あの日飲んだ炭酸ジュースは、綴の口には合わなかった。
それでも炭酸が抜けきるのを待ち、水に薄めて綴は全て飲み干した。次の日にであった尾上にはもちろん「美味しかった」と答える。その時の尾上の笑顔が綴の頭から離れない。不思議な感覚を覚えるが答えは見つからず、それから何日も経っていた。出会う度にあのぶどうの炭酸ジュースを綴に手渡す尾上と何気ない話をするのが綴の数少ない楽しみの1つになっていた。
少し時間があれば、そういえば尾上は何をしているのだろう?と考える日々。毎日の日課である同室である青木の散歩中もそんなことを考えているせいで、この間青木に前足でしばかれた。
「これは何かの呪いなのでは?」
こんなにも集中ができないなんて綴の人生で1度だってなかった。これはもう呪いを受けたとしか考えようが無い。
なるほど、だから些細なきっかけで尾上のことを思い浮かべてしまうのだ。尾上が男子生徒と喋っているといてもたってもいられなくなるのも呪いのせいだ。
──と、言う旨を相談するならこの人と決めている家入に伝えてみる。
「……綴、それは……」
何故か家入は呆れたような、しかしどこか生暖かいような目をしている。医務室にたまたま訪れていた七海も似たような眼差しだ。
「まあ、ある意味で呪いだな」
「な! 困ります、何か解呪できる方法とかないんですか?」
家入や七海にとって、綴は自分達の腰辺りしか身長がなかった頃から知っているため、どうしてもあの頃の綴の印象が強い。五条に綴の今後が任された時はどうなることか心配になっていたが、夏油が育てた綴の素直さと純粋さが失われなくてほんとうに良かった。
何が言いたいかと言うと、そんな小さかった綴がついに
「七海さん、何か知ってるんですか!?」
「ほかに何か変わったことはありますか? 尾上さん関係で」
「……なんか、目で追っちゃう。こう、可愛く? 見える?」
いつまで経っても答えてくれない家入に痺れを切らして綴は七海に詰め寄る。
綴の最後の言葉で、七海と家入は綴の感情がなんなのか確信する。
「……甘菜君、それは世間一般的には
七海に似合わない、ありえない言葉が飛び出し綴は固まる。
「………錦?」
「それは鯉ですね」
「なにベタなボケをしているんだ?
綴は尾上が好きなんだろう?」
──鯉、恋? 好き? すき……?
こ、こここここここここここ………………っ!?
「はぁーーー!!!!!!!?」
綴は顔を真っ赤にさせて叫んだ。
「あ、あああ有り得ない!
いや、いやいや違う! 違うってば絶対に! ちちち違うもん! 違う!! してない! そんなわけ、ない! そうだ、ない!!」
「なら綴は尾上が嫌いなのか?」
「違う! 嫌いじゃない!
いや! そういう意味でなく!!」
想像以上の慌てふためきようである。
綴の今の心境では富士山まで全力疾走して頂上まで行き、帰ってきて今度は高専の校舎内を走り回っている。というか医務室で絶賛暴れ回っている。七海と家入はそのせいで壊れてはいけないものを動かしていく。
するとその叫び声を聞きつけた五条が医務室の扉を開けた。
「綴ー? なんか叫び声が響き渡ってるけど……」
「うわぁぁあ!!!!」
五条に向けて渾身の松葉を繰り出したが無下限によって防がれる。
「今マジだったよね!? マジで殺す気だったよね!?」
無下限がなかったら、恐らく五条の身体は呪力によってかき混ぜられていただろう。なにやってんだ、と七海と家入に問いかけると2人は数秒顔を見合わせる。
「思春期だ」
「は?」
「そっとしてあげてください」
「え、ちょっと待って」
七海は医務室の扉を閉じた。五条にバレた場合、綴が可哀想なことになるとは目に見えている。
扉を閉めるて後ろを振り返ると、綴は仰向けに倒れて家入につつかれていた。
「落ち着きましたか?」
「ある程度はな」
綴は家入につつかれながら、小声で謝っている。しかし顔はまだ真っ赤で収まる気配はなかった。
恋心を自覚せず、本気で呪いかなにかだと思っていたことと、それを他人に相談してしまったことが綴の羞恥心を助長させていた。それもある程度山を越えると途端に冷静になってきた。
「俺、尾上先輩のこと、好きなんだ……」
やっと納得したようだ。
小学校、中学校と人の恋愛話を耳にする機会は沢山あった。それを鬱陶しいと聞いていることもあったし、何度か綴に思いを告げる人がいたこともあった。しかし綴には全く関係ない世界の話だと興味など全く持っていなかった。つまりこれが綴の初恋なのである。
「甘菜君、立てますか?」
「すみません、本当にすみません」
「申し訳なく思っているなら片付けてくれないか?」
そう言われた綴はすぐに医務室を片付けて始める。その間にも外から五条が綴達に声をかけているのだが、全員無視を決め込んだ。
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「あ、綴君おはよう!」
「おはようございます」
大丈夫だろうか、顔は赤くなっていないだろうか?あ、変な髪型になっていないだろうか?
「久しぶりだね。交流戦のことで話があるんだけど」
「あー、そんな季節ですか。先輩出るんですっけ?」
何気ない会話が続けられる。交流戦に出るのはだいたいが2、3年生だと聞いているので綴は自分には関係がない話だと思っている。
「うん、出るよ。
でね、綴君にお願いがあるんだけど」
「お願い?」
そういえば、前に体術を教えて欲しいと頼まれたはずだ。2人共忙しくてその約束は未だに果たせないままになっているのだが、もしかするとそのことについてだろうか。
交流戦では活躍した在学生に昇級のチャンスが多く与えられる。それを尾上が望んでいることを綴は知っていた。だが、正直にいうと3級から昇級して欲しくない。昇級してもっと危険な任務に当たってしまったら、と考えると気が気ではなかった。
「あのね、交流戦に出て欲しいの!」
「は?」
思ってなかった言葉が尾上から飛び出して、綴は目を丸くする。
「実は京都校にいる1年生が交流戦に出るらしくてね、それに対抗心を燃やした3年生が、
「で、俺とまともに話せる先輩が来たわけですか」
「そうなの。私は綴君がその1年生より強いって確信してるから、綴君が交流戦に出るのは大賛成!」
尾上はニッコリと綴に笑いかける。
「頼りにしてるんだ、綴君のこと」
「頼りに……」
綴は嬉しくなった。綴は頼られることなんてほとんどない。それは子蜘蛛が影響しているせいなのだろう。誰も綴に無茶をさせようとはしないのだ、なぜなら無茶をしてもしも綴の中にいる子蜘蛛が出てきたらと、事情を知っている呪術師は思っているのだ。最近もそんな呪術師と組まされて任務に出ることが多い気がする。
「あの、俺でよければ……頑張ります」
「本当に? 嬉しい! じゃあ久しぶりに綴君と一緒に戦えるんだね」
「そう……なりますね」
頼られることが、それも大好きな人に頼られることがこんなに嬉しいことだなんて思ってもみなかった。
自室へ帰ると、部屋で待っていた青木が綴の顔を見て首を傾げる。
「あ、ごめん青木。俺、しばらくにやけてるかも」
いつものあれか。と青木は納得すると犬用ベッドの上で寝始める。
「青木、寝るのか? ちょっと話に付き合ってくれよ」
嫌だよ、だって綴の話は長いんだから。と青木はそっぽを向く。
「まあ、聞く気なくても話すんだけどな」
話すのかよ。と青木は思いながらも楽しそうに話す綴の言葉に耳を傾けた。
犬で言う15歳は人間で言うところの76歳だという。そのため青木は綴よりもずっと落ち着いたおじいちゃんなのだ。綴の恋バナを聞くことは何の苦にもなりはしない。
ただ、この孫であり友人が最近夜に魘されているのを聞いてしまい、それに何もできない自分のほうが嫌だった。
綴は尾上といったいどうなるんだろうか?と青木は綴を微笑ましそうに眺めていた。