北川第一も白鳥沢もタイムアウトを使いきり、いよいよ大詰めを迎えた決勝戦。やれることはやったと落ち着いた面持ちでベンチに座る監督やマネージャーは選手たちを見送った。
「どいつもこいつもカッチョいい顔しやがって……今年も優勝をいただくのは俺たちだ」
敵チームの覚悟を決めた顔つきを見て、白鳥沢の選手はそうこぼす。
北一の神がかった集中は途切れることなくチームをひとつにまとめていた。全国大会にも出場経験のある白鳥沢だが、間違いなくこれまで戦ってきたチームでも上位に食い込む強さだろう。
それでも負けない。
全国の猛者たちと試合を繰り返してきた絶対王者のプライドをかけて、負けることは許されない。
「締まっていくぞ」
牛島は北一が何かを仕掛けてくると予期し、一層警戒を強めた。チームメイトも神妙な顔で頷く。
初めは得体の知れない桃井が嫌だったが今はあの眼差しに秘めた強い想いの理由がわかる。だから強いやつだと素直に認められた。認めたから必ずそこで終わるとは到底思えないし、そうであるはずだと期待する。
それは及川にも言えることだった。彼からは心底嫌われているが、牛島は及川の強さを認めている。その二人が立ち止まったままでいるとは、やはり信じられないのだ。
それでも勝つのは自分たちだと絶対的自信を持ってコートに立つ。
「27ー27……この流れを崩すのはどっちだ?」
観客席にいる誰もが固唾を飲んで見守る中、白鳥沢のサーバーがボールを放り投げた。
負けてはならない。プレッシャーが彼を蝕み、身体が僅かに硬くなったのを確かに見た北一のリベロは、ぞわ、と鳥肌が立ったのを自覚した。
こんなに離れているのにサーバーの顔がよく見える。
───打つ方向が、わかる。
「ソイヤッ!」
「綺麗にセッターに返った!」
全員が本気でトスを呼んでいる。囮が2枚……バックアタックか? 振り切られるよりか確実に触れたほうがいい。リードブロックを選択した白鳥沢のブロッカーは、エースである岩泉をそれとなくマークしながら思考を巡らす。
さあ誰が来る。
キュッと床を踏んで構えた白鳥沢を嘲笑うように、一糸乱れないフォームを保った及川は手首を曲げてボールを落とした。
「んにゃろっ……!」
腕を伸ばして滑り込ませようとするも、ほんの数センチ先で無情にもボールは床に触れてしまった。
「は、ここでツー……?」
桃井はひくりと口元を引きつらせる。今試合は全くツーアタックを繰り出さなかったし、その素ぶりすら一切なかったのでパターンから外してしまった。桃井ですらそうであるから、尚更チームメイトも驚いたことだろう。
「あああ〜〜俺めっちゃ打つ気でいた! ずっる!」
「1点取ったのにこの残念な感じなんなの!?」
……ああ、チームメイトもその可能性は頭の外だったから白鳥沢を騙せたのか。私もまだまだだな、と桃井はひっそり反省する。
「あと1点!」
「オラ、お前の番だ。ここでサクッとノータッチエース決めていいぞ。俺が許す」
「岩ちゃんまで扱い雑だから! ふん、じゃあマジで決めちゃうからね!」
緊張感があるんだかないんだか、通常の空気が漂いつつも及川はボールを手にし、コツコツと進む。ちょうど顔を上げると青の集団が目に入ってきた。
「及川ー! やっちまえー!」
メガホンを叩き、汗を流して応援してくれる仲間の中にあの気に食わない後輩がいるんだろう。
……この試合が終わって心変わりしていなかったら、まぁ、サーブを教えてやってもいいかななんて一瞬考えた。それは勝ったことが前提になるけれど。
「絶対勝つ」
荒っぽい笑みのまま及川は渾身のサーブを放つ。白鳥沢のリベロが食らいつくも大きく乱れ、牛島のスパイクに対応する余裕がほんの少し生まれた。
一撃一撃が重たいラリーが続く。白鳥沢には絶対に落とせないボールだ。死に物狂いでボールを繋ぐ。
拮抗する北一もそれぞれの腕や足が限界に達していた。そこに落ちるとわかっているのに、指が届かない。ついにボールはバウンドして両校の点数は並ぶ。
「くそったれ……!」
「ぃよっし! 振り出しに戻したぞ!」
爆発した闘志がコートに拡散し、大量の汗が流れる身体を叱咤して12人の選手はただひたすらにボールを追いかける。そこに才能の有無などは存在せず、平等に転がったチャンスを掴みとろうとする渇望のみがあった。
会場のボルテージは最高潮で、スパイクが決まり、レシーブに成功する度にひとつになった歓声が沸き上がった。全員の気持ちが繋がったような高揚が会場を飲み込む。しかしその終わりの時がついに訪れようとしていた。
「ここでリベロ不在……!」
またもや北一が1点リードした状態だが、守備専門のリベロが居ないのは痛い。しかも牛島が前衛で最も攻撃的なローテーションだ。
もうこれ以上試合が続いたら間違いなく負ける。それほど体力が底をついた状態で苦しそうな選手たちを見て、桃井は強く拳を握った。
「オイてめーら! 声小さくなってんぞォ! 最後の最後まで振り絞れェェ!」
「アーーーッス!!」
仲間を鼓舞した岩泉は、ウシワカのスパイクを拾ってやると意気込む。
己が天才と張り合える力がないことにはとっくの昔に知っていた。だが、それがどうした。そんなちっぽけなことに捕らわれて動けなくなるほど岩泉は繊細ではない。
烈火のごとく荒々しい熱意を剥き出しにして、常に幼馴染やチームを率いてきた。時には拳で、時には頭突きで、道を踏み外してしまいそうになった連中を引っ張った。
その漢らしい生き様に仲間は何よりも信頼を寄せている。だから。
「牛島、決めろ!」
鈍り出してきた脳内で、桃井の言っていた逃してはならない場面であると理解した。
数々のウシワカのスパイクを上げてきたリベロはいない。ここでまた並べば突き放される。絶対に、落とせない一本。
リベロでもなんでもない、ヤツの言う弱い選手だけがいるコートにウシワカは何を選択する?
桃井は導き出した。
それを信じて、身を任せろ。
まばたきした瞬間には消える。そんな凶暴なボールを岩泉は確かに捉えた。腕に凄まじい衝撃が走り、顔を歪める。
これまでの選手の中で、断トツに、重い。
しかしウシワカのスパイクを拾ったというある種の快感が岩泉を奮い立たせた。
それは仲間にも心強いワンプレーとなる。
「持ってこいッ」
もう一人のウイングスパイカーが跳躍し、腕を振り抜いた。拾われ、またラリーが続く。恐ろしいほどに、長く。
そして唐突に終焉が彼らを襲う。
「───ぁあッ!」
北一のミドルブロッカーは牛島のスパイクを受けきれず、ボールが大きく飛び跳ね、絶望的な遠くへ進んだ。
───届かない?
いや、届いてみせる!
身体の他の部位を動かす余裕はなかった。ただ一瞬だけ、北一の誇るエースへのアイコンタクト。それで充分過ぎる。
及川は脚を懸命に前へと動かし、間一髪間に合ってみせた。最後の一歩を力強く踏みしめて跳び、コートを裂いて直進するトスを上げる。その際に勢いよくベンチに突っ込んだが構わずコートに戻った。
揺れる視界には、ドンピシャなタイミングで岩泉がスパイクを打つ瞬間が映る。
「おおおおおおッッ!!!」
激しい咆哮と共に放たれた全てが噛み合ったボールは、コートを撃ち抜き大きく弾んだ。
静寂。そして、感動の爆発。
嵐のような喝采が会場を包み込む。
「北川第一中学、優勝ーーーー!!」
そう誰かが叫んだ。
ああ、終わったんだ。
あらゆる感情が押し寄せて全身から力が抜けたが、すんでのところで持ち堪える。
「っしゃあああああああ!!」
拳を突き上げ全力で喜ぶ及川と岩泉を中心にして、北一は沸き立った。
「お前ら何なの最後! やっぱし阿吽の呼吸だな、もう、俺、マジ痺れたわ! ほんと、ほんとにさぁ……!」
「泣いてる! いつもは仏頂面のくせして!」
「うるせえお前も泣いてんじゃねーか!」
駆け寄ったチームメイトが騒ぎ立てる。揉みくちゃにされながら阿吽の二人は泣き笑う。やがて監督やコーチ、桃井もその渦に飲み込まれた。
「おー桃井! お前よくやったなぁ!」
「ちょっ、岩泉先輩! 髪ぐしゃぐしゃにしないでください!」
男泣きする岩泉に頭を乱暴に撫でられ、桃井は顔を俯かせた。やべえやり過ぎたか? と手を止めた岩泉は、伏せた顔が上げられて固まった。
「優勝おめでとうございます、感動しました。みなさんかっこよかったです。……本当に、かっこよかった」
潤んだ桃色の瞳から雫が溢れた。慌てて目元を擦ると、桃井は満面の笑みを浮かべる。そこで桃井は涙腺を引っ込めることに成功したが、洪水を起こした及川が岩泉に加勢した。桃井の髪はぐしゃぐしゃを通り越して凄いことになっている。
「ついに壁をぶち壊したな。大したヤツらだ」
驚いたことに冷徹な監督まで目元を赤くしていた。及川が真っ先に指摘して笑いの輪が広がる。
涙が混じっていたけれど、人生で輝いたシーンとして一生心に残るだろうと皆が共感した。
見上げた世界では滲んだ白がいくつも降ってくる。去年も見た光景だった。決定的に違うのは、胸の内にある感動だろう。
「お前らは俺の自慢の仲間だよ!」
及川はとびきり最高の笑顔で口にした。
その後は表彰式が行われ優勝杯やメダルが贈られた。及川はベストセッター賞を受賞し、純粋な笑みを浮かべている。
「珍しく裏のない笑顔だな」
「本当ですね。だいたい何か企んでいますし」
「そこの二人! 聞こえてるから!」
朗らかな談笑をしているうちに記者から取材を受けた。
及川や岩泉が時々詰まりながらも頑張って受け答えをする様子をぼんやり眺めていると、桃井にもマイクは向けられる。
「君は北川第一のマネージャーの桃井さつきさんだね。取材してもいいかな?」
「……あ、はい」
そつなくこなし、桃井は速やかに退散した。ああいうの苦手だなぁと未だ熱気の冷めない会場内を歩く。
応急処置をしていた髪型をトイレできちんと整えた頃にはいい時間帯で、取材も終わっただろうと集合場所へ向かう。……はずだったが。
「桃井さつき」
「う、牛島さん………一体何の用で……」
待ち伏せでもされていたのか、目の前に堂々と立つ牛島に桃井は踵を返しかけた。威圧が凄い。そういえば勝負が決した時、味方ばかりに気を取られて白鳥沢の様子を見る余裕はなかった。
負けたウシワカにアレコレ言ってやるんだと息巻いていた及川は実際どうしたんだろうと現実逃避をしたところで、桃井は牛島に向き直る。
「あの時……どうして俺がクロスに打つとわかった」
「……私があなたを信じたからです。物凄い負けず嫌いで、超バレー馬鹿。そんな牛島さんがバカ正直に空いたストレートを打つとはまず考えられなかった。その状況を作り出して、クロスに打つよう誘導させました」
失礼なことを言った気がしたが、まぁいいかと桃井は話を続ける。
「リベロは不在だったらブロックでコースを絞るしかなかったんです。ストレートかクロスかで言えば断然牛島さんはストレートに偏る。今までのデータを信じれば。でもその程度では及川先輩は認めなかったでしょう」
人はどんな時も成長する。感情の化学反応で思わぬ展開に傾くことだってあるのだ。
「私はブロックを不規則に揃えるように指示しました。ストレートガラ空きで、クロスをちょびっとだけ綻ばせる。普通の選手ならストレート。ただしあなたは意地でも予測されていないと思うほうを、全力で狙うと思ったんです」
桃井に負けたくない牛島を、桃井は信じた。
「お前は……お前たちは強かった」
全く読めない表情のまま、牛島は唐突に言う。
静かに耳を傾ける桃井は後ろから近づく足音に気づいた。
「だから、強いお前たちは白鳥沢に来るべきだ」
「あ?」
「わ、及川先輩」
ド低音で苛立ちをこぼし、見たことのない顔をする及川に桃井は若干引いた。この人ついさっきまでめっちゃ笑ってたじゃん、が桃井の本音である。
「へっ、どうだ。お前に勝ってやったぞ。だからもうちょい表情変えろよロボットかよ」
「白鳥沢に来い」
「二回言うんですか」
敗北した張本人に対面してもピクリともしない表情筋に諦めた及川は、桃井を庇うようにして立ちはだかった。
「何で俺らがお前なんかがいる白鳥沢に行かなくちゃなんないわけ」
「それが正しい道だからだ」
息を飲むような迫力を伴って牛島は続ける。
「俺のいるチームが最強だ。及川と桃井が来れば、それは盤石なものとなる」
「………はっ、今日負けたくせしてよく言うよ」
「ああ。負けた。次は勝つ」
桃井と及川は顔を見合わせた。どうやら牛島の中では独自の論が成り立っているようだが、二人には理解できそうにないし、一名に至っては理解したくもない。
「上等だよ。次も勝つ」
故に不敵に笑うと及川は桃井の腕を掴んで歩き出した。しかしその手にやんわりと触れて桃井は拒否し、察した及川がため息をつくと立ち止まった。腕は離してくれないようだ。
「あの、牛島さんのプレー、かっこよかったです。凄く強くて……正直、間近で見ることができるのなら、それもいいかななんて思いました。………及川先輩腕痛いんですけど」
「うん、続けて?」
「え。………それで、鷲匠監督にも同じような話を頂いていて……ちょ本当に痛いんですけど!」
「ああごめん」
ぱっと手を離してニコニコする及川に鋭い一瞥をくれた後、桃井は牛島を見上げた。
「時間をください。具体的には2年くらい。今決断できるほど簡単な話ではないので。……まぁ鷲匠監督がどうおっしゃるかわかりませんが」
「わかった。待とう」
おや、潔い。桃井がまんまるな瞳をパチクリさせる。こくりと大きく頷いた牛島は及川に目を向けるとあっかんべーをされた。
「中3にもなってみっともないですよ」
「マジトーンやめて。ごめんなさい」
「及川、よく考えておけ。道を間違えないように」
「余計なお世話だっつの」
最後まで表情は変わらず、中学生にしては広い背中を見送る。
本当に怖いのは来年からだ。敗北を知った天才は勝利を渇望し、更なる強さの世界にのめり込んでいく。その様子を見られないことを残念に思いながら桃井はひっそりと彼に感謝した。
ありがとうございました。あなたのおかげで私はもっと強くなれる。
「ねぇ桃ちゃん。鷲匠監督にも勧誘されたの? 及川さん全然知らないんだけど」
「…………これには深いわけが」
「じゃあじっくり聞かせてもらおっか。ここ最近ずっと無理をしていたようだし、その話も、ね」
「あっハイ」
あ、死んだ。そう思ったが、バスに揺られて数秒で眠った及川に命拾いした。二試合をこなした上に精神的にも疲れただろう。それは応援したチームメイトもそうだ。
バスの中は寝息とイビキでいっぱいになり、しょうがないなぁと苦笑した桃井はそっと瞼を閉じる。
寝心地は最悪のはずなのに、不思議とぐっすり眠った。