「おっ、丁度始まりますよ! 大地さん、スガさん!」
「北川第一の初戦だな。なるほど、あれが……」
「コート上の王様に、桃井さつき」
落ちた強豪、飛べない烏。日向が憧れる小さな巨人がかつて所属していた烏野高校排球部は、今やそんな不名誉な呼び名が通っていた。
ポエミーで失礼な通り名を払拭すべく日々努力をする彼らは、来年戦うことになるかもしれない強敵を観に来ていた。
烏の名にふさわしい漆黒のジャージを着た高校生の存在に気づき、桃井はパッとそちらを見やる。
「あっコッチ見た」
「ぐぅっ! ノヤッさんが言っていたのもわかる超っ絶美少女……だがッ! 潔子さんの美しさには敵わなッ………うぬぅ!!」
「田中がなんか苦しみだしたぞ」
「知らんほっとけ。ありゃ発作だ」
色素の薄い髪を揺らし菅原孝支がすげなく言い捨てると、澤村大地はそれもそうだなと頷いて、純朴な眼差しをコートに向ける。
田中龍之介も倣おうとするが、そこには彼の愛する麗しきマネージャーと並ぶ美貌の持ち主がおり、四苦八苦している様子だった。
「王様の方は噂ぐらいでしか知らないけど、桃井さつきは月バリでも結構見るよな。この選手についてどう思いますかってコメントがさ、すげぇ的確なの!」
「大会の結果予想して全部的中させたこともあったらしい。なんつーか……そこまでできたら、もはや恐ろしいの域だよなぁ」
そういえば東峰が桃井のことを『いい子だよ』と褒めていたが、自分はどちらかというと『すごい』と同時に『怖い』という感情を抱く。
本当にそんなことが可能なのか。この目で見てみないと信じきれないのが澤村の本心だった。
彼女は烏野高校には進学しないだろう。噂によれば県内最強の白鳥沢から声がかかっているらしい。それに本人も乗り気であることも。
全国大会出場を目指す烏野としては戦いたくないというのが本音だ。
ただし直近の北川第一の大会結果から桃井に対する世間の評価が厳しいものになってきているのも事実。
早咲き過ぎる才能。頭打ちとなった天才。このまま埋もれてしまうのではないか。
天才を羨む凡人たちの僻み。
それはコート上の王様と同じ意味を持っていた。
影山と違ってチームメイトからそう評されたことは一度もない。むしろ俺たちが弱いからだよな、と責任を感じてくれさえする。それに桃井は上手く言葉を返せず奇妙なズレに戸惑うしかなかった。
「おねがいしあーーース!!」
公式ウォームアップも終わり、選手が整列すると主審の笛の合図で挨拶をする。
日向は興奮を抑えきれない表情を浮かべ、誰よりも大きな声で挨拶し、勢いよく頭を下げた。
煌びやかなライトに照らされる夢を馳せたコートに立つ。白線を越えたその先は未踏の地。一体どんな場所なんだろう。どんな世界があるんだろう。早く早くとせがむ鼓動が心地よく響いている。
恐る恐る。なんてことはなく床を蹴り上げるようにして目の前を突き進むと、北川第一の声援が耳に飛び込んでくる。それは試合前は怖くて怖くて仕方がなかったものだったのに、今は舞台を彩る演出に過ぎなかった。
メガホンを叩く音も応援歌も全てが試合の為にある。選手の為にある。たとえ敵を威圧させる為のものだとしても、初めての感動に打ち震える日向には関係ない。
周りの景色が、音が、選手を祝福していた。
まるで主役になったみたいで、体の奥底から物凄いエネルギーが湧いてくる。ぐわああっと無限に溢れてくる。
床を踏み締めるとキュッとたまらない音がして日向は笑った。
北川第一のサーブから試合が始まる。初手は国見だった。普段ならば対象を絞ってフローターサーブを打つのだが、今回はそういう指示は一切ない。
『雪ヶ丘中は今年で五年ぶりに出場するチーム。選手六人のうちクラブチームに所属していた経歴のある者はゼロ。公式ウォームアップの様子を見てもあの六人でバレーをするのは初めてのようだった。なので、こちらから出す特別な指示はありません』
久しぶりに分析なしでスコア記録に集中できる桃井はバインダー片手に告げた。これまで一定のレベル以上のチームと対戦するときは桃井の戦略を軸にプレーしてきたから、彼らにとっても珍しいことだった。
「俺に影山みたいな狙う技術はない……でも大体の嫌なところは知ってる」
常に相手にストレスを与え、精神を消耗させて体力を奪う。桃井の戦略の根幹にあるその効率の良さに国見も賛成していた。わざわざ相手の土俵に立ってやることはないし、ずっとガムシャラでいることは彼のスタイルに合わない。
必要な時に必要な分だけ。過不足なく出力されるエネルギーを狂いなく調整するのは冷静な国見の武器だ。
笛の音が鳴り、サーブを打つ。
狙うはコートの対角線上にいる関向。日向が咄嗟に名を呼んだ。
「コージー!」
「うっ!!」
体育の授業で習ったフォームのまま振り上げた腕に、ボールがかすることはなかった。上げることもできないなんて……と関向が申し訳なさそうな顔をする。
「わ、悪い日向……」
「ドンマイドンマイ、次がんばろ!」
日向は笑顔で声をかけた。二本目のサーブがお見合いになっても笑みは崩れず、味方選手の肩を軽く叩いて朗らかに鼓舞する。
「気にしない気にしない。声出してこー!」
その様子に緊張と不安で及び腰だったチームメイトが見るからに表情を和らげた。
裏のない日向のことだから本当に試合に出るのを楽しみにしていて、この一幕も彼の大好きなバレーの一部なのだろう。そう思うと日向にスパイクを打たせてやりたいという思いが強くなり、絶対にボールを上げてやると息巻く雪ヶ丘。
日向のキャプテンとしての振る舞いに桃井は温かい気持ちになりながら、頭では冷徹にチームを勝利に導く為に思考を巡らす。
「やっぱり日向くんがチームの主軸なのね」
公式ウォームアップや試合の様子からして間違いない。キャプテンだからチームの中心なのは当然のことだが、これで戦術的にも(相手にそんなものがあるとは思えないが)精神的にも中核にいることは判明した。
ならば、と視線を滑らせる。
未だサーブ権を持つ国見がボールを受け取ると、ちろりと確認のアイコンタクトを送ってきたので『どうぞお好きに』と言わんばかりの満面の笑顔でゴーサインを出す。
こういう時の国見くんとは驚くくらい考えがシンクロするのよね、と桃井は独り言ちる。ちょっと嬉しそうだ。
このあと楽する為ならばここで本気を出すまで。
国見の狙いは定まった。
日向をサーブで牽制するのだ。
中心選手が機能しなくなり自滅していったチームはよく見てきた。上に上がれば上がるほどそんなチームは見なくなったが、効率的な戦い方として有効なのは明白。
普段はコートの穴を見定める国見だが今回ばかりは違う。
とはいえ今の日向は前衛。その時が来れば試すだけの話だ。……それまでに日向の心が折れていなければ。
十本目を迎えた国見のサーブは関向の方へ。今度こそ……! と意気込む関向は前のめりになってしまい、顔面でレシーブ。痛そう!! 烏野高校の三人は心を揃えた。
だがボールは高く跳ね上がり、初めてトスにつなげることができた。やっとだ。泉はこのチャンスを逃さないよう、慎重にフォームを整える。
日向にトスを上げてとせがまれ続け、バスケ部ということもあり、山なりに上げるオープントスだけはできるようになっていた。
「翔ちゃん!!」
「ついにトス上がった!」
高く上げられたボールがゆっくり落ちていく。その軌道をしっかり目で追った日向が助走を開始し、爽快に床を目一杯蹴ってスパイクモーションに入る。
───驚異の跳躍力だった。
日向の現在の身長は160cm前後。にも関わらず、彼より20cm近く高い相手にも並ぶ高さまで飛んで見せた。
「うおっ!?」
北一の選手や烏野の高校生に驚愕が駆け抜け、
「いけっ!」
関向や泉は一発ぶちかませ! と期待し、
「飛んだっ……!」
ハッタリではなかったことに影山が凶悪な表情に僅かな喜色を乗せ、桃井は新たな可能性の詰まった存在に目を輝かせた。
スコアを記録するページを乱暴に捲ると真っ白なそこにシャーペンを踊らせる。隣に座る監督やコーチはぎょっとした。一心不乱に視た情報を書き殴る姿は、チームが追い詰められた時にしか見せないものだからだ。
あの弱小チームのただ高く飛べるだけの選手に、何を感じ取ったのか。桃井の目は日向に向けられていて到底尋ねることもできず、監督は彼への警戒を強めた。
しかし高く飛んだほうが勝つほど勝負は単純ではない。
「クロス側締めろ」
「!」
影山はブロックの指示を出し、金田一を含めた二人が動き出す。日向が力任せに打ったスパイクはブロック三枚に阻まれた。
ガガンッ!! 大きな音を立ててバウンドしたボール。日向の心に嫌な気配が滲みより、その場に立ち尽くす。初めて見る日向の様子に泉が慌てて駆け寄った。
「しょ、翔ちゃん。ドンマイ! 俺もトス頑張るからさ」
「! ゴメンせっかく上がったのに! 次は決めるから……!」
ぱっと振り返る日向に一安心すると同時に、必ずトスを上げてみせると泉は奮い立った。
北一のミスでいくらかローテーションが回り、日向が後衛になった時のこと。
「よっしゃあ! 来いやッ……っておれかよ!!」
国見はサーブで日向を狙う。同じエネルギーでサーブを打つのなら、最も効果の高い位置を捉えるのは国見にとって当たり前のこと。
案の定全く取れずに失点を重ねる日向は悔しげに歯噛みする。苦し紛れになんとかレシーブできてもセッターの位置に返せたことはほとんどない。さらに……。
「お! ようやくイイの上がったぞ!」
「ってもなー……あのチビ小さいから、助走出遅れるとデカい選手と同じ高さまで到達しねーよなぁ」
田中が坊主をペチリと叩いて残念そうに言った。イイモン持ってるしガッツもある。素人だらけのチームをたった一人で支えていて、中々見所のある中坊だ! ニシリと口角を上げる。
だが田中が日向を認めても現状が変わるわけもなく、国見が目論んだ通りレシーブの際に体勢を崩してしまい日向はスパイクもままならない。
「いくら高く飛べてもなぁ、ブロッカーより低かったら意味ねーんだよ!」
チームイチの長身を誇る金田一が真正面からドシャットを食らわせる。雪ヶ丘の攻撃は基本日向に高いトスを集めてばかりだ。他の選手にたまにトスが上がってもネットの向こうに返すことで精一杯。
攻撃パターンが単調過ぎて俺でも読める。もっと考えて工夫すりゃいいのに。
金田一がそんなことを思っていると、ネットを挟んだ向こう側の日向は、今まで一生懸命やってきた練習を悔いていた。
おれ……スパイクばっか練習してきたけど、そんなんじゃ全然ダメだ。レシーブができてないから攻撃に繋がらない。
「また翔陽狙い!?」
「んにゃろっ……ぁだッ!?」
今度も来るかな? って思ってたら本当に来やがった! 構えていたもののボールが顎に激突。またもや烏野の三人が痛そう!! と一様に己の顎を守る動作をする。そうしている間にもボールは思わぬ方向に飛び、北川第一の守備の穴にぽてっと落ちた。
「日向先輩! だっ、大丈夫ですか!?」
「俺のサーブだけど……なんか、悪い……」
あまりに派手な音を立てたものだからチームメイトは駆け寄り、国見がぽつりと零す。
周囲が心配そうに見守る中、うーッと痛みに呻く日向は得点板の動きを視認して元気よく起き上がった。
「えっ今の得点になった!? やった! ははははおれの作戦どーり!!」
「涙目だよ翔ちゃん……」
「サッカーボールといい、バレーボールといい、お前よく顔面レシーブするよな」
先程の自分は棚に上げて関向は苦笑いする。
コイツはいつもそうだった。何があってもへこたれない。何度入部を断られようと、練習に付き合わされてこっちが文句を言っても、グラウンドの隅っこで練習してたら顔面にサッカーボールが突っ込んだ時も、屈託のない笑顔を浮かべる。
今もそうだ。いくらレシーブで狙われてブロックに阻まれようと、決して折れることがない。
喜んだのも束の間。雪ヶ丘のサーブは綺麗に上げられ、針穴に糸を通すコントロールで繰り出されたトスは巧妙に攻撃の指示を潜ませており、むっとしながらも金田一はブロックゼロの位置で叩き込んだ。
北一のローテーションが時計回りに回る。国見のサーブは嫌なところを狙って精神に揺さぶりをかけるサーブだった。なら、その次の影山のサーブは。
「うぅ……さっきのセンター分けのヤツも嫌だったけど、アイツのサーブはもっと嫌だ……」
国見のサーブみたいなのだったらコンニャローッと対抗心を燃やしていける。でも、コイツのは……。
「影山くんのサーブ、中3当時の及川先輩以上だからね」
一時期は及川本人の指導も受けていたのだ。まあ暫くして冬にパッタリ断られてしまうようになったけれど。それでも短期間の教育は影山に多くのものをもたらした。見て覚えられるのだから、直接指導されたらパワーアップするのは自明の理。
サーバーとしちゃ今大会イチだよ? 桃井は誇らしげに囁いて影山の一挙手一投足に注視する。桃井だけではない。度々強烈なサーブを放っていたから会場全体が影山に注目していた。
手の中で回転させ、ピタリと止めたボールを額に近づけて一呼吸を置き、閉じていた瞼を持ち上げる。標準装備のはずの眉間のシワはすぅと溶け、穏やかな眼差しがコートをまっすぐ射抜いた。
───ゾワリ。背筋に冷や汗がたらりと流れ、並々ならぬ気配に日向がぶるりと身震いした。正直に言うと、怖い。
ヒットマンの銃口がおれの心臓に向けられてるみたいな。そんな経験一度もないけど、影山の研ぎ澄まされた集中は、鋭利な刃物とよく似ているように感じた。
「しゃ、しゃぁあっ、こおおぉぉぉぃい!!」
うわ声裏返った!! 恐ろしさと恥ずかしさで顔を青くしたり赤くしたり忙しない日向。まさにその後ろのエンドラインすれすれを影山は狙う。
笛の音が鳴り、影山がサーブトスを上げる。翼を広げるように、青空を高く飛ぶように。大地を踏み締めて跳躍すると、美しい姿勢で振り上げた掌がボールの芯を捉えた。
余分の削ぎ落とされた絶妙な加減のパワーがぶつかり、ボールは弾丸と成って凄まじい速さでコートに堕ちる。
───ドパァッッ!!!
着弾地点は狙い通り。あっという間に日向の真横を通り過ぎていったボールが大きく跳ねて、二階席まで届く。菅原は顔に激突する前にキャッチし、ひょえ〜……となんとも情けない声を零した。
これは怖い。取れる気がしない。
北一もこのサーブには『いいぞやってやれ!』よりも『パワーとスピードえぐすぎんだろ怖……』と恐れ慄く割合が高かった。シン、と静まり返った中で。
「よしっ……!」
「お見事!」
上手くいったと拳を握る影山と、嬉しそうにパチパチ手を叩く桃井だけが通常運転だった。
ここの北川第一は桃井の指導により原作よりも強くなっています。だから影山の要求する速さや高さも原作よりハイレベルになっており、それこそ「俺たちにできるわけないだろ、この王様が」と思っても仕方がないくらいには無茶ぶりトスを上げられてます。
桃井ホイホイになりそうな人
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牛島若利
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桐生八
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佐久早聖臣
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尾白アラン
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木兎光太郎