突然の来訪者にバレー部は言葉を失う。目一杯開かれた扉からひょっこり顔を出したのは、高校バレー界においてアイドル的存在となっている有名人だったからだ。
腰まで伸びたトレードマークの桃色の髪はこの真夏でも結われることなく、彼女の動きに合わせて揺れる。女性にしてはかなりの高身長らしくすらりと伸びた色白の生足が眩しい。そして順調過ぎるほど発育した胸部にどうにも視線がいきそうになってしまう。
加えて直前に男子高校生全開の会話をしていたならば。
「か、影山ならさっき家に帰りましたよ」
特に変わった表情を浮かべていないのを見るに、さっきの話題は聞かれてなかったようだと安心した澤村が持ち前の対応力で返答すると、桃井はそうですかと残念そうに眉を下げた。
「入れ違いになったのかな。一応メールはしたのに……あのおバカ絶対見てないじゃん」
「その、影山に何かご用ですか?」
「あ、はい。これを彼に渡そうと思ってたんですけど……」
「それは……?」
「お弁当です。影山くん、お昼持っていっていなかったでしょう? だから手作りして届けに来たんです。でも、無駄になっちゃったみたいですね」
桃井の手にぶら下がっている膨らみのあるバッグに視線が集中した。影山が弁当を忘れたことを知っていて、しかも手作り弁当をわざわざ学校まで届けに来る。
そんなことができるのは───!
その答えに日向を除く男子陣がほぼ同時に至った。影山の寝坊。弁当を忘れる。それらに関係する……すなわち影山の彼女って───!
「も、桃井……さつきさん………」
「お久しぶりです、西谷さん。さん付けは外してくださいと前にも言ったと思うのですが……」
「どうして……ここに……たしか県外に進学してたんじゃ……」
「東峰さん。お盆休みもあったのでちょうど帰省してたんですよ。昨日は影山くんにも会って」
「影山に……?」
「日向くん久しぶり。うん、そうだよ」
ふふ、と嬉しそうに笑顔を浮かべる桃井。頬はほんのり赤く染まり、身をよじると高校生離れした抜群のスタイルが強調される。なんだか色香を纏っているようにも見えるその雰囲気に、男子高校生たちは素早く目を逸らした。
確定だ。もう言い逃れできない。
影山の彼女は桃井さつき。
そうと来れば、たしかにどこで影山が彼女を作ったのか、いつからなのか、そもそもバレー馬鹿の影山と付き合う物好きな女性なんているのか。そういった疑問はいとも簡単に解消されていく。
しかも昨日奴に会ったということは、昨夜そのまま……。
「ぐっ……うう、ぐはぁ!!」
「田中ァーーー! 気を確かに!!」
「影山……許すまじ………」
「西谷ァーーー!!」
「えっ!? 田中さんもノヤッさんもどうしたんですか!?」
「日向、これはね、えっと……」
「やめろ山口! 今ここで具体的に言ってみろ! 致命傷になるぞ!!」
「ええー……桃井さつきが実在するだけでもすげえって思ってたのにな……」
「やっぱ影山すげーな。同じ中学ってだけであんな美女をモノにできるとは」
「お前ら冷静に感想を言うんじゃない!!」
「阿鼻叫喚……」
半信半疑だった彼らも、まさかの展開にすっかり事実として飲み込んでしまう。一番部内でそういうのに疎そうな影山のスキャンダルに烏合の衆と化す部員たちを、桃井はびっくりした顔で見ていた。
「あ、あの方が影山くんの彼女でしょうか……?」
「そうみたい、だね……」
クールな清水も驚きを隠せない。谷地に至っては、遠目からでもわかるモデルさんみたいにスタイルの良い美女だ……! 影山くんと並ぶとさぞ絵になるんだろうなぁ………はっ! 私ったら何勝手にジロジロ見てるの! 失礼でしょ! 遠くからでもとっても眩しいのに、近くで拝見したら目が潰れてしまうに違いない……!! と盛り上がっていた。
「どうかされましたか?」
「いえっ! なんでもありません!」
「ええと、敬語を外してもらえませんか? 先輩なわけですし」
「じゃ、じゃあそうさせてもらい……もらう」
やばい。直視できない。見ちゃいけないって本能が叫んでる。澤村がどうしたものかと唸っている一方で、特にダメージを受けていない(面白がっているとも言える)菅原は。
「影山やるなー! あ、桃井さん、ちょっとお聞きしたいことあるんだけど、いい?」
「? ええ。どうぞ?」
「いつからその……二人は今の関係になったの? 中学は一緒らしいけど」
「今の……? ……そうですね、中学の頃は……色々ゴタゴタして少し疎遠になった時期もあったんです。でも高校に入ってから、また昔のように話すことができるようになって……」
あー……一回別れたこともあるパターンだコレ。しかも相当お付き合い歴は長いと見た。で、元の関係に戻って久しぶりに昨日出会って、そして……。
「そらあの影山も寝坊するわな……」
ぽつりと菅原が呟くと、桃井はぺこっと頭を下げた。
「桃井さん、どうしたの?」
「すみません。彼が寝坊したの、私に原因があるんです」
「うえっ!? そ、そりゃあそうなんだろうけど、仕方ないんじゃないかな〜? その、ひ、久しぶり……だったんでしょ……?」
「スガ! がんばれ!! 負けるな!」
「大地はスガを何と戦わせてるんだよ……」
後方で澤村と東峰の援護を受けるが、正直変わって欲しいのが菅原の本心だった。面白いけど、何が悲しくて後輩のアッチ系の謝罪を受けなくちゃならない。そもそも寝坊はしても遅刻はしていないんだから、影山にも桃井にも非はないのに。
「影山くんから何か聞いたんですか……?」
「いや! 全然! でもこう、なんとな〜くね? 察するというか察しちゃうというか……」
「そうですか。……よく影山くんのこと見てるんですね。いいチームメイトに恵まれたようで、ちょっと安心しました」
困ったように微笑む桃井に、全員がはっとなった。
影山の過去は彼にとってもトラウマになっているみたいで、当時の周囲の環境はなかなかのものだった。マネージャーをしていた桃井もそのことはよく知っているはずだ。当事者なのだからここにいる誰よりも詳しく、離れてしまったチームメイトが気がかりだったに違いない。
そんな彼女が久しぶりに会うと、影山はものの見事に変わっていた。信頼できる仲間に出会って孤独の王様じゃなくなった。ようやく肩の荷が下りたのだろう。約一年ぶりに見たその顔は、すっきりして晴れやかなものに日向は感じた。
「えっと……それは、こっちもそう思ってるって言うか……」
茶化すのはやめよう。
ここは紆余曲折を経て元サヤに収まった二人の交際を真摯に祝うべきだ。
そう思って、彼らが口を開こうとした瞬間。
「さつき」
「あ、影山くん」
渦中の人間が帰ってきたことで全員が口を噤んだ。
「お前メールじゃなくて電話しろよ……」
「だっていつも出ないじゃない。それに途中でも気づいてくれたから戻ってきたんでしょ?」
「うぬ……」
「それより、ちょっと日陰で休んだら? 水分と塩分補給と……」
桃井からのメールに気づき、ダッシュで引き返して来たらしい。朝駆け込んで来た時のように影山の額には汗が浮かんでいる。それを心配そうに指摘する桃井にはっとした菅原が先立てるように言った。
「そ、そうだな影山! せっかく桃井さんが来てくれてるんだ! 二人で休んでなさい!」
「いえ、私は用も済みましたし帰ります」
「まあまあ! 桃井さん、また向こうに戻んなきゃいけないんでしょ? 影山と直に話す機会もあまりないわけだし……」
それを言われると弱いのか、桃井が悩ましげに目を細める。烏野の男子部員たちがそういうことだと認識してるからなのか何なのか、やけにあでやかな仕草に映り、澤村がよせ! と内心で叫ぶ。
「なんでスガさんはあんなに桃井さんを引き止めようとしてるんだろう……」
「十中八九面白そうだから、なんじゃない」
山口に答えた月島は、たしかに滅多に見れない王様の一面が見られるかもしれないと期待する。実際に、普段ならありえないことを二件も引き起こしているし、何より「彼女と話す影山」という字面がもう面白い。それをネタにして弄れたら万々歳だ。そんなわけで月島も加勢することにした。
「ですが、部外者がいつまでも校舎内に立ち入るのは……」
「お昼休憩の間だけならバレないデショ。王様は引き止めなくていいの」
「王様言うな。……つーか、俺は別にどっちでも……じゃあ帰れ」
わざわざ弁当手作りして届けに来てくれた彼女に向かってそれはないだろ! と内心でツッコミを入れる彼ら。田中と西谷に至っては影山に飛びかかろうとして縁下に抑えられていた。しかし桃井は慣れたように笑う。
「食べ終わったらすぐボール触るもんね。今は敵同士なわけだし、たとえ練習でも私には見られたくないってことなんじゃない?」
自信たっぷりに言うと影山は首を振った。
「さつき、疲れてるだろ。なら早く帰って休んだ方がいい」
「え。ある、ありがとう」
噛んだ。誤魔化すようにこほんと咳払いをすると、でも大丈夫だからと桃井は留まることを決意する。風通しの良い場所に影山は胡座をかき、桃井がその隣にちょこんと座る。男どもは解散して、それなりに距離を取りつつ会話が聞こえるポジションを各自で確保した。
「ちゃんと食えんだろうな……」
「大丈夫よ。一人暮らしして自炊はちゃんとしてるし、焦がすこともほとんどなくなったし」
「ほとんど」
「文句は食べてから言って」
ん。と差し出された弁当箱を凝視すると影山は何とも言えない顔をして受け取り、蓋を開く。見目は普通だ。栄養バランスがしっかり考えられていて、量も申し分ない。卵焼きが少し黒くなっているのが気になるが、ギリギリ芳ばしい範疇に入るだろう。恐る恐る一口食べる。
「! うまい」
「ほんとっ? よかった、少しドキドキしちゃった」
それ以降言葉らしいやり取りはなく、無言の影山がガツガツ料理を口に運び、桃井は興味津々な顔で烏野の体育館を観察する。どちらも言葉を発しないのに、居心地の悪さを感じさせない無音のやり取りは、たしかな時間を過ごしてきた親密な関係が見て取れる。
「……影山が彼氏やってる……。さっきの聞いた? 疲れてるだろ?? あんな気遣い初めて見たぞ」
「入部当初とは比べものにならんほど丸くなったな……」
「影山は大事な人ができた……いや、いたのかぁ。たしかにお似合いの二人だもんなぁ」
とほっこりするのは三年生。
「なんだ、帰ってきた影山に質問攻めするのかと思ってたけど、案外静かだな」
「いやいや。これは静かっつーより……」
「嵐の前の静けさだろ」
と縁下、木下、成田がちらりと問題児たちを見る。
「んぬぅ、影山、桃井さんの手作り弁当を平然と食いやがって……まずは天使から頂けたことに喜んで感謝の意を示し拝むのが普通だろ……」
「全くだぜノヤッさん……咽び泣いて頭を垂れて当然だというのに。影山はよぉ……」
「そんなことしてるから、清水先輩に相手にされないんだぞ」
田中と西谷は持ち前の精神力でどうにか堪えていた。彼らとて桃井がいる前で「ゆうべはおたのしみでしたねコラァ……??」とは言えない。その代わり影山は後でどんな目に遭わせてやろうか、腹わたが煮え繰り返りそうなほどの怒りを抱え、しめしめと計画と言えない計画を立てていた。
「思ったより大ごとになっちゃったね」
一通り腹に収めた影山が一息つくと、ぽそりと桃井が言った。
「あ? 何が」
「昨日のこと。翌日にこんな影響があるとは思わなかった。……影山くん、私の心配してくれるし」
「そりゃするだろ。あんなに激しく動いてたんだし。すげぇ声出てたし」
「それは忘れてくれる? というか影山くんだって人のこと言えないんだからね。びっくりしたんだから。あんなの初めて見たよ?」
えっっ二人ともここで昨夜のこと話すの!? もしかして聞こえてないと思ってる!?
ハラハラ会話を止めるべきか悩む周囲を他所に、話はもっと深くなっていく。
「さつきが色々言ってきたから……我慢できるわけねぇ」
「あー……実は興奮してたから何口走ったか覚えてなくて。私何言ったの?」
「はぁ!? あそこまで言っておいて忘れんじゃねーよボケ!」
「女の子にボケはないと思う。……忘れたくなかったのは事実なのに、自分で思うのはいいけど、影山くんに言われるとムカツクのなんでだろ」
桃井さん興奮して何言ったんだろう……それで我慢がきかなくなるとか、影山も男だな……。
そんな感想がアイコンタクトにて行われた。
「……でも、我慢できないくらい夢中になってくれたんだね。嬉しい」
体操座りで太腿を抱え、こてんと影山の方に顔を向ける。心の底から幸せで満たされて、それを隠さない蕩けた微笑みに、影山はゴクリと唾を飲み込んだ。茹だるような熱気に当てられて頭の中がぼんやりしてくる。
じとりと浮き出てくる汗で頰にへばりついた髪、白く艶かしい首筋から鎖骨を伝って胸元に落ちていく汗、太腿に押し付けられて柔らかそうに形を変える豊満な胸、肉感的で美しい脚線美を描く長い足。
影山の眼前に惜しげもなく晒された、美しく成長した幼馴染の体。
「………当然だろ、んなこと。それより、お前」
「んローリングゥウ………ッサンダーァァァアアアアアア!!!!」
「ノヤッさあああぁぁぁん!!」
「西谷さん、相変わらずのようね……。で、影山くん何か言いかけた?」
「いや、なんでもねぇ」
そう? と微笑む桃井。水を飲みながら桃井から視線を剥がす影山。危ねぇ、と西谷に感謝する影山だったが、その実西谷は影山の邪魔をしていたつもりだった。
「うっわぁ……なんかスゲー……。でも、案外普通というか、影山は影山だね。彼女の前でもいつもの感じだ」
桃井を前にして照れたり赤くなったりもしない影山を見て、影山はどこまで行っても影山なんだなぁと感心する山口の隣で。
「がっかり。せっかく加勢したのに」
ツマンナイと月島が呟く。そういえばいつもはギャーギャー煩いチビが静かだな、と気になって見やれば、俯いた日向がプルプル震えていた。
「……や、山口。今、なんて……?」
「え? えっと、影山は影山だなーって」
「その後」
「彼女の前では……って、ああ、日向はピンと来てなかったっけ。あの桃井さつきって子、影山の彼女なんだって」
「ま、マジだったのか……影山に彼女ォ!!?」
体育館中に響き渡る声量で日向が叫ぶ。
咄嗟に日向と清水と谷地以外の全員が思った。あっなんか知らんがマズイと。
「…………影山くん」
「お、おう……?」
すとん、と表情を削り落とした桃井が、影山の名を呼ぶ。日向を怒鳴りつけようと開いた口を閉じて、影山はギギギ、とぎこちない動きで桃井と向き合う。
「きみ彼女いたの??」
桃井の料理について。
ここの桃井も「一人暮らしする前は包丁を握ったこともなかった」くらい壊滅的でした。学校や部活から解放された時間は全てバレーに捧げていたので、料理はロクにしたことがなく、毎日影山に軽食のおにぎりを握ること以外、やったことがなかったのです。
そして高校生になり一人暮らしをして経験を積み、だいぶマシになりました。物凄く頑張ったらしいです。
アンケートのご協力、ありがとうございます。個人的にびっくりしたのが「バレー部に入らない」が予想以上に多かったことです。
自分の中では
1、ジャンプでよくある修行期間(二年後に……的な)であり、大人になってからチームに合流する
2、バレー部に嫌気が差し、数年後にオリンピックで活躍する影山飛雄をテレビで見る
くらいしか展開が浮かばなかったのですが、実際どの展開を想像されているんでしょうか?
あとアンケート結果はまあまあ意識してるんですけど、忠実に反映されることはほぼないです。すみません。私の執筆意欲が上がるだけです。
バレー部には入らなかったら
-
1、修行期間
-
2、バレーと無関係の一般人として生きる
-
3、クロスオーバータグの出番
-
4、それ以外