「これはどこに運べばいいですか?」
「それはリビングの方に頼むよ」
もうすぐ春休みも終わるぞとカレンダーが告げる中ごろ。 俺は今、ひたすらに荷物を運んでは戻るの作業を繰り返していた。 額には汗がにじみ足にも乳酸が溜まってきている……かれこれ2時間くらいは同じ作業を続けていただろうか。
「これで最後、っと」
トラックに積まれた最後の荷物を運びきりふかふかのカーペットが敷かれたその場へと崩れ落ちる様に胡坐で座り込む。 額の汗を手で拭い疲労している手足を伸ばしつつそのまま後ろへと倒れ込んだ。 するとコツンと頭の後ろに何かが当たり、見えるはずの天井は見えず代わりに健康的な肌色が見えた。
「お疲れさん」
そう言いながら指しのばしてきた彼女の手を握り――少し汗の滲んだ柔らかな感触を感じつつ、一気に起き上がる。
「疲れたー……これで終わりだよな?」
「残念でした、自家用車の方に積んである荷物がまだあるんだ。
まぁそっちの方はアタシとモモの私物が殆どだから自分たちで運べるけど……手伝ってくれるよな?」
「うへーい」と悲鳴か了解の意か分からない返事をしつつ彼女の横に着いて行く。
並んで歩いている彼女の名前は佐倉杏子、この教会のシスターだ。 今は茶色のブーツを穿き青色のホットパンツに緑色のパーカーを着て、綺麗な赤色をしたロングの髪の毛をポニーテールで纏めている。 随分とボーイッシュな格好だがツリ目な彼女には大分似合っていた。
ポニーテールを纏めている黒いリボンは実は俺が贈ったものだ……今更ながらつくづく自分はセンスが無いと思う。 さやかにあげた髪飾りもそうだが飾り気がなさすぎる。 しかし気に入ってる様なので俺としてはそれ以上何も言えなくなってしまったのだが。
「悪いな、引っ越しなんて手伝って貰っちゃってさ」
そう言いながら杏子は「たはは」と笑い少し頬を人差し指でかく。 つまり、今日の自分は佐倉一家の引っ越しを手伝っている日雇いのあんちゃんなのだ。
「いつもお世話になってるしな、力になれるなら手を貸すよ――よっと」
自家用車の荷台からダンボールを引っ張り出す。 これは大分軽いようなのでもう一つ持てるだろうと思い二つの段ボールを自分の胸の前まで持ってきて両手で運んでいく。
「さっすが男の子、アタシの分まで頑張ってくれよな!」
「いやいや、杏子も運んでくれよ」
軽口を叩きつつ二人で杏子の部屋へと私物を運び込む。
先ほど彼女の事をシスターと言ったが、シスターと言うからには勿論教会がある。 先ほどから荷物を運んでいるのは教会横にある神父さん一家の新しい家なのだ。 家族構成は神父さんに奥さん、姉の杏子に妹のモモの四人家族である。
運んでいる最中視線を逸らせば横にはすぐ真新しいが、こじんまりした教会が見える。 前の教会は古くなってしまってかなり老朽化したので場所を移して建て替えたのだが――前の教会に比べれば敷地面積は大分狭くなっていることだろう、半分以下だ。
「ここから、新しく始まるんだ」
教会を眺めていると横にいた杏子がボソッと、しかし透き通った声で呟いた。
「……そうだな」
基本的にカトリックやプロテスタントでは妻帯を許されていない事からも分かると思うが、佐倉神父はカトリックとプロテスタントの中間的な教派である聖公会(アングリカン・チャーチ)の神父だった。 ただ《元は》という言葉が接頭に付くのだけれど。
何故なら佐倉神父は聖公会からも破門されているのだ、理由は聖書の教えにない事まで説き始めたからである。 どうしてそんな事を始めたのかは他人である俺には分からない、しかし結果として信仰者は激減どころかほぼゼロになってしまった。
一時期はお布施も無く辛うじて貯蓄で生きているような生活だったそうだが、今では持ち直し小さいとはいえ新しい教会を建てられるほどの信仰を再び得る事に成功している。
「今でも家族みんなで笑いあっていられるのは、中沢のおかげだからな。
本当に、感謝してもし切れないよ」
「買いかぶり過ぎだ、どう考えても神父さんと奥さん、杏子にモモの頑張りがあったからだろ?」
杏子は事あるごとに俺に対してお礼を言ってくる。 本人が言うには「アンタがいなければ親父は一家無理心中まで行ってたよ」らしい。 あの優しい佐倉神父がそんな事をするわけはないだろうと一蹴しているのだが。 朝刊でニュースを見ては見ず知らずの人へ泣きながら祈り始める様な人なんだぞ?
それに俺が特段何かした覚えはないのだ。 昔杏子やモモにちょこちょこ着いて行って勧誘をしていたくらいで、成果は芳しくなかった。
「捨てる神あれば拾う神あり、か。 その通りだね」
「神父さんの教義の一説だな、急にどうしたんだ」
「何でもない、ハァ……知らぬは本人ばかり。
――どれだけアンタに救われたか、分かってないんだ」
後半の方は小声で何を言っているのか聞き取れなかったが、大きなため息をついているので愚痴か何かだろう。 さて、話もそこそこに荷物を運んでしまおうとスピードを上げて行った。
◆
今日はついに引っ越しの日。 同時にアタシ達一家が新しく始まる日でもあるんだ。
町内会が所持しているトラックと自家用車をフル活用して元実家から次々に荷物を新家の前へ運び込んでいく。
教会内部の配置は信仰者さん達にも手伝ってもらいつつ、アタシ達の私物は中沢に手伝ってもらっている。
家の方のリビングへと行くとアイツがリビング最後の家具を運び終えたみたいでゴロンと寝転がる最中を発見。
ねぎらいの言葉を言いつつ手を差し伸べるとそれを支えに一気に起き上がる。 男の子特有の少しゴツッとした、汗ばんだ手を放すのが少し名残惜しかった。
まだ私物があると告げると何とも言えない気の抜けた返事が返って来て、 何となくあたしも気が抜けてしまう。
場面は変わりアタシの私物を運んでもらっている途中だ。 ふと中沢の方へと視線を向けるとアイツは新しい教会を眺めていた。
「ここから、新しく始まるんだ」
アタシも釣られて教会を眺めていたら無意識のうちにそんな言葉が漏れ出てしまっていた。
「そうだな」なんて、他人事のように言っている中沢。 分かってない。 自分が何をしたのか分かっていない。
親父が聖公会から破門されてはや数年。 破門の理由は教義にない事を説いたから。
怪しい新興宗教とでも思われたのだろう、初めてその教義を説いた時にはどんどん教会から人がいなくなった。
次々と教会を出て行く人に向かってアタシは叫んでいた。 もうちょっとだけ聞いて行ってください、そうすれば皆だって分かるから……それでも足を止めてくれる人は居なかった――アイツ以外は。
聞いている人が一人になった状態でも親父は説き続けて、親父の声だけが響く中ジッと教台の上を見つめ続けているアイツ。
そして教義が終わってアイツは親に連れられて帰って行った。 何も言わずに行ってしまった中沢の背を見つめるアタシ達家族には諦観の念しかなかっただろう。
その夜の食事は静かだった。 親父は涙を浮かべて一言「頑張るよ」、その時の表情は今でも忘れられないほど悲しい目をしていた。
次の日の朝、教会を見たアタシは絶句したんだ。 所々窓が割られていて、見たくもないような文字が綴られていた……それを必死に消している父と母。
親父達に「少し向こうに行っていなさい」と言われモモと一緒に敷地の出入り口で座り込む。 教会の前を通る人達には元信者の人も居たようで冷たい目線を投げかけてきて、時には此方を見つつひそひそと何かを呟いている人もいた。
悔しかった。
誰も親父の話を聞こうとしなかったのが悔しかった。
新しい時代を救うには新しい信仰を、親父はそう言っていた。 何も間違った事なんて言っていない。 ただ少し人と違う事を言っただけ……五分でよかったんだ。 それだけ聞いてくれれば誰にだって正しいって分かる。
当たり前の事を説いているだけなのに、それでも聞いてくれる人なんていなかった。
そんな時だった、一人アタシに喋りかけてきた奴がいたんだ。
「どうしたの?」
アイツだった。 いつも教会に託児所代わりに、学童保育の代わりに預けられていた子。 昨日一人だけ最後まで聞いていてくれた子。
「今日はお話、ないの?」
アタシは駆けていた。 モモとソイツの手を握って親父のところまで駆けて行った。
「コイツが、お父さんの話聞いてくれるって!」
「……本当かい?」
暗い雰囲気で壁を磨いていた親父は此方に顔を向け、手を引っ張られて訳の分からないまま連れてこられたアイツに向かって聞いた
無言で頷くアイツ。 「なら、教会の方へ移ろうか」 両親は今までの雰囲気を一新して笑顔になっていた。
再び始まった一人だけに向けての説教。 昨日と同じで無言で聞き続け、また帰る時間になったのか両親に連れられ無言で帰って行った。
次の日も次の日も、一人だけに説教をし続ける毎日が始まったんだ。 それでも日に日に教会の状態は悪くなる。 アイツが居る間はずっと笑顔だった両親も表情が強張ってくる。
たまにアイツが来ない日は布教活動にも勤しみ、それも上手くはいかず水を掛けられる様なありさま。 家族の雰囲気は最悪。 幸い親父は暴力を振るったり、酒におぼれたりするような人ではなかったから一線を超える事は無かったけど……笑顔は少なくなっていった。
今日もアイツが居ない日だった。 布教活動に行こうとした時、一人の杖を突いた老人が訪ねて来たんだ。
「おや、今日は説教はないのですかな?」
アイツ以外で初めて親父の教義を聞きに来た人――今日行われた説教には一層熱が入っていた。 アタシも、モモも、母親も、熱心に聞いた。 老人も時折目を閉じ頷きながら聴き入っていた。
そうして終わった説教の後、親父は老人に「何故この教会へ?」と問いていた。 問わずにはいられなかったんだろう。 今まで人っ子一人来なかったのだから。
「とある少年に助けられたのですよ」
老人は少し前に少年に助けられたと、それは本当に些細な事だったらしい。 大きな荷物を運んでいた時少年が手伝ってくれたんだと。
「ありがとう、おかげで助かったよ。
今は飴しかないが……これでいいかね?」
そう言って差し出した飴を少年は受け取らなかった。 少し怪訝に思い理由を聞いてみた、するとこんな返答が帰って来たらしい。
「当たり前の事をしただけだから、お礼は要りません。
神父さんが言っていたんだ、当たり前の事を当たり前にしていれば、世界はこんなにも素晴らしいって。
だから、お礼は要りません」
その時に教会の場所を聞いたのだと続けた老人。
それを聞いた親父は、母親は、アタシは泣いていた。 親父の教義をしっかり理解してくれる人が居る事に。 それを実践してくれていた事に。
ありがとうございますと、神に祈りを捧げる様に泣きはらしたアタシ達に、もう暗い雰囲気なんて無かった。
そしてその日を境に教会に段々と人が増えて行ったんだ。 どうやらその老人は町内会長らしく、この街ではそれなりの地位を持っている人だった。
最初のうちは老人に取り入ろうとした人達が多くいたのだけどそんな人たちも親父の説教を聞いている内に教義を理解してくれて――
ご当地教会みたいな感じにはなってしまったけど、それでも親父の話を聞いてくれる人がいっぱい来てくれるようになったんだ。
親父は勿論アイツに感謝した、そしたらなんて帰って来たと思う?
「神父さんに言われたとおりにしただけだよ。
だから褒められるのは、神父さんだね!」
そんな事を言うアイツに親父は「ありがとう」と一言言ってまた泣いていた。
こんなことがあったのに中沢は「なにもしていない」なんて、「当たり前の事をしただけだ」なんて。
分かっていない、どれだけアタシ達を救ったのか。
「何でもない、ハァ……知らぬは本人ばかり。
――どれだけアンタに救われたか、分かってないんだ」
こんなことを呟いてしまうのは仕方ないんじゃないかと思う。 相変わらずとぼけた顔をしてるけど。
――そんな奴だからこそ、アタシはアンタが好きになったんだ。
最近は美樹さやかって奴の話も少なかったし、安心していたけどこの後またソイツの話が出て不機嫌になってしまった。
全くオンナゴコロが分かってない。 そんな中沢はきっとアタシの気持ちにも気づいていないんだろうな……。
だから、待ってろよ美樹さやか! もうお前には負けない、次の新学期からは――
◆
杏子とモモの私物の運搬も終わり、現在リビングでちょっと豪勢な夕ご飯を頂いている。
杏子の私物も整理しようとしてダンボールを開けたらまさか下着類が入っている物とは露知らず、杏子に説教を食らってしまったのはご愛嬌。 ただその間の杏子は顔を背けていたが真っ赤になっていたのが丸わかりだった。 ごめん、もう年頃の女の子だもんな……。
「ありがとう、中沢君。
君のおかげで大分捗ったよ――バイト代はやっぱり受け取ってもらえないかな」
神父さんからお金を渡されそうになったけどそれは断っておいた。 お世話になったお礼なのだからさらにそのお礼なんて要らないだろう。 当たり前の事をしただけだ。
「中沢さんは少し謙虚すぎますよ」
今発言したモモは今年小学生高学年にあがる年齢。 教会に預けはじめられた頃から杏子も含めて三人で遊んでいたが成長と言うのは早い物だ。 まだ中学生の自分が言えた事ではないけれど。
「ふふ、ならその代わりに今日はたくさん食べて行ってね」
杏子の母親は常に笑顔が絶えない人だ。 とても優しい人で神父さんとは正にお似合いと言った感じである。 ちなみにモモは母親似、杏子は父親似だろうな。
「ふんっ。
アタシの……アレ見たんだ! それでバイト代なんて帳消ししてお釣りがくるくらいだよ」
「ごめんって、気づかなかったんだ。 今度お菓子持って来るからさ、な?」
「……ロッキー」
いっぱい持ってこないと許さないからな、なんて言われてしまった。 ロッキーとは棒状のクッキー生地にチョコを塗ったお菓子だ、杏子のお気に入りのお菓子である。
「もう、杏子ったら。
そんな次会う約束をこぎつけなくても毎週来てくれてるのに。 それに学校が始まったら――」
「わー!わー! 母さんそれ言ったらダメだろ!」
学校が始まったら、なんだろうか。 「あらあら」と誤魔化している母親に「お姉ちゃんってやっぱり不器用」と嘆息しているモモ。
女三人寄れば姦しいと言う奴か、男に入る余地は無いので神父さんとお話を続行する。
「新しい教会はかなり俺の家から近くて通うのが簡単になりましたよ。
これなら学校帰りとかも寄れちゃうなぁ、迷惑じゃなければ時々訪ねてもいいですか?」
「勿論だ、何ならここに住んでもいいんだよ。
私たちは君の事を家族と思っているからね、いっそ婿入りしないか?」
婿入り……年齢的にモモはありえないからするとしたら杏子が相手だろう。 修道服の杏子に神父服を着た自分を思い浮かべ――ダメだ、杏子は似合うけど自分には似合わない。
「俺に神父服は似合いませんよ」
「そうかな? でもいつかは着て欲しい物だ」
いつか着て欲しいというのは最近神父さんがよくいう事だ。 この前奥さんが俺の服のサイズを聞いて来ていたがまさか本当に作っているわけではないよな?
進路の一つとして教会に努めるというのも考えたが今のところはその予定は無い。
「まぁ、もし真剣になりたいと言うのならいつでも言ってくれ」
結構目がマジだったが、それはそれとして他愛のない話をしつつ夕ご飯は食べ終わった。
あまり遅くまで居座るわけにもいかずそろそろお暇しますと言おうとしたのだがもうちょっと良いだろと言う杏子に連れられ、現在彼女の部屋にいる。
「おー……凄い女の子女の子って感じの部屋だ」
「アタシの事なんだと思ってたんだ? と言うかそれ喧嘩売ってるだろ!」
下着を見てしまった後に直ぐに追い出されてしまったの仕方なくモモの手伝いをしていたのでしっかりと部屋の中を見るのかこれが初めてだ。
赤がイメージカラーだと思っていたのだが淡いピンク色のもまた合う。 モモが持っているのとお揃いのクマのぬいぐるみもあった。
しかしさっき見た下着といい予想以上に女の子を感じさせる……イカン、見た下着を杏子に当てて想像してしまった。
「おい、今変な想像したろ!」
ベッドに置いてあったクッションでばふばふと叩かれる。
負けじとこちらもクッションで応戦しするが、 お互いに筋肉痛を加速させるだけな事に気づいたのは疲れ果たしてカーペットに寝転がってからだった。
「……今日は、引き分けな」
「――もうやりたくないよ」
心からの叫びだった。
そのあとはクッションに寝転がりつつ昔の話をして解散となった。
杏子は部屋から出て教会の敷地前まで寄り添って見送ってくれて、 「ロッキー、忘れんなよ」と釘を刺されてしまったのでしっかり買っていこうと思う。
「そういえば、中沢が通ってる中学校って見滝原中であってるよな?」
「ん? そうだよ、市立見滝原中学校」
「そっかそっか……」
神妙な表情をして頷いている杏子。
「んじゃな、また――」
「うん、また教会で」
「……」
その表情と最後の沈黙の意味を知るのは、学校が始まって直ぐだった。
◆
家に帰りお風呂に入り終わりベッドへとダイブ。 今日は肉体労働だったので普段あまり体を動かさない俺の筋肉は悲鳴を上げていた。
もうちょっと筋トレとかした方がいいのだろうかと考えつつ太ももやふくらはぎを揉み解していく。
明日が終われば次の日はもう学校だが、結局最後の休みは何をすることもせず、ひたすら筋肉痛に悶える一日で終わってしまった。
アイツ等と同じクラスになれればいいなぁ――
ご読了ありがとうございました。
表現が足りない、助長すぎる等の指摘は大歓迎です。