東方鉄道録‐幻想の地に汽笛は鳴り響く‐   作:日本武尊

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第106駅 憤りと過去

 

 

 

 

 それから時間は経過し、時刻は昼になろうとしていた。

 

「……」

 

 北斗は深い眠りについている早苗を見守りつつ、彼女の頭を撫でていた。

 

 頭を撫でられていると気持ちが良いのか、早苗は声を漏らしていた。

 

(それにしても、一週間か……)

 

 北斗は病室の窓から外の竹林の景色を見ながら、内心呟く。

 

 入院する一週間、どう過ごそうか彼は悩むと共に、今の状況がどうなっているかが気になっていた。

 

(線路の調査はどのくらい終わっているんだろうか。それにみんな元気だろうか)

 

 色々と気になることが浮かんできて、北斗は目を細める。

 

 線路の調査はまだ全て終わっておらず、その上新たな機関車の参入、新たに加わった幽玄魔眼に関する問題。

 

 そして何より列車の運行計画を練らないといけない。

 

 考えれば考えるほど、やる事が次々と出てくる。

 

(一週間は、短いようで長かったんだな)

 

 内心呟き、眠っている早苗を見る。

 

 

 すると遠くから汽笛の音が迷いの竹林に響く。

 

 

(汽笛……三音室の響きだから、卯月(48633)霜月(18633)のどちらかか。あっでも9677号機も三音室か。でもまだ早期に投入はしないから違うかな?)

 

 聞こえてきた汽笛から北斗はどの機関車かを予想する。

 

 彼の予想通り、霜月(18633)が線路の調査を兼ねてスハ43を三輌牽いて試運転を行っており、迷いの竹林前で速度を落とし、北斗に聞こえるように彼女は汽笛を鳴らしたのだ。

 

「俺が居なくても、やるべき事はやっているんだな」

 

 北斗は一安心して、微笑みを浮かべる。

 

(でも何でだろう。汽笛を聞くと俄然気力が湧いて来るな)

 

 と、内心呟く北斗だったが、何か別の意味で身体が進化していなくも無い気がする……

 

 

 

「文屋の新聞どおりだったな」

 

 と、病室の入り口から声がして北斗はそこへ顔を向けると、そこには神奈子と諏訪子の二柱が立っていた。

 

 あの後二柱は早苗の神力を頼りに後を追い、迷いの竹林も無理矢理突破した早苗を頼りに永遠亭に辿り着いた。

 

「神奈子さんに、諏訪子さん……」

 

「やぁ、北斗君。一週間ぶりだね」

 

 予想外な二人の訪問に、北斗は戸惑いを見せ、諏訪子はそんなのを気にせずに手を振るう。

 

「早苗は……やっぱりそうなっていたか」

 

 北斗の元にやって来た神奈子は北斗の太ももを枕代わりにして眠っている早苗の姿を見て、予想通りと言わんばかりにため息を付くも、どこと無く安心感があるようにも見える。

 

「もしかして、文さんの新聞を見て早苗さんは知ったんですか?」

 

「そうだ。今朝文屋が来てな。新聞を配布していたよ」

 

「早苗ったら、もうそりゃ疾風の如くだよ。止める暇も無かったよ」

 

「は、はぁ……」

 

 諏訪子の言葉に、北斗は思わず声を漏らす。

 

「だが、まさか昨日の夜に目を覚ましていたとはな」

 

「……」

 

「まぁそんな時間に張り込んでいた文屋も文屋だけどね」

 

 諏訪子は呆れた様子で肩を竦める。

 

「で、感動の再会を果たしたってわけだね」

 

 と、諏訪子は北斗の胸元を見て、状況を察して苦笑いを浮かべる。

 

 まぁ号泣していたのだから、彼の胸元は早苗の涙や鼻水で湿っていた。

 

「でもまぁ、良かったよ。本当に」

 

 諏訪子は早苗の前でしゃがみ込むと、安堵の表情を浮かべて彼女の頭を優しく撫でる。

 

 その姿は、愛する子供を前にした、母親のような雰囲気であった。

 

「そうだな。本当に良かったよ」

 

 神奈子も笑みを浮かべて、早苗を見る。

 

「……」

 

「神奈子」

 

「……程ほどにしておけよ」

 

「自制できればね」

 

「自制しろ。お前が言うと冗談で終わりそうに無い」

 

 諏訪子に言われて神奈子は早苗を起こさないように抱え上げ、物騒な事を言う彼女に忠告をして、神奈子は病室を後にする。

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 神奈子が早苗を抱えて病室を後にしたので、北斗は諏訪子と二人っきりになっている。

 

「諏訪子さん……」

 

「なぜ私だけが、って顔だねぇ」

 

「……」

 

「まぁ、その様子じゃ理由は何となく察しているって感じかな」

 

「……早苗さんの事ですか」

 

 北斗は諏訪子が残った理由を察して、彼女に答える。

 

「そっ。説明する手間が省けて助かるよ」

 

「……」

 

 その口調は軽いが、諏訪子の目は笑っていない。そんな彼女の雰囲気に北斗は思わず息を呑む。

 

 

「……早苗さ。北斗君が意識を失ってから、ずっと北斗君の回復を願って居たんだよ」

 

 諏訪子は立ち上がって後ろを向くと、ゆっくり病室内を歩き出す。

 

「時間を惜しんで、食事する時間を、睡眠時間を削ってでも、あの子は祈りを捧げていたんだ」

 

「……」

 

「毎日毎日……信仰活動を終えたら、君の元へお見舞いに行ってね、時間が許す限り君の傍に居た」

 

 静かに、ただただ彼女はこれまでの早苗の行動を北斗に伝える。

 

「君の為にと、早苗は奇跡を起こそうとしたんだ。まぁ、そう簡単なことじゃないから、私が止めたけど」

 

「……」

 

「それだけ、早苗は君のことが大切に想っているんだ」

 

「……早苗さん」

 

 諏訪子は窓の方を向いてそう告げると、北斗は自身が眠っている間の、早苗の苦労を知って、布団を握り締める。

 

 

「だからこそ、早苗はね―――」

 

 と、諏訪子は北斗を見る。

 

 その目は少しばかり据わっており、怒りがにじみ出ている。

 

「君が死んだら、躊躇無く君の後を追うと思う」

 

「……」

 

 彼女の言葉に、北斗は驚きを隠せなかった。

 

「それだけ、あの子にとっては君は大切な存在であり、支えなんだ。それを失ったら、あの子は壊れる」

 

「……」

 

「早苗には私達が居ても、一時の感情に呑まれて、自ら命を絶つことも厭わなくなるだろうね」

 

「……」

 

「大切な人を失うっていうのは、それだけ喪失感があり、容易に狂わせる」

 

「……」

 

 諏訪子の言い知れない威圧感に、北斗は何も言えなかった。

 

 

「北斗君。私はね、怒っているんだよ。君の行動にね」

 

「……」

 

「今回の北斗君の行動は、少し無鉄砲だよ」

 

「……」

 

「早苗を救ってくれたことに関しては、そりゃ感謝しかないよ。もしかしたらそこに居たのは君じゃなくて、早苗の可能性だってあったかもしれない」

 

「……」

 

「でも、君の行動はかえって早苗を追い込んだ結果になった」

 

「……」

 

「今回は運が良かっただけなんだ。下手をすれば、君は命を落としていた」

 

 少しずつ諏訪子は北斗の元へと近づいていく。彼女が近づくごとに、威圧感が増し、北斗の呼吸が乱れ始める。

 

「そうなっていれば、早苗は……」

 

「……」

 

「……自分は間違っていない。正しいことをやった。そう言いたげだね?」

 

「……はい」

 

 諏訪子の殺意の篭った視線を向けられるも、北斗は息を呑みつつも答える。

 

「傷付いても早苗さんを助けたことに、何の後悔はありません」

 

「早苗を追い込んでも、後悔していないの?」

 

「無いと言ったら、それは嘘になります。でも先の事なんて、その時にならなければ分からないんですから」

 

「物は言いようだね。まぁ先の事が容易に分かれば苦労はしないだろうけど」

 

「……」

 

「でも、結果は今回みたいなことになった……」

 

 そして諏訪子は北斗のすぐ傍まで近づき、スゥッと目を細める。その瞬間首を絞められたかのような圧迫感が襲い、北斗は息苦しさを感じる。

 

「……」

 

「……」

 

 しばらく睨みつけるように諏訪子は北斗を見つめ、彼は息苦しさに呼吸がどんどん浅くなっていく。 

 

 

 

「……まぁ、結果的に君は目を覚まして、早苗もようやく安心出来るようになったから良かったけど」

 

 と、諏訪子は深くため息を付いて肩を竦める。すると北斗を襲っていた圧迫感が消える。

 

「北斗君。これだけは約束して。もう二度ととかは言わないけど、これからは早苗に心配掛けさせるようなことはしないで欲しいんだ」

 

「……諏訪子さん」

 

 諏訪子にはさっきまでの雰囲気は四散し、代わりに悲しげな雰囲気が纏っていた。

 

「もちろん、この幻想郷じゃ何が起きるか分からないから、これから君の身に何も起こらないとも限らない。でも、気を付ける事は出来るから」

 

「……」

 

「……ようやくあの子に笑顔が戻ったんだ。その笑顔を、もう失いたくないんだ」

 

 諏訪子は俯き、両手を握り締める。

 

「諏訪子さん……」

 

 そんな彼女の姿に、北斗は何も言えなかった。

 

「……それに、早苗を幸せにするには、君が必要なんだ」

 

「え?」

 

「ううん。なんでもない。それで、君の答えは?」

 

「……」

 

 

「……可能な限り、善処します」

 

「そこは約束しますって、言うべきじゃないのかな?」

 

 北斗は間を開けて答えるも、諏訪子は苦笑いを浮かべる。

 

「諏訪子さんの言った通り、今後何が起こるか分からない以上、根拠の無い確約は出来ません」

 

「とっても現実的な答えだねぇ。まぁ確かに口先だけの約束を言うよりかはマシかな」

 

 諏訪子は乾いた笑いを漏らすも、すぐに真剣な表情を浮かべる。

 

「……それなら、ちゃんと守ってね」

 

「はい」

 

「……もしも……もしもまた、早苗を悲しませるようなことをしたら――――」

 

 と、諏訪子は右腕を上げて手を北斗の首元に添える。

 

 

「……お前に死よりも辛い、地獄の祟りを与えてやる」

 

 

 ブワッ、と諏訪子から殺意が溢れ出て、添えていた手を北斗の首に掴ませる。

 

「……っ」

 

 全く力は入れていないが、それでも北斗は首を絞められているような息苦しさを覚える。

 

「……そうならないように、気をつけてね」

 

 と、さっきまでの雰囲気が嘘のように、諏訪子の雰囲気が一変して、微笑みを浮かべる。

 

「……」

 

「退院後は、早苗の事を気に掛けてやってね。なんなら早苗の気が済むまで甘えさせたって良いんだよ?」

 

 諏訪子はニヤニヤとそう言うと、北斗は恥ずかしく顔を俯く。

 

(これなら大丈夫そうだね)

 

 内心呟くと、彼女は「それじゃぁね」と別れを言ってから、北斗の傍を離れて病室を出て行く。

 

 

「……」

 

 残された北斗はドッと来る疲労感に、汗が顔中に溢れ出て、過呼吸気味に呼吸を荒げる。

 

 まぁ神に殺意を向けられていたのだから、こうなるのは仕方が無い。

 

「……本当、俺って無責任だな」

 

 北斗は仰向けになると、深くため息を付いて言葉を漏らす。

 

「……」

 

 そのまま彼は布団を深く被り、目を閉じて軽く眠りに付く。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「やり過ぎだ。全く」

 

 と、諏訪子が病室を出て永遠亭の門の前に出ると、早苗を背負って待っていた神奈子が少し呆れた様子で彼女に言葉を掛ける。

 

「あれくらいがちょうど良いんだよ。怒っているのは事実なわけだし」

 

「お前の場合冗談にならない部分があるからな。どう考えても一人の人間に向ける怒りじゃなかっただろ」

 

「……」

 

「まぁ、私も何も思うところが無かったわけではないが……」

 

 神奈子は微妙な表情を浮かべて、浅くため息を付く。

 

「……」

 

「言わんでも分かっている。早苗の体調は診て貰ったし、薬も貰っている」

 

 と、神奈子は諏訪子が見ているのに気付いてそう告げると、右手にしている包みを見せる。

 

 神奈子はあの後永琳に早苗の体調を診させて、しばらくは安静にさせる必要があると言われ、薬を貰っていた。

 

「早苗も早苗で、しばらく療養に集中か。そのまま入院して北斗君と一緒に居らせるのもありだったかもね」

 

 と、諏訪子はニヤリと悪そうな笑みを浮かべる。

 

「早苗は病人なんだ。免疫力が低下している怪我人と一緒に居らせると病気を移しかねないといって断られたよ」

 

「そこは隔離するもんじゃないの?」

 

「生憎部屋の空きが無いそうだ」

 

「ふーん……」

 

 諏訪子は浅く息を吐き、神奈子に背負われて眠っている早苗を見る。

 

「ホント、とっても安心しているね」

 

「……あぁ、そうだな」

 

 諏訪子の言葉に、神奈子が答える。

 

 そして二柱は早苗を連れて、ここに来るまでに残してきた道しるべに沿って竹林の中を歩いていく。

 

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 その日の夜

 

 

「……」

 

 北斗は上半身を起こして、窓から外の景色を眺めていた。

 

 今日は曇りが無く、ちょうど竹林が分かれていたとあって、綺麗に円を作った満月が夜空に映し出されていた。

 

「……」

 

 北斗は満月を見つめて、目を細める。

 

(何でだろうな。昔からそうだったけど、月を見ていると気持ちが晴れるんだよな)

 

 満月を見ながら内心呟き、ゆっくりと息を吐く。

 

(月を見ていると癒されるっていうか、何て言うか……)

 

 北斗はどう表現すれば良いか分からず、首を傾げる。

 

「……」

 

 

 コンコン

 

 

 すると病室の扉からノックがする。

 

「はい。どうぞ」

 

 北斗が声を掛けると、「失礼します」と一言と共に扉が開かれ、桶と薬箱を手にした鈴仙が入ってくる。

 

 彼女は北斗を見ると、どこか気まずそうに視線を逸らす。やはり今朝のことを引き摺っている模様。

 

「あ、あの、包帯の交換と、身体を拭きに来ました」

 

「あっ、はい。分かりました」

 

 鈴仙が彼の元へ向かう中、北斗は上着を脱ぎ、包帯に巻かれた左腕を出す。

 

 彼女は薬箱と桶を台に置いて、箱の蓋を開けて新しい包帯を取り出す。

 

「交換途中や拭いている時に少し痛みがあると思いますので、辛抱してくださいね」

 

 鈴仙は北斗にそう言うと、左腕に巻かれた包帯を取り始める。

 

 

 北斗の左腕に巻かれていた包帯が取れると、そこには痛々しい傷跡が残っていた。

 

 妖怪の爪で裂かれた三つの大きな傷はまだ縫われており、僅かに血が滲み出ていて包帯に血の痕を作っている。妖怪の毒によって傷の治りが悪いようだ。

 それでもちゃんと治っているので、二日後には抜糸されるとのこと。

 

 鈴仙は桶に入れている水に手拭いを浸けて水を絞り、左腕を拭き始める。

 

 左腕が動かせない以上、北斗は身体の隅々が拭けないので、鈴仙が彼の手が届かない箇所を拭くようになっている。

 

 身体を拭かないのは衛生面的に悪いし、その上免疫力が低下している北斗なら尚更である。

 

「……」

 

 北斗の左腕を痛みが出ないように優しく拭いていると、ふと北斗の身体が目に留まる。

 

(そういえば、北斗さんの身体って結構鍛えられているのね。普段から力仕事が多いから、鍛えられているのかな)

 

 鈴仙は一週間眠っていたとは思えないほど、まだ保たれている筋肉が付いた身体を見ながら内心呟く。

 

 意外かもしれないが、北斗は入院する前までは、毎日投炭練習を行っている。そのお陰で自然と身体が鍛えられている。

 

(……でも)

 

 と、彼女は北斗の身体にある、それを見て息を呑む。

 

「左腕を拭き終えたので、次は背中をしますね」

 

「はい」

 

 彼女がそう告げると、北斗は鈴仙に背中を見せる。

 

「……」

 

 そして北斗の背中を見て、鈴仙の視線が悲しげなものになる。

 

 

 彼の背中には、無数の傷跡があったからだ。

 

 

 何かで強く叩かれたような痕。鞭のような物で叩かれたような細長い痕。火傷のような痕。何かで切られたような痕。爪で引っかかれたような傷痕。

 

 

 そんないくつもの傷が背中にあるのだ。

 

 

「……やっぱり、驚きますよね」

 

 と、いつまでも彼女が拭かないのに気付いてか、北斗が声を漏らす。

 

「あっ、いえ。そんなつもりじゃ。気を悪くしたら謝ります」

 

「別に構いません。もう昔のことですから」

 

 鈴仙は慌てて謝ろうとするも、北斗は気にしていなかった。 

 

「……」

 

 申し訳ない気持ちになりながらも、彼女は北斗の背中を拭き始める。

 

「……何が、あったんですか?」

 

 鈴仙は背中を拭きながら、彼に尋ねた。といっても、彼女は殆ど察していたのだが。

 

「小さい頃に、叔父の教育で付けられたものです」

 

「教育……?」

 

 彼の口から出た言葉を聴き、鈴仙は小さく声を漏らす。

 

「よくあるものですよ。言うことを聞かない子供を分からせる為に、躾をするようなものです」

 

「……躾」

 

 北斗は怒る訳でも、悲しんでいるわけでもなく、淡々と語る。

 

「何とも、無いんですか?」

 

「それは……そうですね。全く無いと言ったら、それは嘘になりますね。今でも、時々思い出します」

 

 鈴仙の質問に戸惑いながらも、北斗は答える。

 

「でも、もう過去のことなんです。決して忘れる事は出来ませんが、ちゃんと向き合っていく事が大事だと思っていますから」

 

 彼からすれば、もう過ぎたことで、当の叔父は薄暗い塀の中であるので、もう踏ん切りは付いている。だが、それでも全く何も感じないかと言えば、そうではない。

 

 だが、いつまでも過去の事に囚われても、決して前には進めない。決して忘れる事は出来ないが、その事を糧にして、人は生きていくのだ。

 

「……ちゃんと、向き合う」

 

 彼の言葉を聴き、鈴仙はボソッと呟きながらも背中を拭いていく。

 

 

 その直後、彼女の脳裏にノイズが掛かったような、フラッシュバックのようにとある光景が過ぎる。

 

 

「っ……」

 

 それによるものか、彼女は身体の至る所から痛みが走り、思わず歯噛みする。

 

 別に彼女は怪我をしているわけではない。痛みが起こる事はありえない。

 

 だが、身体に刻まれた傷跡が、その時の痛みを発する。どれだけ傷を治しても、身体はその時の痛みを覚えているのだ。

 

 その痛みが、今になって彼女の身体を蝕む。

 

「……背中が終わりました。最後に右腕を拭いて、残りは北斗さんが自分で拭いて下さい」

 

 彼女は何とか平然を保ち、残る右腕を拭き始める。

 

 

 そのまま彼女は北斗に悟られないようにして、左腕に新しい包帯を巻く。

 

「では、少ししたら薬を持って来ますので、その間に身体を拭き終えてください」

 

 鈴仙は頭を下げて、足早に病室を出る。

 

「……」

 

 北斗は鈴仙の動きに違和感を覚えていたが、当の本人が居なくなったので、手拭いを持ってまだ拭いていない箇所を拭き始めた。

 

 

 

 

 

「……っ!……っ!」

 

 息を荒げている鈴仙は永遠亭にある厨房に入ると、倒れるようにして水瓶の前に来て、上着のポケットより錠剤を入れたケースを取り出し、蓋を開けて錠剤を二錠取り、口に放り込んで錠剤を?み砕く。

 すぐに水瓶の蓋を開けて中に入っている水を手で掬って口へ運び、何度も水を飲む。

 

「……」

 

 最初は呼吸が乱れていた彼女だったが、しばらくして薬の効果が現れてか呼吸が落ち着き、身体中から発せられていた痛みも引いていく。

 

(……大丈夫。大丈夫よ。もう、昔の事、なんだから……)

 

 内心自分に言い聞かせるようにして深呼吸をし、気持ちを落ち着かせて、そのまま水瓶に額を付ける。

 

「……」

 

 ふと、鈴仙の脳裏に北斗の言葉が過ぎる。

 

「……ちゃんと向き合う、か」

 

 ボソッと呟くと、ゆっくりと立ち上がる。

 

「……」

 

 深呼吸をして再度気持ちを整えると、厨房を出て永琳に北斗に与える薬を受け取りに向かう。

 

 

 




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