野球ってなんぞや?
自分がいない間になんでかとんでもないことが決まっているような気がする。
「はい、これ綴のユニフォーム」
「………」
五条から手渡されたユニフォームを見るが、とにかく嫌な予感しかしない。
「はい、あと監督用のメガホン」
「………」
そのユニフォームの上にまた一つ積まれる。
いったいこれはなんなんだ。監督ってなに、まさか自分が?野球なんて授業で少ししたくらいだぞ?
「あ、これで野球のルール確認してね」
「………」
最後手渡されたのは、『野球入門書』と書かれた一冊の本。よく見れば向こうで綴と同じように野球入門書を読み込む繚介の姿が。綴が見ていることに気がつくと、綴に向かって親指を立てて何故か自慢気である。ふざけんなよ。
「先輩……いや、甘菜監督!」
「虎杖、叩くぞ」
「はい」
とりあえず決まってしまったことは仕方がないと、野球入門書を読み始める綴だった。そしてポツリとそうだと呟いた。
「おい手前ら」
ユニフォームに着替える後輩達は、ニヤリと笑う綴を見てギョッとする。付き合いの長いものなら、悪巧みをしているなと直ぐに気が付いた。そんな綴から告げられた言葉は……。
「この試合、勝ったら焼肉奢ってやるよ………五条がな!」
後輩達は喜び勇んだ。焼肉を食べれるというのもそうだが、何よりあの五条の奢りであるということに。
「え?」
戸惑ったのは五条だった。まさか綴がそんなことを言い出すとは思っておらず、反応が遅れた。
「俺、たまには
「そんな呼び方小2になってからほとんどしたことないじゃん!? この卑怯者!!」
ていうか、今固形食禁止されてるでしょ!?とは他の生徒達が多数いるこの場所では言えなかった。
綴に腕をガッチリと握られ(僅かに呪力を帯びている)、更には昔は呼んでくれていた『悟兄ちゃん』という言葉、照れているのか頬が赤くなっていた。こんなに綴が全力で五条に焼肉奢らせようとしているのだから………と五条は折れた。別に弟分の甘えにやられたとかそんなんじゃないと、全力で否定できない。それとプラス、自分も行かないと綴が焼肉を食べてしまう恐れがある。しばらく固形食を家入に禁止されているが、それを虎杖達には絶対に言わないはずだ。
「めっちゃ体張ったな、甘菜先輩」
「五条にとりあえず一泡吹かせたかった」
「断られたら?」
「松葉」
真希と恐ろしい会話をしている気がするが気にしない。まあ、物理攻撃は五条には効かないのだが。
「野球で負けたら、虎杖と伏黒校舎裏」
「勝つぞ伏黒」
「ああ……」
負けたらボコボコにされる悟った二人は顔を見合わせてガクガクと震えることしかできなかった。
そんな虎杖と伏黒を見ていた綴だが、真希に話しかけられて目を逸らす。
「甘菜先輩、ちょっといいですか?」
「なんだよ、真希」
────────────
綴は真希に連れ出されて人が殆どいない場所へ来た。
「で、こんな所に呼び出してなんだよ」
黙りを決め込んでいた真希だが、しばらくして意を決したようで綴に頭を下げる。
「体術を、教えてください!」
「………」
真希が強くなろうとする理由は五条から聞いている。呪術師としての最低限の力を持たない禪院家の落ちこぼれ。だが、そんな真希は禪院家の者達を見返すために禪院家の当主となる道を選んだ。
初めはできるわけが無いだろうと馬鹿にしていた。もともと呪術師では無い人間が大嫌いだったから真希への当たりは強かった。何度も何度五条に叱られたが懲りることはなかった。だがその度に夏油の言葉を思い出す。
──「綴、力のある呪術師は力のない非呪術師を守らなくてはいけないんだよ」──
わかってるよ、わかってるんだ。でもどうしても苦手意識が無くならない。
思い出すのは歩道橋から落下する視界と、そんな綴に必死に手を伸ばす母親。心無い言葉を吐く
「なんで俺に? 嫌いだろ?」
真希は真正面から綴が嫌いだと言われたことがある。それが今軟化して普通に喋ってはいるが、綴が未だ非呪術師に対して不信感を抱いているのと同じで、真希も綴のことが嫌いなのだろうとそう確信して言葉を吐く。
「いや全く。私はそこまでネチネチしてないんで、どっかの先輩とは違って」
「……喧嘩売ってんのか?」
「他の三年生は停学中で、頼れるのは甘菜先輩だけ……ていうのもあります。でも、一番は甘菜先輩が体術に関しては今の高専内ではトップクラスだからです。お願いします。私は強くならないといけないから!!」
真希は禪院家の当主になろうと本気だ。できるわけがないと言っていたが、もしかしたらと思ってしまっている自分がいる。
だが、今の身体の状態でどこまで真希を鍛えることができるだろうか。というのも、五条に連れられて家入に点滴を打ってもらっていた時に、卒業まで持つだろうと言われていた身体の状態が悪くなっていたからだ。
固形食を受け入れることができない身体はきっとこれからもっと痩せ細っていくだろう。そのうち腕力では後輩達に負けてしまう日が来るだろう。足も遅くなるだろう。体力も衰えるはずだ。ここから成長するのは、子蜘蛛としての呪力だけ。
「………本気か?」
「本気です」
なんで自分の後輩には諦めの悪い奴らしか居ないのだろう。
「真希正直に言うが、俺はしばらくしたら高専から離れる」
嘘は言っていない。学園長の夜蛾にもそうなるように根回しをしてもらうつもりだ。多くの思い出を作りすぎた。交流する人間が増えすぎた。そんな呪術高専にいたら、きっと後悔するに決まっている。だから綴は早くここから離れたかった。
「だから、教えることはできない」
真希が肩を落としたのが見える。本当は断る気でいたのに、そこまで意気消沈している真希を見たらつい口が滑る。
「相談…とか、そういうのならいつでも聞いてやる」
それが精一杯だ。
真希は先程よりも目に見えて嬉しそうにしているのがわかった。
「早く戻るぞ、今は野球のことについてどうにかしないといけないからな」
「はい!」
綴は野球帽を被り、ジャンパーを羽織るとグラウンドへ足を進めた。