「いやー、悪いね! 私が部屋でのーんびりしている間に!」
綴しかいない部屋にやって来た綱治の胸倉を綴が掴む。
「おい、
「どういうことかな?」
「っ……アンタだろ? くっだらねぇ噂を最初に流したのは」
しらを切ろうとする綱治に苛立ちを覚え、彼の頬を殴る。しかし綱治の笑みが歪むことはなかった。
「誰に何を聞いてそれに辿り着いたのかは知らない。
でも少なからず、ここにいたあの赤子は人を襲い始めていただろうさ。その前に祓ったんだから、別にいいじゃない。母親の無念を受けてそれに縛られて強くなっていた子供1人救えたと思えば………君がそこまでアレを気にするのは、母子だったからかな?
可哀想だねー、ずっと過去に縛られたまんまで。ずっと子供の頃を忘れられないでいて。ずっと子供のままで」
何が言いたい?
俺が可哀想?
「うん、でも今回は失敗だったかな? 君たちが先に行ってしまうだなんて思ってなくてさ。記録残せなかったや」
「やっぱりっ」
「ほら、あんまり怒ってるとお肌に良くないよ。ただでさえ調子悪いんだから。
さて、私は報告にでも行ってこようかな? もちろん兄様達には綴は"良い子"だったと伝えておくよ」
・
・
・
身体を引きずりながら廊下を歩く。真人とはあの後結局戦い、何とか撃退したもののこのザマだ。痛みはさほど感じ無いが、足に違和感を覚えるため歩き方がどうしても不自然になる。
明日東京に帰る予定になっているが、甘菜の人々がそれを許すかどうか。なにか妨害があるだろうと覚悟しておく必要がある。後輩達には迷惑が掛からないようにしなければ………。
「綴」
その声を聞いて、何も心配することが無くなったと、綴はぼんやりとその声の主を見る。
「………なんでここにいんの?」
五条だ。急に安心感を覚え、目の前がぼやける。
「ん? 任務帰り。近くで任務してたの思い出して………どうかした?」
「いや……なんでもない」
あの母親の呪霊は、どうして自分を山から出そうとしていたんだろうか。冷静になった頭で綴は考えるが、結局結論に至ることはできなかった。それよりもまぶたが重い。
......................................................
【11年前・東京】
その日、五条はとある男に呼ばれていた。その五条の傍らにはタオルケットの塊、ではなくタオルケットに包まれた綴だった。あの日から一言も発することがなく、瞬きすらほとんどしなくなり、1日中部屋の隅で座っている。手を引いてやれば動くのだが、その時もぼうっと虚空を見つめるだけだ。
「さて、初めましてだな。五条悟」
五条と綴の反対側に座っているのは甘菜絃栄。甘菜家の次男だ。絃栄を見ても、綴はなにも反応しない。
「話に聞いていた通り、今の綴は伽藍堂だな」
その言葉に五条は怒りを露わにする。
「誰のせいで綴がこうなったと!」
「元はと言えば、夏油傑が綴を殺そうとしたからだろう?」
「違う、傑は!」
「何が違う? 弟子の綴を殺しかけて、子蜘蛛を中に入れたのは夏油傑だ。それは事実だと、貴様も本人から聞いているのだろう?」
そうなのだ。そのことは五条がすでに夏油と決別した時に聞いていた。その時の夏油の思いも。それは決して許せるような内容ではない。それでも、未だに綴が夏油を思っていることくらいはしっている。
「それで、だ。俺がここに来た理由は聞いているな?」
そう、それが今回の本題。今綴は五条に誘拐された、という扱いになっているそうだ。
冗談じゃない。どうして綴を傷付けるような人間達にそんなふうに思われなくてはならないのだ。
「綴をこちらに引き渡せ」
「嫌だね。渡したら綴はまたあそこへ戻されるんだろ?
綴は物でも呪霊でもない。まだ8歳の子供だぞ」
連れて行かせるものか。幸い自分は最強だ。絃栄を撃退することなど容易いだろう。綴は守る絶対に、夏油の代わりに自分が守る。それが
「俺は今年で23になる。貴様よりも5つほどだが年は上で、それなりに苦労も重ねたつもりではある」
「何が言いたいんですか?」
五条の手に自然と力が篭もる。
「五条悟、貴様は子供だ。子供が子供の面倒を見れると? 貴様はできるつもりかもしれんが、はっきり言ってやろう、無理だ。
せめて綴がよく見聞きでき、それなりに自身で判断し発言できていたならまだ考えた。しかしこれではそれも到底不可能だ」
大人ではない。まだ自分のことで精一杯な18歳の子供に人形も同然な綴の世話ができるとは絃栄は思わない。五条がここまで綴にこだわるのは恐らく夏油の存在と、もう戻ることのできない自身の過去の残影を見たいがため。あまりにも子供らしいそれを、絃栄は好感的には思うがだからといって綴を預けるわけにはいかない。もしも、そのまま一緒にいてもなにも2人にとって良い方向へは進まない。ズルズルと深みにはまって溺れ死ぬのが関の山だ。
何も答えない、見ようとしない、聞こうとしない綴は完璧に外界を拒絶している。綴の最も深い傷を治せるのは夏油だけだ。きっと、それは五条もわかっている。
唇を噛んで、必死に綴を守ろうと絃栄を睨みつける五条を見て、絃栄は1つ賭けてみることにした。
「そこまで、綴が大切か?」
「大切だ」
「………叔母上……綴の母親は父上、ではなく伯父上にもしもの時、綴のことを頼んでいた。
叔母上は伯父上と最も仲が良かった、と聞いている。その伯父上も数年前に亡くなった。その時、初めて伯父上からその話を聞き、綴のことを任された」
それは絃栄は綴を傷付けるつもりはないと言いたいのだろう。実際、ここに乗り込もうとした甘菜の人間は多くおり、それを抑えたのが絃栄だという噂を聞いている。だから今回の場に応じたのだ。
──この人はまだ話が通じる。
「甘菜の子供は中学までの間、呪流体術を仕込む期間となっている。その間は俺が綴の面倒を見よう」
「それは……っ!」
「納得できんだろうな。しかしそうせねば綴は中途半端なまま呪霊と対峙することになる。死亡率は上がる。更にはうちの人間からの圧も掛かってくる」
どちらが綴にとっていいのか、まだこの時点ではわからない。しかし五条は綴に呪流体術を教えることはできない。そこは甘菜の人間に任せるしかないと夏油も言っていた。
「しかしもちろん条件がある」
黙った五条を見て、絃栄の案を肯定したと判断したのだろう。絃栄は更に言葉を続ける。
「今から半年ほどであれば小学校側にはある程度話を通すことはできるだろう。貴様もこれから任務等で忙しくなる身だしな。
その間で、綴をせめて自分の意思で行動できるようにしろ。それができたら、半年以降の綴を任せる。中学に上がるまでは綴のことは逐一報告する。いつでもどこでも連れて行くのだって構わない」
力強い目と口調で絃栄は五条にそう言いきった。
長男の纜栄が綱治に綴の研究をしても良いと言ったから綴はあそこに入れられた。絃栄はそれに反対。絃栄の伯父の遺言を盾に、纜栄に交渉していたところだった。綴の面倒は自分が見る、他の兄弟姉妹からの指図は一切受けないと。
そこで現れたのが五条だ。絃栄からしてみれば都合が良かった。甘菜家の次男である絃栄と御三家の1つ、五条家の人間…それも1人で多くに影響を及ぼす力を持つことになるであろう五条悟が後ろ盾になれば、上層部や纜栄を綴から遠ざけることができる可能性が高くなる。
「どうするかは貴様次第だ、五条悟」
五条はもちろん、首を縦に振った。