「みんな! 準備はいーい!?」
桃井が音駒コート側の観客席付近に到着すると、出場選手以外のバレー部員や音駒高校生、地元民で構成された音駒応援団が最前列に固まっていた。
賑やかな応援団だなぁと、桃井は邪魔にならない場所でPCやカメラ機材などを準備する。
やがて応援の音頭をとる愛らしい声が、耳に飛び込んできた。
「いいぞー! あかねちゃん応援団長!」
「あかねちゃん……山本さんに似てる。妹さんかな?」
音駒の制服ではない学生服に身を包み、手首のシュシュと前髪を留めるヘアピンがチャーミングで可愛らしい。おさげにした、くりくりした栗色の髪もトレードマークのように印象的だった。
ぱちっと開かれた瞳は活発的で、可憐で溌剌とした少女。身体は小さく幼い顔立ちだが、見ているだけで元気が出てくるような、エネルギッシュな雰囲気だ。
大きなメガホンを片手に、元気いっぱいの仕草で応援団を盛り上げている。
「あかねちゃーん、今日もよろしく!!
「うん、こっちこそよろしくねリエーフ君!」
「って本当にリエーフくんこっちにいるし……控えにもいないし……」
応援団側にいるリエーフとあかねが顔を見合わせて笑った。その様子を少し離れた場所で見ていると、視線に気づいたリエーフが桃井を視認して手を振る。
「あっさつきー! 応援に来てくれたんだな!」
「えっ………えっ!? も、桃井さつき!? 本物だ!!」
「あれ? あかねちゃん、さつきのこと知ってるの?」
あかねが驚愕したように口に手を当てた。桃井はペコッと頭を下げて、大将さんや他の人みたいに記事とかテレビとかで知ったのかな……と思ったが。
「知ってるなんてもんじゃないよ! 北川第一出身、稲荷崎高校のマネージャーで、マネージャーでありながらアナリストとして活躍中! あのPCに導入されてる分析ソフト、プロの世界で使われてるやつなんだよ! 10万円以上する!」
「そうなの!?」
「!?」
私のことめちゃくちゃ知ってる!? と驚くこととなった。あかねがリエーフに力説すれば、周りの応援団の人たちも「へー!」という感じで桃井の方を見てくる。好奇心の目だった。
まあ見られることには慣れてるし……と気にしていない桃井だったが。
「北川第一が毎年全国大会に出場したのは、あの人の貢献があってこそなんだよ」
「えっ、選手じゃないのに?」
「そう! だからすごいの! 特に三年前の北川第一は、大番狂せ、ダークホースって呼ばれたんだ!」
あかねの話が終わらない。全然終わらない。どこでそんな話を知ったの!? という情報が出てくる。あと死ぬほど褒めてくれる。あかねが手に持つ付箋だらけのノートがシワクチャになる勢いだった。
するとギャラリーも「あの女の子そうなんだ〜」「すごいな〜」という感心した目に変わった。
最初は平然とする桃井だったが、だんだん恥ずかしくなる。汗までかき始めていた。
「その時は、準決勝で今の井闥山のエースである佐久早君が所属するチームに負けちゃったの。それでも、ものすごい快進撃だったんだから!」
「お、お願い、もう……」
最終的に顔を両手で覆って観客席にくずおれるのだった。稲荷崎の面々に褒め殺しをした桃井だったが、自分に返ってくるとこんなに嬉し恥ずかしいのだと知る。
しかしあかねは、桃井ですら舌を巻く情報通だった。バレーが大好きなのだろう。あとで話しかけて友達になり連絡先交換したい。
悶える裏でそんな決意をしていると。
「あらあら、大丈夫!? お水いる?」
「あ、だ、大丈夫で……っ!?」
女性に話しかけられて、顔を上げた桃井は固まった。
およそ人のものとは思えない美貌の女性が目の前にいたからだ。嬉し恥ずかしさがキャパオーバーして、天上からお迎えが来たかと思うくらい、女神のように美しい人だった。
柔らかいシルバーの髪が豊かに波打ち、高い密度で生え揃った長い睫毛がまばたく度、フラッシュを焚かれたように眩しい。
とんでもない美形である。リエーフと初対面した時と全く同じ衝撃を受けた。
「レーヴォチカの姉、灰羽アリサです。弟と友達になってくれたのよね?」
「……! あ、は、はい。リエーフくんとお友達で……」
「わ! ありがとう♡ もし良かったら一緒に前で応援する?」
「い、いえ! 私はここで……お誘いありがとうございます」
「そう?」
アリサは天使の微笑みを浮かべて、あかねの隣に向かう。頬を薔薇色に染めて桃井は胸をドキドキさせた。あんな綺麗なお姉さんとお話しちゃった……と夢見心地である。
しかし、あかねの熱視線にハッとして、表情を引き締めた。
「し、仕事、仕事しないと! 集中!」
井闥山は、稲荷崎が全国一位になるまでに必ず立ちはだかってくるチームだ。今日の分析が稲荷崎の勝利に大きく関わってくる。
遊びに来たんじゃない。自分のやるべきことをやらなければ。
桃井は背筋をグッと伸ばしてから、フッと短く息を吐いた。まばたきをすれば、彼女のまとう雰囲気がガラリと変わる。
第一セットを井闥山が早々に先取し、現在第二セット。普通であれば、そのまま井闥山が圧倒的な強さのままに点を獲り続ける場面。
しかし、点差は予想以上に縮まっている。第一セットの時のようなスピーディーな展開は、二度と訪れないだろう。
「ナイスレシーブ!」
「は!?」
山本が綺麗なAパスに繋げて、井闥山の選手が苛立ち。
「ナイスレシーブ!」
「あぁ!?」
続けて海が強烈な一撃を見事にレシーブし、相手は顔を憤怒に染め。
「ナイスレシーブ!」
「全ッ然決まんねーじゃん!!」
三連続で攻撃を上げられて、井闥山のスパイカー陣が「マジか!」と賞賛半分・怒り半分に声をあげる。
今までなら確実に攻撃が決まる場面で、全く崩れない音駒。彼らは守備力が特徴的なチーム。守備の硬さは今大会一位を誇る。
第一セットからものすごいラリーが続いてきたが、第二セットになるとますますスパイクが刺さらなくなっていた。
音駒の守備の穴がどんどん小さく、無くなっていくのだ。
「音駒の守備の整え方、参考になるな……稲荷崎じゃ真似できないけど……」
まずブロックとレシーブの連携が素晴らしい。黒尾を中心にストレートかクロスのどちらかをキッチリ締める。そして隙のある方向には、打てば捕まるレシーブの鬼が待機している。
全員が他のチームと比べて頭一つ抜けた守備力を備えているが、そんな中でもレベルが違うのは、
「……ナァイスレシィィブッッ!!」
夜久だ。スパイカーの姿勢や視線、それらからコースを絞って完璧にあげてみせる。彼がコートにいる時の安心感は格別だろう。
そして相手チームからすれば、絶対にスパイクを阻む鬼なのだから、とても嫌な存在に違いない。
「やったぁ♡ こっちの得点?」
「うん! 打つトコなくて相手が焦った証拠だよ!」
ついには井闥山のスパイクはストレートを狙い過ぎて、アウトになってしまい、アリサとあかねが手を取り合ってはしゃいだ。
音駒は、強烈な攻撃を必ずあげるレシーブに意識が行きがちだが、セッターの頭上にきっちり戻っていくAパスのクオリティも素晴らしい。
おかげで孤爪がほとんど動いていない。
「試合中にこんなに動かないセッター初めて見たかも……」
桃井が苦笑を滲ませる。だが、おかげで孤爪の挙動は読みづらい。相手ブロックは相当やりづらいだろう。
一度孤爪の脳みそ解体して思考回路全部暴きたいな……となかなかに狂気的な想像をしていると、夜久がまたもやスパイクコースに入る。
今度もきっちり上げてみせるかと思いきや。
「えっ夜久くんでも上げられないの!?」
「うわ出た〜……」
アリサが悲しそうに眉を下げ、嫌そうに桃井は呟いた。
佐久早聖臣の攻撃だった。彼の特徴は、異常な手首の柔らかさ。スナップで様々なコースの打ち分けをするだけでなく、最高に嫌な回転をかけてくる。
取りづらさで言えば、牛島の左の回転より断然タチが悪い。
三年前の中総体で試合した時、散々苦しめられてきた攻撃だ。全国五本指で唯一、二年生でありながら、三本指に数えられる所以である。
「サーブも嫌ぁな回転かけてくるし……」
いくら音駒といえども、佐久早の回転をすぐには止められない。縮んでいたはずの点差が広がり始める。
佐久早の活躍は攻撃に留まらない。守備面においても成果を上げ、何度もサーブレシーブを決めた。全てのパラメータにおいて高校生の枠を超えている。
「でも、井闥山は佐久早さんだけじゃない」
一人だけが強くても勝てないのがバレーボール。当然、他の選手も一級品ばかりである。
桃井は井闥山にスカウトされた当時、所属選手や戦績を調べ上げた。それでも稲荷崎を選んだわけだが、進学先の最終候補に残ったのは井闥山だった。
それほどまでに桃井にとって魅力のあるチームだった。なんせ、とんでもなく強い選手だらけなので。
「あの選手、中学までは守備の上手いOHだったけど、高校からリベロへ転向したんだよ!」
「そうなの! あかねちゃん詳しいのね!」
「うん、何でも聞いて!」
「……あの子欲しいな……稲荷崎に連れて帰りたい……」
あかねが非常に有能なので、桃井は欲望を露わに低く言う。誰にも聞かれずに済んでよかった。
そしてあかねが言及したのは、井闥山のリベロ・古森元也だった。彼女が言うように、桃井はOHである古森とは対戦経験があるも、リベロとしては未知数だ。
しっかり分析しなければ、とキーボードを打つ手が止まらない。
「元也!」
「ハイッ」
「!」
元々別のポジションの選手なだけあり、リベロにしては背が高い古森は、レシーブ直後にサッと身を引き、バックアタックの助走を妨げない配慮をした。一瞬のことだが大事なことだ。
そういう巧みさはチームの完成度に深く関わる。桃井はあとで赤木に参考にしてもらうべくメモを取った。
古森は、夜久同様にさほど目立っていない。しかしそれは、リベロとして非常に上手い選手であることの裏返しだ。
「な、なんかあっちのリベロの人も、すごい上手い……?」
「うん……悔しいけど、ナイスレシーブ……」
じわじわと選手の技巧に唸らせられて、あかねがクッと悔しくも嬉しそうに言った。
そう。井闥山は佐久早が非常に強く目立つチーム。しかし古森や他の選手のように、彼らもちゃんと見ればめちゃくちゃ上手いのがわかる。"当たり前にみんなが強い"から、気づくまでにラグがあるのだ。
この中で本当に目立っていないのは、セッターくらいな、もの、で……。
「……! ……あれ、まさか、井闥山セッター、ものすごく巧いのでは……?」
桃井はゾッ、と鳥肌が立つ。影山と同じポジションだから、念入りに調べて情報として頭に入れておいたはずなのに、体感するまで時間がかかった。
その理由を理解した桃井は、井闥山の主将・セッターである飯綱掌に視線が釘付けになる。
彼はJOCでベストセッター賞に選出される実力者だ。強いのはわかっていた。
だがあまりにプレーに自然と溶け込むから、感じるのが難しい。
「……いや本当に巧い! 技術だけなら影山くんや侑先輩より上かも……」
飯綱のセットアップに自己主張は全くなかった。影山や侑、及川のように、ツーをやられたらツーでやり返すとか、速攻でやられたら速攻で反撃するとか、そういう性格がプレーに現れない。
ひたすら美しく完璧なトスが供給されるだけ。それがどれほど困難なことか。
見えない糸に操られているかのように、プレーの芯がブレない。そこは北の性質にも似ている。
故に井闥山の攻撃に紛れてしまって、"普通にめっちゃ巧い"の範囲に見えてしまうのだ。
なんて人だ……と桃井は鳥肌の立った二の腕をさする。
「うう……点差が縮まらない……」
「このままだと第二セットも取られちゃう〜……」
「頑張れ、頑張れーッ!」
エンジンがかかって守備の穴がなくなったはずの音駒を、井闥山はそれ以上の力でねじ伏せてくる。
音駒の応援団の声量はますます増大し、会場中に響き渡った。その応援歌が耳に入ってはいるが、桃井の集中は乱されない。恐ろしい速さで分析の痕跡を残していく。
彼女は井闥山や梟谷を分析するためにここに来たのだ。仕事をするために……しかし、井闥山のマッチポイントになった時、初めてその手が止まった。
「行ーけ、行ーけッ! ねーこーま!!」
「行け行け音駒! 押せ押せ音駒ッ!!」
第一セットは井闥山が獲得している。音駒にとって、このセットは決して逃せない。応援団の迫力は増していく。そしてコート上の選手たちも、ますますキレが出るようだった。
ラリーが長く、長く続く。レシーブのたびに、会場一体となった感嘆の声がそこかしこで上がった。
誰もが、スパイクが決まることを願っている。
そして同じくらい、ボールが繋がることを願っている。
……まだこの景色を見ていたいな、と桃井は思った。
「……頑張れーッ、繋げー!!」
気づけば、桃井もお腹から声を出して音駒を応援していた。
そして佐久早のスパイクが黒尾の指を弾き、ブロックアウトとなった。
井闥山のストレート勝利で試合は終了した。場が拍手で包まれる。桃井も観客席を立ち、素晴らしい試合を繰り広げた選手らに拍手を届けた。
「……?」
そして井闥山の10番……佐久早が立ち止まってこちら側を、桃井をまっすぐに見上げていることに気づいて、手を止める。
佐久早は桃井が自分の視線に気づいたことに気づいて、散々スパイクを決めてきた右手をゆっくり持ち上げ、彼女を射抜くように指差した。
「!」
視線が交わっていたのはほんの数秒。しかし、桃井は佐久早の瞳が、暗くジメジメした嫌悪感に近い感情で塗り潰されていることを理解した。
すぐに目は逸らされる。佐久早がチームメイトの方に歩いていく。
……ふぅん、挑発のつもり? 桃井は冷たく目を細める。
佐久早の今日のプレーは本気ではなかった。様子見でもしていたのか、体のどこかが不調だったのか、100%の実力を見ることはできなかった。
今日はそれでいい。予選三日目は来週だ。その時に拝ませてもらう。それでも様子見していたら、IHでの試合を分析するだけだ。
「次は絶対に負けない」
三年前の中総体で佐久早のチームに阻まれ、北川第一は頂点への道を閉ざされた。
そして時が経ち、佐久早は井闥山学院へ。桃井は稲荷崎へ進学した。両校は全国トップクラスの強豪校。きっとIHで対決することだろう。
あの時の雪辱を果たす日は近い。積もりに積もった敗北の痛みを、余さずぶつけてやる。
桃井は覚悟を新たにして、好戦的な笑みを浮かべた。