○人間
鉄血指揮官:鉄血生まれ鉄血育ちの金髪碧眼の青年。
○艦船
プリンツ・オイゲン:アドミラル・ヒッパー級の2番艦。指揮官とは最も付き合いの長い艦船であり、軍艦だった頃は抱かなかった気持ちを指揮官に対して抱いている。
アドミラル・ヒッパー:アドミラル・ヒッパー級の1番艦。プリンツ・オイゲンの姉。妹にはスタイルについてよくからかわれている。基本的に指揮官には辛辣に接している。
「Guten Morgen.指揮官。いつものように遅いお目覚めね。あなたもようやくビールの素晴らしさを理解したのかしら」
「Guten Morgen.《プリンツ・オイゲン》。あの泡塗れの炭酸が素晴らしいだって? お前こそ酔いが抜けていないんじゃないのか? 少し風に当たってくることを勧めるよ」
海軍の尉官服を身に纏った青年が、秘書艦用の机で書類をまとめている少女とどこか刺々しい挨拶を交わす。しかし、これがこの母港の朝であった。謎の生命体『セイレーン』が地球の海に現れて早数年。各国はかつて存在していた軍艦の名と魂を持った少女たちを生み出した。
それが艦船と呼ばわる存在であり、彼女たちは自国の海と国民を守るために日夜戦場となる海域へと赴く。人の形をした艦船たちは本物の人間と同じように飲食を必要とし、喜怒哀楽の感情を有し、そして恋心を抱く。この母港において秘書官の業務を最も長く勤めているこの《プリンツ・オイゲン》という少女もまたその一人であった。
「お気遣いどうも。でもどうせならあなたと二人で当たりたいわね。ずっと黴臭い部屋で書類を弄っていたら本当に艤装にカビが生えてしまいそうだから」
「それはご苦労。で、母港に何か変わったことはないか?」
「何もないわね。あなたが私のベッドに夜這いにでも来ない限り変わりそうにないわねこの母港は」
「そうか。ならその平和を享受しようじゃないか」
ははは、と乾いた笑いを浮かべながら自分の机に座る指揮官。このプリンツ・オイゲンは指揮官が新米の頃に教導艦として派遣された艦船であり、今と違って戦力も十分でないこの母港を身一つで支えてきたベテランである。
彼女は元は戦いのためだけに存在していた兵器であるが、人の姿と人の心を持って生を受けた彼女は、この指揮官に積極的にアプローチをしていた。時に際どい水着を纏い、時にはるか東の国の艦船から譲り受けた着物なる衣服を着てみるものの、未だに上手く行っていないのが現状だ。
「平和ばかりでは物足りないわ。そうね……あなたが私にその机の鍵のかかった引き出しにしまい込んでいるケッコン指輪を渡したりとかしてみればこの母港ももう少し活気づくと思うのだけれど?」
「活気? 殺気の間違いだろう。俺は平穏無事が好きなんだ」
「軍人らしからぬ思想ね」
「軍人なんて本来は存在しない方がいいんだよ」
「……そうね」
プリンツ・オイゲンは呟くように同意の言葉を漏らした。有事に備える軍人が存在しなくなったのであれば、戦うためにこの世界に誕生した自分たちの存在はどうなるのか。ということを彼女は聞くことはできなかった。
*
「Guten Tag。ヘタクソバカドジアホマヌケ指揮官」
出会うなりにこれでもかという罵詈雑言を並びたててくるのはアドミラル・ヒッパー級の1番艦でプリンツ・オイゲンの姉である《アドミラル・ヒッパー》。銀髪でグラマラスなオイゲンの姉でありながら、その容姿は金髪にスレンダーとオイゲンとは真逆といったものだった。
「Guten Tag。ヒッパー。どうした? またオイゲンにつるぺたを弄られたのか?」
「もう慣れたわよそんなの。それよりあんたにいい加減言いたいことがあるんだけど」
「……何だ?」
太陽が真上に昇る頃、食堂で昼食に舌鼓を打っていた指揮官。そんな指揮官の前に立ったヒッパーは食堂のテーブルを思い切り叩いた。時間の割に静かな食堂には彼女が机を叩いた音だけが響く。
「あんた、気付いてるんでしょ? オイゲンがあんたにどんな感情を抱いているかを」
「……そういう話はこういうところでするようなものじゃないと思うが」
「確かにそうかもしれないわね。でも、こういう衆目のところでやるからこそ意味があるのよ」
もしヒッパーが誰もいないところに指揮官を呼びつけて忠告すれば、そのことを知るのは指揮官とヒッパーの二人だけになる。デリケートな話をするのであれば、そうするのが常識的だろう。しかし、それでは二人しか知り得ないこととなる。だが、敢えてこういった衆人環境ですることで、自然と指揮官の外堀は埋められてしまう。後に引くことを許さない、というヒッパーの決意の表れだった。
「あの子は、オイゲンはあんたのことを特別な存在だと思ってる。あんたもそれに気付いているんでしょう?」
「……そうだな。そうと言えば嘘になる」
「だったら……!」
「だが、お前たちはいつも戦場に赴く。そして毎回のように戻ってくるが、果たしていつまでもそうはいられるだろうか?」
指揮官として、軍人の端くれとして。見たくないものをたくさん見てきた。セイレーンの攻撃で父を、息子を、愛する人を失った人の涙を。大事なものを失うということは、一言では表せないような傷を残す。そしてその傷は身体の傷とは違って一生消えることはない。
「俺は今でこそ指揮官として母港で指揮を取っているが、戦線次第では前線に出るだろう。そしてお前たちを危険な海域に送り込むこともある。無事に帰ってこれない危険性だってあるんだ。俺は残す辛さも味合いたくないし、残される辛さも味合わせたくないんだよ」
「……」
「わかってくれたか、ヒッパー?」
「あんたバカぁ?」
ヒッパーは胸の下で腕を組み、深いため息を付く。その目は怒りというよりも呆れに満ち溢れていた。
「ねえ、指揮官。あたしたちの国名……鉄血の意味はわかるかしら?」
「困難に直面した時、鉄(武器)と血(兵士)によってその問題は解決される。過去の偉人の言葉だ」
「教科書通りの解答どうも。30点ね」
「100点の解答は?」
「……いい? あんたみたいなアホで救いのない男にこの私が直々に教えてあげるんだから感謝しなさい。鉄血というのは、“鉄よりも固い結束”と“血よりも濃い絆”を表わすのよ! 鉄の結束と血のような絆を持った私たち鉄血の艦船が、あんなセイレーンなんかに沈められるわけないじゃない!!」
ヒッパーの言葉が本当に100点の解答とは到底思えなかった。納得などできるわけがない、と思いつつも指揮官の身体は自然と執務室に向かって走り出していた。
「待ちなさい、指揮官!」
「……何だ」
「あの子は、戦闘においては堅い守りで私たちを守ることができる。でもそれ以外のことに関しては結構脆いところがある」
「なら、俺が守る。それでいいか」
「上出来よ、行きなさい!」
全くもう、と去っていく青年の背中を呆れながら見つめるヒッパー。その目は、間違いなく一人の姉として優しさに満ち溢れていた。
*
「指揮官? どうしたのそんなに息を切らして。またドイッチュラントが拗ねて部屋にでも引きこもっ―――」
執務室で淹れたてのコーヒーを指揮官の机に置いたオイゲンを、指揮官は思い切り抱きしめた。真正面からいきなり抱きしめられる形になったオイゲンは目を白黒とさせており、クールな彼女は珍しく動揺している様子だった。
「し、指揮官? な、なんなの突然」
「俺は今まで自分の正直な気持ちに嘘をついていた。失うことを恐れるあまりにな」
「……大方ヒッパーあたりにも吹き込まれたのかしら。突然にも程があるわよ」
「突然で悪かった。もっとドラマチックなシチュエーションが好みだったか?」
「いいえ。指揮官、あなたと一緒なら母港の見回りだってドラマチックよ」
指揮官はオイゲンを抱きしめながら、少しだけ顔を離した。指揮官が正面に立ち、オイゲンが彼を見上げる形になる。彼女の白く美しい顔は仄かに赤く染まっていたのがわかった。
「プリンツ・オイゲン、俺の言葉を聞いてほしい」
「……ええ、どうぞ」
―――Ich liebe dich.―――
指揮官の言葉を聞いたオイゲンはまるで太陽のような微笑みを見せた。そして、こう返した。
―――Ich liebe dich von Herzen.―――
ギャグメインで行きたかったのにいきなりシリアスめのものを書いてしまうという。
鉄血艦はいいぞ。