赫炎と蒼氷   作:bear大総統

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第2話

 破軍学園教師陣を震撼させた超ルーキーの編入してくることが決定してから季節は巡り、春がやってきた。

 

 もうしばらく経てば桜花の花弁が舞い散り、新入生を出迎えるだろうここ破軍学園正門前では新宮寺黒乃が黒塗りの高級車に背中を預け、澄み渡った大空に向かって紫煙を吐いていた。

 一見すれば煙草休憩などという、一学園の理事長らしからぬ行為に批判の声があがろうものだが、あいにく彼女は職務を放り出して煙草を吸っているわけでもない。

 

「──御待たせ致しました。黒乃さん」

 

 響く銀鈴を思わせる美しい声が黒乃の鼓膜を優しく打った。

 そちらを向けば青い和装の少女が礼をし、微笑む。僅かな所作なれど、その一挙手一投足から滲み出る優美さは、黒乃の眼を引き付けるのには充分すぎた。

 

「いや、待ち合わせ15分前だ。私が早めに待機していただけだから問題ない。……それにしても何度見ても見事な振る舞いだ」

 

「ふふ、ありがとうございます。しかし雪霞(ほんけ)にいた頃よりも環境が少々緩くなっておりますので、不手際もあるやもしれません。ステラ姫からはお目こぼししていただけるでしょうか」

 

「何、お前の美貌にその精錬された所作が合わさるんだ。息を飲んで何も言えなくなるだろうよ」

 

 和装の少女──雪霞蒼歌は「だといいのですが」と口許を隠し小さく笑い、車に乗り込んだ。

 

 多くの学生達が春の余暇を楽しんでいるだろうこの時期に彼女達がいるのも、先の『ステラ姫』なる人物に関係する。

 

 ステラ・ヴァーミリオン。

 

 それは蒼歌に負けず劣らずの美貌と、多くの男達を魅了してやまぬ扇情的な体つき、そして世界で世界最大の保有魔力量を誇る少女の名だ。

 それに加えて、日本と同じく《国際魔導騎士連盟》──以下《連盟》──に属するヴァーミリオン皇国の第二皇女という立場にある彼女は『天は二物を与えず』という言葉に真っ向から否定している。

 

 さて、そんな彼女がわざわざ辺鄙な極東の島々である日本にやってくることになったのは、ここ破軍学園への入学を彼女が希望したためである。

 そのため彼女が来日する本日、出迎え役として理事長である新宮寺黒乃と彼女に護衛役として指名された蒼歌は、こうして校門前で待ち合わせをしていたわけなのだが。

 

「しかし、良かったのですか? 黒乃さんがいるとはいえ名目上私は護衛。だというのにこのような服装で来てしまって」

 

 蒼歌が自身の服装を改めて見て言う。

 彼女の服装は国賓を出迎える服装としては問題ないものだが、護衛として──つまり、ステラ・ヴァーミリオンに仇なす不貞の輩を迎撃するのには少々不安が残る。その和装は着流しではなく、しっかりと帯を巻いたものであるために少々動きにくいためだ。

 だが黒乃は彼女の言葉に対して、問題ないだろうと返した。

 

「お前は着ている衣服の違いで戦闘力が下がるのか?」

 

「いえ、そのようなことは。しかしマスメディアからの眼もありましょう」

 

「それならばなおさら問題ない。おそらく奴等はお前が護衛の役割を果たすなど大した問題にはせんだろう。それよりはお前達二人のツーショットでも撮って、お前達の美貌の触れるだろうさ。ならばお前が和装でいる方が都合がいい」

 

 夜の闇をそのまま編み上げたような艶やかな濡れ羽色の髪に、海原を閉じ込めたような美しい瞳。そして着物に合う、どちらかと言えばスレンダーな体型。それに雪霞にて鍛えられた所作が合わされば、彼女の美貌をより引き立てさせる。

 

 ステラの美しさを地上を燦然と照らす太陽であるとするのなら、蒼歌のそれは宵闇に閉ざされた地上に優しい光をもたらす月。

 そんなベストコンビをあの文屋達が逃すわけがないだろうと黒乃は語った。

 

「それにヴァーミリオンは日本のアニメや漫画、お笑い番組で日本語を覚えたらしい。なら日本文化の結晶たる和装が嫌いであるはずがあるまい」

 

「ならば良いのですが」

 

 そんな業務じみた会話や、日頃の雑談──といっても黒乃の仕事量の多さに関する愚痴がほとんどだったが──などをしている間に彼女達を乗せた車は空港へ到着した。

 瞬間、彼女達の眼にはいるのは多くのマスメディア関係者達の車。それを裏付ける文屋達の集団が空港内を席巻しており、一般客の移動の邪魔をしていること請け合いだ。

 

「…………大丈夫か?」

 

 あまりのマスコミ関係者の多さに黒乃が蒼歌に心配げな視線を向けると、問題ありませんとばかりに小さく頷き、彼女は黒塗りの高級車から降り、マスメディア関係者達の前にその姿を露にする。

 

「《蒼氷》だ! 《蒼氷の戦乙女(ブリュンヒルデ)》がいるぞ!!」

 

「うっそ!? なんで去年の七星剣王が!?」

 

 報道陣のカメラのおおよそ5割が彼女の方に向けられ、彼らはシャッターを切る。

 それも当然だろう。彼女は昨年の七星剣舞祭──学生騎士達が集い、日本一の騎士を決める祭典である──にて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そのような前代未聞の勝利の仕方をした上に、黒鉄と並ぶ名家の息女。そのうえ現雪霞家当主が『歴代最強』と明言したことで、彼女はそこらの芸能人よりも遥かに有名なのである。

 

「失礼致します、皆様。私も仕事で此方に来ている身でございます故、少々道を譲ってはいただけませんでしょうか?」

 

 彼女の物腰は非常に柔らかであり、同じように彼女以外の有象無象が同じような態度をとったのであれば間違いなく道を開けなかっただろう。しかし彼らは物を言わせぬ威圧をどこからか感じ、その道を彼女に譲った。

 それを第三者から見れば、海を割って捕囚を救いだした預言者の如く映ったことだろう。

 

「ありがとうございます」

 

 彼女は小さく礼を言い、人が開けた道を悠然と進む。その間もシャッターが切られることになるのだが、そのような些末事を一々気にかけていては国賓の護衛など務まりはしない。尤もそれを学んだのは七星剣舞祭にて優勝を果たしてからなのだが、それわざわざこの場で言う必要もないだろう。

 

 そうして開かれた道を進み、紅蓮──ステラ・ヴァーミリオンが彼女の視界に入る。

 

 燃え盛る炎を体現するようなウェーブがかかった深紅の長髪。日本人とは異なる種の美貌に、ルビーを思わせる瞳には自信で満ち溢れている。童話の世界から飛び出してきたような姫の姿には、性別関係なく釘付けにすること間違いなしだ。

 しかし蒼歌の気を惹いたのはその身に意識することなく宿した、無色の魔力とでも形容すべき魔力の量である。一般的な伐刀者の纏うそれは多少質の良い防弾ジャケットほどの役割しか果たさないのだが、ステラのそれは堅牢な鎧にも匹敵するだろう。

 流石は世界最大の保有魔力量──彼女の魔力量は一般的な伐刀者の30倍であると言われている──を誇る傑物だ。蒼歌とて魔力量が決して少ないわけではなく、むしろ多い部類に入るのだが彼女には到底及ばない。

 

 まさしく彼女は意思を持った要塞なのだ。

 

 鬱陶し気にマスメディアの対応をしていたステラと、開けた道を威風堂々として歩んできた蒼歌の目線がぴったりと合う。その表情の変わりようはもはや別人であったのではないかと思わせるほどだ。

 

「あなたがアオカ・ユキガスミね! 会えて嬉しいわ!」

 

 今まで隠れていた飼い主を見つけた時の犬のような人懐っこい笑みを浮かべながら、彼女は蒼歌の手を両手で包み込む。新宮寺から予め日本語を覚えた旨は聞いていたが、まさかここまで流暢な日本語を話されるとは思っていなかったので少々呆気にとられたが、そこは名門の息女。

 それを表情に出さず、静かに微笑んで彼女に返す。

 

「私もあなた様とお会いできて嬉しゅうございます。ステラ・ヴァーミリオン皇女殿下」

 

「凄く丁寧な日本語ね! それに着物も。あなたのような女性を確かヤマトナデシコというのよね?」

 

「まぁ、とてもお上手でいらっしゃいますね」

 

 雪霞の女たるもの、常に優雅たれ。

 それが家訓であったために礼儀作法に舞踊、その他諸々を祖母達から仕込まれたため、彼女自身はこうあるのが常であった。しかし自分に負けず劣らずの作法を教え込まれたであろう彼女の真っ直ぐな称賛は聞いていて気持ちがいい。

 

「さて、殿下。このような場所では落ち着いてお話をすることすら儘なりません。お車を用意しておりますので、どうぞこちらへ」

 

 まるで貴婦人をリードする紳士が如く、彼女の手を拝借すると蒼歌はマスメディアの人間で作られた回廊を歩んでいく。

 

「流石は《蒼氷》だ。様になるなぁ……」

 

「おい、見惚けている場合じゃねぇぞ。写真とれ、写真!」

 

 彼女達のツーショットに誰もが目を惹き付けられ、カメラマンの撮った写真がろくに使えるようなものではなかった、というのはまた別のお話。

 

◼️ ◼️ ◼️

 

 雪霞蒼歌が一仕事を終え、自室である破軍学園寮の一室に帰宅しようとしたとき──そこには一人の男がいた。

 

 黒の短髪の所々に走っている赤いメッシュ。それと同じく燃え盛る炎をそのまま宝石にしたような紅蓮の眼。顔立ちは整っていないわけではないが、絶世の美女である蒼歌と横に並べば見劣りする、中の上ほどに位置するであろう顔。

 

 しかし蒼歌が気に気に留めたのは顔などではない。顔面の美しさなど人の本質を理解する上で何の役にも立たないと彼女は理解しているからだ。

 

 彼女にとっては見慣れた、破軍学園の制服に包まれた彼の肉体。それは確かな理念を以て作られた戦士の肉体だった。

 筋骨隆々というわけではないが、見映えを良くするためだけに付けられた無駄な筋肉は一切見当たらないそれは、大自然のなかで自ずと鍛えられた獣のそれを連想させる。

 

 その男を自分は知っていた。尤も相手は自分の事を知らないはずなので、あくまで一方的にであるが。

 

「失礼致します。……緋宮獅童さん、で間違いございませんか?」

 

「ん? あぁ、ってことは──」

 

「はい。貴方のルームメイトの雪霞蒼歌でございます。以後、お見知りおきを」

 

 男──緋宮獅童は彼女を見て小さく安堵の息を漏らした。

 

「相手が女だってことは聞いてたからな。事前に合鍵は貰ってたが、勝手に入るのは流石に憚れるだろう? 早めに帰ってきてくれて良かったよ」

 

「それは失礼致しました。少しばかり外に出ておりまして」

 

「別にいいさ。そこまで待っちゃいない。……入って構わないか?」

 

 彼の言葉に蒼歌は思案する。

 想起するのはこの扉の向こう、自室の部屋の中身だ。自分が男に見られて──というよりは他人に見られて困るものは部屋にあっただろうか?

 着物の類いはしっかりとクローゼットに仕舞ってある。学園の制服はハンガーに掛けられているし、下着の類いも部屋に散乱しているというだらしないことにはなっていない──そんな真似をすれば実家でも折檻ものだったから、端から発想がない──し、と数々と思いを馳せたところで、彼女は致命的なものが部屋の中に存在していたことを思い出した。

 

「…………緋宮さん。誠に申し訳ございませんが、あと十五分ほどお待ちいただけないでしょうか?」

 

「あ、あぁ。了解」

 

 急に沈痛な面持ちになった蒼歌に獅童は、『よほど俺に見られたくないものがあったのか』と思ったものの、わざわざ地雷を踏み抜くほど意地の悪い性格ではない。

 謝る彼女に気にしなくていいからと小さく笑って、彼はスマートフォン──学園から配布されたものとは別のものだ──をポケットから取り出してメールなどをチェックを再開する。彼はこう見えて自分宛にメールが来ることが多い人間なので、それに対する返信や内容を読んでいれば自ずと時間は過ぎていく。

 現に蒼歌が帰宅するまでの時間、彼はスマートフォンをチェックして時間を潰していた。

 

 そうして数分が過ぎた頃、不意に貰ったばかりの生徒手帳が震えた。

 破軍学園の生徒手帳は生徒の身分を証明するという生徒手帳本来の役割を果たすのは勿論、電話にネット検索などなどの機能も付属した高性能なスマートフォンとしても活躍する優れものなのだ。

 彼は画面に表示された名前に首をかしげたものの、即座に電話に出た。

 

「どうしたんですか、理事長」

 

 電話の主──破軍学園理事長にして元世界3位《世界時計(ワールドクロック)》の異名を持つ女傑、新宮寺黒乃は急にすまんな、と一言断ってから、

 

『お前、雪霞にはもう会ったか?』

 

「えぇ、今は部屋の掃除をしてると思います。何か用があるなら伝えときますよ」

 

 そこまで厚くもない扉だ、部屋の中に入らずとも外から大きめの声で呼べば充分聞こえるだろう。

 

『そうか、ならば理事長室に来るように伝えておいてはくれないか?』

 

「了解。そんだけで良いですか?」

 

『構わん。詳しい用件はこちらで話す』

 

 電話先で吐かれる大きな溜め息。過労、というほどではないが確かに疲労を滲ませたそれに、また心労でも増えたかなと思う。

 これは片付けを一旦止めさせ、至急彼女を向かわせた方がいいか。

 獅童は「雪霞」と扉で部屋の片付けに勤しんでいるであろう彼女に呼び掛ける。

 

「はい、なんでしょう?」

 

「理事長がお前を呼んでる。多分急ぎの用事だ」

 

「黒乃さんが? 特段叱責されるようなことをした覚えはありませんが……緋宮さんも向かわれるので?」

 

「あぁ、乗り掛かった船だ。それにどうせ待ってても暇だしな。付き合う」

 

 彼女の口ぶり──もそうだが部屋から漏れてくる物音が大部分だ──からして部屋の片付けは未だに終わっていない。

 もしもここで待っていようとすればまた不審者扱いを受けかねず、ならばどこかに遊びに出掛けようとしても獅童はここ周辺の地理には明るくない。

 だが彼女の用事についていった方が簡単に時間を潰せるし、後で彼女と連絡を取り合う必要もない。多少の面倒事は被るだろうが、その程度彼は慣れたものである。

 

「場所はお分かりになられますか?」

 

「あぁ」

 

 それでは参りましょうか、と彼女達は理事長室へ向かったのだった。

 

◆ ◆ ◆

 

「……ないわー」

 

「それは擁護のしようもありませんね。黒鉄さん」

 

 理事長室へと向かった彼等を出迎えたのは二人の男女だった。

 女性の方は当然ながらこの部屋の主であり、積み重なる案件に疲労の色を見せる新宮寺黒乃である。

 しかし男の方は獅童に見覚えはない。

 年上の女性が好みそうな男にしては柔和な顔立ち。されど肉体は確かなロジックを以て鍛え上げられたもの。筋肉の付き方からおそらくは剣客だろうと彼は辺りをつけた。

 しっかりと背筋を伸ばせばさぞかし様になったのだろうが、現在は自分が仕出かした事の大きさに縮こまっているような状態だ。

 

 何故男──黒鉄一輝がそのようなことになっているのかというと、先まで蒼歌が護衛をしていた──なおそれはマスメディアにアピールするだけのお飾りに過ぎなかったが──ステラ・ヴァーミリオンと彼の部屋の中で鉢合わせたのだ。……着替え中で、下着姿になっていた彼女と。

 

 それだけならば獅童も蒼歌も擁護のしようもあった。

 彼らも異性であるルームメイトになっているのだ。気を付けはするが、そのような事態と無縁であるとは決して言えない。

 

 そも、そこまでなら根本の原因は異性とルームメイトになるという事態を作り出した黒乃に問題があるといって然るべきである。

 

 だが勿論のこと、事態はここで終わらない。

 なんと、この黒鉄一輝という男は『自分が下着姿を見てしまったのだから、自分も下着姿を見せるべきである』などという理解不能な供述を行いながら、脱衣したのである。

 

 これには流石の獅童も蒼歌も有罪判決を叩きつけた。獅童の場合、もし蒼歌がそのような真似をすれば役得であるのだが、男の場合は別だ。その素振りを見せた瞬間に《赫灼の拳(ファウスト・ヴァルム)》を顔面にぶちこむだろう。

 

「しかしどうする? 黒鉄が脱いだことを考慮しなければこいつに一切の非はないぞ」

 

「そうですね。黒鉄さんはただ日常生活を送っていただけですし、ステラ皇女殿下は手続きなど諸々で他の新入生の方達よりも早くいらっしゃっていただけ。互いに不幸な事故であったのだから此度の件は不問……にはできませんね」

 

「普通の学生ならばなんとか私の方で丸め込めたんだがなぁ。流石に他国の皇女様となればそうはいかん。最悪国際問題だな」

 

 このままならば、と黒乃は続けた。

 彼女の言葉に、一輝が勢いよく顔をあげた。皇女の柔肌を汚すという大罪──下着姿であったのでこの言い方は相応しくないが──を犯したにも関わらず、それが不問に処されるかもしれないとなれば希望に満ちた顔もするだろう。

 

「僕は何をすれば良いんですか!?」

 

「まぁ、そう急くな黒鉄。それにするのは雪霞だ」

 

 彼女曰く、一輝を呼びつけた後にステラとも話をしたらしく、そこで自分に出来ることなら可能な限り答えようと言った。

 そこでステラが提示したのは現学園最強の騎士──つまりは蒼歌との決闘。それを条件に一輝の減刑及び今回の事件を表沙汰にしないこととしたのである。

 

「そんで当の本人には事後承諾かよ。中々いい根性してんな」

 

「構いませんよ。私が殿下と手合わせをするだけで、ヴァーミリオン皇国との不和が防げるのです。安いものではありませんか」

 

 それにこの程度の強引さがなければ、あの方と友人関係になれよう筈がありません、と彼女は続ける。

 あの人が誰なのかは獅童に心当たりはなかったが、あとで好物のひとつでも奢ってやろうと決意する。

 

 そして一輝に男の度量を見せろと言い放つ黒乃。言う方は何てことないが、言われる方は堪ったものではない。パワハラここに極まれりである。

 そこで再び理事長質の扉が開かれる。言わずもがな、破軍の制服に身を包んだステラ・ヴァーミリオンである。彼女の目は赤く腫れており、ここに来る直前まで何をしていたのかは明白なことだ。

 

 そんな彼女には少しばかり、ほんの少しばかり悪いと思いながらも男である獅童の目線は彼女の胸部へと吸い込まれる。小説などでは双丘と形容されることも多い女性の胸部であるが、彼女のそれはもはや山だ。ここまで来れば卑猥を通り越してある種の神聖さすら覚えるそれに彼は内心で感嘆の息を吐く。

 

 そんな男の本能というべきものにある程度従っていなければ、彼はこの気不味い空気を味わっていなければいけなかったが、それは一輝が最初に頭を下げた事によってある程度は弛緩する。

 

 並みの男であればただの偶然で国際問題すれすれの事態になってしまったあげく、それを何とかできる立場の人間から『男の度量を見せろ』などという根性論を持ち出されてしまっては激昂してもおかしくない。だというのにそれに対して一切の怒りの色を見せず、素直に頭を下げられることは人間ができているという言葉で片付けていいものか。

 

 伐刀者の名家に生まれた伐刀者最低ランク(Fランク)──しかも規律を重視する黒鉄家に生まれた彼にとって、この程度の理不尽は大したことでもないのだろう。少なくとも雪霞家に生まれていれば、外面はかなり繕われるだろうがこのような仕打ちを受けてしまえば食って掛かることは間違いない。

 

「しかし……随分と仲がよろしいようですね」

 

「だな。俺達完全に空気になってるし。にしても、舌で吐いた息を味わうつもりとかどんなマニアックな変態だよ。流石にその発想はなかったわ」

 

 自分が年相応に助平心を抱えている獅童であるが、彼女が列挙したようなことはひとつも思い付かなかった。自分は全うに変態──そんな言葉があるのか彼は知らないが──をしていたのだと彼は理解する。

 というよりも一輝に変態変態と連呼しているが、そんな発想ができる彼女の方こそ真の変態なのではないか。

 

「やれやれ、これではいつまで経っても埒があかんな」

 

 そこで今回の事を招いた元凶である黒乃が一輝とステラの喧嘩──喧嘩腰なのはステラの方だけであるが──に割り込む。

 

「ならばこうしろ。二人で模擬戦を行い、勝利した方が部屋のルールを決めるんだ。己が剣で運命を切り開くのが騎士道なれば、これに異を唱える奴はいまい」

 

 その売り言葉に買い言葉。ステラは『負けた方は勝った方に一生服従』などという、自分が負けた際のことを微塵も考えていない条件を付け足し、部屋を出ていった。おそらくはFランクである彼に、Aランクである自分が勝てるはずもない、などと思っているのだろう。真実、彼女はそれを口に出していた。

 

 ならば──この勝負は端から決まったものである。

 

「……はぁ、なんだか大変なことになったなぁ……」

 

「くく、やはり下僕は嫌か?」

 

「嫌ですよ。勝っても負けてもどっちも嫌だ…………」

 

「あら、殿方としてはあれほど見目麗しい方を侍らせたいとは思わないのですか?」

 

 心底胃が痛いと、腹に手を添える一輝に蒼歌が鳥が囀ずるような笑みと一緒に言う。それは少なからず彼女と付き合いがある彼は、自分をからかっているのだと分かった。

 

「それに一国の皇女を下僕にできるって興奮すんだろ。それにあの巨乳を好きにできるってんだから男としちゃ最高だろうさ。なぁ?」

 

「いや、そんな同意を求められましても……確かに興味がないって言ったら嘘になりますけど」

 

「お、なかなかわかる奴だな。てっきりカマトトぶるもんかと……」

 

「おい、緋宮。そんな話は女がいる場所でするもんじゃないだろう。そういう話は男だけの場所でしてくれ」

 

 確かに気持ちはわからんでもないが、と彼女は付け加えて獅童の行動を軽く叱責する。蒼歌がこういった話に嫌悪感を抱かないと分かったからといっても、確かにこんな話を彼女の前でするのは気が引ける。これから生活を共にするのだ、可能な限り悪印象は抱かせたくない。

 

「しゃねぇなぁ。男が仲良くなるためにはエロい話しか好きな女のタイプだって相場が決まってんのに」

 

「それはどちらも同じものなのでは?」

 

「若干違うんだよ」

 

 十八禁──伐刀者は元服制度が適用されているために十五歳で成人するので、この表現は些か相応しくないかもしれないが──の内容になるか否かという明確な違いがあるのだが、方向性は同じものである。無論、一輝が同性愛者や性同一性障害であった場合にはこの話題では有効は深められないかもしれないが、それこそ些事である。

 

「それにしても、あなたが緋宮獅童さんでしたか……」

 

「ん、俺の事知ってんのか」

 

 はて、黒乃や蒼歌には名乗った記憶があるが一輝には本名を名乗った記憶はないのだが。

 

「緋宮さん、この学園では相当名の知れた方なのですよ? 面接官──この学園の教師を五人同時に相手取り、勝利するいう前代未聞の事を成し遂げたのですから」

 

「へぇ、そんな実感は微塵もないんだが」

 

 彼にとってあの勝負はもはや遊び──それを言うと折木を代表する教師陣に悪いので言わないが──ですらなかった。なにせ早々に決着を着けようと思えば戦場全てを焼き払う事もできたので、その場合はただの蹂躙劇となっていただろう。

 しかしそれではつまらないからと真正面から叩き潰したにすぎないのだ。それに──。

 

「その程度ならお前にも、黒鉄にもできそうなもんだけどな」

 

「教師五人を相手取って『その程度』と言うのは中々に傲岸不遜極まるな」

 

「俺は事実を言っただけだ。それにあんたもこの二人ならできると思っているだろう?」

 

 自身と並ぶ実力を持つと判断され、ルームメイトとなった雪霞蒼歌は勿論の事。かのステラ・ヴァーミリオンと同室になった黒鉄一輝がただの雑魚であるとは考えられない。

 

 確かに彼から感じられる魔力は自分や蒼歌、黒乃と比較すれば比べ物にならないほどに頼りない。連盟の基準で最低のFランクに格付けられるのだから当然といえば当然の帰結と言えよう。

 だが、()()()()()()()()()

 

 彼女がランクという、あくまでも伐刀者の強さを基準を決める要素のひとつを注視し、彼を取るに足らぬ雑兵であると侮ったこと。伐刀者の強さは魔力のみで決定するわけではないと理解してしたにも関わらず、彼が魔力に依存しない強さに特化している可能性を考慮しなかった浅慮。

 それらはすべて一輝に恩恵をもたらしこそすれ、彼女が有利になる事は決してない。彼女は模擬戦が開始される前から、自身の首を真綿で締め上げているのである。

 

 ──彼女は彼が『自分と同室で生活する人間である』というその事実について、もっと考えを巡らせるべきであった。尤もそれに気付くのは彼との模擬戦が終了した後の事となるが。

 

「……あなたは僕を侮ってはくれないんですね」

 

「当然だ。俺は本気を出す相手は選ぶが、真剣に戦わなかったことは一度もない」

 

 それは当然ながら相手の力量を見極める洞察眼に秀でているからこそできる事であるのだが、彼はそれを容易くやってのけるだろうという確信があった。

 何しろ彼は自分が今まで()()()()()()()()()()()()()雪霞蒼歌と同室になった男。そんな男が相手を侮るという行為がどれほど自分の首を絞めることになるか、わからない筈がない。

 

「それよりお前、行かなくていいのか? 《紅蓮の皇女》が文字通り真っ赤になってる頃だと思うが」

 

 怒り心頭にさせて、思考力を削ぐという作戦もないではないがと付け加える獅童。

 かの剣豪、宮本武蔵も果たし合いの際にはあえて遅刻してきたりしたのだから、それは中々に有用な作戦である。尤も黒乃がここから動いていない以上模擬戦が始まることはありえないので、単に彼女が逸ったんだけだという解釈もできなくはないが。

 

 しかしそこは一輝の人柄か。

 あれほどの理不尽を叩きつけてきた相手にも関わらず、彼女を待たせるのは気が乗らないとすぐに黒乃が指定してきた模擬戦場へと向かう。

 

「そうだ、緋宮、雪霞。お前達も模擬戦場に向かってくれないか? そこで会場に攻撃が届かないよう守ってほしいんだ」

 

 模擬戦は本来、審判役を務める教師の他にも観客を攻撃から守る役も必要とされる。しかしこの決闘は黒乃からの申し出とはいえ、あまりにも突然すぎた。ここから教師を召集しようと思えば時間がかかりすぎる。

 しかしここには破軍学園教師を遥かに上回る実力を持つ騎士が二人もいるのだ。彼らならば客席を魔術の余波から守ることなど赤子の手を捻るよりも容易いことだろう。

 

「勿論です。緋宮さんも構いませんよね?」

 

「あぁ」

 

 もとより観戦には行くつもりだったのだ。

 そのついでに少しばかり魔力を使用して余波から守るなど手間にすらならない。

 

 彼らはそれを快諾し、黒乃と共に模擬戦場へ向かったのだった。

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