さて、と綴は金庫の前にどかりと座る。
尾上と青木が呪霊を引き受けてくれた、綴の役目は早くこの金庫を開けて呪霊を祓うこと。2人にだけ負担をかけられない、早急に終わらせる必要がある。
手順通りにダイヤルを回していく。佐々木も隣で見守るなか、綴はその4桁の数字を全て入れ終えた。しかし金庫の扉は開かず、綴の頬に切り傷が刻まれた。
「え? な、なんで!?」
困惑する佐々木だが、綴には検討がついていた。
──やりやがったな、あの
恐らくこの金庫が破られてしまうことを恐れ、以前に暗証番号を変えていたのだろう。それだけの物が、この中にあるのだ。
「どうするの? このままだと……」
「………」
外では尾上と青木が待っている。この場合どうするべきか、綴は考える。
「金庫は100万変換ダイヤル式金庫、それも2つ。恐らくこの金庫自体が呪物、破壊の場合リスクが大きいだろうし、全部試すのには、時間が………」
しかし、やるしかないのだ。綴はポケットからケータイを取り出し、それを佐々木に手渡した。
「連絡履歴の1番上にいる伊地知さんって人に電話掛けて、俺の耳にそれ当てといて」
綴は佐々木にそう言いながら金庫の扉に手を置いた。
「まさか、これ全部試すの?」
「ああ、100万変換ダイヤルならなかに4つのディスクがあるはず。ダイヤル錠の閂とキリカリ(ディスクの凹み)が全部はまって開くはずだ。
構造がどうなってるのか知らないから、全部とりあえず試すしかない」
──呪物からの妨害は酷そうだが。
時間を掛ければこの金庫とは幾らでも付き合える。気掛かりなのは外だ。綴はその応援を伊地知に頼むつもりだ。今すぐに来てくれそうな呪術師、無理な相談だとはわかっている。だが、綴は1つの希望に賭けてみた。
「伊地知さん、甘菜です」
電話で話している間も綴は神経を集中させて呪力を流しながら中を探る。
呪物がどこまで許容するかはわからない。呪力を流すことは範囲内ということなのだろう。しかし時間制限はあるようだ。先程から背後から誰かに首を締められる感覚がしている。恐らく時間が経過する事に強くなっていくはずだ。
「至急応援を願いたいのですけど、誰か手の空いている人は…?」
しかし呪術師は人手不足。そう簡単に今すぐに向かえる呪術師なんているはずがない。
伊地知も滅多にない綴からの申し出に精一杯応えようとするが成果は思わしくない。その時だ、今ちょうど
『やっほー、綴? そっちどう?』
「割とヤバい」
電話を変わったのは五条だった。
そうやって会話しているうちに、既に10回目の挑戦が失敗に終わった。佐々木に渡したメモ用紙にはそれを残酷に突きつける光景が記されている。オマケに、綴の身体に何箇所も傷ができている。
『え、何それどういう状況?』
「解呪したいけど呪霊が暴れてて青木達が足止めしてる。目的の呪霊の本体は呪物の金庫の中。暗証番号変えられてるから一通り試すつもり」
『わかった、今から
それに返事をする前に電話は切れる。マジか、と驚いたが同時にホッとした。これで尾上や青木が死なないはずだ。
「よし、次」
「はい!」
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AM 3:55
「死ぬ! 死んじゃう!」
尾上は逃げ惑いながら青木に千代紙を貼る。呪霊に攻撃される度に黒く染る千代紙を見て苦い顔をするが、青木を呪霊の攻撃から守る盾なのだから自分が気をしっかりと持っておかないと、と頬を両頬を
青木も疲れが見え始めた、しかし呪霊の攻撃は止まない。どうにかしないとと思うが尾上には結界術しかない。守ることしかできず、攻撃など以ての外な尾上は初めて自分の術式に嫌気が差した。誰かを守るために呪術師になったのに、思うような力を手にすることが尾上にはできない。
「小町、大丈夫?」
溜まった涙を目を瞑って落とすと、目の前によく知る人物が立っていた。
「五条、先生? ほ、本物?」
「そうだよー、綴が助けてーって言ってきたから来ちゃった!」
「甘菜君に限ってそんなことしないと思うんだけど」
そう言っている間にも、五条は襲いかかってきた呪霊を返り討ちにして霧散させる。
「き、消えた?」
「まだ祓われてないな。本体はこの中か」
五条は地下室の扉を見る。
呪霊は五条に敵わないと察したのか、出てくる気配がない。なら、あとは中にいる綴に任せるしかないだろう。
「この結界、開けたら壊れるやつ?」
「はい。何があっても良いように、絶対に開けるなって甘菜君が」
「ならあとは待つだけか」
尾上は静かに頷くが、戦闘中から気になることがあった。
「あの、先生……スマホ、めっちゃ鳴ってるんですけど、まさか任務放棄とかしてませんよね?」
「大丈夫大丈夫」
「何が大丈夫なんですか!? 甘菜君まだ出てこないから、任務行け!」
だが五条は動かない。
「小町、僕にとってはこっちの方が大事だし、伊地知が何とかしてくれるだろうし」
尾上は心の底から伊地知に同情した。
・
・
・
AM 4:45
手にダイヤルの感覚が伝わってくる。それを時たまに呪力が邪魔をする。しかしダイヤルの感覚が変わる時を綴はこの短時間で覚え始めていた。
──1、6……次は56? いや違うな、75じゃないか? だめだ、集中力切れてきた。
指先の感覚と、呪術師のなかでもトップクラスの呪力コントロールで1つ目のダイヤルと2つ目のダイヤルの2ケタまでの数字を当てることができた。
だが呪物は金庫を破られないように妨害をより一層強める。学ランの上着は鬱陶しくて脱ぎ、カッターシャツ姿になる。そのカッターシャツも血だらけになって赤く染まっている。手に血がついた時に、自分は今鼻血を出していることに気が付く。息がしずらい。息を吸うために口を開けるがほとんど入ってこない。
いろいろと限界が近い。それでも綴が手を止めないとは佐々木の存在が大きかった。自分が諦めてしまえば佐々木は死んでしまう、それどころか佐々木と同じようにまた妊婦が呪われるかもしれない。
綴はそれが嫌だった。守らなくてはいけない人間が増えてしまうのは、かつての夏油であればきっと良い顔はしないだろうから。
一つ一つ慎重にダイヤルを回していく。
──68。
あと1つ。
──87。
金庫から音がした。
「開いた」
「開いた……? 本当に?」
「こっからはアンタに任せるから」
綴は金庫の扉を開けて後方に下がる。『扇』は結界の中にいる、術者が守ろうとする対象が攻撃から身を守るための術だ。少しなら近付いたところで攻撃をされることはないだろう。
そういえば、任務をしていたようだが五条はもう来たのだろうか?来ていると信じたい。そうでないと尾上や青木が危険な目にあっているかもしれない。任務も仲間も綴にとっては大事なのだ。
佐々木は金庫の中を覗く。
「久しぶりね?」
中にあったのは水子のミイラだった。
《お母さん》
「……そうね、私があの時そう言ったのよね」
まだ、この病院に入院して間がない時のことだ。
佐々木は1人の少女と出会っていた。不思議なことに鼻元から上の顔を思い出すことができない。
「あの時、私はあの人からお腹の子を下ろすように言われて参っていたわ」
そんな時に出会った。少女は佐々木を見ると嬉しそうに《遊ぼう》と誘ってきた。佐々木は子供が嫌いではない。だから少女とは何度も遊んだ。しかしふと気になった。この子は誰の子供なんだろうか?初めは誰かのお見舞いへ来ているのだろうと思っていたが、どうやらそうではないらしいのだ。しかしそれを聞いてはいけないような気がした。
「私、そんな時に言ったのよね。アナタが私の子供ならきっと毎日が楽しいだろうって」
《じゃま、それ邪魔だよ、私がはいれない》
呪霊は佐々木の腹を触ろうとするが『扇』によって弾かれる。
「ごめんね。私はアナタのお母さんにはなれないの。
だって、私は、この子のお母さんだから」
しっかりと前を向いて佐々木は赤子に伝えた。
赤子は悲鳴のような怒気を込めたような叫びを上げる。綴が糸を出して赤子を捕縛しようとした時、佐々木はポツリとしかしハッキリと赤子に告げる。
「アナタのお陰で、私は救われた。
赤子は産まれて直ぐに呪物にされた。
この病院の発展のために殺された。
初めて自分を見てくれたお母さん、お母さん。大好きなお母さん。
そのお母さんの腹の中にいるそれが大嫌いだった。
でも、お母さんを困らせているのは、わたしだ。
赤子の呪霊が姿を現した。どこにでもいる、可愛らしい赤子はその顔に見合う、可愛らしい笑顔を佐々木に向けた。
「遊んでくれて