桃井さつきinハイキュー!!   作:睡眠人間

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いつも誤字報告をしてくださりありがとうございます。最大限気をつけてはいるのですがきっと誤字脱字し続けるかと思います。これからもよろしくお願いします。


今回はリクエストしてくださったものにお応えします。大変お待たせしました。

in青葉城西ですがほぼ関係なく、桃井と及川しか出てきません。

多分エロい話です。からかう話? グラマラス美女? おっけ、ラキスケな! という短絡的思考のもとで書きました。及川が健全な男子高校生です(?)
こういう描写は初めてで加減がわからないままですので、くどいかもしれません。

ガッツリ恋愛描写有りでバレー全くしません。

大丈夫な人だけどうぞ。


番外編・理性VS本能

 それはもう、不幸と言うほかない話だった。いや及川にとっては幸福に違いないのだが、彼が強いられている状況は苦行と言っても過言ではなく、やはり運が悪く不幸と言うしかない。

 

 心頭滅却を志す彼の耳に入ってくるのは、断続的に脳内を乱してくる水音。網膜に焼き付いたピンク色のそれ。白く艶かしい太腿にアンニュイな目元。潤んだ唇から覗く赤い舌。すべてが及川の心を引っ掻き回す。

 

「はああぁぁぁ〜…………」

 

 今日は月曜日で及川の所属するバレー部は休み。両親は明後日まで出張やら旅行やらで帰ってこない。あまりにタイミングが悪かった。

 

 彼の家では何が起きているのか。それを語るには数十分前に遡る。

 

 

 

 部活が休みであるからにはしっかり休養に努め、次の日からの練習に備える必要がある。だがマネージャーは違いますよね? と情報収集に長けたマネージャーは笑顔で言った。及川の勧誘に乗って青葉城西への進学を選んだ桃井である。

 

 休みだと言うのに普段の活動時間と大差ない時間まで残ろうとする理由を理路整然と語る桃井だったが、中学時代に前科があるため、及川が待ったをかけた。それでは休息日の意味がないと。

 すると桃井は提案した。では及川先輩が監視してくださいと。曰く、どうせ後に報告して戦略を立てるくらいなら分析から一緒にしたほうが効率がいい。

 どこまでこの子は……と頭を抱えた及川だった。けれど確かに見ていないところで無理をされても困るし、何より二人でいられる時間が確保されるのは魅力的な条件なので了承した。あと、上目遣いに「監視してください」と頼み込む桃井に込み上げてくるものがあったからだ。なんて、本人に言えるはずがないけれど。

 

 さて、そんな経緯があって今日もある程度作業をし、他の部活動の熱気溢れる音で満たされた校舎を一緒に出る。桃井を家まで送り、それから自宅に帰る。いつものルーティンだった。学校により近いのは及川の家なので最初は渋っていた桃井に、これもトレーニング! とゴリ押しした結果である。

 

 しかし、今日に限って運悪く朝に天気予報を見ていなかった。話し込んだせいで通常よりも歩行ペースは遅れ、それまで曇り空だった空模様は急転し、土砂降りの雨が地面を叩く。急速に冷えていく体温に及川ははっとなった。隣には後輩の女の子。しかも中学時代から好きな子だ。早く避難させないと。そんな考えがピシャーン! と衝撃を生み、早く早くとはやる気持ちがとんでもない行動を彼に実行させたのである。

 

 及川は桃井の腕を掴んだ。

 

「こっち!」

 

 ああ、腕がもう冷えてきてる。細っこい腕を優しく、けれど力強く引っ張って走った。……及川の家に向かって。

 

 誠実な先輩であり続けた彼のために弁明すると、この時は本当に焦っていたのだ。周りの音も聞こえないほどの雨音に隣にいる桃井の気配すら絶たれたようで怖かった。とにかく彼女を安心させたかった。その一心だ。

 

 ゆえに見慣れた玄関に身体を滑り込ませ安全地帯に辿り着いたことで安心しきった及川は、荒い呼吸を整えている時にあれ? と気づいてしまったのである。

 

「はぁ、は、げほっ、ぁ、及川、先輩っ……はぁ」

 

 すぐ後ろに、咳き込みながら己の名を呼ぶ存在。恐る恐る振り返る彼の目に映ったのは、全身びしょ濡れのまま苦しそうに胸元を抑える桃井の姿だった。全力疾走後の疲労感からか大きく胸を上下させ、酸素を求め開いた口からは肉厚の舌が覗き、喘ぎ声じみた小さな音が漏れる。腰まで伸びた髪からはボタボタと水滴が滴り、彼女の足元には大きな水溜りができていた。それは及川も同じだが、なんとまあ、その光景は、あまりにも。

 

「………ッタオル持ってくる!!」

 

 荷物をえいやっと投げ、廊下をベチャベチャ濡らしながら突き進む。なんでこの子走ったあとこんなエロいの! 体育の授業の時いつもこれ!? と謎に怒ることも忘れない。

 新しくふわふわでいい香りのするタオル数枚を瞬間的に選び、自分のはそこら辺にあるものを引っ掴んで、玄関へ。

 

「これで拭いて! まずは!!」

 

 と押し付けた及川はまたもや気づく。

 

 桃井は自身の荷物を下ろし、その上に身につけていたセーターを畳んで置いていた。そりゃずぶ濡れのセーターなんか重いし動きづらいだろうけど。

 

「ありがとう、ございます……」

 

 まだ息が整わないようで途切れ途切れに返事をした桃井は頭にタオルをかぶり、髪や顔から水分を吸収させていく。

 その度に普段はセーターに隠された、いや隠れてないけれど、発育のいい体つきが目に毒だった。肉体にピッタリ張り付いた水色のシャツは豊満な胸を強調させ、タオルを握りしめた手がそこにいけばむにっと柔らかく沈み、離れたら元の姿に戻っていく。下着の形がうっすら浮かび上がり、目前で何度も繰り返されるそれは容赦なく及川の理性を削った。

 全身くまなく拭いていく動作は体を洗う時の仕草を彷彿とさせ、彼女のプライベートな部分を覗き見しているような心地になる。

 透けた肌色は艶かしく、頰に張り付いた髪や目を伏した横顔は美しい。体の起伏に応じたシャツの皺が色っぽい。総じて全身がエロい。

 

 及川も髪を乱雑に拭きつつ、バレないようにその姿を見つめて、ごくりと唾を飲み込んだ。だって健全な男子高校生だもの。

 

「あの、ちょっと失礼しますね」

「うん? …………ぇ、」

 

 そんな及川の視線をよそに桃井は背を向けるとスカートの裾を雑巾絞りの要領で水気を落としていく。びしゃびしゃ。また水溜りができる。鉄壁の防御で知られる彼女のスカートは、彼女の手によって捲れ上がり瑞々しい太腿が露わになる。細すぎず、かといって太すぎず、柔らかそうな肉感をした白い肌を、つぅと滑り落ちる雫。

 

 それだけで顔が真っ赤になった。さっきから心臓がバクバクいってるし、耳元で血流が爆走しているのがわかる。

 

 なんなのこの子。俺が君を好きだって知ってるよね。じゃあなんで、こんな無防備になれるの?

 

「………ん」

 

 さらに桃井は、屈んで脚をタオルで包み込むように拭いていく。ふにふに形を変えるそれはなんとも触り心地が良さそうだ。鉄壁の防御の名の通りスカートは役目を忠実に果たしており、かえって劣情を煽る。見えそうで、見えない。お前、仕事できるやつだな。

 

 やがて大体拭き終わったと思ったら、靴下に指をかけてするりと脱がせていく。彼女が自ら衣服を脱ぐという行為や、次第に視界に入ってくる素足にくらりとした。

 

 突然くるりと桃井がこちらの方を向いたので慌てて及川は止めていた手を動かす。頭の中はさっきの光景でいっぱいだ。正直に言おう。ありがとう雨、ありがとう世界。

 

「タオル、ありがとうございました。それじゃあ帰ります」

 

 は? という低音は、音にもならないで吐息になった。なに言ってんの? まだ雨脚が強く出発するにも相当な勇気がいるし、第一桃井の今の格好は外を出歩くには心許ない。というか誰かが見たとしてそいつに襲われかねないし、なんならそいつの目を潰すしかない。

 

「ダメだよ、この雨音が聞こえるでしょ? 今出ても危ないよ、落ち着くまで待った方がいい」

「ですが及川先輩に迷惑はかけられません。早く体を温めてください。風邪をひいたらどうするんですか」

「それはこっちの台詞だよ。雨に濡れた後輩を放っておいて自分だけぬくぬくできないし。桃ちゃん女の子なんだから、もっと自分を大事にして」

「私はマネージャーです。主将で正セッターの及川先輩よりも重要なポジションではありません。仮に明日部活を休んだとして、大きく支障をきたすのはあなたが体調を崩した場合でしょう」

「いいや、桃ちゃんだって休まれたらバレー部は阿鼻叫喚になるよ。俺は鍛えてるからちょっとやそっとじゃ倒れない。あと情けないじゃん。ちょっとでいいから、俺を先輩にしてくれない?」

 

 いやほんとマジでダメ、もし明日桃ちゃんが休みになったら原因追及は間違いなく俺にくる。俺は死ぬ。それ以前に、先輩として、男として、このことは絶対に認めるわけにはいかないんだ。

 そんな及川の信念も桃井は知っている。難しい顔になりそれでも何か言葉を重ねようとして。

 

「くしゅっ」

 

 かわいらしいクシャミが出た。思わず目を丸くした及川に居た堪れなくなり、桃井は俯いた。

 

「……すみません。及川先輩の言葉に甘えていいですか」

 

 耳まで赤くなっているのが見えて。甘えていいかなんて問われて。ウェルカム!! と叫ばなかった自分を褒め称えたい。よくやった俺。そして、二度あることは三度あると実感するのだ。

 

 俺、さらに俺を追い込んでない??

 

 

「シャワーをお借りしても」

「ああウンドウゾ!!!」

 

 桃井が言い終わらないうちに脱衣室に押し込めて、一息。深呼吸したら少しだけ冷静になれた、気がする。目前には水滴が飛び散った廊下。綺麗にしなきゃと拭くものを探そうとして、目的のものを手に入れられる場所には桃井がいると強く認識してしまう。

 

 カッと熱くなった。リフレインする記憶。自分を惹きつけてやまないそれが一枚扉を隔てたところにあるのだ。手を伸ばせば、届く。余すことなく見たいし触れたい。そんな欲望を鋼の理性で押し留める。彼は理想の先輩でいたかった。

 そういえばタオルは複数枚分玄関の方へ持ち出したはず。洗濯機に放り込んでないものが残っているだろう。よし、いいぞ。カムバック理性。仕事してる。だから他に意識を持たせる余裕のできた及川の耳は、その音を捉えてしまった。

 

 ───ぷち、ぷち、ぷち。……パサッ。

 

 シュル…………ぷつん。

 

 

 

「及川先輩」

「ぅひゃい!?」

「……どうしたんですか?」

 

 なにも!!! 怪訝そうな声に大声で答えた。体は冷えているはずなのに燃えるように熱く感じる。カムバック理性! カムバァァアアッック!! 両腕をびしっと体にくっつける。こうでもしないと危なかった。

 

「でっ、なにかな!?」

「その……私は何を着ればいいのでしょう」

「俺が準備しておくから!!」

「いいんですか? では、お願いしますね」

 

 咄嗟に口にした言葉は仕方がないとはいえ及川がヤバイやってしまったと後悔するほどのものだったのに。お願いしますね??? お願いってなに? 桃ちゃん風邪ひいてんじゃない?? あっ俺が風邪ひいてるのか。だから幻聴まで聞こえ始めたんだ。そんなところにまで及川の思考は飛ぶも、扉の向こうから物音がして、それからシャワーの水音が響き始めて。

 

 

 

 なんとかミッションをこなした及川は疲れ果て、濡れた制服から着替え終わるとリビングのソファに崩れ落ちた。

 

「俺ちょう頑張った……」

 

 実家を出た姉の服が残っていたので、それを着てもらうことにした。選ぶまでは、まだよかった。本当の問題は脱衣室に衣服を置く作業である。

 

 何せ薄っぺらいガラス扉の向こうには、は……一糸まとわぬ彼女がいる。スモークガラス越しでぼんやりしているとはいえ、あまりに多い肌色の面積に慌てて視線を逸らす。とはいえ数秒足らずでもシルエットは把握したのだが。腕が体を撫でつけていたので、きっと上半身を洗っている最中だったんだと目に焼きつけたのだが。

 するとさっきは目に入らなかった、桃井が脱いだ衣服を見つけた。学校指定のシャツにスカート、靴下、リボン。几帳面に畳まれた………それらの隙間からぴらりと存在感を示すのは、ピンク色の───

 

 

「あああああああぁぁぁ………」

 

 呻き声を上げてしまう。あの子は! 俺を! どうしたいんだ!! ダァン!! 力強く拳を叩きつけるもソファにボフッと沈んでしまう。なんだかそれに無性に苛立って、べしべし叩くことにした。

 学校で黄色い歓声を上げる女子たちでさえドン引きしそうなほどの奇妙な身悶えを繰り返し、叫び出さないよう奥歯を噛みしめる。

 

 これはなんの修行だ!! あんな、あんなエロいことされたら、それも好きで好きでたまらない子に、二人きりで、どうすればいいんだよ!? ありがとうございます!!!

 

「はっ……もしや男として見られていない……?」

 

 まさか、と着地点を嘲笑ってやりたいところだが妙に納得できてしまう部分があった。

 

 実は桃井が高校に入学してから、時々"こういう"ことが起きていた。詳細は割愛するがその過程で及川の桃井に対する認識は「しっかり者の後輩」から「放っておけない後輩」に変わっている。今のところ自分にだけうっかりや偶々が発動するみたいだが、いつ他の人が"そういう"場面に遭遇するかはわからない。

 

 一切の慈悲もなく理性を奪っていくそれに何度も肝を冷やしたが、他人にこの立場を譲ってやる気持ちは微塵もなく、及川はドキドキハラハラしながら耐えてきた。

 

「中学んときと今じゃ印象が全く違うなぁ」

 

 もしかして中学の頃は気張っていただけで、本来はうっかりさんなのでは……? と疑念を抱き始め、今は確信に至っている。であれば今の彼女の振る舞いは、心身共にリラックスしたいい状態なのだろう。桃井が自然でいられるように及川は涙ぐましい努力をした。

 

 その結果、意識されるチャンスを逃してしまっているかもしれない。これは由々しき事態である。いやでも、ここで手を出したら野蛮な連中と同じだ。俺はスマートにいきたい。桃ちゃんからカッコイイ先輩と思われたいし、情けない先輩に思われたくない。格好をつけるのは男の意地だ。

 

 ───キュ、と。シャワーの水音が止まる音がする。そういえばあれほどうるさく響いていた雨音は遠のいていて、歩いて帰ることもできそうなほどに天気は回復していた。先に袋は置いておいたので濡れた衣類はまとめられただろう。衣類乾燥機は及川家になく、渡した服装のまま帰らせることになりそうだ。

 

 やがてTシャツにゆったりめのズボンを身につけた桃井が姿を見せる。その姿は部活や合宿でも見たことのある、及川にとって見慣れた格好だったので、一気に緊張感は安らいだ。

 

「シャワーと服、ありがとうございました」

「ううん、あったまったみたいでよかったよ。桃ちゃん。天気も良くなってきたし、ゆっくりしてから帰ろっか」

 

 桃井はほんの一瞬だけ目を見張った。しかしすぐ微笑みを取り戻す。違和感を覚えつつも構わず続ける。

 

「ドライヤーはあっちね。冷蔵庫の中好きに見ていいから、何か飲んだりしておくといい。俺もすっきりしてくるから、上がったら見送るよ」

 

 と言って風呂場に行ったはいいけれどちょっと前まで同じ場所にいたのは……と想像してしまい、しばらく時間がかかってしまった。なんせ冷水をかぶっても邪心が払われてくれないのだ。フワーンと頭に浮かび上がってくる映像にドギマギし、心頭滅却の繰り返しを何度もした。脱衣室から出ると桃井は髪を乾かし終えていて、及川の濡れた髪を見咎める。

 

「及川先輩」

 

 桃井はドライヤーを片手に目の前に座るように促した。

 

「でも、」

「お礼をさせてください。それに人に髪を乾かしてもらうのって気持ちいいですよ? 私乾かすほう得意なんです。絶対気持ちよくしてみせます」

 

 そんなキラキラした顔で言われて断れる人間がいたらいてほしい。

 

 ソファに座る桃井に背中を向けてカーペットのひかれた床板に腰を下ろすと、手際良く髪を乾かし始める。最初は羞恥心や緊張感で肩が強張っていたが、優しく撫でられるような手つきにリラックスすることができた。徐々に上半身の力は抜けて安心して身を任せると眠気も漂ってくる。

 

 ……気持ちいい。

 幸せだなぁ。もっと触れてほしい。

 

 穏やかな時間に及川はほうと息を吐く。

 

 しかし所詮は男の髪だ。あっという間に乾いてしまう。するすると櫛で梳かし、ああ終わりだと思ったら、手のひらが頭に乗せられた。ゆっくりと撫でられる。さっきと違って乾かすことが目的ではなくそれが目的なのだと伝えてくる。蕩けるように甘くて、こちらがむず痒くなるほど大切に触れられた。

 

「……も、桃井サン?」

「なんでしょう」

「一体どうしたんですカ」

「そうですねぇ」

 

 曖昧に言葉をつなぐだけで答えは返ってこない。その代わり撫で方に変化が現れた。頭頂部から輪郭をじっくり辿るようにして、耳裏、うなじに指が降りる。つぅ、と人差し指でなぞられて背筋がぞくりとした。

 背後にいる桃井の思惑がわからないが、あちらには自分の真っ赤な耳が丸見えなのだろうと思ったら悔しくなる。

 

 でもここで手を出してしまったら今までの積み重ねが壊れてしまう。その躊躇が及川の行動を封じていた。

 

 硬直した及川に痺れを切らしたのかなんなのか、指の動きは大胆さを帯びていく。赤く染まり熱を持つ耳に狙いを定め、五指で形をなぞらえてはすりすりと指の腹でこする。もう片方の手は肩に置かれ、背中を一撫でして悩ましげに軽く引っ掻いた。

 

 すりすり、カリカリ。……すり、すり。カリ、

 

 唇を噛み、漏れ出そうな熱い吐息を抑え込む。桃井のほうに意識をやる余裕は消し飛んだ。ただただ強靭な理性で欲望を捻じ伏せる。そのことに全集中を注ぐことで正気を保つ。

 フゥーッ、フゥーッ、獣のような息遣いになってきて、握り締めた拳の感覚はもうない。その頃にようやく手が離れた。ドッ、と汗が出てきてひとまず脅威は去ったと知る。試合並みに乱れた呼吸を整えるべく深呼吸をすること数回。

 

 今度は後ろから抱きしめられた。

 

 後頭部を挟むようにして押しつけられ、むにゅりと好ましい感触を伝えてくるのは大きな胸。首に両腕が回されて、僅かに動いてしまえば触れてしまう距離に顔がある。ふわりと香るのはいつもと違う……及川と同じ香りだ。先程散々弄ばれた耳に唇が、近づいて。

 

「ごめんなさい。からかっちゃいました」

 

 耳元で、囁かれた。

 

 あんまりイイ反応をしてくださるものですから。

 そんな言葉を付け足して、桃井は無慈悲に立ち上がる。

 

「それでは帰ります。服は洗ってお返しします」

「………! お、送るよ!」

「結構です。……また明日」

 

 マジか。とだけ呟く及川。無情にも玄関の扉の開閉音が響き、本当に帰っていったのだと知る。

 

 めまぐるしく今日の鮮烈な記憶が流れ、最後の帰り際の表情を思い返す。悪戯っ子みたいな、心底愉しげに揺れる瞳を細めて、にぃと口角を上げた笑顔を。

 

「誰だようっかりさんとか言ったの………俺だったよ」

 

 三年前に彼女を悪い子と評したことがあるが、今の桃井はその比ではない。

 

 もはや悪魔である。

 

「…………。……もっかい風呂入ろ」

 

 

 

 

「これでもダメとかなんなの? あの人手強すぎるんだけど」

 

 ぶつくさ文句を言いながら桃井は歩く。そこまで自分に魅力がないのだろうかと不安になるが、あの反応にそれはないと断定する。

 

 昔、彼に好かれていると自覚してそれとなく距離を取った。恋愛よりもバレーのほうが大事だったからだ。でもひたむきに愛情を向けられてなびかないほど人の心を捨ててはいない。なんだかんだで同じ気持ちを返そうとした頃には彼の考えは悪いほうに固まってしまっていた。

 

 あの子は俺のことを好きになってくれない→好かれるにはどうしたらいいだろう→絶対に手は出さないし頼れる先輩でいよう→結果、桃井からのアプローチを偶然やうっかりと思い込む

 

 つまりまあ、桃井がどんなに頑張って好意を伝えようと信じてもらえないのだ。好かれたいと思っているくせに、好かれることはないと疑わないから。なんたる矛盾! 桃井は憤慨する。

 

 だから言葉や態度で本気なのだと伝えたがダメだった。過去の自分をぶん殴ってやりたいぐらいにあの人の心は堅固になってしまった。理性に訴えかけるのは無理だと判断し、今は本能を揺さぶることをメインにしている。

 

 だって彼は男子高校生。

 ぶっちゃけ言えばセイヨクサカンナお年頃。

 

 だから、この体をもってすればイケると思ったのに……! もはや好意を伝えて結ばれること以上に、どうやって手を出してもらえるかを目標としていた。

 

 悔しいのだ。バレーで忙しい生活を余儀なくされる日々でも欠かさずケアしてきた極上の体をスルーされるのは。こちらがどんな羞恥に耐えて触れているかも知らないで、体調でも悪いの? とまっすぐ心配されるのは。

 強がって動揺や羞恥心を顔に出ないようにしてしまっていることが、なかなか及川が気づかない理由になっていることには自覚がなかった。

 

 でもまあ、と。先ほどの記憶を思い返すとなんだか愉しくもなってきた。こちらの言動に振り回されて真っ赤な顔で慌てふためく及川を観察するのは純粋に面白い。……自分だけ我慢していると勘違いしているのは腹立たしいが。

 

「………私だって我慢してるのに」

 

 触れたいし、触れてほしい。はしたないと思うけれど、好きな人との触れ合いはこんなに心を満たすものだから。

 

 あんな、あんな恥ずかしい思いをしたのに結局ダメだった。服を脱いだり、自分の体を触ったり、思いを込めて触れてみたり。手は震えていなかっただろうか。少しでも意識してくれたら、嬉しいのだけど。

 

 これでも効かないのであればさらにその上を目指す必要がある。……あれ以上のことをしろと? ただでさえ心臓が爆発しそうだったのに??

 

「………。次は押し倒すぐらいはしなきゃ……」

 

 告白すら成立しない奇妙な関係の二人の戦いは、まだまだ続いていく。




明日桃井家の柔軟剤の香りのする服が返ってきます。なんなら及川が熱を出して桃井が看病しに来るまである。



最近アニキュー!!の動きが活発で嬉しい限りです。四期もだいぶ近づいてきましたね。しかも2クール! これは見るしかない。
ハイキュー!!小説が増えることを願って待機しております。

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