気分転換に執務室を離れ、行く宛もなくぶらぶらと鎮守府内をさまよっていると何となく視線を感じた。
思い切って振り返ってみると何かが壁の影に隠れるのがわかった。
きっと誰か、青葉あたりがつけてきているのだろうと勝手に容疑者を絞り、その壁へと近づいた。
「ちょ、ちょっと!来ちゃったじゃない!」
「う、うるさいわねっ、あんたが見つかったからでしょ!」
コソコソと話す声が聞こえる。どうやら二人組のようだ。そしてこの感じからして……
「曙、満潮、何をしてるんだ?」
びくっ、と二人の肩が跳ね、ブリキの人形のような動きでこちらを見た。
下手な愛想笑いを浮かべ少女二人は後ろへと逃げようとする。
「こら、二人とも。言うんでしょ?」
と、二人の後ろから更についてきていたのか鳳翔が出てきた。
母親然とした振る舞いに二人はしゅん、と小さくなりこちらへ向き直った。
もじもじと照れくさそうに指を動かし、顔を赤らめて下を向いたり、横を向いたり。新手のいじめか何かか、というような沈黙が続き、曙が口を開いた。
「あ、あの……っ!ク……じゃない、提督!」
大声で呼ばれ、緊張がこちらにも伝わる。
手のひらにぐっと力を込めた曙は大きく息を吸う。
「い、今までごめんなさい!クソとか言ってごめんなさい!」
「……ほら、満潮ちゃんも」
鳳翔が小声で耳打ちし、満潮も恥ずかしそうにしながらも口を開く。
「私も、ウザイとか言ってごめんなさい……!」
俺がキョトンとしていると、鳳翔から説明が入る。
「二人とも提督がいない間、少しだけ荒れてまして……。『提督が帰ってこないのは私のせいだ』なんて言って。きっと、捨てられたんだと思ったんですよ。長いこと帰らないことで不安が爆発しちゃったんですよ」
二人は俺が鎮守府に帰ってこないのを自分たちのせいだと思い込んでいたようだった。『自分たちが提督にあんなことを言ったから、捨てられた』と本気でそう思っていたそうだ。
今も泣きそうな二人の顔を見て、俺が言ってやれる言葉。
「ただいま、二人とも。俺はお前達を捨てたりしない。だって俺はお前達が大好きなんだから」
両手で二人を抱きしめてやり、頭を撫でる。
肩にあたる濡れた感触が酷く俺を後悔させた。
もうこうならないようにしないとな。
「――提督、そろそろお仕事の方へ……」
「ん、あ、あぁ。仕事なら大丈夫だ。三人とも、これから時間はあるか?暇つぶしに付き合ってくれないか?」
「で、なんで工廠なのよ」
「お、曙の調子が戻ってきたか?」
「っさい!」
思いっきり尻を蹴られた。
どうやら先程までの曙ではなく、今まで通りの曙に戻ったみたいだ。
しんみりした曙と満潮を見ているのは少し面白かったが、やはりいつも通りの対応の方が落ち着くものだ。
さて、工廠にやってきた理由だが……特にはない。なんとなく目についた施設に片っ端から入ってみようと思っただけだ。なんなら明石から何か遊び道具でも、と思った次第だ。
工廠の熱気がこもった空気感は嫌いではない。元々俺はこういった作業場の方が好きなのだ。
テーブルの上に置いてあった機材を手に取り、なんとなしに見ていると奥から夕張が顔を覗かせた。
「あれ?提督、来てたんですか?それに皆さんも」
「夕張、何か面白いものでも作れたか?」
俺がそう聞くと夕張はんー、と鳴らしたあと奥へと戻って行った。
少しして何かを持った夕張が妖精さんにそれを持たせてこちらへと送らせた。
「なんだ、これ」
「はい。ゴミです。捨てといてください」
どうやら体のいいパシリに使われたようだ。横にいる満潮と曙からの視線が痛い。こんな情けない姿を見せることになるとは。
「それじゃ、早く行きましょ」
「司令官、それ持てるの?」
「ん、任せろ。これでも男だからな……」
ダンボールにまとめられたゴミを持ち上げ、落とさないようにしっかりと支える。
危なそうに見守る二人の視線に笑って答えながら俺は工廠をあとにした。
「……あれ、鳳翔は?」
「鳳翔さんなら工廠に残ったわよ」
「夕張さんに何か用事でもあったんじゃないの?」
鳳翔の事だから夕張のあの身なりを注意でもしにいった、というところか?
タンクトップに作業着というラフすぎる格好だったからな……鳳翔の何かに触れたのかもしれない。
「思ってたよりも溜まってるわね。いつもこうなのかしら」
「知らないわよ、司令官は?」
「――――ぁ、ああ、俺もよく知らないんだ」
「知っておきなさいよ……」
俺は早めにゴミを置き、その場を立ち去ることにした。
俺が見たものは何だったのか。考える必要も無い。あれは睡眠薬だ。
「ちょっと、何もそんな早く帰らなくてもいいんじゃないの?」
「ああ、すまない。少しやることを思い出してな」
俺がそういうと二人は互いに顔を見合わせて同時にため息をついた。
「なら早く戻りなさい」
「また今度一緒に遊びましょ」
二人は自分の部屋へと戻ったみたいだ。残された俺はと言うと、どうにも執務室に戻りたくない気持ちで一杯だった。
胸元に入っている日記帳に目を通すべきかどうか……
俺は人目のない場所を探して鎮守府内を歩き始めた。