北川第一は春季選抜バレーボール大会で2位に輝いたため、シード校として中総体に参加した。1日目に試合はないが2日目からは1日2試合をこなし、最終日には優勝校が決まる。上位数校が東北大会に進出し、さらにその大会の中で絞られたチームに全国大会出場の夢が託されるのだ。
7月下旬から8月までの期間に全てが終わる。日本の頂点に立つ学校が決まる、その足がかりとなる今大会で北川第一は強豪校と呼ばれても優勝候補とはならない。
理由は簡単。白鳥沢が絶対王者であるからだ。
最高学年となった怪童牛若を擁する白鳥沢は歴代最強とまで言われている。だがそれもこれまでの話。今年は北川第一が優勝するので、彼らの無敗記録は途絶えることになろう。というか途絶えさせてやる。目指せ打倒牛若。あ、及川先輩たちの呼び名につられちゃった。
そんな覚悟で会場に赴いた私たちだが出鼻を挫かれることになる。
「及川先輩がいません」
「あっんのヤロ……毎度毎度やってくれる……」
いつのまにかいなくなった及川先輩に岩泉先輩は苛立ちを存分に含んだ声音で文句を言う。
及川先輩は整った顔立ちで表面上は人懐っこい性格だし学校問わずモテモテである。部活の時にキャーキャー言われ練習試合に行った時にもキャーキャー言われ、挙げ句の果てには及川先輩に会いに会場までやって来る猛者もいる。
「私、探してきますね」
「いや待て、お前まで一人になられたら困る」
「どうしてですか。迷子になったりなんてしませんよ」
「お前も及川みてーになるだろーが」
あー……それは、まぁ、うん。その節はごめんなさい。言葉を濁した私はバレーボール片手に及川先輩を探しに出ようとする岩泉先輩についていく。すると怪訝そうな顔をされたので、下を向いて早口に言った。
「あまり副キャプテンに負担はかけられないので」
言い訳がましく言ってから、あれ、偉そうだな私と気づく。一年のマネージャーからそんなこと言われるってどーよ?
「……そうか、助かる」
ぎっ、ギリセーフ! 少し間が気になるけど岩泉先輩は怒っていないように見えたのでそう判断していると、黄色い声が鼓膜にダイレクトに届いた。見ればスカートを何回も折って脚を晒し、ばっちりメイクをした女子数名が及川先輩を囲んでアレコレ話しているようだ。
「及川くーん、クッキー焼いてきたんだけどぉ」
「マフィンとかケーキとか作ってきたから良かったら〜!」
「今ここで食べてくれていいよ! ねっ?」
頭一つ分抜けたところにある及川先輩の顔はにこやかな笑顔で満たされている。
「ぅぉお……」
「桃井の口から呻き声出てくるとか」
「わ、笑わないでくださいよ。すごいなって思っただけです」
フッと笑うな岩泉ィ! ……先輩。
「試合直前にお菓子を差し入れするところか?」
「それもあります。ただ嫌な顔を全くしない及川先輩の器の広さ、もといカッコイイ自分大好きーってところに感心しました」
「お前人に囲まれるとすぐ冷たくなるもんな。つーか毒舌だなおい」
表に出すことはあんまりないけれど中では結構酷いことを思っているから否定しない。え? 遠慮はないけど失礼なことは全く口にしてないよね? ぶっちゃけ及川先輩に対して敬意<面倒だなとか考えてないから。微塵も思ってないから。
お、私たちに気づいた及川先輩がチラッチラこっちに視線を寄越している。どうしよっかな〜こんなに女の子に囲まれてたら動けないな〜、あーモテるってホントに困っちゃう! というメッセージはしかと受け取った。
「置いていきますか」
「そうだな」
「ちょ、待てよ! 置いて行かないでよ!」
という必死な声を放って岩泉先輩とみんなのところへ戻る。及川先輩は焦りながらもちゃっかり貰い物を手にしてついてきた。その後、差し入れを貰ったことを自慢していてすごくウルサイ。だから岩泉先輩についていったんだよもぉ……。
北一は順調に第1試合をストレート勝ち。次に第2試合が控えており、その移動中のことだった。時間はあるし賑やかに談笑する選手たちの中にいるのも気まずいこともあって、飛雄ちゃんのところに行こうと集団から離れた時。
「おっ、おおおおおおおお美しい………」
目が合ってそらしたけれど強烈な眼差しに根負けしてため息をつく。気怠げにそちらを見れば、小学生間違えた中学生の男の子が赤面している。
知ってるー! 今大会でベストリベロ賞を獲得するのではないかと期待されてる二年の西谷夕さんだー! わあ実際に見るとちっこーい!
テンション高めに紹介しても表情はすんっという無表情を保っている。
「え、っと………あの」
「しゃ、しゃべっ、しゃべっっだっ、天使がしゃべった!!!」
年下要素(実際は年上だけど)を増す垂れ下がった前髪から覗くのはくりくりとした気の強そうな瞳。今は興奮気味に輝いていて危険を感じる。唾を吐くような勢いで迫られて数歩下がった。ちょ、勢いすごいなこの人! それから声大きい!
「あ、ああああのっ! おおおおおお名前を聞いても、よっよろしいいいでしょうか!!」
「は、はぁ……。桃井さつきです……」
「桃井さつきさんっ!」
「いや一年生なのでさん付けしなくても。敬語も外してください。西谷さん」
あ、ショートした。耳まで真っ赤になった西谷さんの頭からぷすぷすと煙が上がって見える幻覚に目をこすっていると、彼のチームメイトが手早く西谷さんを回収する。
「あちゃー、こりゃダメだな。だから北一マネには会うなっつったのに」
「はい?」
「あー違う違う。悪い意味じゃないぞ。美人過ぎて失神するからやめとけって話」
ニッと人好きのする純粋な笑みを浮かべ、その人はさっさと行ってしまった。西谷さん、嵐みたいな人だったな……。
さて、そんな西谷さんと彼を回収したセッターさんが所属するのは千鳥山。北一と同じく強豪校と名高い学校であり、なんと次の対戦相手だ。
「8番の西谷さんの方向にボールを打てばほぼ拾われます。そこから冷静な3番のセッターが攻撃を仕掛けてくる。守備力は今大会一位と覚悟してください」
千鳥山は強豪校だが白鳥沢のように攻撃力に特別優れているわけではない。ただレシーブの精度が安定して高いのだ。特に西谷さんの守備範囲はケタ外れに広い。ボールがコートに落ちない限りゲームが続くバレーボールにおいて、それは確かな脅威となり得る。
「まずは及川先輩のサーブで牽制を。スパイクはとにかく8番以外を狙うこと。もし体勢が整わなかったりしてコースを選択できなかった時は……」
試合開始直前に対策のおさらいと確認をするのが私の役目になっていた。クリップボードを持ってもらって試合展開の分析や指示を伝える。初めは及川先輩が補助してくださったが、今では一人で行えるようになっていた。
あらたか話し終えたところで監督に視線で合図を送る。頷いて選手への激励の言葉……ではなく、ある意味いつも通りな言葉選びで遠回しに彼らを励ました監督に続いて、及川先輩も拳を握った。
「俺らは打倒白鳥沢を目指して頑張ってきたけど、目の前の戦いに足をすくわれるわけにいかない。大丈夫、みんななら勝てるよ。───行くぞ!!」
「おう!!」
眩いライトが照らすコートへと、彼らは足を踏み出した。
及川先輩と千鳥山のキャプテンさんが握手し、挨拶をする。北一にサーブ権がやってきた。よし、及川先輩からだから最高のスタートで試合が始められる。
視界の端に夏の青空を映し出したかのような群青がひらりと揺れる。雄々しい字体の『必勝』は強豪校としての矜持を持てと叫んでいるようだった。
選手登録された12名に選ばれなかったバレー部のみんなが、観客席にずらりと並んでいる。その中に飛雄ちゃんを見つけた。国見君と似ていて丸い頭をしているけど一目でわかる。ここからじゃ見えないが、期待と興奮を綯交ぜにした眼差しでコートを見つめているんだろう。
お先に。とは言わない。いずれ飛雄ちゃんは
「私も私のやれることを」
座り直せばギシッとパイプ椅子が軋み、会場特有のコートの音色が全身を包み込んだ。すぅっと息を吸って、吐く。
開けた世界で、及川先輩は華々しく跳んだ。
「西谷ッ!」
キャプテンが鋭い声音で叫ぶ。だが西谷さんの守備範囲外すれすれのサイドライン際に叩きつけられたボールは、弾丸のような威力でバウンドする。
もともと及川先輩はパワーを余すことなく乗せたサーバーだったが、そこにコントロール力を加算することでほぼ自在に扱える穿つ矛となった。
「さ、サービスエース……」
目をかっ開いた西谷さんは自身が拾えなかったボールを振り向いて見る。ゆっくりとネット越しに及川先輩を捉え、白い歯を見せて笑んだ。一筋の冷や汗をかきながら。
「すっげぇ」
2本目も3本目も、際どい場所を狙った及川先輩のサーブ。しかしその落下地点へと駆ける人影があった。西谷さんが懸命に腕を伸ばすが、不恰好なフォームでは返球できず千鳥山の失点となる。
悔しげに歯噛みした西谷さんだがすぐさま目つきを変えた。この人は強い心を持っている。だってボールだけを追う眼差しに不純なものは一切なかったから。彼が考えていることは一つ。
ボールよ、俺んところに来い。
「いいね、その目。じゃあ望み通り君のところに打ってあげよう」
及川先輩も気づいたようでニタリと笑っている。あ、悪いこと考えてんな。
西谷さんがボールを上げれば千鳥山の士気は格段に向上する。逆に言えば、これで西谷さんが失敗すれば彼らの頭にこう刻まれる。
及川のサーブを上げることはできないと。
うまくいけば会場の雰囲気も及川のサーブすげぇに塗り替えられるだろう。うわぁ性格悪い。
思考で理解しているのかはわからないが、ペロリと唇を舐めた西谷さんは構えを取って吼えた。
「サッコ───イッ!!」
及川先輩が跳ぶ。軽やかな身のこなしで鮮やかなステップを踏むようにして、西谷さんのちょい前、つまりコートの守備範囲の穴を狙った。
息が止まる。驚くほど静かな顔をした西谷さんはしなやかに腕を伸ばす。すごい、と吐息と共に感嘆がこぼれた。なんて美しいフォームだろう。キュ、と少しだけ位置調整をして西谷さんが一瞬触れたボールは、羽が生えたように重力を感じさせない流麗な放物線を描く。
フワッ。長い滞空時間を経てセッターの真上に落ちてくるボール。ほとんどセッターは動かなくていいためセットアップを予測しにくい効果がある。ああ、綺麗だ。私は感動した。
「西谷───ッ!」
彼もまた、飛雄ちゃんや牛島さんと同じように天才という領域に在るのだと。
ようやく上がったボール。3番のセッターは嬉しそうに笑っていた。そりゃそうだろう。仲間が繋いだボールが自分にやって来る。反撃開始だと意気込むのも当然のことだ。
でもね、いくらセットアップを読ませなくたって、対策はいくらでもあるんですよ。
まず千鳥山でエースと呼ばれるキャプテン。3番のセッターは間違いなく彼にトスを上げる。過去の試合でも初っ端からエースのギアを上げていくために積極的にボールを集めるのだ。
というのもキャプテンさんはスロースターター。公式戦を遡ってみたが彼の得点の大半は第2セット、第3セットに集中している。少なくとも第1セットでは他のメンバーの方が稼いでいるほどだし。
ならそこは押さえて然るべき。
「そう来るとわかってたぜ!」
岩泉先輩を挟むようにして三枚ブロックがボールを阻んだ。
サーブ権は及川先輩に託されたままである。