意外と綴の采配は好評だった。
「先輩が指示したところ東堂にボールぶつけるとこくらいじゃ……」
「ルールよくわからんから」
「あれデッドボールって言って……」
「ちょっと言ってる意味がよくわからんから」
綴は野球のことをなんか打って走れば良いゲームだと思っている。(途中からルールを把握したが)
ならもうルールのわかる後輩達に任せた方が良いだろうということで、ほぼ特等席で野球観戦しているようなものだった。あと乱闘に担ぎ出されたりとなかなか面白かった。
結果、東京校が勝ったので良しとする。
綴は虎杖と一緒に野球の感想などを言い合いながら寮内を歩いていた。焼き肉の肉を買いに行くための用意をするためだ。ちなみに費用は既に綴が五条から巻き上げていた。
「あ、俺飲み物買いたい。先輩ついてきて!」
「はぁ? なんで俺が……別にいいけど」
数少ない自販機を見つけた虎杖は財布を取り出すが、その前に綴が財布出していた。
「ほれ、五百円で足りるか?」
「え、いいの!?」
虎杖に耳と尻尾が見えたような気がする。
普段全くこうしたことにお金を使わないのだ。よく使ってくれる後輩に奢った方がお金も喜ぶだろう。と思いながら虎杖の手のひらに五百円玉を置くと、虎杖はそれをしげしげと見つめる。
「何してんだよ?」
「いや、なんか使うの勿体なくって」
綴には意味がわからなかったが虎杖は本当に、ただの五百円玉を大切そうに見つめていた。
「なら財布に入れとけ」
そんな物で本当に良いのか、と確認すると虎杖は嬉しそうに、しかし申し訳なさそうにしていたので、無理やり財布にねじ込んだ。
「本当に良いの? 五百円ですよ!?」
「いいって言ってんだろしつけぇな」
ねじ込んだはずの五百円玉を持って、虎杖は尋ねる。すると綴が睨みと共にそう言ったので、有難く受け取ることにした。
「お、この五百円、記念硬貨じゃん!」
「記念硬貨?」
「えーと……」
虎杖はスマホを取り出すと、何かを調べ始める。
「あった、天皇陛下御即位記念硬貨だって。
1990年から1991年に発行……結構最近?」
「まあ、俺ら産まれてねぇけどな」
調べていると自動販売機では使用できないとあったが、虎杖は綴に黙っておくことにした。
「甘菜先輩、お釣りの分は返しますよ」
「いらん」
「えー…」
頑なに受け取らないので綴が忘れた頃に何かしらの形で返そうと虎杖は心に誓う。
早く行かないとそろそろ釘崎がキレるだろうと、綴と虎杖は部屋までの道を急ぐ。
「あら、こんな所にいましたか」
綴の足はピタリと止まった。
「なんで、アンタ達がここにいんだよ……」
「先輩の知り合い?」
綴と虎杖の目の前に現れたのは纜栄と綵だった。
「君が虎杖君か、綴の兄で甘菜家の当主をしている、甘菜纜栄だ。こちらは綴の姉、甘菜綵だ」
綵は纜栄から虎杖に紹介されると、微笑みを絶やさずにお辞儀する。それに釣られて虎杖も頭を下げるが、綴にすぐ襟を掴まれて頭を上げさせられると、そのまま襟を引っ張り綴の後ろに放り投げられる。虎杖は綴に抗議しようと口を開くが、握りしめた綴の拳が僅かに震えていることに気が付いた。
「なんの用だ?」
「弟のことが気になったからではダメか? 綴とはもう何年もまともに話していないからな」
「……アンタが気にしてるのは自分の保身だけだろ? 俺がアンタの座を奪うんじゃないかって……」
一瞬纜栄と綵の空気が剣呑なものに変わるが、すぐに落ち着く。
「そんなことは無い。我らは兄弟なのだから……」
「俺はアンタ達のことを兄弟だと思ったことは一度もない」
その一言で、纜栄の隣にいた綵が綴を睨みつける。
甘菜家では兄の言うことは絶対だ。纜栄の言うことであれば誰も反発するものはいないだろう、それはもう洗脳と一緒だ。だが綴は他の兄弟達とは違った育ちをして、甘菜家の兄弟第一主義に違和感と嫌悪感を持っている。それを綴はこの時初めてハッキリと纜栄に伝えた。
弟、妹の反発は兄や姉にとって見過ごすことはできない。
先程収まっていた剣呑な空気がまた辺りを包み込む。ほぼ同時に綴、纜栄、綵が構えをとる。
「せ、先輩……!?」
「焼き肉、俺は行けないからさっさと準備して五条達には適当に言い訳しとけ」
多分負けるから、と呟くと虎杖は目を見開いた。あの綴が負けるところなど見たことがない。交流戦でも綴は花御をサポートだったとはいえ翻弄していたのに。
「虎杖君の今後の成長を考えれば、見せる方がいいのではないか?
教えているのだろう?」
「後輩にダセェとこ見せられっかよ……」
虎杖は動かなかった。否動けなかった。何故なら綵が綴ではなく虎杖を見ていたからだ。もちろん綴は綵が虎杖に攻撃を仕掛けようとすればそれを庇うだろう。ならば綴の言うことを聞くべきだ。
だが、逃げたくなかった。もしここで逃げてしまったら、自分の中にある大事なものが崩れそうだから。
動いたのはどちらが先だったか、それすら虎杖にはわからなかった。わかったのは、綴が纜栄に手首を掴まれて床に叩きつけられたということだ。
それを見た虎杖はすぐに綴を助けに行こうとするが、綵がそれを阻止する。
「動かない方がいいですよ? 私、これでも甘菜家では二番目に強いですから」
虎杖は綵から距離をとる。呪霊や呪詛師ではなく同じ呪術師である虎杖に向けた尋常ではない殺気を受けたからだ。綵は隙あらば、纜栄に逆らうものは殺す気でいることに虎杖は気が付いた。
「さて、綴……先程お前が言っていたことはハズレだ。
『お前が俺の座を奪うんじゃないか』だと?」
「……」
纜栄は倒れた綴にしゃがみこんで話しかける。
「身の程をわきまえろ。お前は弱すぎる」
甘菜纜栄、甘菜家の長男で当主。その等級は特級。
この世に五人しかいない特級呪術師の一人である。
「まったく、こんなにも綴が反抗的になってしまうとはな」
「………」
弱すぎるということは否定しない、事実そうだからだ。
きっと自分は憧れていた夏油のようにはなれない。どれだけあの人に近づこうと努力しても近づけない。どれだけあの人の気持ちを理解しようとしてもできない。なにもできない。だから未だに五条に庇護対象だと思われるのだ。そうなりたくなかった。認めて欲しいだけなのに、誰もが自分を守るべき人間だと判断する。
大嫌いだ。みんな大嫌いだ。
「先輩は! 強い!!!」
その声にハッとした。
この声はよく知っている、虎杖だ。
「俺は一度も勝てたことない! 落ち込んだ時もめっちゃ励ましてくれるし! 何だかんだ言って優しい、怖い時もあるけど!
俺達の先輩を馬鹿にすんな、先輩は誰よりも強い!」
『俺達の先輩』そう言われただけで、充分だった。
嬉しかった。優しいのはお前の方だ。そんな自分を信じてくれている後輩がここにいるのだから、もう少し頑張ってみるか。
「む、まだ立つか」
フラフラと立ち上がる綴を見て纜栄はほぅ、と感心したように息を吐く。
「こうなったのは、夏油傑のせいだな。
余計なことを教えおって……」
「うるせぇ、あの人は関係ねぇだろうが」
「何がお前をそうさせる?
「……知らねぇよ」
──なんで自分が進んでいるか。
「でもそうしないと」
──壊れてしまう。
「俺は俺でなくなってしまう。
自分のことは自分で決める」
──「あなただけは呪いと無縁でいて欲しい」──
──「君は僕の自慢だ」──
「俺は母さんの息子だ。夏油さんの弟子だ。
それだけでいい。それだけで充分なんだよ」
そう言って腕に力を込めようとした時だった。
ソッと誰かが綴の腕を掴んだ。纜栄に掴まれた時とは違うそれを綴は目でゆっくり辿る。
「五条……」
「や、遅かったから迎えに来たんだけど………
五条がいてこんなにも心強いと思ったことはない。綴は安心して肩の力を抜いた。
「
「愛する弟をこれだけボコっといてよく言うよ」
五条は綴を庇うようにして立つ。それが無性に腹が立つが、今は疲れているので何も言わなかった。
「五条悟っ! 兄様に指一本触れてみろ……!」
「それはこっちの台詞だ。
今から綴と悠仁に指一本でも触れたら……タダではおかない」
目隠しに指を掛け、五条は纜栄と綵にそう宣言する。
身体が動かない。綵は身体を無理矢理動かそうとするがどんなに力を入れてもできなかった。
──五条悟の気迫に押された? まさか、そんな……この私が!
これが、呪術界最強の男か……!
「……ふむ、綵ここは引こう。本当であれば綴を連れて帰りたかったのだがな。貴様を相手にするのは俺でもキツイ」
「やっぱりそれが目的か」
纜栄はクルリと向きを変えると寮の玄関に向かって歩き出した。綵の肩に纜栄の手が乗ると、今までの金縛りが解ける。すぐに纜栄のそばに寄る綵だが、目は五条を睨みつけている。
「では、また会おう」
二度と来んな、という五条の横を纜栄と綵が通り過ぎる。
「甘菜先輩! 大丈夫?」
「大丈夫、に見えるか?」
綴は虎杖の額を叩く。いつもと同じいい音がする。
「……焼き肉の気分じゃなくなったわ、俺抜きで行ってくれ」
「嫌です!」
「あのなぁ…」
「ま、綴が発案者なんだし、行かないと後輩達が不安がるよ?」
「嫌だ」
結局、綴は五条と虎杖に強制連行されることとなる。