第2セットから、互いに抱く感情を自覚したセッターたちは挑発的なセットアップで一進一退の攻防を見せた。しかしこのセットを落とせない北一がリードするようになると、点差は縮まないまま中盤へと進む。
「攻撃は決まらんし、点差も広がってきとる」
ポツリと侑は呟いた。淡々と事実を確認する口ぶりで、返答を求めていない独り言。開かれた目はネットを挟んだ向こう側、遥か遠くへと向けられている。
ひんやりした冷気が漂い、野狐のチームメイトの顔に冷や汗が浮かぶ。
コイツのこういうところがチーム崩壊の綻びを無理やり縫い合わせることを彼らは意識していた。
自分らは負けるかもなんて気持ちで試合に挑んだことはないし、練習もサボらずやり抜いた。侑はそれ以上のガチで、バレーボールを好きじゃなくて、愛している域にまで突入してるから、こんなことになるんだと思う。
抱える想いが違うほど、注ぐ情熱が足りないほど、この溝は深まるばかりだ。
「……俺らはちゃんと打てとる」
口を出たのは言い訳がましい言葉で野狐のスパイカーは内心舌打ちをした。これはまるで侑を恐れているみたいや。
「せやな」
そんなことは気にならない侑は同意した。試合前に釘を刺したのが効果的だったようで、チームメイトはよく動いている。久しぶりにいい試合ができると思ったし、実際に第1セットはこちらが獲った。
じゃあ、どうして追いつけない。
「完璧なはずなのに……」
セッターの素質が天才的な侑は判断力や洞察力が抜群に高い。コートを冷静に観察し適切なセッティングができる技術があるけれど、当然負けたことはある。双子の治、チームの先輩、全国の猛者たち。負けた時は原因を究明し、徹底的に反復練習し、克服してきた。
でも、今だけは。
どんなに思考を重ねても、なんで負けているのかがわからない。
とにかく攻撃あるのみだ。北一のブロックは高いわけではないがコースの絞り込みが上手く、またレシーバーの配置も適切で、それらを打ちのめすパワーとテクニックが必要となる。
必然的にブロックを引き剥がそうとコート横幅を広く使った攻撃が多くなっていく。
前衛に攻撃が3枚いる時なんかは侑の持ち前の技巧でトスを上げる先を周到に隠した。誰に上げるかもわからないはずだ。侑には自信があった。
「なのにッ」
当然のように敵の選手は対応する。
「また上がった……!」
苦しげにチームメイトは叫んだ。気づいたらどんどん足場が狭まっていく。彼らもわからないのだ。打つ場所が見当たらない。弾こうと全力で腕を振り下ろしても、フォローがつく。
「どうすりゃいいんだよ!」
壁をぶち壊す大エースがいないチームはこんな気持ちで戦っていたのだろうか。
走り続けても逃げ続けても、執拗に追いかけ戦意を根こそぎ削ぎ落とす展開が、野狐の空気を最悪へと変貌させる。
「なんで、なんでや……!」
睨みつけた瞳と吐き捨てた言葉。苛立ちを存分に含んだ声に及川はニタリと笑ってみせる。
「わかんない? どうしてこうなったのか」
今までもこうした罠に勝手にハマってくれたセッターたちは、まずは一様に自分の技術を疑った。
しかし侑は自分を疑わない。そういうところが気に入らないなぁ。
「俺は間違ってへん!
腕を後方にいるチームメイトに向けて振りかざした侑に野狐は驚いたように目を開く。
「……あ、侑───」
「そうだね。侑君は間違ってない。野狐の選手たちも間違ってない。それのどこがおかしいの? 全力で戦って、何も悪いことなんてなかったのに負ける話とかそこらへんに転がっているよ」
全国大会となれば努力を怠った人間は1人もいない。彼らは自分の、チームのベストの力で対戦し、そして散っていく。
原因があるだけマシだと及川は思う。得体の知れないナニカに負けたほうが屈辱的で、恐ろしい。
だってあんまりにも理不尽だ。
だから君は幸せ者だよ。
「自分たちが間違ってないのなら、外側に理由があるんじゃない」
きっと以前ならこんなこと言わなかった。今も天才は嫌いで、けどほんの少しだけ理由が変わったんだ。飛雄にサーブを教えたのもそう。
揶揄いの響きが失せて純真な声音に変わった及川は、自分の変化を形容しがたい痛みと共に受け入れて笑ってみせた。
「考えてみてごらん。天才クン」
元々鋭い洞察力の持ち主の侑。チームの内側ではなく外側を意識すれば自ずと目がいくのは北一で、及川の言わんとすることを察することができた。
冷静になった頭で考えれば、彼らの守備が高いとかいう言葉で片付けていいものではないとわかる。あれは異常だ。
得体の知れないモノが形を見せたことで侑に精神的余裕が生まれる。
「フッフ、こんなチームがいたとは……知らんかったなぁ」
精度の高い予測から敵の攻撃に対し守備の形を整える。各選手の長所短所からスパイクのコースや角度まで把握。さらには性格を元にピンチの時、すなわち人間の脆い部分が出てくる時にどの手段で出てくるかが知られている。
細かく出されているらしいサインと、彼らの口から飛び出してくる情報はこちらが驚くようなことばかりだ。
第1セットはわかっていても野狐の攻撃を止められなかった。それがだんだん慣れてきてここまで点差が広がったのだろう。
それにしても刻々と変化し続ける状況下でここまで圧倒的な影響を及ぼすとは未曾有の領域である。
侑は追い詰められている原因を北一側に見出し、対策を立てようと思考を巡らし───止めた。
「いよいよって時にアンタのサーブですか」
シュルルル、とボールを手の中で回転させた及川に口角を上げた。
「野狐タイムアウトかー、まぁそうだよな。あのサーブは切らないとヤベェ」
及川の連続得点を阻止すべく物理的に流れを切り、野狐の選手たちは重苦しい表情で監督の指示を聞いていた。
「1番のサーブ……あれはバケモンやな。精度を求めて威力は控えめ、ちゅうても十分高かったけど、どんどんパワーを出してきよる。あんま身構え過ぎても動きが硬くなってしまう。意識し過ぎたらあかん」
耳は監督の話を聞きつつ侑は視線を滑らせ、北一のベンチを見やり、
「………?」
奇妙な光景に目を細めた。
指示を聞きながらしっかり休む選手たちの輪から外れ、ある選手が目を瞑っている。そこだけ音が切り取られたかのような静寂な空間の中に及川はいた。
バケモンサーブの精度を維持するために集中を高めているのだろう。とはいえキャプテンがいなくていいのか、と選手たちに目を向けてさらに驚く。
選手たちの前に立って口を開いているのは監督でもコーチでもなく、マネージャーらしい桃髪の少女だったのだ。
内容は聞こえないがその場にいる誰もが当然のように耳を傾けている。
「なんで俺たちの攻撃があそこまで読めるのか……意味わかんねぇ」
「及川とかいう北一のキャプテンやないの? 原因」
「───ちゃう」
ぼんやりしているようにも見える侑の表情に、治は疑わしげに眉を寄せた。目線を追うと、タイムアウトが終わりコートに戻る選手たちを見送るマネージャーの姿がある。なんや? ただのマネージャーやないか。
「俺たちを追い詰めとんのは、あのマネージャーや」
「………は?」
冗談をと笑い飛ばしてやりたいのに、双子の片割れは大真面目な顔をしていた。
タイムアウト明け、初っ端のサーブは及川だ。
「サッ来オオオォォイッ!!」
野狐のリベロは叫んだ。
リベロの俺を狙うってわかりやすくアピールしとる。はぁ? 取らせるか。
どいつもこいつもエエ性格しおって。セッターはサーブん時はリベロ狙えみたいなルールでもあったっけ?? んなわけあるかい。
ただ、及川を侑に見立ててサーブレシーブをしてやりたいことだけは確かだ。
「もう一本」
囁いた及川は鋭利なサーブを放った。ギュルン!! と凄まじい勢いでカーブし、ほぼスパイクと見紛う速さと威力でコートに堕ちてくる。
リベロの腕を吹き飛ばしたボールは遠くに弾かれた。
「すまん、カバー、」
リベロは咄嗟に口を噤んだ。しかし侑は既に駆け出していて、ボールを一生懸命に追いかけている。滑り込むように伸ばした指の先でボールは地についてしまった。
「ああ、クソッ……」
「お前……あのボールは、取れんやろ。なんでそこまで……」
「はあ? 俺はセッターや。スパイカーを支えてやんのが仕事や。放棄できるわけないやろ」
答えになっているのかさえ怪しい言葉にリベロは目を丸くする。が、すぐに破顔した。汗を拭いながら荒く笑う。
そうやった。このアホはこういうアホやった。侑のそういうところは嫌いやない。勝ちたいという気持ちにおいては、ポジションに誇りを持つところは、信頼できる。
「お前にボール託すから、活かしてくれ」
「ならキッチリセッターんとこ返せや」
前言撤回、やっぱりコイツは嫌いや。
原因を究明すればあとは反復練習あるのみだ。
侑はまず自分の得意のセットアップを選択した。
今まで通りダメだった。
奇天烈なトスワークをやってみた。
味方が動揺して却って打ちにくそうにしてた。
ダメだった。
でも、味方が予想できないものを敵が予想できるはずもなく、対応に大きな違いが生まれていた。しかし対応力の違いというか、持ち前の守備力で返球してきたので、良い手段ではないのだろう。
悪球打ちの桐生ならば有効なのかもしれないが、野狐にそんなプレイヤーはいない。
「急に変えるな。めっちゃ打ちにくいやろが」
「色々試してんねん」
何がや。と目で問いかけてくる治を一瞥し、侑は桃井の方を見やる。
実際に情報を伝えているかなんてわからない。さっきの光景も何か別のことだったのかもしれない。でも原因は桃井に違いないと直感が告げている。
遠くからでは表情も覚束ないが、どうやら桃井も侑を見ているようだった。
「俺が間違ってへんから負けとんのか」
侑を支えた正しさは裏返りし、追い詰める刃となった。築き上げた確固たる足場が崩れ落ちてふと闇に引きずり込まれるような感覚に陥る。
それは、これまでのバレー人生を壊すに値する事実だった。
及川はとっくに正答を与えていたのだ。外側とはネットを挟んだ向こう側ではなく、コートの外。
戦況をひっくり返し、選手たちを巧みに操り、時には気持ちすら握りつぶす。コートの内側にいたのならまだ干渉できた。同じ土俵に立つ選手、たとえばセッターであれば侑は負けない。
しかし、はなからそんな敵は存在しなかった。
あるのは虚像のように揺らめく、鬱陶しくて仕方がない漠然とした敵。
「模範解答なんてもん、捨ててやろーか」
侑は好戦的に笑う。その目は壮絶な覚悟が宿っており、彼の中で大きな変化が起きていた。
侑が叩き出した結論は桃井の能力を的確に捉えていた。
ほとんどの選手が辿り着かない正解を侑は選び取る才能がある。チームを指揮する司令塔としては申し分ない。賞賛されるべき力だ。
ただ、桃井は侑のそれよりも遥か先を見透かしている。中途半端な先読みは格好の餌食。利用されておしまいだろう。
「……そんな、こと、ありえへん」
第2セットを北一に獲られ、獲得セット数は並び、第3セットが開始される。コートチェンジ間は3分間。侑はチームメイトに考えを話した。
「事実や。ここまでコテンパンにされてもわからんとか頭どうかしとるで」
イライラしているせいで普段の数割増しで口が悪い。チームメイトが腹が立ち突っかかろうとすると、リベロが制止する。
「まぁ待て。マネージャーに俺らが分析されとるとして、問題はどうするかってことやろ」
「……どうにかって、どうするも何も、手の内が知られとるならどうしようも……」
チームメイトは困ったように眉を下げた。
野狐は侑の打ちやすい模範解答のようなセットアップで勝ってきた。それが通用しなくなった今、牛島や木兎といった大エースがいたら力技で粉砕できただろうが、このチームにスターはいない。詰んでいる。
「いや、やれることはある」
沈んだ空気を裂いたのは侑の力強い声音だ。
「俺が正解を出して止められるんなら、そんなもん不正解と変わらんわ。だからお前らに任せる。それしかあらへん」
これまで攻撃の指示は全て侑が握っていた。お前らに任せてたら勝てるもんと勝てんと、その昔平気な顔して言いやがったのを思い出す。
そんな侑が、今は。
「……お前熱あるん?」
「ないわ! 治のアホ」
「アホはお前や。さっきも言ったわ。つーか試しとることってそれかい。で、勝算はあるんか?」
いつもの調子で罵倒を罵倒で返し、淡々とする治にじとっとした視線を送った。
コッチの選手を見ろと言われて、侑は閃いたことがあった。挑戦する価値はある。そして結果を残せば俺らの勝ちや。
ニンマリと笑って口を開く。
「お前らの武器、俺が活かしたる」
正解はただ一つ。点を獲ること。それまでの道のりにいくつか分かれ道があって、侑の正解を掴む才覚はその一つでしかない。だが桃井はありとあらゆる解答を知っている。
「第3セットから宮侑さんはスパイカーを活かしたトスを上げてきます。これまでと違ってセットアップは変則的になりますが、練習通りにしていれば問題はありません」
自分の武器が通じなくなったからといってそこで蹲る性格だったら幾分楽だが、侑はおとなしいから無縁の人柄だ。すぐに試行錯誤して望みを繋げようとする。
「先程の数プレーで確認し、通用すると判断したようです。今は手探り状態ですが慣れてくるでしょう。そこからが本当の戦いになります」
侑が次に選択する解答は桃井に知られている。
ここまでの流れは思惑通りだ。
及川のセットアップを見ればスパイカーの100%を活かす手腕に少なからず影響を受ける。それがどう転ぶだけが不安要素だったが。
「ビンゴ」
及川はスパイカーの個性を掌握し、桃井は潜在能力を見抜く。この2人が揃うことで活かされない選手はいないだろう。
たとえそれが味方であろうと、敵だろうと。
積み重ねた経験や絆、信頼関係。それらをものともしない圧倒的な才能とセンス。今や桃井と及川のほうが野狐のスパイカーを活かす術を知っている。
侑がそれに気づいた時、一体何を思うのだろう。
嫉妬? 絶望? それとも───……及川は仄暗い瞳を閉じる。
「まぁどれだっていいさ。あと少し、傾いたら……」
俺が手を下すまでもなく、天才は折れる。
この北川第一は他校からしたら戦いたくないだろうなと思いつつ書いていたら漂う悪役感。
ここまで侑の主観が多く他の選手たちの活躍が少ないのは、セッターとしては視野が広いけどチームの一員としては視野が狭いという設定だからです。ここから仲間を活かそうと観察し始めるので、治とかの活躍が増えます。多分。