麗らかな陽光が穏やかに降り注ぐ今日、人生数回目の入学式を控えた私は真新しいセーラー服をちらりと見下ろし、隣を見やる。紺色の学ランに身を包んだ幼馴染はしきりに辺りを見渡していた。
「バスケ部! バスケ部はいかがですかー!」
「いやいや野球部もいいよ!」
「美術部はどうかな!?」
賑やかな正門辺りを抜けていくつかのブースを通り抜ける。中々部活動が盛んな学校だ。勧誘の嵐って感じ。有望そうな新入生が運動部にターゲットにされているシーンも何度か見た。可哀想に。
「男バレのブースは……あっ、あそこだ!」
「走っちゃ危ない……ってもう遅いか」
うおおおおと叫びながら……叫びながら!? 飛雄ちゃんは目的のブースへと向かった。途端に私を中心にして人だかりができる。うわ、飛雄ちゃん戻ってきて切実に……。
「ねね、ウチの部のマネージャーやってよ!」
「いえ部活は決めているので」
「ええー! 体験入部したら変わるかもしれないじゃん!」
「絶対にないので通してください」
冷たい眼差しでそう言えば先輩たちはさっと道を開けてくれた。モーゼの如く人の波が割れていく道を歩けば、肩につかないように切り揃えられた桃髪が風になびき、スカートから覗く健康的な脚線美を描く脚がきびきび動く。
辿り着いたブースでは、キリッとした男前の面構えをした先輩が少し驚いた顔をしていた。飛雄ちゃんが夢中になって入部届けを書く隣に立ち、鈴の音のように澄んだ声が春風を揺らす。
「あの、マネージャー希望の桃井さつきです。入部届けください」
北川第一中学男子バレーボール部。宮城でも強豪校として知られるそれが私が入部した部活動だ。
入学式とホームルームも終わり、ごった返す廊下を颯爽と歩いて体育館へ。私のクラスは終わるのが遅かったようで既に多くの入部希望者が見えた。
「お、噂の美人ちゃんは君だね?」
体育館に入ってまず話しかけてきたのは目を見張るようなイケメンだった。優美と言うほかない端整な顔立ちに聴き心地のいい柔らかな声。ブラウンの瞳がにっこりと軽薄そうに笑む。ああ、新入生の間で早速噂になっていた男バレキャプテンとはこの人かとわかる。
……ところで軽やかなメロディーが頭の中で響いた気がしたんだけど幻聴かな?
「噂や美人かどうかは知りませんが、マネージャー希望の桃井さつきです」
「またまた。けどそっか、マネージャーかぁ、嬉しいな。俺はキャプテンの及川徹。で、あっちのこわーい顔したのが副キャプテンの岩ちゃん」
「はあ」
端的に言ってチャラいな……。指差された先を見れば今朝ブースにいた先輩が青筋を立ててこちらを睨んでいる。私が何かをした覚えはないので、岩ちゃん先輩が怒っているのは及川先輩に対してで間違いない。
「やっば怒ってる。じゃあ桃ちゃんは監督のところで見学してて! あとで先輩がマネージャー業教えてくれるから」
「はい。………桃ちゃん?」
初対面ですぐにちゃん付け……。鳥肌の立った二の腕をジャージの上からさすって指示通りに動いた。
そわそわする新入生を前にして及川先輩と岩泉先輩が自己紹介をし、ざっと色々な説明を済ませた後に告げた内容は衝撃的なものだった。
「じゃ、今からミニゲームやろっか。先輩VS新入生ってことで」
「ウチで恒例の行事なんだよ。実際ここにいる連中もやった。まぁ軽くお前らの実力測るだけだから、それほど気負わなくていい」
新入生を気遣って岩泉先輩が淡々と言うが、それでもざわめきが止まることはなかった。
一組から数えて六人ずつチームが組まれ、経験者と未経験者の偏りが生まれる。ルールは初心者向けでボールを落としたらチームの失点となるという最小限なものに収まった。
そんなわけで整列した計十二人の選手。私は得点係となり新入生側のコート脇で待機している。
改めて並んでいるところを見ると、こう……。
「やっぱり小さいな……」
ついこの間まではランドセルを背負っていた中学一年生と比べて、中学二、三年生の先輩がたは大人びている。成長期の一年はかなりでかい。身長や骨格からして差があるのだ。
それから経験も。チームとして出来上がって活動してきた彼らと違って一年生は行き当たりばったりもいいとこ。ポジションもよくわからない生徒はいるだろうし、軽い気持ちで挑むように及川先輩も言う。
「ほらほら、そんなに緊張しないの! みんな初めてなんだから楽しむ気持ちを忘れちゃダメだよ」
なるほど。これは遊びでもあるのだろう。まずはバレーが楽しいことを知ってもらい、未知なスポーツに興味を持ってもらう。初心者にはバレーとはどんなものかを触れてもらい、経験者には先輩の実力をわかってもらう。
一年でレギュラーになれる人なんてほんの一握りだろうし、それまではキツイ練習が待っている。今のうちに純粋に楽しんでおいたほうがいいよ。そう思っていると、第一ゲームがスタートした。
「やっぱ先輩たち強えーよ。ずっとやってるけど一敗もしてないし」
とゲームを終えた新入生が賞賛混じりに口にした。先輩たちは及川先輩と岩泉先輩を除いてはローテーションで選手交代を行なっている。だというのに二人は疲労を見せず楽しげにゲームに熱中していた。体力すごいな。
「次で最後だな」
最終チームを見据えて岩泉先輩が好戦的な笑みで汗を拭う。さすがに暑いようで先輩二人はジャージを脱いでTシャツのみだ。それともう一人。
「中学生すげえ……!」
鼻息が荒い飛雄ちゃん。ちなみに本日のTシャツは『全力投球』である。待ちに待った初の中学生での部活。それも初日でゲーム。嬉しくて仕方がないようだ。
「君がセッターかな?」
「はい! あとでサーブとかトスとか教えてください!」
「う、うん。いいよ。勢い強いな……」
ネット越しで及川先輩が捕まっている。飛雄ちゃんがごめんなさい。
ブザー音が鳴り響き、新入生チームの飛雄ちゃんがサーブを上げる。いつもと同じステップを踏んでなかなかいい回転が加わったボールが直進した。
「へぇ、いいサーブ打つじゃねぇか」
そう評価されたがあっさりとリベロに拾われ、飛雄ちゃんがぴくりと目を開く。勢いを殺されたボールは及川先輩の真上を浮かんだ。
「最後まで手は抜かないから……ね!」
容易に上げる先を予測させないフォームから、トスが繰り出された。及川先輩はセッターとしてかなりのハイレベルプレイヤーに位置している。いや、セッターと限定せずとも上手な人だ。さっきからサーブもスパイクもチームでベストなようだし。
……けどこの違和感はなんだろう。どう見ても伸び伸びとプレイしてるようにしか見えないのにな。
悶々とした思いを抱えていると、岩泉先輩が強烈なスパイクを叩き込んだ。うわ、新入生に容赦なし。その分餌食にならないコート外の選手は歓声を上げた。野太い。
「うっわ岩ちゃん大人げなーい」
「そういうトス上げたくせによく言うぜ」
次は先輩チームのサーブ。及川先輩の番だ。
「いくよ」
ごくりと唾を飲み込んだ。桃色の瞳を開いてそのシーンに集中する。だって及川先輩のサーブが完成度高いんだもの。
ボールを上げる高さ、助走に入るタイミング、手のひらに当たる角度までもが通常の中学生の域を超えている。これまで散々動画として見てきたけれど、生で見るのは全く違う。
───バシィッ!! 地に墜とされたボールが弾み、勢いを失くして転がった。もはや凶器……。
「〜〜〜〜!」
ただ一人だけ、感動に打ち震える飛雄ちゃん。メンタル鋼かなにかなの? 同じチームの眠たそうな男の子とか超絶嫌そうな顔だよ? まあ表情の変化に乏しいだけなんだろうけど。逆に頭がツンツン……ツンツン? 頭がらっきょのような男の子はヒェッと顔を青くしている。うむ、正直だ。
「よっしゃ! 俺たちも負けていられねーな!」
鼓舞するつもりもなく、するりと本心をこぼした飛雄ちゃん。だが返事はなくきょとんとする。
「どうしたんだ?」
「いや……勝てねーだろ、普通」
らっきょ君の呟きに同意するかのように周りの四人が頷いた。おっと、この空気は……。へこたれることが滅多にない飛雄ちゃんは心配していないが、どうにも他の新入生はメンタルが豆腐っぽい。
こういう空気になることも想定内なのだろう。むしろそこからどう盛り上げていくかが主将としての力量になるんだし。及川先輩達は特に表情を曇らせず静かに見守る。
「……? 勝てないからって諦めるのか? そもそも勝てないって何だよ」
「この点差わかんだろ。先輩が言ってたみてーにガチじゃなくて軽い気持ちでいいじゃねーか。そんなに熱くなんなよ」
あっ、これは一人だけ体育会系が混じってるパターン……! つまり見てるこっちがキツイ。このアウェイの中、飛雄ちゃんはどう出るかな。
「負けるのは終わってからだ。ボールを落とさない限りは、絶対に勝てる」
……よくもまあ恥ずかしいことを堂々と。
が、純粋な眼差しを向けられてらっきょ君は息を呑んだ。飛雄ちゃんの放つ無意識の威圧感に気圧されたように。
「へぇ、なかなか丈夫そうな子が入ってきたみたいだ」
にっと口角を上げて及川先輩は勢いを増したサーブを打った。んー、コントロール力はまだ低めかな。中学生なんだし当然だけど。これから鍛えていけば凶悪な武器になるだろうね。
アウトのため新入生チームにサーブ権がやってくる。前髪が真ん中で分けられた眠そうな目の男の子は安全なサーブを入れた。
「岩ちゃん、セットポイント取りなよ!」
「おう!」
何人ものブロッカーを弾き飛ばした猛烈なスパイクに飛雄ちゃんは食らいつくも、指をかすっただけでブロックは失敗。ワンタッチだが迫力満点のボールに誰も触れようとしない。……つーか。
軌道が変化した速球がこっちに向かってきてる!
「避けろ! 桃井!!」
「さつき──!」
「よっ」
音もなく勢いが殺されたボールが悠然と飛雄ちゃんに返っていく。ボール落下点を正確に見抜いた私は咄嗟にレシーブしたのだ。反射的に、無意識に、身体に染み込んだ行動を取ったまで。だから私は何の違和感も感じなかった。
「ナイスレシーブ!」
「……あっ」
そして飛雄ちゃんも通常通りにトスを上げる。慌ててらっきょ君がボールに手を当てた。図らずも急速に落下するボールに先輩たちは追いつかず、フェイントのようになる。
「やったな!」
「お、おう。……………ん?」
ばっ! とらっきょ君が振り向く。いや、飛雄ちゃんと無気力そうな新入生を除いた全員が私に視線を注いでくる。なんで………あっ。
「ただのマネージャーが岩ちゃんのスパイクを上げた……? しかも完全に勢いを殺して、セッターに返すとか……」
「しかも影山、普通にゲーム続行したよな……」
えええぇぇぇぇぇ!? と部員たちの叫び声が体育館にこだました。
理由を求める声はあったがゲームを終わらせるのが先だということで、先輩たちの勝ちで最終セットは終了した。部活終了時間も迫っていて今日は解散の流れになる。明日言うの……? うへぇ。いやなんですけど。
しかし強豪校ということもあって居残りする先輩がちらほら。そんな動きを見せた先輩たちに触発されて、飛雄ちゃんは初日に関わらず居残りすることを決断する。
「さつき。スパイクを打ってくれ」
「いや、一年生なんだからボール拾いとかでしょ。コートが空いてるならともかく」
「ぐ………」
マイバレーボールを握りしめた飛雄ちゃんの背後に及川先輩が立った。遠くでスパイクの調子を上げる岩泉先輩の姿が見える。
「んーん、今日は使ってもいいよ。人数少ないし。色々教えてあげるって約束しちゃったしね」
「本当っスか! ありがとうございます!」
「俺も残っていいですか!」
食い気味に飛雄ちゃんに便乗したのはらっきょ君だ。まさか二人もいるとは思っておらず及川先輩は目を丸くする。けど企むような目つきになった。イケメンはどんな時もイケメンなんだなぁ。
「ほうほう。さっきは勝てないって諦めてたようだけど………なに、悔しくなっちゃった?」
「はい! ……コイツに」
顔にででんとムカつくと書いてあるらっきょ君は、超絶嫌そうに飛雄ちゃんを指差した。一方で本人はわけがわからず目をぱちくりさせる。なんだかこの二人、面白くなりそうだな。
「ははっ。さっそくライバル見つけた感じ? やる気のある子はいいね。でも桃ちゃんは帰ったほうがいいんじゃない? 聞きたいことはあるけど明日にって言っちゃったし、暗くなったら危ないから」
「いえ、私は……」
「こいつなら大丈夫です。俺送っていくんで」
あっ飛雄ちゃん、余計なこと言うのはやめたほうが。
「……なんだかさっきから距離近いね?」
「はあ。まぁ俺とさつき、幼馴染ってやつっス」
……イケメンだけど驚くと目がハトみたいにまん丸になるんだぁとひっそり現実逃避をした。どうやら私、すぐに帰れないみたい。……はぁ。