猿杙は第1セットの中盤くらいから違和感を覚えたのだが、未だその正体が掴めないまま点数が20点台にのった。
相手は強烈なサーブと徹底したワンチとラリーでボールをつないでいるが、当然ミスはあった。ただし木兎の調子の良さに引っ張られるようにして北一の選手の緊張が完全にほぐれる頃には、逆にこちらのリズムが滞ってしまっている。
「しゃあ、来いやッ!」
「へッ、俺のスパイクを上げられるか!?」
北一のリベロの声に木兎はニカッと笑い豪快なスパイクを放つ。中学生とは思えない派手な音を立てて、しかしリベロはきっちり綺麗に上げてみせる。
また!? 猿杙は北一の守備力の高さに目をかっ開く。
木兎。お前は確かに全国クラスのスパイカーだ。腕超痛ぇしもげそうだ。だがな、それだけじゃあの野郎に及ばねぇ。
北一のリベロは勝気な笑みを浮かべて叫ぶ。
「俺から点取りてーんならウシワカ連れて来い!」
「んん、このっ……! おい、もう一回だ!」
「っ……お前マジ決めろよ!?」
ライバルの名前を出されて黙っていられるほど大人ではない。木兎が次こそは! と熱くなった頭をさらに加速させる。いかんと猿杙が口を開く前に、セッターが噛み付くように言い返した。
「もう一回なんてチャンス、あげるわけないだろ」
及川はすぐ手前のネット上を狙ってAクイックのトスを上げ、岩泉が腕を振り抜く。耳触りのいい音とともに点が決まった。
「1番と4番のコンビネーションいいな。見てて気持ちいいわ」
「こりゃ第1セット、北一が取るんじゃない」
流れが徐々に俺たちに来てる。及川は確信しそろそろかなとベンチの方を見やった。監督とコーチとマネージャーがGOサインを出している。桃井なんて超絶いい笑顔だ。
及川がサインを出すとチームメイトは頷く。
さて、木兎君には大人しくなってもらおうか。
「俺サーブ!」
及川ほどの精度はないが暴力的な威力のサーブを打つ木兎だ。表情や声音に覇気は感じられるが、元気良い髪型が少しだけしょんぼりしているような。
「絶対拾うよ!」
「ああ!」
北一もさらに守備を固め、サーブに対応しようとした。木兎はフローターサーブを思いっきり打つが、ネットに阻まれ失点する。
「ああーすまーん!!」
「耳掠った……木兎てめえ!」
「まーまー、木兎も謝ってるしさぁ」
猿杙はチームメイトを宥めながら、ヤバイなと冷や汗をかいた。逆転されてしまったし最悪なことに敵のセットポイントだ。チームの空気が確実に悪くなっているし、どんな形であれキッカケさえあれば爆発するだろう。
どうしよう。そんな時に限って絶望がやって来るのだから、ローテーションというシステムは残酷だ。
「ここに来て及川サーブかよ……」
うんざりと猿杙は呟く。
キタ。トールサーブだ。俺、これ取りたい。ウシワカを蹴散らした(噂で聞いた)とかいうサーブ。拾えなきゃエースじゃねぇ!
「サッコーーーーーイ!!」
一回飛び跳ねた木兎が会場に響き渡る声量でサーブを呼んだ。俺を狙えと全身全霊で叫んでいる。
その様子を一瞥して木兎のチームのリベロは考えた。ここは俺が取った方がいいな。木兎は熱くなってることを自覚してねぇみたいだし、何よりこのまま第1セットを掻っ攫われるのだけは阻止しないと。
息を長く吐いて頭の中を空っぽにする。俺だって北一のリベロには負けねぇ。
「何ィ!?」
その考えを見透かしたように、及川は木兎とは違う方向に向かってサーブを打った。散々木兎を狙っていたため全体の守備も木兎寄りになっていたのだ。
「ふぐッ!」
奇跡的に腕が届くがボールはネットを大きく超えてしまう。
「チャンスボール!」
サーブ直後にネット際まで移動が完了していた及川は嬉々として笑んだ。チームメイトは完全に普段の空気を掴んでいる。相手チームに呑まれることなく完全復活できたのは、敵の士気も高めてしまう木兎がいたからこそだ。
「及川さん!」
2年のウィングスパイカーが狙い通りの場所にスパイクを打つとリベロが拾い上げた。セッターに返る。
ここミスったらこのセット落とす。けど空気的に第1セットは取れないだろうな。落とし方が肝心だ。次のセットに流れを持ち込みたくない。
だから、木兎に上げてはいけな────
「俺に寄越せ!!」
「───ぁ」
数々の苦難を打ち破ってきた大エースの声が鼓膜を震わせた瞬間、脳は思考を中断し反射的に腕が動いてしまった。
木兎のバックアタックは北一に読まれ、高い3枚壁が進路を阻み、ボールは重力に従って落下する。
コロコロと転がったボールが猿杙の足先に当たった。
こ、れは、最悪な、パターンだ……。直感と経験が最大級の警報を鳴らすが、時すでに遅し。
「ハァ………ハァ……」
肩で息をする木兎は俯いていた。元気を失くし垂れ下がった前髪から覗くのは大きく揺れた瞳。何度もスパイクを打ってきた右手をゆらりと胸元まで持ってくると、そのままチームメイトに向けて悲痛に叫んだ。
「俺はダメだ……もうトスを上げないでくれ!!」
空気が凍った。
「へっ」
「は?」
「……あぁ」
猿杙は諦めた吐息ついでに天井を仰ぐ。
木兎チームの亀裂が明確になった瞬間だった。
「はあああぁぁ!? おまっ、全国大会の初戦だぞ!? 何言ってんだよ、練習試合じゃねーんだコレは!」
「ダメだ……何やっても決まる気がしねー。サーブもレシーブもスパイクも……」
「ヤベェ史上最悪レベルに落ち込んでるんだけど。拗ねてるとかいう段階飛ばしちゃってるんですけど!」
第1セットを落としたことよりも大事だと騒ぐ敵チームに、狙ったこととはいえ及川は目を丸くする。
「ホントにしょぼくれモードに移行してる」
桃井がこくこく頷いた。
「ああ〜来ちゃったかー。今回は長くなりそうだなー」
月刊バリボーのとある記者は、カメラを手元に置いてそうぼやく。東京の強豪校を率いるキャプテンで全国指折りの大エース、木兎光太郎の取材にやって来たのだが、「しょぼくれモード」に入ってしまったこの後は満足な写真が撮れそうにない。
その代わりと言ってはなんだが……
「あっちは中々いい顔した子たちだね」
特に主将とマネージャー。顔立ちは端正な上に人の目を惹きつけてやまない華やかさがある。どれどれとファインダーを覗いたところではたと気づいた。
及川と桃井が並んで立つ姿はとてもいい写真になりそうだが、2人を中心にして半円を作り、北一の選手たちは何か指示を受けている。監督やコーチが時折口を挟むだけで彼らは何の疑問も持っていないようだった。
主将はわかる。だがマネージャーがあそこまでするのは初めて見た。奇妙と言うしかない光景だ。
とりあえず写真に収めて試合後に取材しなくてはと頭にメモをした記者は、第2セット開始を待つことにした。
「きっちり戦略がハマってくれたね。桃ちゃんの言った通り」
「私も予想以上です。逆に恐ろしいくらいですよ」
データを収集したノートを見下ろし、桃井は微苦笑する。
木兎はプレーにむらっけがありすぎる。そしてあのチームは木兎のリズムに依存していることを桃井は的確に把握していた。
まずは彼の得意なコースであるクロスを拾う。ここで重要なのはブロックを重点にしないことだ。牛島のように弾かれるだろうし、木兎の流れを阻害してはならないから、打たせて選手にはレシーブに専念させる。クロスの角度は分析済みで、ボールの落下地点にさえいれば上げることは可能だ。
あとはそれとなくコースを誘導してもらいたかったのだが。
「みんなわざとらしいなって思ったけど木兎君チョロかったね。完全に手のひらで転がされていた。それにも気づいてないみたいだし」
「だって普通にクロス超上手いから、正直な感想しか出てこなかったんだよ」
苦手なストレートという選択肢を意識から外して木兎はスパイクを放った。ブロックに捕まらずとも北一のレシーブは正確性を増し、木兎チームのフラストレーションは溜まってくる。
北一の緊張がほぐれ本来の空気が流れ始めたら、もう木兎を好きにさせる理由はない。
理想形はドシャットを決めること。
そして北一は成し遂げた。
「うし、木兎を黙らせたからといってあいつら全体が沈むわけじゃねぇ。第2セットも気を引き締めていくぞ」
「あー、そのことなんだけどさぁ」
及川の微笑みを向けられた岩泉は、うえっと顔を歪めた。
「3番の……猿杙君だっけ? 彼以外は少なくとも何かしら木兎君とギクシャクしてるから、そこ狙っていこうか」
愉快そうな声音はいかにも楽しみですと主張しており、北一の選手はしょうがねぇなと息を吐く。
「俺らはお前を信じてついていくだけだよ、キャプテン」
「性格悪いのはとっくに知ってるしな」
「うるさいよそこっ」
第2セットからの展開は桃井の予想通りだった。
「木兎いないとイマイチ強くないよねー」
るせぇ、こっちはそんなもん承知してるわ! セッターは観客に苛立ち、歯噛みする。
木兎のしょぼくれモードは本当に面倒くさい。
顔はだらしなくなるしプレーのキレはなくなるしはっきり言って戦力外だ。3年間チームメイトとして数々の試合に出場してきたが、重症度は今日がぶっちぎりである。
これまで木兎は自分たちのわからないところでしょぼくれてきた。
目立つところで試合ができない、なんか気分が乗らない。そのくせド緊張してるこっちには「なんで緊張してんの?」と不思議そうな顔をする。
俺たちは振り回されてばかりで、気まぐれで自由奔放な大エースを到底支えきれない、……不甲斐ない仲間だった。
前から波長は合わなかったさ。猿杙以外の殆どのチームメイトもそうだったし。
木兎は気づいてもいないだろうけど、全中に出場するまで俺らの仲には軋轢があり、ついに今試合で形となって現れた。全員の本心は同じはずなのに馴染むことはないまま、この時を迎えてしまったのだ。
それでも長くチームを組んできたのは、絶好調の時の木兎がカッケェからだ。
チームが苦しい状況にある時に熱い太陽のような光で照らしてくれたのが木兎だからだ。
それ以外に理由がいるのか、なぁ。
「レフト!」
「おお!」
敵チームは俺たちの動きに当然のように対応してくる。シャットアウトを食らってしまいドンマイと声をかけた。
今日で最後の試合になってしまうのかもしれない。負けたくねぇよ。勝ちてぇに決まってんだろ。
じゃあ
ふざけんなって叫びたかった。勝ちてぇなら早く復活してくれよ。
でないと俺たち、負けちまう。
「及川、ちょーだい!」
「させっかよ!」
北一のミドルブロッカーが打ち下ろすも、反応してボールを上げる。その拍子になんとも言えない顔が目に入ってしまう。木兎の守備範囲にギリギリ入っていて自分も反応できる絶妙な位置だった。
木兎チームの選手はむしゃくしゃする。せめて拾おうと足動かせよ。
───うん。やっぱり君たち、木兎君への不満が溜まってたんだね? 及川は満足そうに目を細めた。
ならもっと情けないエースの姿を見ておこうよ。士気が下がるもよし。アツくなって冷静になれなくなるもよし。
あの木兎をしょぼくれモードに追い込むためにスパイクを自由に打たせたんだから、もっとお釣りが来て欲しいものだ。
「及川ドSだな。やっぱトモダチでいたくねぇ」
「悲しいこと言わないでよ!」
うわぁとドン引きのチームメイトに声を上げると、及川は視線を木兎に向ける。復活の予兆は今のところない。ああ、ダメだよセッター君。ちゃんと選手のコンディションと性格を把握してないと。
『しょぼくれモードになったとしても木兎君は引っ込められちゃうんじゃない? 選手層は厚いだろうし、それも手だよね』
『実は過去に1度だけ木兎さんは下げられたことがあります。しばらく時間をおいてまた選手交代しましたが、その後木兎さんの調子は一向に戻りませんでした』
桃井はそれをこう分析した。
『まず木兎さんはコートに立ち続けないと復活する前提条件をクリアできません。下げられた時点で気持ちが完全に絶たれてしまうからでしょう。その次はソワソワし出した頃に気持ちのいいスパイクを決めさせること。木兎さんがスパイクを打った前後の様子からして間違いありません。もっとも木兎さんが完全復活した確率は3割を切っていますから、セッターの選手が理解していることはないでしょうね。よって、チームメイトにとって木兎さんはいつ落ち込んで復活するかわからない、未知のエースというわけです』
そんなもの面倒極まりないだろう。手に負えないだろう。自分にない才能と技術を持ち合わせておきながら、なんで自由に跳ぶことができないと苛立ってくるだろう。
俺には全く理解できないね。自分の武器を殺すような天才ってますます嫌い。それに憧憬の眼差しを集めてしまうのも気に食わないよ。
だからサーブもレシーブもスパイクも……敵を蹴散らす強さ全てをもいでしまおう。
叩くなら折れるまで。それが俺の座右の銘だ。
爪を鋭くして獲物の喉元を掻っ切るように、淡々と着実に詰みへと追い込んでいく及川と同じく。
積もりに積もった熱を爆発させたくて、全てを解放してしまいたくてウズウズする猛獣が涎を垂らして檻を食い破ろうとしていた。