暗闇の中で、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。その声を頼りに虎杖は目を覚ました。
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「悠仁、起きたか?」
「……綴、せん、ぱい?」
目を覚ました虎杖の目に一番最初に飛び込んできたのは血だらけになった綴だった。見える箇所だけでも左目と脇腹、そして左の中指、薬指、小指は特に酷いように見える。
「な!? なんで、先輩、これ!」
虎杖が起き上がると、綴の後ろには脹相が険しい顔をしてこちらを見ていた。何故、攻撃してこない?なのにどうしてこの人がこんなに傷付いている?なんで、地面がこんなにも赤く染っている?
「ゴハッ」
綴は血を吐きながら倒れる。そんな綴を虎杖は抱き抱えた。
「綴先輩!? なんで、なぁ!? なんとか言ってくれよ、何があったんだよ……」
「貴様が死にかけたからだ」
頬から聞こえてきた声に虎杖はゾッと背筋を凍らせる。
「すく、な……」
「この男は貴様を生かすためだけに、残り少ない生命を文字通り削ったぞ、もう生きているだけで精一杯だ。ケヒッケヒッ」
絶望する。
なんで、なんで、なんで?
「しかしこの男もつまらんことに生命を賭ける。無駄だ、何もかも、この小僧もそう長くない内に死ぬぞ?」
「お前……っ!」
そう、宿儺の指を20本集めれば虎杖は死刑される。きっと長くは生きられない。だというのに何らかの方法で虎杖の傷を治してこうなってしまった。
「……まっ、ろ」
「まだ喋れるのか。
まあそうだろうな。貴様が死んでいれば今頃小僧が死んでいる、貴様の手によって。なぜなら貴様は……」
「黙ってろっつったんだよ、補聴器つけろよクソジジイ」
死ぬ間際の人間とは思えないほど、鋭い眼力で綴は虎杖の目尻に浮かぶ宿儺の目を睨みつける。
宿儺から綴は虎杖に視線を移し、息を深く吐いてからポツリポツリと話し始めた。
「………とりあえず、俺達が今後何をすべきか、なんとなく考えてみた」
「こんな時に何言ってんだよ! 先輩、ちょっと頑張って! すぐに治療してもらおう!」
「いや、無理だ」
虎杖は綴を抱えようとする。脹相がこちらの様子を伺っているのも見え、どうすれば振り切れるかをかを考えたが、それは綴に静止される。
「………俺の、寿命は、多分あともって数時間だ」
「なんでっ!?」
ぐったりとしていてほとんど力が入っていない綴の身体は、いつものあの綴のイメージとは全く異なり、虎杖は困惑する。それ以上に、綴の寿命を聞いて目を見開いた。
「元々、手前と会った時から、あと3年って言われてたんだ。その分を、手前の治療で使った。
もう、目もほとんど見えてねぇし、呪力が無くなりかけて、立つのもやっとだ」
嘘だと思いたかった。だって出会えばいつもあんなに楽しそうに自分達と会話していたのに。3年しか寿命がないようには全く見えなかった。
なにも知らなかった。綴がそんな状態であるなんて、どうやったらわかるというんだ。
「俺が死んだら、高専に小さい墓があるんだ。俺の、同級生で青木って言うんだけど、たまに墓参りしてやってくれねぇか? 青木は、寂しがり屋だから。あと部屋の食いもん適当に処分しておいてくれ」
混乱しているそんな時にいったい何を言っているんだ。
「なんで今そんなこと? 食いもん溜めるからそんなことになるんだよ、あの量は俺1人じゃ無理だって!」
「大丈夫大丈夫、なんなら伏黒辺りも巻き込め」
「伏黒甘い物苦手だって知ってんだろ!? だから早めに処分したほうがいいって言ったんですよ」
「いや、五条が来たら適当に渡せるし」
軽口を叩く綴が本当に死に際なのか怪しくなってきた。本当は全部冗談なのではないかと虎杖は少しだけ希望を抱く。
「手伝うから、一緒に帰ってたべよう! 墓参りだっていくらでも付き合うから。
だから、死ぬなんてそんなこと事言うなよ! なんでそんな、先輩っ! 俺とした約束は!? 伏黒ともしてたんだろ!? こんなところで死んだら、アンタは嘘吐きになるじゃんか!」
虎杖の言葉に、綴はスっと目を閉じる。
本当に往生際が悪い奴だ。しかしそんな往生際が悪い奴でも人ひとりの命を延ばすことはできない。残りの時間は限られている、だから綴は虎杖に伝えなければいけないことを必死に声を絞り出して伝える。
「………そうだ。俺は、
「……っ」
綴が開いた目は、どこまでも空虚なものだった。今までの綴が嘘のように感じる。
「全部嘘だ。お前が会った俺も、五条や伏黒や、夏油さんと会った俺も結局は全部、誰かに好いてもらえるように身につけた処世術だった。そうあるべきと言われたから、そうし続けてきた」
「先輩は、俺らに優しくしてくれてっ」
あの優しかった綴の笑みを嘘だとは思いたくなかった。少しでも抱いた希望がガラガラと崩れ落ちていく。
「それも嘘だ。
優しくて、素直で良い子の綴。それが皆が求めた甘菜綴という人間だ。俺はそれを、皆の理想を、なぞっていただけだ」
しかしどれだけ願っていても、現実は変わらない。崩れたものは元に戻らない。
「虎杖、俺はお前と初めて会った時……五条に止められたとしても、俺はお前を殺そうと思っていたよ」
「───え?」
「お前、と言うよりも両面宿儺をだがな」
綴は言葉をつむぎ続ける。
何故宿儺をそんなに殺したかったのか、何故それを今まで隠し通してきていたのか。虎杖には何も分からない、だから虎杖は綴に尋ねる。
「宿儺を、殺したかった?」
その問いに、綴は絶対に答えてくれると確信して虎杖は言葉を吐いた。
「どこから話せばいいか……それが子蜘蛛も本能というか……だから、俺が死ねば俺の中にいる子蜘蛛はお前に襲いかかる。宿儺がさっき言ってたのは、そういう意味だ」
子蜘蛛、という聞きなれない言葉を聞いて虎杖は首を傾げる。
綴はああそうか、と子蜘蛛の説明を始める。時間が無いので酷くざっくりとしたものであったが、それでも虎杖が子蜘蛛の驚異を知るには充分であった。
「じゃあ、その子蜘蛛は宿儺を祓うために産まれたから、先輩は宿儺を殺したかったってこと?」
「そうだ…………いや、違うな、元々子蜘蛛になる前から、俺は宿儺が憎かった……」
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小さい頃から呪いが見えていた。父親は呪いだとか、そう言うのが嫌いで、綴と母親は呪いが見えることを秘密にして生活してた。
ずっとそれが続くんだと綴は思っていた。
「母さん、あのね、父さんの肩にくろいのいる」
「そ、そうね……大丈夫よ、すぐにどっか行くから。だから絶対にアレは使わないでね」
「……うん」
当時4歳だったが綴にはハッキリと呪いが見えていた。感覚でだが呪力を流すこともこの頃にはできていた。
「どうしたんだ? 2人でヒソヒソ話なんかして、俺にも教えてくれよ」
「ひみつー!」
母親と秘密を共有することは嫌ではなかった。それが父親のためであれば尚更だ。
秘密さえ守っていればいい。約束を守る良い子でいれば誰も自分を嫌わない、家族でずっと一緒にいられる。
しかしそんな平和は簡単に崩れ落ちるものだった。
「父さん、なにかもってる?」
父親の鞄から嫌な感じがする。綴は堪らず父親に聞くと、彼はよくわかったな、と鞄の中身を取り出した。
綴りの手のひらにギリギリ収まるサイズの木箱だった。まさにそれから嫌な感じがする。
「父さんの仕事場に届いたんだよ」
「なんで?」
「さあ? でも、気にするような事じゃないからな。
全く、こんな物をいわく付きだのなんだのって……処分できないからって押し付けられちゃったよ」
当時の綴には父親が言っているは理解できなかった。それに記憶が曖昧でどういう経緯でそれを引き取ることになったかはさっぱりわからない。しかしそれこそが家族の不幸の始まりだった。