木兎のいる学校名すらないのにチームメイト全員名無しはキッツイのである方に登場してもらいました。
ノータッチエースが早々に決まるも及川の顔に弛みは一切ない。冷徹に試合展開を手繰り寄せるべく思考を続けている。
「及川ナイッサー」
北一は誰もサーバーを見ていなかった。それのなんと誇らしいことか。
ピッと笛が鳴り、与えられた8秒の中で充分な精神集中をしてからサーブを放つ。またもや鋭い回転の加わったボールが木兎を狙う。
「俺が取ーる!」
木兎はアンダーで拾おうとした、が。大きく弾かれボールはコート外へ。選手が追いかけるが間に合わず、彼らの失点となった。
「すまーん!」
「おー、ドンマイドンマイ」
「木兎さぁ、狙われているみたいだから代わろうよ。俺のほうがイケルと思うんだよね〜」
気怠げな雰囲気を醸しつつ、いつも笑っているように見える猫口から提案をした
「俺、絶対オイカワトールのサーブ……トールサーブを取ってやるから!」
「そっかー」
なんか本人凄いやる気だしほっとこ。猿杙はヘタにつつけば木兎がしょぼくれモードに移行することをよく知っているので任せることにした。今日は大丈夫そうでもあるからだ。
ただ……。猿杙はちろとチームメイトを見る。ほんの少しだけ仲間の表情に嫌なものを見つけてしまい、肩を落としそうになった。
ああ、爆発しませんようにと祈るしかない。
「次で切る!」
獰猛に細められた瞳。肌で感じる強者の威圧に及川も微笑んだ。急激に増えつつある彼のファンが卒倒しそうなほどに美しく、それでいて危険極まりない笑みを浮かべ、及川は跳ぶ。
「まえまえまえッ」
「っぶねー!!」
やや後方に詰めたのを狙われた。ネットの白帯すれすれを落ちるボールを間一髪で上げ、崩れたトス回しが最後に選んだのは。
「木兎君来るよ!」
及川は敵セッターがトスを上げるのとほぼ同時に指示を出した。流れるように3枚ブロックが揃い、バレてら、と口元を歪めるが構わずボールを上げる。それで点がもぎ取れる時と取れない時があるけれど、今は何やら調子が良いらしいので特に不安はない。
「木兎!」
「おう!」
よくほぐれた肩の筋肉をうねらせクロスの方へと腕を振り抜く。そこには北一の選手が構えていたがレシーブは威力を殺しきれず観客席の方へ弾き飛んだ。
「ひょえー、腕もげるかと思った。わはは」
「笑い事か! パァンッて音したぞ! パァンッて!」
北一は及川サーブを切られてしまったにも関わらず、空気は温かい。それだけ木兎のプレーがカッチョ良かったのだ。
「肩の柔らかさエグくね? クロスの角度やべーよ」
「えっ、ホントに?」
「マジマジ。ウシワカにも負けてねーよ!」
「そうかぁ! まぁ負けてねーけどな! 勝つけどな!」
木兎は腕を組んでハハハ! と元気に笑った。本人は及川サーブをレシーブしたかったようだが自慢のスパイクを褒められて悪い気はしない。
お、なんか良さげだ。と木兎は肩の調子を確認するのを、岩泉は静かな眼差しで眺めていた。
『岩泉先輩、自分のプレーに対する自信が揺らいでませんか?』
ばっちり言い当てられて思わず岩泉は身動ぎをした。思い出すのは幼馴染の発言である。
『女の勘か?』
『勘……といいますか、練習を見てたらなんとなくですかね』
『つまり勘だな』
『まあ、そうです』
桃井もこくりと頷く。
普段の熱量凄まじい岩泉のプレーを見て、誰も岩泉に迷いがあるとは思わないだろう。阿吽の呼吸とさえ呼ばれる幼馴染にすら多少首を傾げられた程度である。
それを桃井は口に出したのだ。やっぱ女っておっかねーなと岩泉は変なところで得心する。
『………ヘタしたら、チームの信頼を裏切ることになんのかもしんねぇ』
『なぜですか?』
『あいつらが信じてるのは、芯があってまっすぐな俺だろ。けど今はそうじゃねぇ。俺らしくないってのはわかってんだよ。それでもやっぱり考えるのをやめらんねぇんだ』
硬い自分の手のひらを見つめ岩泉は訥々と語る。それだけで相当悩んでいることを想像させた。
おおっぴらにしない耐える力においては及川より凄いんじゃないのかこの人、と桃井は思った。
指を組んで項垂れるように座り込む岩泉に、普段のハキハキした男らしさは見当たらない。
『……俺は、ウシワカや全国区の大エースを知って、1対1じゃ敵わねェって思っちまった。けど、んなことはとっくに知ってんだよ。ただ、ただ……』
唇が乾いているのに気づき舐めて息を吐く。
溶けるように呟いたそれは、彼の懇願にも等しかった。
『やっぱ憧れずにはいられねぇ』
ふと岩泉はなぜ年下の女の子にこんなみっともないことを口にしてしまっているのかと思った。今までも、きっとこれからもなかったはずなのに。
それを許してしまったのは、桃井という少女の持つ特異な雰囲気に、境界線を越すことを無自覚に選んだからなのか。年下のくせに大人のようで、ちぐはぐなのに整然としている。不思議な子だとずっと思っていた。
『困りましたね』
そんな心情の岩泉をよそに、真面目くさった顔つきで桃井は口元に手をやる。
『私は先輩方の信頼を裏切ってしまっています』
『……はぁ?』
長い睫毛を伏せ、心底困ったと言わんばかりの表情はわざとらしいくせに様になっていた。
『牛島さんのスパイクの豪快さや西谷さんのレシーブの静けさって好きですし、憧れます。ああいうプレーがしたいというよりかは、あの美しさがあまりに眩しくて……。もちろん及川先輩の鮮烈なサーブも、岩泉先輩の流れを変える一本も、私は好きですよ』
桜色の唇から紡がれるなめらかな言葉は、どこか夢見心地な響きを帯びている。
岩泉は自分のプレースタイルについてカッコイイと言われたことはあっても、好きだと言われたことはなかった。あったとしても友人同士のふざけ合いの中で出てくるくらいだ。
だから桃井が直接的な言葉選びで表現してくれたことに、驚くとともに力が湧いてくる。
『好きになって、憧れて、ああなりたいって思うことのどこが悪いんですかね。人の原動力ってそんなに縛られるものじゃないでしょう?』
こてんと小首を傾げて笑う。
『そうだな……』
ああ、そうだ。岩泉は全国区で戦うエースたちに憧憬を抱いてしまった。それを己は許せなかったのだ。
才能や能力で敵いっこないと理解している。なのに人の目を惹きつけてしまう輝かしい強さをカッケェと思った。チームメイトが信じている岩泉はそうではないと線を引き、羨望を禁じる。それでこそ俺だ、と岩泉という人間を定め直した。
高潔な人だなと桃井は思う。だからみんな信じているのに。
『中学3年生にしてビシッて決まっているほうが変です。大抵はふらふらしてます。そういう時期なんです。及川先輩なんかその極みですよ』
『ハハッ、だな。つーか中学1年生にして大人顔負けの働きをするお前に言われたくないべ』
『私はまだまだです』
よし! と立ち上がった岩泉は桃井の頭をくしゃっと撫でた。あまり丁寧にしてやれないのは申し訳ないが我慢してほしい。抗議する視線を上手く躱し、岩泉はニッと男らしく笑った。
『俺、憧れんのやめねーわ。んで……』
木兎のフォームからコースを読み取る。よく訓練されたブロックの動きはレシーバーの邪魔を最小限に収めていた為、後衛で備える選手の視界はやや良好だ。
やっぱクロスだな。岩泉は瞬時に判断すると腰を落とした。重たい感触が腕に体当たりしてきて、痺れるような衝撃が走り抜ける。
「捉えた! けどまたアウトかー……」
「なんか北一こういうの多くない? ボールは取れてるのにってやつ」
残念そうに観客は言う。
飛んでいったボールの軌道を目で追いながら、岩泉は静かに燃え盛る闘志を自覚し、口角を上げる。
生で見てますます思う。
「キレッキレのクロスはさすがだな……」
「マジで! さっすが俺! まぁレシーブされっけど……くっそー、調子はいいのになぁ!」
呟いたつもりでも木兎に拾われた。調子のいいことは聞き取り都合の悪いことは流す耳なのだろうか。木兎のチームメイトの呆れた顔にそう思った。
第1セット中盤。15ー17で北一が負けている。まだひっくり返せる点差だ。あの木兎相手に粘れるなんてと予想外の展開に観客席のほうは騒ついていた。
「うん。そうだな。木兎は今日は調子がいい。なのにコースが読まれてるよな……確実にブロックかレシーブがワンチしてる」
猿杙は何か嫌な予感に警戒を強めた。上手く言い表すことができないけれど、ジワジワと追い詰められている気がしてならない。
スパイカーにとって常にブロックがついたり、フルスイングしたボールをレシーブされたりすることは、相当なストレスがかかることだ。
今回は相手である北一が何やらフレンドリーなので互いに士気を高め合いつつ点を稼いでいる。特に木兎なんかお調子者だからノリノリだ。そのおかげで然程ストレスを抱えていないように見えた。ただし……。
「くそっ、ブロック振り切れねぇ……」
そういったストレスはスパイカーよりもセッターの方が断然感じるもの。
味方チーム、特にセッターは危機感に自由を狭めていた。おかしい。ここまでトスを上げる先を読み切れるものなのか? 北一の動きはどう考えても勘やリードブロックで成り立つものではない。そう、まるで。
「知ってるからねー。どこにトスが上がって誰が打つのか、どのコースに切り込んでくるのか」
弾かれるように顔を上げると及川が悠然とした態度でこちらを見ている。
「は? そんなの、ありえないだろ」
「さぁ。信じる信じないは君次第だよ」
憎らしいほどにニッコリ笑って、及川は背中を向けた。セッターの中でぐるぐる思考が回る。
今の発言は本当だろうか。嘘だ、信じられない。知っているなんて現実的じゃないだろ。でもあいつらの動きは……。
───やめだ。
頰を強く叩いて無駄な思考を捨てる。こうなったら相手の思うつぼ。揺すられてたまるか。そんな手には引っかからない。
ふぅん。やっぱり全国レベルとなれば相応の精神力があるもんだな、と及川は敵セッターの様子に感心した。これまでの中総体、東北大会レベルならば大抵は崩れてくれたからだ。
読まれている? 自分のトスは正しいのか? 堂々巡りの思考の渦に勝手に囚われてくれたものだ。
だがこのセッターは考えることをやめた。少なくとも付随的な効果は期待できそうにない。
「まぁいいけどね」
点が取れるのは大エース木兎だ。トスが乱れた時に頼るのは木兎だ。よく知っている。そういうチームと3年間戦ってきたのだから。
「それに、本当の目的はそこじゃない」
いつ気づくんだろうなぁと内心ほくそ笑んだ。
すごく緻密に組み合わさったチームだ。地元のバレーボール部でポジションはセッターの
彼がチームメイトの友人2名と観戦しているのは、中総体で対戦して負けた木兎率いる有名なチームと、北川第一という東北のチームの試合だ。試合前のムードや実際に対戦した身としては勝敗は歴然としていたが、試合展開は驚くほど接戦している。
「北川第一の連中、木兎のスパイクに平気で触ってんだけど……しかもリベロなんかセッターんとこに返したぞ」
「全国怖っ」
友人2名は震え上がっているが、赤葦は別の意味で震え上がりそうだった。
コートを俯瞰するからよく見える。北川第一の選手たちは、あたかも見えない糸に操られているように連携に乱れがないことに。
レシーブはポジション取りが命。オーバーならばボールの落下地点までの一歩の差が致命的だったり、アンダーならば腕の角度によっては的外れな方向へ行く。
北一はポジション取りに迷いがない。トスが上がる瞬間には適した場所へ移動が完了している。だから余裕を持ってスパイクに対応できるのだろう。
まるで相手の動きを全部読んでいるみたいだ。あらゆる状況下を分析し、行動を予知されている? ……まさか。
「どーした赤葦くん。面白そうな顔をして」
「あのセッターの人……及川って人、ゲームメイク能力高いなって」
赤葦は及川がその要因だと考えた。北一の中で一番無駄な動きが少ないからだ。それは彼が一番桃井とスカウティングを繰り返してパターンに詳しいからだが。
サーブも今大会でトップクラスの精度を誇る選手で、密かに赤葦は及川のプレーに興味を持った。
同時に髪型に勢いがなくなりつつある木兎に目を向ける。
「……俺らと戦った時みたいな、絶好調のスパイクが見たいね」