴は自分を語りたくて仕方がないのだ。おおかた研究しているうちにプライドに取り込まれたか、プライドの高さ故に高級な研究を始めたのだろう。

 

 

「こいつらを使って不老不死でも作るハラか」

 

 

「そんなものに関心はない。我々の関心は開祖超え――究極生物にある。パラケルスス様の指示なくしてこんな田舎に来るものか。メスゴブリンは破壊の女神。全身から良いデータが取れる。死んだ後も内蔵は我々に多くを提供してくれる。それに錬金術師カリオストロは女性の身で頂点に至った。メスゴブリンには大いに利用価値がある」

 

 

 思い出した。ヘルメス錬金術学会だ。以前にクラリスやカリオストロに危害を加えようとした。

 

 

 ヘルメス錬金術学会はカリオストロを開祖とする錬金術に関する組織だが、彼女が封印されてからは暴走して路線を変更し、現在はなんと開祖カリオストロを超越するために星晶獣や錬金術を研究しているという。以前はエルステ帝国と組んでグランサイファーの面々を襲った話も聞き及んでいる。

 

 

 それにしても研究のためにゴブリンと共闘するとは。見下げた根性もあったものだ。

 

 

「パラケルススの親玉に女を連れて帰るということか。悪党そのものだな」

 

 

「あの方をそんな風に呼ぶなッ!」

 男が激昂した。

「それにメスゴブリンは人間やエルーンの女性ではない、あくまで魔物だ。これは害虫駆除の一環だ。私を悪魔のように呼ぶんじゃあない」

 

 

 返事の代わりに後ろから緑色の矢が飛んだ。十か十五の魔力矢がルシウスの外側から錬金術師に突っ込むが、錬金術師が腕を振るうとすべて薙ぎ払われた。腕は黒色の膜で覆われていた。

 

 

「星晶獣アルフェウスの小型化とでもいおうか。素材は雑だが王水で溶かしきってから賢者の石でコーティングして一部を加える。これにより疑似賢者の石を作成できる。破棄自由、複製も容易だ。おかげで偽装工作から突貫工事もなんでもできた。とはいえ君らは普段、魔力で監視しているようじゃないか。それにそこの剣士も山を行ったり来たりだ。おかげで迷彩の良い訓練ができたよ」

 

 

「戯言は地獄で吐け」

 ルシウスは男に突進した。あれこれ発射させたおかげで風の刃は見切っている。低姿勢で錬金術師に臨むと男は腕を光らせた。構わん。

 

 

 ――悪鬼彷斬。ルシウスが対ゴブリン戦用に編み出した技の一つ。自身のマナ力を少量敵の顔面に飛ばし、視界を邪魔した上で斬り飛ばす。相手が並ならこれで決着が着く。

 

 

 が、剣の到達先には錬金術師でないものがあった。眼前にソルジャーゴブリンの顔があり、視界を奪われたゴブリンの手甲に剣が引っかかっている。ルシウスは困惑しながらゴブリンを蹴飛ばす。何が起きた?

 

 

「上だゴブ!」

 ミニゴブが真上――絨毯の上――を指して叫んだ。見上げると錬金術師が絨毯の上、ゴブリンの死体の上に移動しており、手を絨毯に触れさせている。苦無をつかんだが遅い。風の刃が絨毯をばらばらにするとエンペラが苦痛のうめき声をあげて転がり、上空からゴブリンの群れが落ちてきた。あちこちに散らばったゴブリンたちは取り決めたようにハシスたちを取り囲む。ルシウスの眼の前には錬金術師がゆっくりと、風に揺れながら降りてくる。

 

 

「ご自慢の錬金術で位置を入れ替えたか」

 時間稼ぎと思ってルシウスが口にすると錬金術師は口元を歪めて笑った。

 

 

「まあ、ある意味で等価交換だ。天井のゴブリンたち全てに印が入っていてね、私が術式を作動させればいつでも入れ替わるという寸法だ。ゼロからイチを増やすのではなく、イチが単にイチと変わるだけなのだから困難はそれほどない。ただし近距離とはいえ岩盤や魔術を通り抜けての物質交換、そして物質だけでなく魂や知能の再構成も必要になる。だが、俄ごしらえとはいえ賢者の石だ。頭はスムーズに動く」

 錬金術師は言葉を切り、立ち上がろうとするエンペラを風の縄で縛る。風を押し縮めて細くまとめている。

「剣を捨てたまえ。知人を見捨てたいのなら別に構わん」

 

 

 一瞬、無視してエンペラもろとも錬金術師を斬ろうかという考えがよぎった。そもそも自分はゴブリンに苦しめられてきた。そしていまはゴブリンの超希少種――破壊の女神――を殺す機会だ。つまりゴブリン族の戦力を削ぐ絶好のチャンス。ゴブリンに男も女もない。あるのは魔物という特徴だけだ。いずれミニゴブに暴力性が芽生えるのなら、ルシウスたちを殺すかもしれないのならば、いま殺してもいいのでは?

 

 

 考えはすぐに去った。お人好しのティナやフィーナ、それから団長にルリア、ビィが頭を過ぎった。彼女たちはあまりに眩しすぎて善でないものは入っていけない。そしてここで女ゴブリンたちを斬ることは罪だと、あれほど議論した相手――穴はだいぶあるだろうが――をした相手を殺すのは罪だと、自分の心がささやいている。男ゴブリンがあれほど憎悪の対象なのに。

 

 

 やはり自分の原風景は滅ぼされた村にあるのだとルシウスは思った。未来にどれほど良い思い出を積み重ねようといまの自分はあそこから始まった。槍を構えるゴブリン。踏み殺される親子。焼けて炭になった家々。魔物の群れ。そこにたまたま女ゴブリンがいなかっただけだ。遠くから双眼鏡で見つめるように原風景を見ながら、ルシウスは親が死んで泣き叫ぶ子どもの声を聞いている。

 

 

 ルシウスは剣を留め金から外した。よく見えるように床に置くと、エンペラがうめいた。

 

 

「よろしい。念のために聞くが君はゴブリンかね。私は殺人鬼ではない。人間に対する無用な殺傷は避けたくてな。もしこれ以上邪魔しないのであれば、そこに座っていて構わん。我々が撤収したら帰ってくれ」

 

 

「その人はヒューマンよ、私たちがさらったの」

 ルシウスが答える前にエンペラが叫んだ。ルシウスは久しぶりに眼をキョトンとさせて彼女を見る。

「彼は旅人でこの件には何の関係もない。だから構わないで。解放して」

 

 

「ほお。ではなぜ旅人がここにいる。なぜさらった。食うつもりだったのか」

 錬金術師が冗談半分、好奇心半分の眼で尋ねた。ルシウスは顔をしかめた。ハシスがこちらを凝視している。エンペラはうめいてから答えた。

 

 

「そうよ。彼を捕まえてから食べるつもりだったのよ。私たちは魔物でゴブリンだから、ひどいことをして傷つけてから食べるつもりだったの。彼は巻き込まれた単なる被害者、そうでしょ?」

 エンペラが必死な目つきでルシウスを見た。加害者は被害者をそんな目で見ないものだ。彼女なりにルシウスをおもんばかり、彼を逃がそうと必死なのだろう。だが場にそぐわない言葉に錬金術師は腹を抱えて笑い、それを見てルシウスも笑いたくなり、実際に笑った。

 

 

 腹がよじれるほど笑った。

 

 

 久しぶりにこんなに笑った。

 

 

「ちょっと、ふざけてるの」

 

 

「いいや。だが庇ってくれてありがとう。どうやら俺は誤解していたようだ」

 ルシウスがいうと錬金術師も頷いた。

「俺はゴブリンだ、この場ではな。ここにおいて義があるのはゴブリンだ」

 

 

 とどめを刺す気らしく錬金術師が腕を向けて。ルシウスは覚悟したが、その前にゴブリンが一匹近づいてきた。武器を持っているが構えてはいない。

 

 

「オイ。分ケ前ダ」

 

 

「後にしろ」

 錬金術師が忌々しげにいった。その口調を聞いてルシウスはひとつ納得した。最終的にこの錬金術師が総取りするつもりなのだ。どこかの時点でゴブリンたちは全滅させられる。

「気が散ると暴発する」

 

 

 ゴブリンはすごむように顔を近づけた。

 

 

「ソノ女ダ。我々ノコミュニティカラ消エタ奴」

 ゴブリンがハシスを指さした。

「ソイツヲ取リ戻ス。ソノ為ニオ前と契約シタ。兵士モ差シ出シタカラナ」

 

 

 錬金術師が舌打ちすると、頷くように腕をひねった。

 

 

 その瞬間のハシスの顔をなんというべきだろう。捨てた過去がいきなり現在にやってきた認識。そこからいろいろに分裂する。恐怖というか閉塞というか憂鬱というか、あるいは心細さと悲しみというか、あるいは自分の数分先を垣間見た顔をしてはるか遠く先の未来――それこそ己の死後――さえも見通した顔もしていた。彼女はここで様々な楽しい経験をしたのだろう。エンペラとかけがえのない思い出を作ったのだろう。それが根底からひっくり返されようとしている。思い出すべてを飲み込む何かがやってくる。記憶を根こそぎ冒すものが来る。一秒か二秒ほどにさまざまなものが突き抜けていきそれはハシスを叩き潰した。

 

 

「やめて」

 エンペラが消えいる声でいった。次の叫びはいっそう大きくなった。

「やめてっ。ハシスっ、だめ!」

 縄をほどこうとしてあがくエンペラをゴブリンが殴りつけた。ハシスが泣き出した。

 

 

 まるで子どものわがままのような叫びだとルシウスは思った。だがその動きはさらわれる家族に必死にあがく姉そのものだった。エンペラが無理やり詠唱しようとしてゴブリンに腹を蹴られる。ハシスは泣きながら身体をよじるがソルジャーとメイジに三つ編みと肩を掴まれる。髪を引っ張られて首が曲がり、引きずられる。遠ざかる。

 

 

 原風景が戻ってくる。故郷の壊滅。あの日も大勢の人が連れ去られた。彼ら彼女らはどこに行ったのだろう。森に向けて歩いていった人々は二度と帰ってこなかった。まるで世界の外にそのまま放り出されてしまったように消えた。空の底に投げ落とされたように。あるいは彼らは遺骨となって廃坑の中に眠っているのかもしれず、そうでなければ生きているのかもしれないが、あの日の彼らはやはりどこか無限の遠くへと行ってしまい、あの日のまま永遠に帰ってこない。

 

 

 エンペラがとうとう悲鳴を上げた。ハシスはどんどん離れていく。泣き声が耳に突き刺さって痛い。ルシウスは一瞬、自殺覚悟で錬金術師に体当たりしようかと思った。そして見やるとミニゴブがいない。いないというより、少し離れた場所に立って彼女の側に杖が浮いている。彼女を捕縛していたらしいゴブリンは倒れている。ミニゴブの背後からは赤い極光が浮かび上がり、立ち上ると光線になってゴブリンたちの頭を襲った。

 

 

 即死効果だ。

 

 

 倒れた魔物が痙攣したのを見た錬金術師が反応した。指を上げて術式を作動させようとしたがミニゴブのほうが早い。錬金術師の腕を苦無が貫いていた。先程渡した苦無。赤い極光が飛ばした苦無は錬金術師の腕を刺すだけでなく半分ぐらい破壊し、思い切り彼を吹き飛ばした。賢者の石とやらを塗りつけた装置が吹っ飛び、壁際に落ちる。ミニゴブの顔は硬いが決意がみなぎっている。腕がまるごとなくなった錬金術師は動けない。

 

 

 ルシウスは剣を拾い上げる。ミニゴブは急ごしらえのバリアを張って内部の魔物を外へと弾き飛ばす。錬金術師にすごんでいた親玉ゴブリンが壁際に叩きつけられた。天井付近に残っていたゴブリンが矢を射るが弾かれる。最初に近づくべきはハシス。魔法に耐性があったらしいメイジが引きずりながら走っているがすぐに追いつく。メイジの頭を飛ばす。ハシスを抱えると彼女はあらん限りのちからでルシウスにしがみついた。疑似賢者の石を拾い上げようとする錬金術師に苦無を投げつけると、指が飛んだ男は喚きながら詰め所へと走った。意識があるゴブリンたちもそれに続き、天井から逃げる。残りは殺した。

 

 

「ハシス、ハシスっ」

 

 

「姉さん」

 

 

 ハシスが泣きながらエンペラにしがみついた。二人とも怯えているが魔法はまだ解けていない。次第に上空の絨毯が再展開されていくが、ゴブリンたちは外で咆哮しているらしく、彼女たちは聞こえるたびに震える。正式な入り口が崩れていき、内部から盾兵のみが半死半生の身体で出てきた。盾が血まみれで臓物まみれになっているが本人のものではなさそうだ。【立ち犬】については期待できそうもない。

 

 

 ルシウスは剣を整え一部の苦無を回収すると歩き出した。追撃するためだったが、ミニゴブは自然とついてきた。構わない。

 

 

 が、エンペラはミニゴブの裾を引っ張った。ハシスはミニゴブにすがりつかんばかりだ。戻ってきた盾兵は自分の意思とは関係ないとばかりに地べたに座り込んでいるがルシウスたちを凝視している。

 

 

「行かないで、行ったら捕まるわ」

 エンペラがいったが力がない。目尻に涙が溜まっている。

「ここにいたほうが安全だから」

 

 

 ルシウスは一歩歩き、二歩進んでから待った。どうしようともミニゴブの自由だった。

 

 

 ミニゴブはルシウスとエンペラを見比べてから、ルシウスの横に並ぶ。

 

 

「どうして。危ないわ」

 エンペラの声は悲鳴じみていた。

「死ぬかもしれないのよ」

 

 

「エンペラ姉さんは正しいゴブ。でもいまは、あの悪い奴をやっつけるほうが先決だゴブ! あいつは強いから、手助けが必要なんだゴブ! ルシにーちゃんだけじゃ難しいゴブ!」

 

 

 ミニゴブの瞳に迷いはなく澄んでいた。ただのガキだと考えていたが、考えを改めねばなるまい。ルシウスは三秒ほど考えてからミニゴブに告げた。

 

 

「言ったな。いまからゴブリンではなく一人前の騎空士として扱う。ここを守りきれるかはお前次第だ。戦い抜くぞ」

 

 

「わかったゴブ!」

 それから後ろを振り返ったミニゴブはいった。

「行って来ますゴブ!」

 

 

 

*****

 

 

 

「あいつらが崩れたのは理由がある。お前を雑魚と思い込んでいたからだ」

 ルシウスたちは錬金術師たちが掘削してきた洞窟を歩いている。錬金術で掘り抜いた割には構造がしっかりしており、ちょっとやそっとでは崩れそうにない。これだけの工事を行うには、似非賢者の石を用いてもかなりの労力と騒音が求められる。あいつは偽装にかなりの労力をかけていたはずだが、それでも疑いを持てなかったのは失点だ。

 

 ルシウスが明かりを担当し、先程よりも粘つきが強い前方をにらみながら話す。朝というのが信じられないほど闇が濃かった。エンペラたちはホールで待機しているが、いまの状況を見るとそのほうが安全だ。また上からやってくることも考えられなかったが、錬金術師のあの様子だと、裏取りするほど頭はまわらないだろう。

 

「縛られなかったけど杖は取り上げられたゴブ。でも杖がなくても魔法使えるゴブ」

 

 

「なるほど。崩れているうちに叩く。灯りを消すぞ」

 

 

 場が暗くなる。前方には暗黒が開けており、かなり後ろのホールからはやや光が伝わるが薄い。どろりとした闇が身体に絡んで不安になる。ルシウスが眼を閉じると、前方から風の流れとともにかすかな喚き声が聞こえてきた。ルシウスは自走爆弾のことを考えて、そこにゴブリンをプラスした。あの錬金術師、生け捕りにする案は捨てたか。策を立てる時間は与えていないから上出来だろう。

 

 

「外には残党がいる。だが襲ってきたゴブリンの主要メンバーは殺した。つまり外に残っているのは予備だが、逃げた錬金術師はあいつらを爆弾に仕立てる積りだ」

 

 

「あの走る爆弾ゴブね?」

 

 

「その通りだ。仕組みなど考えたくもないが、いまは首を引っこ抜いて爆弾と入れ替えている最中だろう。そいつらをここまで走らせて、俺たちにぶつけて爆発させる。もし俺たちが逃げてもトンネル内で爆発されれば山は崩落し、俺たちは生き埋めだ。ミニゴブ、あいつらを立ったまま麻痺させられるか? あいつらは転ぶと爆発する」

 

 

「やったことないけど、やるゴブ」

 

 

「その意気だ」

 ルシウスがいいしなに外の声が極端に大きくなった。ルシウスが灯りをつけると、その場で膝をついた。ミニゴブは立っている。ルシウスは耳を集中させた。闇は深い。

 

 

 ルシウスは考えた。奴らが爆発するとすれば俺たちの半径数メートル。どこかで監視できるほど広いトンネルではない。熱源探知かそういう仕組みだろう。途中で起爆させることも考えたが、あの錬金術師のことだ。確実な爆死を望んでいるはずだ。

 

 

 あと十五メートル。

 

 

 あと十メートル。

 

 

「構えろ」

 ルシウスが息を吐くとミニゴブも息を吐いた。呼吸をせず、ただミニゴブは先を見ている。――暗闇とその先を。

 

 

 暗黒から何かが走ってくる。

 

 

「撃ッ」

 合図でミニゴブは魔法を打った。黄色い光がトンネルを疾走する元ゴブリンの身体を捉える。いつもなら拡散する黄色い光は、自走爆弾に激突するとそのまま強く縛り付け、その場に固定させた。二体を麻痺。その後ろからまた走ってくる自走爆弾。

 

 

「第二ッ」

 また打った。魔力光は麻痺したゴブリンを湾曲して迂回し、麻痺ゴブリンにぶつかる直前だった自走爆弾を止める。停止。三秒待って爆発しないのを確認してから近づいていく。どうやら時限爆弾の機能はないか、それすら麻痺させたか。汗が耳の後ろを伝う。

 

 

「ミニゴブ、麻痺時間はどれくらいだ」

 

 

「三日だゴブ」

 

 

「よし」

 エンペラたちを避難させれば後は大丈夫だろう。麓まで被害が及ぶことはあるまい。

 

 

 次ウェーブに備えて耳を済ますが、足音は聞こえてこない。戦力の逐次投入は避けたいか。ホールに一度戻ることも考えたが、エンペラたちのあの様子だと、上に開けた穴から伝って逃げるのも難しい。このまま突っ切る。

 

 

 思ったよりもトンネルは長い。湿った空気と土の匂いが鼻に来て、光が完全に消える。光が見えないのはきつく、疲労を強める。ルシウスはミニゴブに疲れてないか尋ねようとした。

 

 

 が、思ったことと違うことが口から出た。

 

 

「お前、俺を攻撃したいと思ったことはないか? 別に俺じゃなくても、ティナやフィーナでもいい。暴力を振るいたいと思ったことは?」

 

 

 ミニゴブはしばらく考えてから、首を横にふりかけて、縦に振った。

 

 

「あるのか」

 

 

「夜中にあるゴブ。満月の日や、雷雨とかの日が多いゴブ。寝付けなくて背中がザワザワして、なんでもいいから投げたくなるんだゴブ」

 

 

「それで、実際に投げるのか」

 

 

「そうゴブ。騎空艇の遊び場にダーツバーがあるゴブね? たまにJ・Jにーちゃんとかローアインにーちゃんたちが遊んでるゴブ。困った日はそこに行ってダーツを黄色くしたり赤くして投げるゴブ。色を混ぜてから投げることもあるゴブ。すごい勢いで飛ぶゴブ。真っ赤にしたり真っ黒にすると震えてキーンって音がするゴブ。投げるとダーツボードに色がうつって面白いゴブ。でも朝になると色は消えてるゴブ」

 

 

 ルシウスは噴き出した。

 

 

「それで満足するのか」

 

 

「たくさん投げると疲れるから満足するゴブよ。最初は的に当たらなかったけど、最近はだんだん真ん中に当たってきたゴブ。ピュンピュン投げると音が楽しいんだゴブ。それにちょっと本で調べたゴブ。利き腕の肘に片腕を添えると安定するゴブね? あと、つまむときに小指と薬指にキュッと力を込めるゴブ。そうするとダーツの投げ具合が違うんだゴブ。ダーツしても足りないときは光を出して、消して、出して、また消すゴブ。十回もすると眠くなるから部屋に行くゴブ。今度はヴァンピィねーちゃんとかカルメリーナねーちゃんともダーツしたいゴブよ」

 

 

 聞きながらルシウスは笑っていたが、次第に事実がなじんできた。

 

 

(理性は十分に発達しているというわけか。これなら性徴期に入っても対策を立てられるだろう)

 

 

 帰ったら二人に相談してみるか。騎空艇には人間ではないが女性は多い。なんとかなるだろう。

 

 

 トンネルは次第に蛇行して下がり始めた。分かれ道が右に向かって伸びており、まっすぐ進むと次は左にカーブする。更に歩くと左に分かれ道。まるで蟻の巣のように道があちらこちらに繋がっている。嫌な予感がする。足を止めてしゃがみこむと、遠くで風の音が聞こえ、耳をつんざくそれは眼前に迫ってくる。爆弾ではない。

 

 

「撃ッ」

 叫ぶとミニゴブが黄色い光を打った。暗黒へ向けて飛んでいくそれは何かの刃らしきものに激突する。刃が停止し、落ちる。乱反射してきた風の刃だ。

 

 

 第二陣が来る。音がわめきあって伝わらないが第三、第四もあるに違いない。立っていればバラバラになる。わかれ道や回り道を反射して風が高速になる。

 

 

「シールドだ」

 ルシウスはいい放ってミニゴブを自分の陰に隠す。できるだけ姿勢を低く。幾十も打たれた風たちはシールドに弾かれて先や後ろへと消えていき風ならではの轟音が吹き荒れる。シールドで全身を包んでいるのにさらされている感触は台風だ。風の最中で聞き親しんだ足音が近づいてきた。走ってくる。明かりを先へと向けると自走爆弾三体が駆けてくるが眼前でスピードアップした。くそ、風でバフをかけたか。二体が迂回路に入った。最後にはこっちに道が続く。こっちに走ってくるはずだ。

 

 

 ――白刃炎斬。

 

 

 ルシウスが技の一つ。剣に炎属性を走らせて叩き込む剣術だ。炎属性の魔力を用いるので本来ならばティナと組んでこそ真価を発揮する技だがやむをえない。暗黒に剣状の光が灯る。自走爆弾を胴体から真っ二つにして、刃を振り抜くと腰から上がはね飛んだ。下半身が力なく脱力し、上半身は下に落ちた。爆発前の点滅はまだ起きない。ミニゴブが息を飲む。焦げた断面から嫌な臭いがする。シールドが消えた。点滅が始まった。

 

 

「ゴブッ!」

 ミニゴブが杖を振った。自走爆弾の頭に黄の極光が直撃し、落ちた身体は身じろぎしなくなる。まだ二体。ルシウスはミニゴブの視線へとカンテラを走らせる。左右の分かれ道。どこから来る、どこから――

 

 

「当たるゴブッ!」

 ミニゴブが極光を投擲。当てずっぽうではない。カンテラが照らす奥、通路の更に奥に潜んでいた自走爆弾を麻痺させる。もう反対側から全力疾走する自走爆弾。走りながら点滅が始まる。体当たりでもされたら終わりだ。ルシウスは苦無を抜くと迫る自走爆弾の首に突き刺し、体をつかんで壁にぶつけた。ミニゴブから距離を取る。点滅が早くなる。バラバラになった自分が目の裏を過ぎった。

 

 

 再度の極光。ルシウスを逸れた麻痺光が自走爆弾に激突して爆弾は停止。

 

 

 リチャージを無視して魔力を使い続けたミニゴブの顔は汗まみれだ。吐きそうな顔をしている。ルシウスも汗だくになっている。こんなに息詰まる戦いも久しぶりだ。肺から息を絞り出すとあえぐような声が出た。深呼吸をしたくなる。

 

 

 が、この場所で次ウェーブが来たら止められる自信はない。ルシウスは早足で歩く。小さい山のはずなのに出口がまるで見えない。このまま空の底にでも繋がっていそうだった。息苦しさで胸がつまる。

 

 

 前触れなしに風の刃が飛んでくる。先程よりも数が多いが、爆弾でないなら切り抜けられる。

 

 

 ――連影撃。

 

 

 シンプルに三度の斬撃を加える技だ。以前に団長から指摘されたが、ルシウスが斬撃を加えている時、一回分の動きしか見えていないという。ルシウスは三回を斬撃し、実際に標的は三度切られているのに。

 

 

 今回はそれが活きた。一度、二度、そして三度の動作で風の刃を完全に断ち切る。息が荒いが体を動かす。

 

 

 自走爆弾、風の刃、他に奴の弾はない。見切った。錬金術師がいるなら出口、そこを叩く。吐き気の波が収まったミニゴブに極光を準備させ、ルシウスは暗く狭いトンネルを突っ切る。分かれ道が途切れ途切れになり、流れ込む風の量が多くなる。

 

 

 出口がある。風の先に出口がある。

 

 

 何度目になるかわからないカーブを曲がり切ると、直線に見えるのは光。最初は点だったが、進むにつれて明かりが大きくなる。その安堵をなんと表現すれば良いのか。胸が洗われるような心地だったがすぐにトンネルの明かりが何かで塞がれた。

 

 

 先んじて麻痺を飛ばそうとしたところ、前から風の刃が飛び込んできた。速い。シールド。ミニゴブをかばいながら暗い道を進む。自走爆弾が叫び、やってくる。これが最終ウェーブに違いない。

 

 

 よく目を凝らすと、自走爆弾は単独ではない。何体もの自走爆弾が風で数珠つなぎになっている。先程エンペラを縛ったのと同じ原理だが、今度は自走爆弾群が走るというより風でトロッコのように運ばれてくる。カンテラの向こうに見える木箱の群れが恐ろしい勢いで迫ってくる。あの野郎、爆弾を一括りにして投げ込んできた。

 

 

 ミニゴブの魔力だけでは足りない。五体も六体も繋がっている。ルシウスがやるしかない。息をつき、肺の空気を吐ききってから剣を構える。行くぞ。

 

 

 ――白刃一掃。

 

 

 瞬間、ルシウス自身が風になった。剣を振り抜く動作なのに、どこか異なる次元を通過する感触がある。轟風というようなそれは一瞬の間坑道を貫き、彼は自走爆弾群をすりぬけた先にいる。一秒遅れて自走爆弾らの首が飛び、崩れ落ちる。奥義を使ったルシウスはほんの一瞬、足の脱力を感じて力を込め直す。背後の自走爆弾の首らをミニゴブが魔力光で包む。体積が小さくなった自走爆弾らはこぞって麻痺していく。ほうとルシウスが息をついた。

 

 

 錬金術師がルシウスを強襲した。

 

 

 刹那だが気を抜いたのが命取りだった。明かりに影が見えていたはずなのに視野に入っていなかった。さきほどミニゴブにふっとばされた錬金術師の片腕はゴブリンのものに変わっていた。自走爆弾のどこかから引っこ抜いたのかもしれないし、違うゴブリンかもしれない。錬金術師はルシウスの正面に躍り出て、まるで自身もゴブリンになったような低姿勢からルシウスの足を裂いた。足が崩れた拍子に傷がついていた横腹もえぐられ、腹のちからが抜ける。風の刃をゴブリンの腕にまとい、ルシウスを転ばせる。錬金術師の顔はどす黒い緑に変わりつつあった。

 

 

「ルシウスにーちゃ、」とミニゴブがいいかけた。ルシウスは半ば安堵、半ばあきらめの心境で剣を手放し、苦無を掴む。せめてこの山が崩落しなくて良かった、ミニゴブが死ななくてよかったと思ったのだ。戦闘中なのにまるで別なことを考えたのと、山に来る前とは正反対の感情が湧いたことにルシウスは笑ってしまった。視界の隅にミニゴブが見えて、ルシウスはミニゴブにいくつか言伝しておけばよかったと思った。ティナをよろしく頼む。フィーナと団長にすまないと伝えてくれ。それから、チョコレート作りを手伝えなくてすまない。

 

 

 倒れていく体に錬金術師の拳が振り下ろされる。ルシウスの内蔵をえぐろうという腹か。この苦無がどれほど妨害になるかわからないが、せめてミニゴブが逃げる時間を稼げれば――

 

 

 ルシウスをバリアが包み、錬金術師の腕が風もろとも弾かれ、バランスを崩した。

 

 

 バランスを崩した錬金術師の全身を、バリアから伸びた緑の矢が貫いた。

 

 

 ごへぇと錬金術師が血を吐くと、その血液すら矢となって刃を身体へと向ける。ルシウスがたまらず眼をそらすと矢は次々と増殖してやがて錬金術師が破裂した。残滓がバリアに叩きつけられる。転んだままのルシウスが後ろにカンテラを向けると、汚れまみれのカンテラの先にはルシウス以上に荒い息をついたエンペラ、ハシスが詠唱体勢のまま立っており、二人は力を使い果たしていたがミニゴブに近寄ると抱きしめ、ルシウスは倒れたままの体勢でそれを見ていた。

 

 

 三人は暗い中でしばらく動かなかった。

 

 

 *****

 

 

 トンネルの外――山の中腹のかなり下、生い茂った草むらに出る。魔力で偽装されていたその部分は紫色に腐っていた――で錬金術師やゴブリンの死体を土葬して、麓の村に報告をする。さりげなくゴブリン族の財宝について切り出すと長老はひどく汗をかいてて弁解を始めた。彼はゴブリン族のものとは知らなかったとうそぶき、ルシウス以外にも別な冒険者にも依頼をしていたともらした。ルシウスは無言で報酬を受け取った。それからゴブリンの巣へ戻り、荷造りを手伝うのに一昼夜かかった。

 

 

 結局ルシウスは、女ゴブリンたちを討伐しないことにした。彼女の話をすべて信じてはいないが、一概に敵だと決めつけられなくなっていた。

 

 

 ゴブリンならば全て殺す。かつてはそう考えていた。おそらくゴブリンキングを討伐する前に出会っていたならば、憎しみのあまりルシウスは女ゴブリンたちを手にかけていたかもしれない。だが最大の怨敵であるゴブリンキングは死に、憎しみの釜は幾分目減りした。

 

 

 それにエンペラが話した通り、人間と同じくゴブリンも変わりうる生物だ。やがて人間など眼中にないゴブリンが出現するかもしれないし、人間以上の文明を持つゴブリンの群れも生まれるかもしれない。そういう時に自分だけ殺意に振り回されたままでいいのか――暗黒の生活を生ききったルシウスは、そう考えるようになってきた。もちろん自分の原風景が消えるはずもない。あの死に絶えた村はやはり死に絶えたのだし、母は死んだのだ。だが村の跡地に何か作られることもあるだろう。何かはわからないが。

 

 

 エンペラたちが出発する準備が整った。次なる家はハシスの希望もあって海の近くにするという。がらんどうのホールに生活感はもはやなく、ゴブリン少女は小物の整理をしている。

 

 

「そんなところに行って人間に見つからないのか」

 

 

「これでも一年ぐらい暮らしてきたから大丈夫よ。でも、次はもっと気をつけないと。結局はあなたのように手配書からあいつらに見つかったようなものだし」

 

 

「まあそうだな」

 

 

 ルシウスは入り口の整備作業をしている盾兵を見る。彼に詰め所からの出口は狭すぎるので正式な入り口から出なければならない。盾には煤や血の汚れがまだ残っている。

 

 

「あいつは置いていくのか?」

 

 

「ブロックくん? まさか。連れて行くわよ。あなたたちが麻痺させたウチのゴブリンも、荷車で連れて行かないといけないし。――でも、彼が自走爆弾を大部分防いでくれたみたい。改めて感謝しなきゃね。死んだティラノスも善戦してくれたし」

 

 

 ミニゴブが近づいてくる。彼女はそもそも荷造りに参加しておらず、手伝いだけだ。

 

 

「ルシにーちゃん、いつ帰るゴブ? ティナねーちゃんのチョコ作りも手伝いたいゴブよ」

 

 

「よし、行くか」

 ルシウスは立ち上がる。エンペラはチラリとミニゴブを見たがルシウスに眼を戻した。

 

 

「気をつけてね。寂しくなるわ」

 

 

「縁があれば会うこともあるだろう」

 ルシウスはいった。

「それにミニゴブは、エンペラたちと行く気はないんだろう?」

 

 

「うん! ミニゴブはエンペラ姉ちゃんの家族だけど、フィーねーちゃんの家族でもあるゴブ! それに一緒にイスタルシアに行くって約束したゴブから!」

 

 

「ほお。ところでイスタルシアに着いたら次はどうする」

 

 

「え。えーっと……そこでピカピカを探すゴブ! フィーねーちゃんよろこぶゴブ! あと、いっしょにダーツするゴブ!」

 

 

「あなたは一人前のゴブリンね」

 エンペラはミニゴブの頭をなでた。

「教育だ保護だと言ったけど、その必要はなかったみたい。がんばって、あなたならいつかたどり着けるわ。でも辛くなったら、私たちを探して。あなたの魔力光なら、探せると思う。私たちのシェルターはいつでもあなたを歓迎するわ」

 

 

「わかったゴブ! でもミニゴブは独立心おーせーだし強いゴブリンだから、ピカピカさえあれば寂しくならないゴブね」

 

 

「わたしはさみしー!」

 ハシスが割り込んできた。そのまま女たちだけで話し始めたのでルシウスはそっと場を離れ、天井を見上げた。盾兵が近づいてくるのには最後まで気づかなかった。

 

 

「オイ」

 

 

「それは俺のことか?」

 ルシウスが盾兵に訊いた。盾兵はこくりと頷く。彼とは話をしたこともなかった。

 

 

「選別ダ。コレ、ヤル」

 盾兵は巨大な手に似つかわしくないものを差し出した。宝石の原石だ。見た感じは青だが、磨けば虹色になるかもしれない。どちらかといえば宝晶石に似ている。ルシウスが眼を白黒させていると、盾兵がつけたした。

「アノ子ニ渡シテクレ」

 

 

「ああ、ミニゴブか。自分で渡せば良いだろう」

 

 

「ゴブリンノ男ハソンナコトヲシナイ。ソレト、俺ガ奮戦シテイタコトモ伝エテクレ」

 

 

 ルシウスはミニゴブを見た。それから盾兵に眼を戻し、頷いた。

 

 

 盾兵はまた入り口の整備に取り掛かる。ルシウスは終わらない女たちの歓談を聞きながら、そういえばゴブリンの男とまともにしゃべったのはこれが初めてだな、と思った。そこに何かしらの可能性はあったのかもしれないが、ルシウスはやがてそれよりもティナが作るチョコレートの材料はどこで調達するのだったか、と考え始めた。

 

 

《終わり》

 

 




お読みくださりありがとうございました。


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