第3試合が開始されて数十分が経過した。この試合を勝ち残れば明日の準決勝に進出が決まり、全国4強が新たに定まる。
どのコートでも死闘が繰り広げられ、歓声と雄叫びが沸き上がり、一つになったぐちゃぐちゃの応援歌は会場に木霊していた。汗と涙、時には血を流し、彼らは己のプライドを胸に限界に挑む。
白いライトに照らされた眩い眼下に広がる世界は、ここよりもずっと暑く、それでいて焦がれるような高揚が全身を包んでいるのだ。
佐久早は死んだような目でコートを見下ろしていた。
彼が所属する
そんな心境で一人ぽつんと居た佐久早に近づく人影があった。
「佐久早」
「若利君か」
同じく準決勝に駒を進めた白鳥沢のチームメイトたちは先に行くとジェスチャーをし、牛島は頷く。
この2人は事あるごとに強化合宿や練習試合や大会で対面することがある。東北と関東、3年と2年という違いはあるが、幼少期から互いを認知していた。
ポジションは同じウイングスパイカー。各チームでエースとして君臨し、天才っぷりを発揮してきた。互いを意識しないほうが無理な話だ。気づけば顔見知りから話し相手ぐらいには関係が進んでいたが、個人的な会話など皆無で、専らバレーが話題になる。
今回もそうだろうなと思いながら佐久早は口を開いた。
「明日はよろしく。決勝で戦うだろうから」
「ああ………その時はな」
いつもなら、ああ。で終わっていたはずだ。含みのある言い方に疑いの目を向ける。
「その時……何か別の候補でもいるわけ?」
「お前を負かす可能性があるとすれば北川第一だろう。とはいえ、俺が勝つことに変わりはない」
「北川、第一……」
努力と実力に裏打ちされた自信の塊のような発言に噛み付きたくなるが、それよりも北川第一というワードが気になった。
青のユニフォームを身に纏い、颯爽とコートを駆け回る選手たち。全員が能力的にハイレベルで総合力もあるチーム。数プレー観察しただけでも連携と速さには光るものがあるとわかる。特に1番と4番のコンビネーションは絶品だろう。
「へぇ。若利君と木兎を倒したチームか」
木兎とは同じ東京のチームというわけで事あるごとに対戦していた。練習や試合で佐久早はある程度木兎のプレーの浮き沈みの激しさを知っている。だから今回も木兎は不調で、相手校はたまたま勝ったのだとトーナメント結果を聞いた時には思った。
逆に中総体で牛島が負けたという話には驚いたものだ。エースの誇りを糧に壁を打ち砕く勇壮なプレーは同じポジションでありながら、いや、それ故に惹かれる何かがあった。
そんな牛島に勝利した北川第一は最近名前が知られるようになった宮兄弟をも下し、準々決勝戦で死に物狂いでボールを繋いでいる。
白鳥沢の陰に隠れていた新星が、その姿を鮮烈に描き出していく。
「若利君は何で負けたの?」
オブラートのカケラもない言い方に牛島は少し眉を寄せた。コートに視線を送り、深く眉間のシワを刻む。
「信じられたからだ」
「……はぁ?」
「俺のプレーを、信じられたからだ」
佐久早は訳がわからないと顰めっ面をする。詳細を求めようにも力強い横顔に滲む感情は到底読み解けるものではなく、喜びにも悔いにもとれる複雑な心境らしいとはどうにか察した。
バレー以外には一切の関心を持たない男に変化が起きている。というかバレーにおいても似たようなところがあったから、彼の限られた興味を持てる分野に触れてしまう選手がいたのだろう。
佐久早は自分の知らないそんな実力者がいることに驚きを隠せず、正体を知ろうとした。
「スーパールーキーでも入ってきたの? 北川第一って初めて聞いたし、それまで白鳥沢は負けたことないでしょ。そいつが敗因?」
「ああ」
「誰。ポジションはどこ」
ジュニア時代にも東北地方にそれほどのプレイヤーがいるとは聞いたことがない。青いユニフォームの一人一人に注目しながら問うと、想像外の返答が淡々とやって来た。
「選手ではない。マネージャーだ。名前は、桃井さつき」
「いやはや、見事なものだねえ!」
渋い声を子どものように弾ませて豪快に笑った
「北川第一か……ここまでとは知らなかったよ。宮城は白鳥沢がいるしレベルが高いから特別目立っていなかったからね。いよいよ新芽が芽吹いたかな」
隣に座る知人と会話しながらも思考が止まることはない。
彼は次期全日本男子代表チーム監督と噂されているほどの人物であり、未来のアスリートたちの熱戦を観に来たのだ。
「桐生も尾白もよく戦った。試合で掴んだ感覚、心を奮い立たせたワンプレー、そういうものを噛み締めて、次に繋げられたらそれでいい。お疲れ様。君たちのバレーは、ひとまずここで一段落だ」
早々に勝利した白鳥沢と井闥山がいないため現在試合が展開しているのはコート二面。
片方では木兎らと昼神らが戦っており、もう片方では初見の、しかしながら今大会で脅威とされる精鋭たちがギラついていた。
「中学生にしては恐ろしいくらい相手選手をよく見ている。的確に弱点を突き、攻略していく。連携もあっぱれなものだよ」
「聞けば北川第一は何年も全国大会出場を果たしていないそうです。彼らの代でも例年は県大会準優勝。あの牛島若利がいますからね……。ただ今年は白鳥沢を抑え優勝しました」
「はは、彼は相変わらずドシンと構えて戦っていたなあ。でも前よりもずっと良い眼をするようになった」
勝利と敗北、どちらも経験した天才は変わっていく。中学生で経験できたことは幸運だ。高校生になってから、もしかしたら既に大きな変化の真っ最中なのかもしれない。
「牛島を止めるには生半可なブロックやレシーブでは不可能。それほど技術が優れた選手に近しい者が数名いるが……根底にある動きの予測が信じられないほどに精密だから、実現したのだろう」
あまりの僥倖に嬉しそうに目を細めた。
「マネージャーか……あの子本当に1年生だよね? 素晴らしい観察眼と分析能力だ。世界にはいるものだねぇ、異色の天才が」
コートをよく見てノートに熱心に書き込みをし、監督やコーチと言葉を交わしてタイムアウトの時は選手たちの中心にいる。
関係者の中でも気づく者は、その精度の高さに度胆を抜かれたはずだ。
前代未聞を遂行する桃井の才能にも、実践に移す及川の技量にも。
全国に存在する無数のチームの中でも異彩を放つ彼らを見つめ、雲雀田は唄うように言う。
「バレーボールに新しい風が吹くだろう」
それは、確信にも似た予感だった。
「は……? 俺たち選手の動きを予測……何を言って……」
「事実だ」
「………いや、だとしたら、そうか……」
佐久早は口元に手をやって考え込む仕草をする。目を閉じてしばし黙考すると、頷いた。
「俺は信じられない」
牛島が何かを言う前に、するりと言葉を滑り込ませる。
「だってそいつ、この間まで小学生だったんでしょ? 普通ありえないよ。どう考えたって時間も能力も足りてないでしょ」
「どういうことだ」
「単純計算で1チーム6人が全部で36チーム、計216人。さすがにエントリーしたチーム全てではないにせよ、優勝候補は必ずチェックしているだろ。さらに若利君がそこまで言うからには半端な精度じゃない。かなり時間をかけてやってるはずだ」
準備期間がどう考えても短いのだ。コートを支配するほどの予測を組み立てることは不可能に等しい。
「それに、俺はそこまでの能力があるとは思えない。ただの予測なら選手にだってできるし。コートは情報にあふれていて、フェイクや囮が難解に絡み合っている。その桃井って奴がどれほど観察眼に優れているか知らないけど、選手でさえわからないものを外側にいるマネージャーがわかるわけ?」
牛島は静かに耳を傾けていたが、後半部分に差し掛かると眼力を強めていく。相当そのマネージャーに入れ込んでるらしいと佐久早は予想した。実際は当たらずと雖も遠からずというところだ。
なんとなく呼吸がしにくい。居心地の悪い空気が流れ出したことを佐久早は意識した。
牛島とは仲がいいとかそういう関係と呼べるかも怪しい。ただ負けたくない相手で、それはあっちも同じだから、適切に表現できない微妙な繋がりがあるだけだ。
「でも、若利君が意味もなくそんな嘘を吐くとも考えられない」
その時、ワッと観客が沸いた。どうやら勝敗がついたようだ。コートを見れば青の集団がぐったりしながら喜んでいる。
「……結局答えは出せない。この目で確かめてみないことにはね」
どの道、明日に答えは出る。
興味はそそられたが佐久早にとっては通過点の一つであってそれ以上でもそれ以下でもない。
「ああ、最後に聞いておきたい。なんでそのことを言ったの?」
「木兎にも同じことを聞かれたな。何故、か」
牛島もコートを見下ろし無言になった。理由を言いづらいのか、そもそも考えてもいなかったのか、やけに沈黙は長かった。
何もないならそう言えばいい。言いづらいなら尤もらしいことを言えばいい。能面のような顔なのだから嘘かどうかも佐久早にはわからない。なのに真剣に言葉を探す。そういうところがこの男の全てだった。
やがてうんざりするほどのろまな動作で牛島は口を開く。
「奴にはもっと強くなってもらわねばならん。強くなるには強い奴と戦えばいい。お前がそうだ。知っていたら何かが変わるだろう」
「……つまり俺にそいつの苗床になれってことかよ」
最上級の屈辱だ。冷たく言い放った佐久早は怒りに顔を思いっきり歪める。
最後の出場枠が埋まったことで大歓声が沸き起こり会場内の熱気も凄まじいものとなっていくのと裏腹に、2人の微妙な空気は一変して、凍えるほど温度の低い雰囲気が包んでいく。
何が一番腹立つって、牛島が大真面目に言っているからだ。奴は心の底からそうであると思っている。
「若利君、どうかしてる」
こちらも正直に言うと、これまた大真面目にそうだろうかと問い返してくるから余計ムカツク。
小さな灯火程度だった桃井とかいう女への興味及び敵愾心が、荒れ狂う業火へと勢いが増していくのを自覚する。
あの牛島にそこまで言わせる何かがあるのか、確かめてやろう。そして倒すのだ。スパイカーとしてもエースとしてもプライドを嘲笑い、コケにされた気分だ。実際は牛島にその気は全くなくて、佐久早が考え過ぎているだけだが、自分だけが意識しているとわかるから、さらに苛立ちはヒートアップする。
「気持ち悪い……」
そう言い残して去った自分より少しだけ小柄な、といっても同世代と比べたら逞しい背中を見た牛島は、再びコートを見下ろし、その場を後にした。
準決勝戦
Aコート
白鳥沢学園中等部VS丑三中学校
Bコート
北川第一中学校VS井闥山学院中等部