7月31日。決勝トーナメント戦・2回戦を控え、稲荷崎のメンバーは支度をする。シード校なので1回戦はなく、今から始まる2回戦が彼らにとっては初戦である。
相手は、稲荷崎にとってはそれほど脅威ではない。しかし油断大敵、慎重に準備するのみである。彼らは丁寧にウォームアップをし、ユニフォームに着替えた。
「ウワッ似合わな。侑、顔だけ浮いとる」
「治お前俺と同じ顔やんか」
「髪金やからなー、銀の俺のが似合うねん」
「双子のチャラさは白いユニフォームでも変わらないって」
「アランくんて黒いユニやと溶け込むけど、白やと逆に目立つなぁ」
「今まで俺溶け込んでたんか! そんなふうに思っとったんか!?」
ほとんどが普段の黒、ではなくセカンドユニフォームである白いユニフォームを着用した。対戦相手が黒のユニフォームを着るからだ。
こういう機会はかなり少なく、男たちはソワソワして着替えを済ませた。
「おお。赤木さんカッケェっす」
「おっ褒めても何も出てこおへんよ?」
リベロの赤木は常に白いユニだった。しかし今は真逆の黒を身にまとっており、銀島に褒められて胸を張る。
慣れない服装だから、皆がちょっぴり胸がドキドキしていた。
もしかしたら桃井が褒めてくれるかもしれないと、誰もが期待していたのだ。
が、しかし。
「信ちゃん先輩、素敵です……」
「そうか?」
「はい。とてもよくお似合いです。素敵……」
そんなドキドキは一瞬で消え去った。
白いユニフォームを着る北に、桃井が指を胸の前で組んで、トキメキを抑えられないように言ったのだ。
桃井は北に清廉潔白のイメージを持っている。そんな彼が印象に違わない服装をしているので、ちょっと、いや、かなりときめいたのだ。髪の白さと本人の性質に非常にマッチしていて、発光しているように眩しく見えた。
桃井が何を言っても北の表情は揺れないので、安心して素敵と伝えられたのである。
麗しのマネージャーがそんな調子なので、周りの男たちは「なぁんだ」と肩透かしを食らった気分で解散した。
桃井が北のことを尊敬し一番に信頼しているのは、部内の共通認識なので、今更何とも思わなかった。
なんか女子校で憧れの先輩にドキドキして話しかける下級生のような、男女に発展しない空気の感じだったのだ。
「そろそろ行こか」
「はいっ」
北の号令に桃井が張り切って答える。声色が明らかにウキウキしていた。
北の白ユニにテンションが上がったのか、今から試合だからか、他の者たちにはいまいち判断がつかなかった。
「双子の人気は相変わらずだね」
「? 角名も居るやん。熱心なファンのオッチャン」
治が言えば、角名は唇を歪ませて「そういうことじゃない」と無言でリアクションした。
角名が指摘した通り、稲荷崎側の観客席には人がぎっしりと詰まっていて、かなり人口密度が高かった。
男バレ部員たち、応援に来た生徒、吹奏楽部、応援部のチア、保護者会、稲荷崎を応援する地元のおじさんおばさん、その他ファン……よりどりみどりである。
強豪校ならではの期待の現れだった。
しかし稲荷崎特有の空気や層がある。例えば。
「きゃーーーッ、侑くーん、治くーん!」
「頑張ってーーー!」
若い女性が侑と治の応援うちわを持って、黄色い歓声をあげた。アイドルのコンサートに持参するような手作りのものだ。そんなうちわを持参した女性がゴロゴロいて、かなり異質な空間だった。
女に飢えた乾いた青春を送る対戦相手の選手が舌打ちして、双子を睨みつける。
奴らは憎らしいくらい、光り輝くようなイケメンたちだった。
「まるでアイドル……」
桃井がめんどくさそうに眉を寄せた。
高校バレーの宮ツインズはとても有名だ。180cmを超える長身、厳しいトレーニングで鍛え上げた肉体、全国トップクラスの成績。それだけならばここまで騒がれない。
この双子、とんでもなく顔が良かった。一目見ればポッと頬が赤くなるほどハンサムなのである。
太めの眉はチャーミングだし、気怠げで柔和な垂れ目は可愛らしくて、ギャップがあった。
なるほど女性たちが夢中になるのがわかる人気だ。
しかし桃井にとって、これは厄介なことである。
「ファンに刺されないように注意しなければ……」
「こわっ! めっちゃ怖いこと言うやん」
「あっ近づかないでください。刺されます」
「俺が!?」
「いえ私が」
桃井が大真面目に言うので、侑は「そっか……」と大人しく引き下がるふりをしたが。
「? 隣に来ないでください」
「ヒドッ。いつものことやん」
「いつもはこんなに近くないでしょう……!」
「寂しーなぁ。一緒に海行った仲やろ?」
「部活で、です。個人的にはお二人には近づきたくないんですよ……いつか刺されそうで」
「悲し過ぎて涙出てきたわ。ハンカチくれん?」
「目乾いてますよ」
面白がる双子が桃井にウザ絡みし始めたので、桃井はグッと口元に力を入れる。しかし本当に双子が緊張していないので、この様子ならまあ大丈夫か、と調子を確認した。
いや、双子に近づく不届者として粛清されないよう、彼女たちに見られている間は距離感に注意しなければ。……台無しにされてるけど。
献身的に支えるマネージャーとか、双子を全く異性として意識していないとか、そういうことはファンには関係ないのだ。宮ツインズの近くに女がいる。それだけで過敏になってしまうものだから。
学校内は落ち着いたが、外野はまだまだ桃井の手が届かない。春高までには対処しなければ、と桃井はひっそり考えている。
「ま、大丈夫なんちゃう? 桃井のファンも居るみたいやし」
「銀島先輩……」
「知らんけど」
「一気に信用できなくなった……」
銀島の言う通りだった。
実力があって顔がいい人物は、双子だけに当てはまる条件ではない。桃井もまた中学バレー界に流れ星の如く現れた新星で、天女のような美しさをもった少女だった。
よって男性人気がえげつないほどあって、うちわこそ持っていないが、桃井のファンなんだろうなという男性がちらほらいた。
盗撮などしてくるようだったら相応の対処をしなければならないが、むしろそういう不埒な輩を平和的に遠ざけてくれるようだったので、桃井は放置することにした。
北川第一はアイドル的推し方をされないチームだが、稲荷崎はそういう推し方をされるチームだ。
だから中学の頃からいた桃井のファン層が、高校になって顕在化したのである。
「地元の応援団の人が、あの人たちみたいにちょろかったら良かったのに……」
「? 何の話……て、あ。応援の話か」
「監督。……はい。間に合わなかったので……」
監督に苦笑いをされて、華奢な肩を落とす。小さな背中に突き刺さるのは、応援団にいるオッチャン連中の非難的な目だった。
さて何の話かと言えば、桃井は稲荷崎応援団を改革しようとしてできなかったという話である。
「っお。稲荷崎か」
「あ〜〜対戦相手可哀想……アイツらの応援団、ガラ悪りぃんだよな」
稲荷崎の観客席を通りがかったチームが、首の骨を鳴らして吐き捨てる。
稲荷崎は男子バレー部のみならず、吹奏楽部も全国トップクラスに強い。よって公式試合には吹奏楽部が応援団としてやってくる。人数も楽器の種類も強豪校らしく圧倒的で、統率の取れた演奏は大迫力だった。
肌をビリビリと突き刺すような巨大な音に気圧されて、空気が稲荷崎色に変わる。
ここまでは、まあよくある光景だ。
しかしそれだけで終わらないのが稲荷崎である。
「アランー!」
「おさむーっ」
「あつむー!」
稲荷崎高校の学生がワッと声を上げた。非常に賑やかである。
ピーーーッと試合開始の笛が鳴って、サーブ権を得た稲荷崎の先制攻撃が始まった。
片手でボールを持つ侑が、勇壮な演奏によって彩られたレッドカーペットを歩む。ルーティン通りに歩を進め、コートを向く。ゆっくりと手を掲げ、開いた指をグッと閉じる。
その瞬間、相手を蹴散らすように響いていた演奏がシンッと止まった。
「───、」
まるで世界から音が掻き消えたように、ともすれば美しさすら感じられる無音を切り裂くのは、侑がステップを踏む音。
キュキュッとシューズの音が鳴って、腕を振り抜く。
ドッ!!! と床を揺るがして、鮮烈な一点が決まった。
「ナーイッサー、あーつーむー!!」
「いいぞいいぞあつむ、もう一本ー!!」
点が決まると観客席は大盛り上がりだった。
稲荷崎がサーブの時は、静寂と集中を。よく訓練された応援団である。
ここは、いい。ここまではいい。桃井は試合展開を記録しながら、心を落ち着かせる。
「ん、連続サービスエース! 侑先輩、調子いいですね」
「アイツ早う試合したくてウズウズしとったからなぁ」
侑のサーブで点を稼ぎ、やがて相手サーブに代わる。
すると稲荷崎応援団の演奏が止んだ。
「ブゥーーーーーーーー」
「!? な、なに?」
「嫌だわ、品がないわね……」
メガホンを口に当ててブーイングをした。ものすごい人数が息を合わせてやるから、凄まじいプレッシャーだった。
相手に喧騒と動揺を与え、サーブのミスを誘っている。
ブーイングに気づいた観客が、居心地が悪そうな顔で不安そうにキョロキョロしていた。
「、」
「あ、すみません」
桃井の手元がくるって紙がピリッと破けた。
小さく謝る彼女に対し、監督とコーチが気まずそうに黙っている。
試合が進み、サーブで別の選手の順番がやってくる。
「相手効いてる感じせんな」
「ブーイング切り替えるか」
「せやな」
稲荷崎応援団の指揮者が指示を出して、相手サーブへの牽制方法を変えた。
ダン、ダン、ダン、と心臓を打ち破るような大太鼓の音が鼓膜を殴りつける。周りを突き飛ばすような打楽器の音がそれに重なった。
「? なんか応援すごーい」
「テンションあがるー!」
「お祭り感ヤバ!!」
打楽器の音に釣られて、周囲の観客たちがリズムに合わせて手拍子を送る。
地響きの拍子に、パチ、パチと乾いた音が合わさった。誰かが始めたそれに通行人も乗っかって、大音量の手拍子が相手サーバーに襲いかかった。
だんだん速くなる拍子は、知らず知らず勝手にリズムを作り上げる。普段のリズムを狂わされた選手は、苦しそうにボールをあげてサーブを打つも、ネットに阻まれてしまった。
彼の血の滲むような努力が、稲荷崎の応援によって台無しになった瞬間だった。
「、」
「あ、すみません」
書いていたシャーペンの芯が折れてしまって、桃井はもう一度謝るとカチカチ芯を出して……カチカチカチカチ出し続けて、最終的にポキリと折った。
隣のベンチに座る大人二人は、ビクッと体を震わせる。
桃井がめちゃくちゃ怒りを抑え込んでる……と理解したので、どうにも言葉をかけられなかった。
稲荷崎高校に入学する前から、桃井はこの応援がどうにも苦手だった。
応援というより援護射撃という表現の方が適するような、剥き出しの敵意が相手チームを襲うのだ。コートの中の外、音と時間を使って、稲荷崎のナワバリが広がっていく。
その中のブーイングと手拍子の加速。
使えるものは何でも使い、執拗に勝利を狙う桃井だが、これだけは受けつけなかった。
『プロの世界ならまだしもブーイングは……品性、マナーとモラル……。ううん審判に注意されない限りはルール上セーフなんだけど……。一試合しかやらない準決以降ならアレだけど、同時進行で何試合もしてる会場ならそこまで脅威ではない……? いや決勝戦でもやってるなコレ。毎試合やってるなコレ』
稲荷崎の公式試合を確認して桃井がぶつくさ言った。髪をかきむしるかのようなポーズで頭を抱えている。
桃井にとって、どんな強敵の分析よりも、反感を買わないためにする学校内の女子生徒への根回しよりも、何よりも難しい問題だった。
相手サーブへの妨害行為(といっても審判は注意しないので、ルール違反ではない)を、彼女は看過できなかった。
これが個人でやってるとかならまだしも、学校主導でやってるのはよろしくないのではと思ったのだ。今の時代注意されずとも、この先の未来で取り上げられて批判されるのでは……と戦々恐々としている。
『いや、批判とか、炎上とか、そういうんじゃない。選手の真剣勝負を邪魔されるのが嫌なんだ……』
サーブは何者にも邪魔されない究極の個人技である。選手たちが尊い時間をかけて練磨してきた技を見守るのが、桃井は好きだった。
それを悪意をもって妨害することは、何人たりとも許されないと考えている。
だからどうにかして、せめてブーイングだけでも止めさせることはできないかと思考を巡らせた。
味方を盛り上げるためならとても好ましいが、相手を妨害するための応援なんて、果たして応援と言えるのか……。
モヤモヤして仕方がない。
『……でも、』
自分だって同じ事をさせているのに、とも思った。
直接的なラフプレーではない。しかし精神的に心を折るような指示は、桃井の頭に無数に浮かぶし、実際作戦の主軸にしている。
これを妨害と捉えるか、ルール上セーフと認識するか、その迷いは稲荷崎のブーイングを初めて見た時と同じものだった。
選手と選手だからOK? 発案者がマネージャーなのは? 妨害者が応援団だからアウト? 応援団も勝つためにやっているのに? 彼らを外部と切り捨てるのか?
色んな問題点が彼女の脳を埋め尽くす。
『………。ここは、私のエゴだ。それを自覚できればいい』
そして桃井は、「相手サーブをブーイングで牽制する稲荷崎の応援──これを止めさせるのは、自分のエゴによるもの」とすっきり認識した。
桃井は自分の立てた作戦で相手選手の心が折れようが、全力で勝負すると心に誓っている。それを指摘したのは、3年前の宮侑だ。
だから"自分の気が済まないから"という自己中心的な思いを抱えて、目標のために動き始めた。
稲荷崎のセカユニ一番似合うの北さん説は、満場一致だと思います。