目を引きつけてやまない進み続ける勇ましい姿。予測を打ち破られてそれでも心を満たす衝動を、また味わうことになって。
じわりと広がる感情を噛み締め、胸に大切にしまい込んで、桃井はゆっくりと息を吐いた。
今回は岩泉か、侑か。はたまた両方かもしれない。
足掻く姿勢に桃井は胸を打たれた。自分の支援が敵味方にどれほどの影響を及ぼすかは知っている。
全ては味方が勝つためだ。全力で挑んでくる相手には全力で迎え撃つ。その信念が桃井にはあった。真面目な気性が手を抜くという選択肢を生まないだけなのかもしれない。
───野狐の選手たちの反応からしてぶっつけ本番だった宮侑さんのジャンプサーブ。及川先輩と比べたらフォームは乱れて、コントロールは悪いし力任せ。ミスったらおしまいのこの場面でやろうとする度胸はあまり褒められるべきものではない。あれは悪手だ。真似していいものじゃない。運が彼の味方をしただけ。もう一度打っても入る確率は限りなく低い。ならば次は命中率の高く散々こちらを翻弄してきたジャンプフローターサーブ。そう頭は結論を出す。
客観的な模範解答はそれだ。
だが客観的な模範解答を捨てた侑がどう来るか、予測の肝がすり替わってしまった今では見当もつかない、というのが桃井の本音だった。
そこへ誘導したのは桃井なのだから、今更後悔したって遅い。
打ったとしても入るのか? 先ほどの偶然が答えを出すことを拒む。震えるほどに拳に力を込めて握り、何かないかと忙しなくコートを観察するが、手がかりと言えるものはなかった。
どうしよう。ここで答えが出せなければ、私がいる意味など───
「桃井」
「───はっ、はい」
腕を組んだ監督が呼んで、身体がびくりと震える。
「もしもの話だが……まさか次の手が読めないからといって、自分を悪く思ってないだろうな」
「いいえっ、あ、はい、えっと……」
「この場合はジャンケンと同じだ。考えてもしょうがないことだぞ」
ベンチに寄ってくる選手たちの目には一様に桃井に期待する色があった。絶対に予測を立ててくれるだろうという信頼は桃井を励まし、そして時には追い詰めていた。
周囲の言う負担と、本人の思う責任の齟齬が、嫌な思考へと誘いかける。
「正直に言え。案ずるな。誰も責めたりはしない」
「……はい」
「それから仲間を信じろ。自ずとやるべきことが見えてくる」
まぶたを伏せたその姿は静謐な雰囲気で満たされていて、肩の力を抜いた桃井はすっと軽やかに立ち上がった。
「で、侑君は次どう動くかな?」
「……わかりません」
いつも答えを出してきたマネージャーの初めての無回答に、選手たちは目を開いた。
「普通なら決定率も高いジャンプフローターサーブですが、ジャンプサーブの可能性もあります。ただしジャンプサーブの場合、入らない確率が高く、入ったとしても皆さんなら取れる、と思い、ます」
「……そう。なら───」
「俺の出番だな」
毅然とした態度で断言したリベロにチームメイトは頷く。
「それから、その後のことなのですが……」
想像していたものよりもずっと穏やかに終わった時間に、桃井は安堵の息を吐くと再び緊張で張り詰めた表情を浮かべる。
コートに立つべきは俺だ。それを今、証明する。
とても頼りになるマネージャーでさえ次の手はわからなかったのに、俺にわかるわけがない。俺にできるのは感覚に身を委ねること。
「来い来い来い来い……!」
その気迫はコート上の誰よりも猛々しく、サーバーの選択肢をぐっと狭めた。その中でも残ったプライドがリベロから離れたところにという道を消してしまう。
侑はサーブモーションに入る。タタッと思いっきり床を蹴って跳ねると、腕をスイング。
───ジャンプフローターサーブ。
だから、どうする。足よ、動け。腕よ、動け。ここで取れなきゃ、俺はここにはいられねぇ!
「きれいだ」
ポツリと誰かが呟いた。窮地を脱した途端にやってきた、俺はやり遂げたのだという自信が力を与える。
先ほどの極限の状況から解放されて身体は緊張から放たれた。ふわりと舞い上がるボールに観客たちは歓声をあげる。
「上がった!」
「決めろッ!!」
一気に加熱する北一の観客と違って野狐の観客は手を組んで祈る。
「頼む、頼む……!!」
「止めてくれェ!」
だから嫌なんだ。有利と不利は表裏一体。まばたきをすればひっくり返る状況じゃ、何も確かなものなどない。
野狐のブロッカーたちは頭をフル回転させて行動に移す。ふざけたことに北一はリベロ以外全員が攻撃に備えていた。セッターの頭上に上がったボール。前衛2枚、片方はパワーも技術もある岩泉。ついそちらに飛びつきたくな───
スパァンッッ! 気持ちのいい音を立ててもう片方のスパイカーが腕を振り抜く。
終わりだ。滾っていた体の芯が冷え込み、心臓が軋むような痛みを主張する。
世界が一瞬、音を無くした。
パァンッ───!
誰かがレシーブをする音がほんの後ろで響く。振り返る暇もなく張り上げられた声がピシャリと背筋を叩いた。
「いつまでもウジウジすんじゃねぇ! ここからは
無理やり口元をへし曲げたような不恰好な笑みを貼り付けた侑は、ふわりとトスを上げた。それは、見る者には一目瞭然の違いがあるセッティング。
「これで、取り戻す!!」
「───フッ!!!」
短く鋭い気合いを吐き出した治のスパイクは、
『その後のことなのですが、もしジャンフロを打ってきた場合、多分、侑さんはセットアップのやり方を戻してくると思います。ですからブロックのタイミングも戻してください』
コート上の模範解答を見抜く才能は見事だ。それが桃井に読ませる材料となった。築き上げたスタイルは打ち砕かれ、別のスタイルに切り替えて、それもダメだったとわかった侑は何を選ぶか。
これは通常の予測の域を超えている。二転三転する展開に加え、チームメイトすら知らなかった侑の選択肢から、再び正解を導いた。
───ああ、完敗だ。
ブロックされてスローモーションで落ちてくるボールが、コートに落ちて。侑はぎゅっと目をつむって、試合終了の合図が鳴るのを聞いた。
「……ありがとうございました」
試合終了後の握手で侑は及川に手を差し出した。ネット越しに見える顔には数十分前と打って変わって、余裕はなく怒りに震えているようだ。
「俺、負けたと思ってないんで。……アンタに」
「……このクソガキ。言ってくれる。なら次はそんな言葉も言えないくらい折らなきゃね」
ぎりぎりと目一杯力を込めて握手をすると、両者はすぐに離れた。
その光景を見ていた治が何かを言う前に侑は恨めしく言う。
「……最後、俺は怯んだ。タイムアウトで少し間が空いて、あんだけやれると思っとったのに、いざあの場に立って、終わるのかもって考え出したらアカンかったわ」
「そうか。まぁリベロもすごかったしなー。あちらさんはどっちで来るかとかわかっとらんかったみたいやけど」
「なのに負けた。理由はわかっとる」
試合が終わったというのに静かに燃え盛る炎が目に宿っていた。
「つーか最後お前で終わったのに悔しくないんか」
「おー、なんやろう、悔しいと思っとるはずなんやけど。お前とあっちのキャプテンの戦い見とったらそんな気になれへんかったわ」
「なれや」
「お前いつになったら凹むん??」
双子がギャーギャー騒ぎ出すも、それを咎める者はいなかった。
「ハァン! ムカツク!! もっとこう……ねぇ!? 悔しいですとか参りましたとかなんかないわけ!?」
「知るかボケ。ま、そんだけ騒ぐ元気あるならこの後の試合も平気だな」
その一方で、阿吽の呼吸と称される2人はいつものやり取りをしていた。周囲はしょうがないなぁ派とうるせぇ休ませろ派に分かれており、監督やコーチに至っては素通りである。なお桃井は岩泉の先ほどのスパイクについて聞きたいことがありソワソワしていた。
「野狐のセッター、お前と似てたな」
「心外なんですけど。俺があんな風に見えてたの?」
「ああ」
「ヒドッ。俺ならもっとうまくスパイカーたちを使い分けるし。あそこまで信頼関係壊したりしないよ。侑君はもったいないよねぇ。余計なプライドが邪魔するんだ」
「……お前、変わったな。クソはクソのままだが」
言い残して先を行く岩泉に、はぁ!? と声を荒げる及川だが、続いて横に並んだチームメイトたちはうんうん頷きながら口々に言う。
「わかるー。サーブが厄介なところとかー」
「あとアレ、プレースタイルとかな!」
「お前らまで……。というか話後半聞いてなかったでしょ」
ジト目で仲間を見渡した及川がふんと鼻を鳴らす。
「そもそも俺ならあんなショボイサーブは打ちません。やるなら両方武器にしないと意味がない」
「では及川先輩はサーブの二刀流を目指すということですか? ジャンプサーブとジャンプフローターサーブの」
ずいっと距離を詰める桃井に、へ? と間抜けな声をこぼした及川は咳払いをすると拳を握った。
「ああ。サーブじゃ誰にも負けたくないからね」
「トスもな」
「……うん」
前にいながら当然のように付け加えた岩泉から視線を下げて固まった。
ふふ、と自然に溢れた微笑みは意識的なものではなく、優しい桃色の瞳が穏やかに凪いでいる。白い頬に赤みがさし、唇が綻ぶと柔らかな声で慈しむように囁いた。
「そうですか。それは楽しみです」
「う、うん。た、楽しみにしてて! ……そのっ」
「あっそうです、岩泉先輩、さっきのインナースパイクについてなんですが。……? 及川先輩、何か言いかけませんでした?」
「ぜ、全然。何も。気にしないで」
タタッと小走りで岩泉に声をかけに行く桃髪を、ボンヤリ見送る。肩に腕を回したチームメイトはニマリと笑んでいた。すぐ後ろにも数人、同じような顔をしている。
「なにさ」
「いぃや〜? 面白そーな空気を感じて」
「敵は多そうだが俺たちは応援するぜ」
「……よくわからないけど面倒そうな空気を感じるね」
勝負は一瞬だった。追撃を逃れようと走りかける及川と阻止して捕まえてようとするチームメイト数人。その場を制したのは後者だ。
「は、な、せ、よ!」
「お前が素直に吐いたらな。観念しろー」
「俺らのディフェンスなめんなよ。超すげえから。バスケ部の奴からもお墨付きもらったから」
「バレーしろ!」
ぐぬぬぬぬと激しい攻防を繰り広げる及川の目にその光景は飛び込んできた。
桃井が顔も知らない男子といる。まさか絡まれた? 目を離したらすぐ何かに巻き込まれるなあの子は!
「ちょっ、マジで離して!」
チームで一番パワーがある岩泉にも劣らない怪力を発揮して、及川はマークを躱すと走る。その姿を眺めたチームメイトたちは、ことさらニヤケ顔を見合わせるのだった。
───
「ヤッホー昨日ぶりー。三回戦進出オメデト」
「黒尾さん。こんにちは。ありがとうございます。孤爪君も……」
まさか今日も会えるとは。嬉しく思いながら会釈して孤爪君に目を向けるとサッと視線をそらされる。その上距離を置かれた。……え? 1日でリセットされるシステムなのこれ。むしろ昨日より距離感あるんですけど。
どういうことですかと困惑気味に見上げれば、ゴメンネと言いたげに黒尾さんは笑った。
「いやーもうちょっとでゲームクリアって時に連れて来ちゃった。あと桃井ちゃん目立つから一緒にいるだけで注目浴びるし、研磨嫌がるんだよな」
「私にはどうしようもないじゃないですか……。というか、やっぱりやめません? ちゃん付け」
「え? イイじゃん」
「よくないですよ」
まあまあ、かわいいし。なんて黒尾さんは言うけれど、こっちの身にもなって欲しい。年下にちゃん付けで呼ばれるのはキツイ……まあ及川さんや他の先輩たちのように悪意を感じないからしぶしぶ受け入れますよ。
肉体年齢は13歳でも中身は、ねぇ? 前世の記憶があるだけの中学生とはいえキャイキャイ騒ぐコドモじゃない。だいぶ肉体年齢に精神年齢が近づいているとは思うけどさ。
「って話してるうちに孤爪君いませんよ。見えないところまで消えていきましたよ」
「マジかよ。おい研磨ー、せめて感謝の言葉一つくらい言いなさいよー」
だからオカンかこの人。頰をポリポリ掻いて黒尾さんは言う。
「今日も色々参考にさせてもらってな」
「……まさか、私たちの試合をですか?」
「うん。というか桃井ちゃんの戦略とかね。高校でできないかなって思って」
「ああ、孤爪君なら可能でしょう。問題は遂行できるハイレベルなチームかどうか……ウチのようなチームはそうそうないですよ」
「心配に見せかけた自慢かよ。よっぽど好きなんだねぇ」
「はい。もちろん」
ガシッと。それはもう物凄い力で肩を掴まれて、反射的に払いのけようとした腕も掴まれた。動けない。えっ死ぬ。なんて冗談みたいなことを悠長に考えるのも誰のせいかわかったからだ。
「……及川先輩、離してください」
「………今、なんて」
「肩も腕も痛いので離してください」
解放された箇所をさすって黒尾さんに向き直る。うん、ビックリした顔してますよね。
「失礼しました。もうそろそろ戻らないと。孤爪君にまたねって伝えてもらえますか」
「ウ、ウン……わかった、けど……」
ドン引きの様子で黒目が及川先輩を捉えて、私と交互に視線を向ける。
「顔面偏差値えっぐ。じゃなくて、スゴイ人ダネ」
「ええ。すごい人ですよ」
「……ウン! あと研磨が言ってた意味がわかった気がする」
「孤爪君は何と?」
「えー、あ、“調律に優れたセッター”だと。あと2人の相性いいんだねって」
言わんとすることを理解して私は息を吐き、及川先輩はふぅん? と面白そうに眉を上げた。
「もうみんな先に行っちゃった。早く行こうか」
「……はい」
手を前で組んだ私は黒尾さんにぺこりと頭を下げ、ちらりと見える孤爪君に笑いかけると、及川先輩の後をついていった。
「で、今の誰?」
「黒尾さんです」
「クロオ? 知り合い? ケンマも?」
「そんなところです」
そうだよね、孤爪君と黒尾さんは知り合いだ。私に嫌なことしないから。牛島さん? あの人は知り合いとかそういう範疇に収まらないビッグな人だよ……。
「……桃ちゃんは俺の知らないところで色んな人に会うね」
「気づいたらそうなってまして……でも飛雄ちゃんと一緒の時ですよ、会ったの」
「いつも飛雄がいるとは限らないじゃない。鷲匠監督の時は? あと絶対ウシワカとも何回か会ってるだろ」
「…………」
今思うと結構な人と話してきたんだな私。自分じゃしっかり者のつもりだけど、はたから見たらフラフラしてばっかりの危ない子ではないか。
「もういいんだよ、そこは。情報収集の意味もあるだろうし。けど不安になるから程々にすること。………あと、さ」
「なんでしょう」
チラチラと窺いながら及川先輩は口を開いた。
「さっきの、好きって……何のこと?」
及川先輩の声は喧騒に掻き消されてしまうほど遠く感じて、それでも確かに耳は寂しげに揺れた声を拾った。表情にも緊張が見てとれたので、私は安心させるように微笑を湛える。
「チームですよ。及川先輩も含めて、みなさんのことを尊敬しています。素晴らしい先輩方に恵まれて私は幸せです」
これ以上ない後輩としての模範解答を出した桃井の笑顔は、まっすぐ及川に向けられていた。
だからこそ、胸を刺す痛みがあまりに切なくて、でも線引きされてしまったから、及川は乾いた笑い声を上げた。
「うん。俺も。桃ちゃんみたいな後輩がいてくれてよかった」
野狐戦が終わり、いよいよ佐久早と桐生の出番なのですが単行本派なので情報が全くないという……。本誌は時々読むんですけどね。ストーリーは進めるだけ進めますが、今の予定だと彼らの活躍は飛ばす可能性大です。悪しからず。