さて、私の通う小学校には定期的に地域レクリエーションというものが開催される。親子参加で性別、学年を越えた自由なチームを組んでスポーツをするというもの。私は好きじゃない。むしろ嫌いだ。他学年と交流しなければならない理由がわからない。わざわざ休日を使って学校の体育館に行く必要性がわからない。
「なんでこんなことになってるのかわからない……」
「何言ってんだ?」
マイバレーボールを持参した飛雄ちゃんが興奮を抑えきれない顔してキョロキョロしていた。おい元凶。なにワクワクしてるんだ。
おかしいとは思った。今日は学校の体育館が使用できるとかお母さんが笑顔で言ってきて、飛雄ちゃんはいつも以上にテンションが高かった。その時点で気づいて逃げるべきだったのだ。
けれど体育館という甘美な響きにソワッとした私はあれよあれよと連れられた先で『みんなで楽しもう・バレーボール大会!』の幕を見て絶望した。
今まで一度も参加したことはなく、精神年齢的に馴染もうともしなかった小学校でのレクリエーション。自由参加なのに何故かエントリー表にはばっちり桃井さつきの名前がある。
「ねえ飛雄ちゃん、人の嫌がることをしちゃいけませんって先生に習ったよね。ならどうしてこうなっているのかな?」
「さつきバレー好きだろ。ならいいだろ」
「おバカ! 私は、こういうところが、嫌いなの!」
こういう時は表情筋は仕事をしてくれて、あどけない顔立ちに嫌悪の色を乗せた。
あ。飛雄ちゃんのお母さんが微笑んでいるあたり、少女らしく「もー! やめてって言ってるでしょっ!」な怒り方にしか見えないのか。くっ、恨めしい……。
「おばちゃんも好きにしていいって言ってくれたし」
「お母さん」
「だってこういう交流大会って大切だと思っ……ごめんなさい」
いけないいけない、幼女(小五)らしからぬ威圧感が。一呼吸入れて感情を落ち着けると自然と解決法が浮かんでくる。
そう、最終手段の体調不良を使えば……!
「さつき! セーレツだ、行くぞ!」
「あっハイ」
くっ、その顔はずるいよ飛雄ちゃん……。
「なんでこうなった……」
決勝戦。私は無表情で呟いた。私のチームは飛雄ちゃんと私、それから小さな下級生達である。相手チームは小学五、六年生が多い。レクリエーションでこうした偏ったチームができるのはしょうがないだろう。だから、ミニゲームを観戦する親御さん達の目に同情が混じるのは仕方のないことだった。
「こんなの、不公平だろ……」
「こんな……こんな強い下級生がいるとか聞いてねぇよ!」
叫んだのはいかにもなガキ大将。ネット越しに今にも泣き出しそうな顔が見えた。ごめんねー飛雄ちゃん何事にも全力だからさー。なによりおバカだからさー。
体格のいい上級生VS下級生とかいう逆境、燃えるタイプなんですよー。
「ライトー」
「さつき!」
何十回何百回と上げられたトスが体育館の空中に浮かび、重力に従って落ちてくる。リズムを刻むようにして、思いっきり床を蹴り上げ、跳ぶ!
「ふんっ!」
正確無比な狙いを定め、コートのサイドライン沿いに叩き込む。今回は力がそれなりに入っていたようで、相手の顔を通り抜きざまに髪が揺れているのが見えた。うん、いいトスだ。一応言っておこうと飛雄ちゃんのほうを向く。
「ナイストス」
「お、おう。……よかった」
「ん」
周りの視線を一身に浴びて居心地を悪くするが、今更なので平素の調子で元の位置に戻ると、キラキラした目の下級生達がいた。やめて、そんな目で見られたら反応に困る。
「ねえちゃんスッゲー! どうやるの!?」
「……いつか教えてあげるね!」
「ホントに? ありがとーっ!」
ころっと騙された下級生達が無邪気に喜ぶ。そして飛雄ちゃんはウキウキとコートを見渡しては満足げにむふっと鼻息を荒くした。
「飛雄ちゃん飛雄ちゃん、顔が規制モノだよ」
「なんかバカにされてる気がする! けど、今はどうでもいい!」
床を踏むとキュッと音がして、天井を見上げれば照明が輝いている。小学生用の低めの、といっても私にとってはやや高めのネットがぴんと張られており公園にあるオンボロネットとは大違いだった。
そしてボールがコートに落ちる音、老若男女の歓声、コートにいる全員が夢中でボールを追う一体感。
「バレーって感じがする!」
「……そだね」
言語レベルが飛雄ちゃんと同レベは屈辱なので、渋々同意するに留める。飛雄ちゃんにとって体育館というちゃんとした場所でバレーをするのも、私とチームを組んでバレーをするのも初めてのことだった。
「じゃ、早いとこ終わらせて帰ろう。時間をかけたくない」
「おれはもっとここにいてぇ!」
「あと二年もすればいれるよ」
結い上げた桃色の髪をさらりと撫でると、私はひっそりと次の狙いを定めた。
結果は言うまでもなく私達の優勝で幕を閉じた。安っぽ……子どもらしいプラスチックのトロフィーを手にして満面の笑みの飛雄ちゃんは、今日一日のプレイがあーだこーだと話している。
……話してるっつーか一方的に言葉をぶつけられる感じかな。
「やっぱ体育館ってすげぇな! 走る感じが違ぇ」
「あー、足を止めた時の抵抗感とかね」
「それからネット! やっぱちゃんとしたのがあるのとないとじゃ……その、ある感じの、あれ……」
「存在感」
「存在感がすげぇ!」
「飛雄ちゃんはいつになったらすげぇ以外の言葉を覚えるの?」
感情が昂ぶったら大抵すげぇで済ませるのやめようね。バカにされているとわかった飛雄ちゃんは絞り出すような声で反論を試みた。
「う、うるせぇボゲ……」
「罵倒語ディクショナリーも一向に更新されないし」
「ば……でぃ……?」
「口悪くバカにすること。辞書」
「………おう」
しゅんと大人しくなり唇を尖らせる。ちょ、私が悪いのこれ。えー……。
「……ま、たまには悪くなかったかも」
「! そうだな!」
同調してくれたのが心底嬉しいようで、首が取れるのではと心配になるぐらいブンブン頷く。これは……ヘッドバンキング……?
「つーかさつき、ゲーム中に言ってたの、どういう意味なんだ?」
「ああ、二年後にはコートでバレーができるってやつね」
バレー馬鹿でそれ以外てんで空っぽの脳みそは将来のことなど考えていないのだろう。バレーをずっとしていたい以外は。
「小学校を卒業して中学校に入学したら部活、クラブチームみたいなのがあるの」
「じゃあブカツに入ればずっとバレーが……?」
「やれるんじゃない」
「おおお……!」
早くチューガクセーになりてぇ! と叫ぶ。ますますバレーボールが大好きになったようだ。
飛雄ちゃんは今日たくさんのことを知って、経験した。コートを駆ける疾走感。攻撃が成功する達成感。ラリーが続く連帯感。歓声と拍手、そしてチームというものを。
これは今後も紡がれていくバレー人生の出発点でもあるように思える。だから楽しい気持ちで終わることができてよかった。
飛雄ちゃんはとてつもないポテンシャルと才能を持っている。開花すると天才と呼ばれるほどに。本人はがむしゃらにボールを追っかけているが、底のない向上心は本人の望む上達への道を拓いてくれるだろう。
私は桃井さつきであるからか分析能力に長けていると思う。だがプレイに関してはからきしだ。
自分の身体を制御することはできる。動画のプレイを分析してこう動かすのだと理解するように、自分の身体をどう動かせば結果はどうなるのかがわかるのだ。
だけど、それだけ。人並み以上にできるかもしれないけど、それを突き詰めるには、私は飛雄ちゃんという天賦の才を知り過ぎてしまった。
だから私は……。
「おれ、全日本男子になる! 強えやつと戦って勝ちてぇ!」
「飛雄ちゃんならユースにだってなれるかもね」
「ゆーす」
「学生のうちに日本代表になることだって夢じゃないよ」
微笑みながら言えば飛雄ちゃんはにしっと笑った。右手に掴んだトロフィーを掲げて眩しそうに目を細める。まるでその先の未来を想像するように。
「じゃあ、まずはチューガクセーになってバレーをしまくる!」
「うん、頑張って」
「さつきもだぞ」
予想外の言葉に足を止めた。
まあるい後頭部が進んで行く。
「おれ、オマエともっとバレーしてーし」
「………そだね」
手元にある、優勝トロフィーを手にしてにっと笑った飛雄ちゃんと隣で真顔ピースの私、満面の笑顔の下級生達が映った写真に目を落として、私はようやくそう言えた。
きっと飛雄ちゃんとプレイした、最初で最後のチームとしてのゲームだったと噛み締めながら。