影山飛雄は才能の塊だった。教えたことを吸い込む吸い込む。一度私がプレイしたのをじっと見て、自分でやってみる。できなかったところを聞いて修正し、完璧なものに近づけていく。その成長速度は圧巻の一言だった。といっても小学生レベルでの話だけど。
「ラスト」
山なりのトスが上がると、ボールの軌道を追ってステップを踏むようにして跳ぶ。綺麗なフォームで腕を振り上げドンピシャなタイミングでスパイクを打った。うん、うまい。
何十回も練習を積み重ねていけば上手になるもんだ。
「もう一本!」
「って言って何回目よ? 腕疲れてきたからやめようよ」
オンボロのネットすぐそばに立つ飛雄ちゃんは顔で嫌だと主張する。だが断る。何度スパイクを打たせる気だ。
そう、私がスパイクを打つ係。飛雄ちゃんがトスを上げる、所謂セッターのポジションについていた。
ある日、参考になるだろうと世界選手権の動画を見せたことがあった。まぁプレイが別次元過ぎてわけわからなかったけど。おかげで飛雄ちゃんが矢継ぎ早に質問したが、答えられないのは癪だったので猛勉強し、スラスラと答えてやった。さすが小学生の脳みそ。すいすい知識が入っていく。
それで飛雄ちゃんはネット際でトスを上げる選手に注目し、何をやっているのかと尋ねた。
『ああ、セッターだね。スパイカーにボールを出す選手』
『スパイカー』
『スパイクを打つ人。で、バレーで忘れちゃならないルールの中で、ラリーに関してはどうだった?』
『ラリー! 三回であっちにボールをやる!』
『んん、そうだけどさぁ。三回目に敵コートにボールをやんなくちゃいけないよね。その役目がスパイカー。スパイカーにトスを上げるのがセッター』
『じゃあ、セッターって一番えらいのか』
『えら……? まぁ、そうなんじゃね』
『なんか、あやつってるみたいでカッケェな!』
『操る……支配者みたいってこと? 言われてみればそうかもだけど……』
飛雄ちゃんは時折、違うないつもバカなことを言う。そんなわけでセッターの真似事をずっと続けている飛雄ちゃん。それに付き合わされる私……。
このままだと右腕がはちきれるまでスパイクを打たされるのではなかろうか……食い下がるからこちらも手段を選ばない。私は作戦を実行すべく魔法の板に指を滑らせる。
「ラスト一本!」
「まぁまぁ、とりあえず見てみて」
バレーボールの動画を見せた。食いつく限りずっと。こうすれば視聴後に間違いなくやり方を聞かれ、教えて一日が終わる。スパイクを打たされ続けるよかマシだ。
「おお……! すげぇ……これ何してるんだ?」
「一人時間差だね。ブロックに先に跳ばせてタイミングずらし、スパイクを打つ」
「うおお……すげぇサーブ!」
「飛雄ちゃんも練習すれば殺人サーブできると思うよ」
「さつ……? とにかくすげぇ!」
またすごい回数のすごいを言っててすごいと思ったまる。よし、作戦成功。飛雄ちゃんにせがまれ私は動画の動きに倣った。
もちろん小学生だから完璧なプレイはできないが、再現度を高めるぐらいはできる。体の軸はブレブレで、まだまだ不安定な肉体を制御することに快感のようなものも覚えてしまう。
「った───!」
やっぱ手ェ痛い。じんじん痺れる。が、打った瞬間の感動というか、飛雄ちゃんの歓声とかが嬉しい。あれ、私もバレー馬鹿になりつつある……? 阻止しよ。
こうして時間はあっという間に過ぎていく。
「じゃーな」
「うん」
家に帰ってバレーボールの動画を漁る。お手本のような素晴らしいフォームを頭に叩き込んだ。踏み出すタイミング、視線の動き、振り上げた腕の角度。何度も何度も繰り返すうちに目が慣れて、新しいことにも気づく。ああ、こうしているからこうなるんだと感覚的に理解できるのだ。それを言語化して噛み砕きバカに説明するの大変だけど。飛雄ちゃんは擬音語オンリーで理解できたけど。
だんだんその人の癖というものも何となくわかるようになる。確証はないけど、何となく。これ桃井さつきの能力があるからだよな……ほんとすごいよ。開花させるのが小学生って早いのかもしれないが、その分中学でも役に立つしいいっしょ。
……当然のように中学生でも飛雄ちゃんとバレーすると思ってる。キモイな、自惚れないようにしないと。
「さつき、本当にバレー大好きね」
「んー……ちがうと思う。飛雄ちゃんが教えてって言うから……」
「だからってずっとバレーを研究するの、大変でしょう? それができるって実はすごいことなのよ」
「そうかな、けどありがとう」
なんですか両親公認ですか。まあいいけどね、どうせ私もどハマりしてますけどね!
そういやまだ公認されてるのあった。
「はい。ぐんぐんヨーグルト。飛雄ちゃんからもらったやつ」
「お母さん、私ヨーグルト苦手かなぁ」
「もーいっつもそう言うんだから。じゃあぐんぐん牛乳にする?」
「それでいいや」
良識的な睡眠の量と質、栄養バランスの良い食事、そして健康的な運動量。これさえあれば身長は伸びるはず。体づくりは未来の選手として大事だ。飛雄ちゃんも似たような生活だし、きっと高身長になる。
……私も大きくなったらいいな。キャラがそうだったからと言って私がそうなるとは限らないもんね。下に目を向けて思った。
「サーブするからレシーブしてくれ!」
「はいはい」
こうしていつも指導しているとわかるが、飛雄ちゃんはバレーに関してだけ賢い。ものっすごく。小学生レベルのテストですら戸惑うバカだが、バレーに関してだけ知識の吸収量がケタ違いなのだ。
あと貪欲。これに尽きる。才能はある。ど素人の私が言っただけでできちゃうんだから。たぶんセッターが一番向いている。けど自分じゃまだまだだとわかっているから、上達したい一心であらゆるものを糧にしていた。おかげで飛雄ちゃんが育っていくのが日に日に嬉しいとまで思ってしまう。……つーか。
「いつになったらクラブチームに入るの?」
唐突な質問に飛雄ちゃんは動きを止めた。このままだと私もバレーの道に引きずり込まれる気がする。もう手遅れとかいう声はシャットアウトだ。
「前にも言ったでしょ。ちゃんと上達したいんならそれなりのところ行くべきだって」
「……わかってる」
「いやわかってないじゃん」
親の仇でも見るかのような目で地面を睨みつけるからツッコんだ。こいつ目つき鋭いから余計怖いのよね。
「あのねぇ、飛雄ちゃんはバレー上手くなりたいんだよね?」
「おう」
「なら……」
「けど! そしたら……」
食い気味に言葉を挟まれて大人しく続きを待つ。飛雄ちゃんは何度か口を開閉した後、蚊の鳴くような声で言った。
「お前バレーやめちまうだろ。それはなんか、いやだ」
「……私がどうしようと私の勝手でしょ」
「バレー好きのくせにバレーやってる理由が全部おれみたいな感じじゃねーか」
「うぐ……否定できない」
「だから、さつきがバレーやめるのがいやだから、お前に教えてもらう」
「……それ私の話だよ。君はどうなの」
するとぽかんと口を開けてくわっと叫んだ。
「続けるに決まってんだろ! クラブチームに入らなくてもいい!」
「どうして?」
「? 入るひつようがないから?」
二人して首を傾げた。んん? いつから飛雄ちゃんは日本語が通じなくなったんだろう……あっ最初からだった。
「クラブチームに入ってバレー教えてもらわなくても、おれにはお前がいる! 教えてもらっておれもここまでバレーができるようになった! つよくなった! だから入んなくていい!」
胸を張って飛雄ちゃんはふんっと気合の入った鼻息を出した。……なんか、もう。色々考えてたのバカみたいだ。こんな単細胞を前にしていると難しく考えるのがアホらしくなってくる。
「単細胞め」
「たん……? わけわかんねーけどバカにされてる気がする!」
しょうがないなぁ。私はくすっと笑うと飛雄ちゃんはぎょっと目を開いた。
「さつきが笑ったの、すげー久しぶりに見た……」
「失礼な。私だって笑います」
「だっていつも顔変わんねーし」
「コロコロ表情変わる飛雄ちゃんからしたら、そりゃそうよ」
バレーボールを拾って腕の中で転がす。愛おしい重みに深い笑みを浮かべ、飛雄ちゃんへレシーブした。
「ほら、トス上げてよ」
「!」
爛々と輝く目がボールを夢中に追う。そして綺麗なフォームで指がボールに触れる寸前に言葉を滑り込ませた。
「あ、単細胞ってつまりわかりやすいおバカってことね」
「ぬっ!?」
体勢の崩れた飛雄ちゃんは数十回目の顔面レシーブ。腹抱えて笑った。