いやいや、あの単眼鬼畜猫には及ばんよ。
2年生に上がった頃、綴には後輩と呼ばれるものができた。のだが。
「綴君、また真希ちゃんのこと無視したでしょ?」
「……」
「目をそらさない!」
入ってきた人物が綴にとっての最大の天敵だった。
新しく入ってきた1年生の禪院真希には呪力がない。故に呪具がなければ呪霊が見えないのだ。
「綴君が呪霊見えない人が嫌いって言うのは知ってたけど……」
「これでも努力はしてます」
現在は4月上旬だが、その時点で尾上に何度も言われてしまい、綴はできるだけ真希に対して対応を柔らかくしようとしたのだが………。
「でもどうしても嫌悪感が勝ってしまって……」
そもそも夏油でさえ自分の非術師嫌いを克服させることはできなかったのだから、誰が何を言っても無駄だと綴は思っている。
「……わかった」
「え?」
「ま、嫌いなものを急に克服しろ、ていうのが無理な話よね」
わたしも納豆きらいだもん、と尾上は綴にある程度の理解を示した。
「こればっかりは、時間が解決してくれるよ」
「できるでしょうか?」
「できるよ。綴君は本当は優しい子なんだから」
そんなことを言う人はいなかったはずだ。それも、食べ物の好き嫌いと同じように言うなんて。無理矢理綴に非術師を関わらせようとする人もいれば、そもそも綴が非術師が嫌いなことに対してなにも思っていない人もいる。ちなみに五条は後者だったりする。(真希のことについてはどうにかしようという気は一応あるようだが)
「さて! そんなことよりも任務よ、久しぶりによろしくね」
「……はい、よろしくお願いします」
そう、今日は尾上と同じ任務なのだ。この日が綴は楽しみで仕方がなかった。
ところで尾上が思いを寄せている人物とは最近会った。本当にたまたま偶然。任務帰りの尾上と一緒に校内をうろついていた。何故尾上がそね人物が好きなのか気付けたかというと、どう考えても自分へ向ける視線と違っていたからだ。振られてしまえばいいのに、という最低なことを考えて自己嫌悪に浸ったのは良くない思い出だ。ちきしょうそのニット帽毟るぞと心の中で唱えた回数はもう覚えていない。そのくらいあの男を恨んだ。
青木がいなくなって、しばらく立ち直れなかった綴だが、尾上のおかげで今はこうして任務にも行けるようになった。
また今度お礼をしなければならないと考えて、しかしタイミングを逃してしまう日々。いつの間にか2年生に進級してしまった。
──この後、先輩に用事が無かったら何か奢ってお礼を言おう。
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「硝子姉ちゃん!!」
そう言って、任務へ行った綴が医務室の扉を
「硝子姉ちゃん、お願い! 先輩が、先輩が!!」
必死になって家入に治療を頼む綴だが、これはもう手の施しようがない。何故なら……。
「綴、私は
もう、尾上は息をしていなかった。死後からだいぶ時間が経っているのだろう、尾上の身体はすでに硬く、冷たくなってしまっている。
綴はそれをやっと自覚して、その場にペタンとへたり込む。
「いやだ……嫌だ」
「綴……」
河原で任務は遂行した。河原には一般人がいたため、そちらを尾上に任せて綴は呪霊を祓った。そして尾上の元へ帰ってくると、ナタを持った一般人と、足が離れた場所に落ちている尾上がいた。
一般人がなにか喋っている。なにが起こったのかさっぱりわからない綴だが、その一般人が尾上を殺したことはすぐにわかった。
「お金無くて、
抵抗されてついカッとなって足を切り落としたという。そのまま男は自身の欲を尾上に吐き出して、その間に尾上は大量出血、そして自分自身で舌を噛み切ったことが死体解剖の末にわかった。
尾上の呪術は結果術、祝詞を唱えて札を対象にはるまでが千代紙結界。襲われてから尾上が冷静にそこまでできなかった。誰だって混乱するだろう。女性ならとくに。
「常習犯だったらしい。最近身体の一部が無い女性の遺体があの近くで多数見付かっていた。綴にボコボコにされて、補助監督に警察へ突き出されていたそうだ」
「………綴は?」
「そこで寝てる」
カーテンがかかったベッドを指差しながら、先程任務から帰ってきた五条に事のあらましを伝える。
呪霊を祓って、犯罪者を捕まえてめでたしめでたしとはいかなかった。代償が大きすぎる。
「非術師嫌い、この一件で更に激しくなるかもしれない」
「だろうね……尾上は、今どこ?」
「安置所だよ。顔、見ていくか?」
五条は頷いた。
尾上が1年生の時も五条は1年生を受け持っていた。呪術の世界はほぼ初めてだと言う尾上の成長はとても伸び代のあるものだった。千代紙結界は強力で、綴も度々それを褒めるほど。
遺体は安らかだった。これはドッキリで実は尾上は生きていました!なんてことはないのだろうか。と心のどこかで期待する自分がいたが、足のない尾上を見て、冷たくなった尾上の頬を触って、彼女が死んだことを実感させられた。
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・
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医務室へ帰ってくると、綴の楽しそうな話し声が聞こえてきた。家入と五条は顔を見合わせる。高専内で綴と親しい人間は自分達以外にいただろうかと。一瞬七海か?と思ったが、まだ任務なはずだ。
急いで医務室の扉を開けると、そこには何も無い空間に話しかける綴がいた。
「綴?」
五条が話し掛けても綴は何も反応を示さなかった。ずっと喋り続けている。その中に"尾上先輩"と"青木"という言葉も混じり、まるでそこに2人がいるかのように会話をしている。
「綴!」
これはいけない。そう感じた五条は綴の両肩を掴んで綴をこちらに向けさせる。
「…………?」
綴は首を傾げる。そして現実にだんだんと戻ってきて、絶望したように顔が歪んでいく。
いったい何があったんだ?そんなに尾上のことがショックだったのか?いいや、そんな風に繊細には育てていない。どんな人間でも、死ぬ時は死ぬのだと教えている。だから、
ふと、目に入ったのは札が貼られた虫かごだった。それが蓋を開けて床に転がっている。
「綴、これなに?」
「………食べろって、言われた、から……」
──綴に子蜘蛛を食わせたな!?
怒髪天を衝くほどの怒りが五条に込み上げてきた。恐らく、綴に早いところ子蜘蛛を祓わせようとしている上層部の仕業だ。
すると、綴は耳を塞いだ。声を掛けようとすると、声を震わせて謝り始めた。
「綴、何かあったのか?」
「五条には聞こえないの? そこにいる。先輩が怒ってる。なんで助けてくれなかったのって、怒ってる」
もちろん五条には聞こえない。
「硝子、これ……」
「幻覚と幻聴それが同時に発症している」
子蜘蛛を食べたことと同時に、尾上の無惨な死を見てしまったことが関係しているのでは、というのが家入の考えだ。
「しばらくは部屋の中で安静にさせてあげた方がいい」
「わかった」
五条は綴の部屋に綴を連れて帰る。
その間もずっと、綴は何かに怯えているようだった。部屋に着いても、綴は何度も窓の外を見たりとソワソワして落ち着かない。
「綴、どうかした?」
「外に母さんがいる」
こっちを見てる、と顔を青くさせて言うが五条が窓の外を見ても、そこには誰もいない。
「……そっか、でも大丈夫だよ。この部屋は綴の部屋だから、綴を傷付ける人はいない、入ってこない。大丈夫、何かあれば、僕が守るから」
五条は綴を布団に寝かせて、優しい口調で綴に言い聞かせる。ゆっくり、刷り込むように。五条の言葉の抑揚に合わせて、綴も何度もゆっくりと頷く。それを何度か繰り返して、やっと綴から寝息が聞こえて来た。
「これは……ヤバいな」
皺を寄せる綴の眉間を解しながら五条は呟いた。
どうにかしなければ、綴が壊れる。
「大丈夫、何とかするから」
綴にその言葉は聞こえていないとわかっていても、言わずにいられなかった。