原作が完結しました。
最高の物語をありがとうございました。
第一セットは北川第一の圧勝。始まった第二セットも北川第一からしたら通常通り、雪ヶ丘からしたら散々なものだった。影山を始めとした強力なサーバーが次々に点を取り、相手のミスで雪ヶ丘は点を取る。一方的な暴力と言っても差し支えのないほど容赦ない攻撃に、得点係は「見てられない……!」と顔を覆った。
「お願い!!」
トスが上がる。全力で高く、高く飛ぶ。それがおれにできること。それしかおれにはできないから、どんなに強い相手がいてもこの高さで全部勝ってやる。そう、思っていた。……だけど。
「…………ぐッ!!」
一回目のスパイクの時に見せた闘志に満ちた顔はなく、目の前の困難に苦しむ表情を浮かべた日向はそれでも懸命に腕を振った。ネットの上から突き出してくる手が日向の視界を塞ぎ、試合前よりも大きく見える壁がその向こうの景色を潰し、スパイクを阻んだ。
───何も見えない。
日向はこれまでほとんど独りでスパイク練習をしてきた。部員はおらず、ネットも使えない。体育館の隅、グラウンドの空きスペース……バレーができるところが日向にとっての練習場所だった。トスを上げてくれる人もいなければ、ブロックしようと跳んでくれる人もいない。自然と高い跳躍力さえあれば得点できると思っていた。
しかし、現実が日向の目を覚ます。
高く跳ぶだけでは何もできない。レシーブがヘタクソならボールは繋がらない。そういったバレーをしてぶつかる当然の壁を日向はようやく見つけたのだ。
「あいたーっ! また捕まった!! アイツヘタクソだけど、ギュンギュン動くし……あれで身長があればなぁ!!」
「うん。後は……雪ヶ丘中にちゃんとしたセッターが居たら、あの1番ももっと活きるんだろう」
観客席からコートを見下ろし、田中の声に澤村はそう答える。技術は素人同然だが、あの身長であそこまで跳べるのは中々なもの。セッター次第でまるで違う動きを見せるのではないか……そんなことに期待してしまうほど、日向のプレーに感心していた。
「それに初心者寄せ集めみたいなメンバーを、よく一人で支えてるよ」
圧倒された雪ヶ丘チームに悲壮な空気が漂いかけ、日向の明るい笑みとかけ声で場の空気が何とか保たれる。そこには確かな友情関係があり、日向にはもう少し頑張ってみようと思わせる力があることも関係する。
日向がチームの核心であればこそ、日向を折ろうと北一は動く。しかし日向は折れない。何度サーブで狙われようと、スパイクを阻まれようと、苦悩の表情は見せても彼の心が折れることは絶対にない。
見に来た理由は影山と桃井だったが、予期せぬ選手に出会えたものだと澤村は独りごちる。しかし本来の目的である影山のプレーは見ればわかるが、桃井の活躍は期待できそうになかった。何か熱心にノートに書き込んでいるようだが、彼女の実力を確かめるにはこの試合は不適だったのだろう。
「うーん……。決勝戦も見に行くか……」
今度は他の奴らも来られるといいな、なんて言うと田中と菅原は笑って肯定した。
「すごい子だなぁ」
桃井の視線は日向に送られていた。普通あそこまでされたら心は折れる。どうして自分ばかりが。なんでできないんだ。そうしてぐちゃぐちゃに乱された精神がプレーに現れ、それに自己嫌悪するというループに陥り、敗北していった選手たちを桃井はたくさん見てきた。
バインダーに挟まれた資料の一枚目……雪ヶ丘についてまとめたデータを再び確認する。試合出場の経緯から推察するに日向は本格的な練習ができていたとは思えない。つまりこれが初めての挫折なのだろう。初めてというにはあまりに酷い、徹底的な否定のようなものだが。
だからこそ日向の強い精神性が輝いて見える。
常人ならばそこで止まる。しかし桃井は日向の、執念とも取れる困難に屈せぬ心をある種の狂気にすら捉えていた。これまで数々の大会で戦ってきた強者と同じ……こちら側の気配に、久々に心が躍る感覚だった。
まだ確信に至るまで情報は集められていない。必ず掴んで見せると息巻き、その一方で不安をおくびにも出さずにちらりと影山を見る。試合前にあんなことがあったからなのか、いつもよりピリピリしている彼が心配だった。
「影山は周りの恵まれた面子をイマイチ活かしきれてないよな。影山個人の力は申し分ないハズなのに。まるで……独りで戦ってるみたいだ」
影山と同じポジションである菅原がぽつりと言う。自分より優れた身体能力と技術、何より才能を持ち合わせておきながら、なぜ焦っているのだろう。なぜ仲間を頼ろうとはしないのだろう。
「金田一!」
「クソッ……!!」
影山の速すぎるトスに辛うじて反応できた金田一が手のひらに当てると、ボールは勢いを無くして相手コートに落ちていった。その速さに雪ヶ丘はついていけないが、もちろん味方も置き去りにしてしまう。
「あっぶねぇ……」
「もっと速く!!」
失点にならずに済んだと一安心するのも束の間、影山の鋭い指摘が飛ぶ。王様相手に低く舌打ちを鳴らした金田一に、国見は「ナイス」と声をかけた。
「今日も相変わらずのムチャブリトスだな」
「相手ブロック、いないも同然なのに……何マジになってんだよ」
金田一はチームで一番影山に近いところにいるからこそ、誰よりもトスに置き去りにされ、スパイカーの意義を殺されてきた。国見が最も忌むスタイルを影山は常に味方に求めてきた。どうでもいいとボロボロの蓋をしては溢れ出てきた感情が堰き止めることなく湧き出てくる。
二人で王様の愚痴を言えば聞きつけた影山が振り返って叫んだ。
「じゃあお前らが本気になるのは一体いつだよ!?」
「やめろ! 試合中だぞ!!」
たまらず主将が止めに入るが、影山の睨みつける目つきや、金田一と国見の冷ややかな視線が変わることはなかった。険悪な雰囲気のまま試合が進むのはあまり見ていたいものではない。
いつも注意してるのに、どうして。桃井はそっと目を伏せる。
「ああ、もう……また……」
「タイムアウトは?」
「これでとっていたらキリがないですから……」
こんなことは日常茶飯事だ。それに仮にタイムアウトで影山に再び注意したところで反発され、怒鳴られ、それで終いだろう。この程度で彼の悪癖が直せていたら苦労しない。
別の……彼の中で決定的になる何かが起きたら変わるはずだ。桃井はそれを引き寄せるべく奔走していたが、間に合わないまま今日を迎えた。やらなくてはならないことは分析と、怒りを腹の底に押し込めて笑顔でチームの仲を取り持つこと。後者に手間取られ、影山に変化をもたらす何かは見つけられていなかったのだ。
「よっし、またサービスエース!」
「まだだ!!」
国見のサーブを取り損ね、ボールは高く後方へ飛ぶ。日向は既に駆け出していた。未だ宙を浮かぶボールを見上げ、走る。まだ落ちてない。走る理由なんてそれだけで十分だと言わんばかりの行動に、影山は言葉もなく日向を見つめ、桃井はノートを力強く握りしめた。
届くはずがない。ボールが飛び跳ね、日向が駆け出した瞬間に桃井は結果がわかった。周囲の者も一様に「あれは無理でしょ……」と呟く。
事実日向は届かなかった。最後の最後に手のひらを伸ばすもボールは目の前で落ち、その勢いのまま壁に激突してしまう。その痛そうな音に青い顔をした泉とサーブレシーブに失敗した川島が駆け寄った。
「大丈夫翔ちゃん!?」
「スミマセン、僕……!」
これで北川第一のマッチポイント。次を決めれば勝負が終わる。影山が国見にもう一本と声をかけ、ネットの向こう側へと視線を向けた。
「ぁ、あの……」
「ゴメン、次はとる!!」
「あの!」
笑って顔を上げた日向は、川島の声に何だろうと首を傾げる。
「け……怪我とかしちゃってもアレだし……正直、勝てる相手じゃないし……なんで……そこまで……」
「えっ!?」
川島……いや、その場にいる全員が疑問に思っていた。
なぜ日向翔陽はそこまで本気になれるのか。初めての試合だから? 主将としての義務感? 相手は全国大会出場経験のある超強豪校。対してこちらはバレー部と言えるのかすら怪しい6人の素人。技術も経験も雲泥の差があり、試合が始まる前から勝敗は決していた。
天地がひっくり返っても勝てるはずがないのだ。それじゃあ、どうして。
「えーーーっと………ええ〜〜? よくわかんないけど、でも………」
桃井にも彼らの話し声は聞こえていた。さて、日向は何と返すのだろう。期待に胸を弾ませながらそちらを見やり、そして。
日向はウンウン悩みながら頭を掻くとその答えを口にする。
「───まだ負けてないよ?」
その瞬間、得体の知れない気迫に気圧されたかのように、影山と桃井は息を呑んだ。
───そうだ。どんなに難しいボールだろうが追う理由はひとつ。まだコートにボールは落ちていないから。
───どんな劣勢だろうが戦い続ける理由はひとつ。まだ負けていないから。
桃井は小学生の頃、影山が同じ理由でプレーし、周りをドン引きさせた時のことを思い出した。中学最初のレクリエーションでも同じことをして周りは気圧されていた。あるいは自分も似たようなことをやってきたらしい。
数々の強敵と戦ってきた経験が、何より女の勘が告げていた。
日向翔陽もまた、己や影山と同じモノを秘めている。知能か、才能か……現在は技術が稚拙で賢さも感じられない。それらしいモノは精神性のみ。いや、それこそが証明なのだと確信する。信じる理由なんてそれだけで十分だった。
「……がんばれ。頑張れ、日向くん」
気づけば口をついて出た応援に、不思議と力が湧いていた。
日向のスパイクが金田一の手を弾き、ボールが高く飛ぶ。
「ワンタッチ!!」
「触った! カバーだ!!」
影山は早くトスを寄越せと後方を素早く振り返る。しかし国見はこりゃとれないな……とゆっくり走っており、当然ボールは彼の数メートル先で落ち、雪ヶ丘の得点となった。彼らにとって初めての、相手のミスではない自分たちの得点だった。
「おっしゃぁあああ!!!」
「やったな翔陽!!」
24ー4。依然として状況は変わらず敗色濃厚。しかし今ので何かが開けたような、そんな気がした。日向たちが拳を突き上げて喜んでいる最中、対峙するコートから怒号が響く。
「最後まで追えよ!!」
今日一番の怒りの表情に国見は数秒黙り込んでから、悪い、と口にした。
「勝負がついてないのに気ィ抜いてんじゃねえよ!!」
「……何だよ。この点差がひっくり返るような奇跡なんて、起こらないだろ」
「今の1点は奇跡じゃない。獲られたんだ」
ゆっくりとネットを挟んだ向こう側の日向を指差して叫ぶ。
「アイツに点を! 獲られたんだよ!!」
「……は、そりゃそうだけどさ」
たかが1点ごときになんでそこまで本気なんだよ。ついていけるわけねえよ。国見はにへらと口角を吊り上げ、嘲る。
今が全力を出す時じゃない。だからそうしているまでだ。上手くサボって体力温存して、必要な時に全力を出す。桃井さんはこのスタイルを肯定した。作戦の一部に取り入れるようにしているし、監督だって理解している(だからといってサボるのは許されていないけど)。
だが影山は納得していない。桃井さんから説明を受けたらしいけど多分理解できてない。バレーに関してはずば抜けて賢いくせに、本気=全力と捉えているから俺のスタイルを否定する。
でも俺は構いはしなかった。わざわざそこまで説明してやる義理はない。桃井さんが言ってもそうだったんだから、俺が言っても何一つ変わらないだろう。
関向のサーブはネットイン。金田一が上げるも相手コートに返してしまい、雪ヶ丘側は選手が忙しなくコート上を動き回る。一年の森がどうにかレシーブし、泉が構えた。
「チャンスボールだ!!」
「翔ちゃん、頼ん───っ!?」
その時、泉のトスは彼の思わぬ方向へと飛んでいった。完全なトスミスだった。しかしそっちには誰も居ない。……はずだった。
結構あっさり終わったな、と桃井は思っていた。
いくら強靭な精神を秘めていたところで日向の実力が変わることはなく、ヘタクソはヘタクソのままだ。でも彼なら───……と期待したのは自分だった。そこに分析や勘は関与しておらず、彼女の願いのようなものだったのだ。
だから、その時の日向の動きは、まるで予測できなかった。
かつて戦った牛島や宮侑を始めとした天才たちと同じように、日向は桃井の予測を超えてきた。
トスが右側に上がった瞬間、日向は駆け出していた。それはほんの一瞬き。コートを弾丸のような速さで突き進むと、マークしていた影山や金田一を置き去りにして、高く飛んだ。体が流れるまま放たれたスパイクが北一のコートを切り裂くと同時に、日向もそのまま転がって仕切りにぶつかった。周囲が心配そうに声を上げるも、痛みに構わずすぐに顔を上げる。
───ピッ。主審が笛を短く鳴らし、両腕を曲げる。アウトだった。
ピピ───ッ。
静かにスコアボードの幕が捲られ、試合終了の音が響く。
「うわーっ! 最後のは惜しかったなぁああ!!」
「あぁ……でも見てみろよ」
「北川第一の連中、大差で勝った奴らの顔じゃないよなぁ」
澤村たちが北一の選手の表情を見てみると、彼らは眉を寄せて考え込む顔をしていた。
小さくて高く飛べるだけの素人が、自分たちの追いつけない速さでスパイクを決めた。桃井の指導により格段に強くなった彼らでもブロックが間に合わなかった。まさに一瞬のできごと。結果はアウトだったが、それで終わりだと片付けるにはあまりに信じがたいプレーだった。
「それに、桃井さつきも、」
菅原は何となくそちらに視線をやり、息を詰めた。
彼女は笑っていた。目を弓なりに細めると柔らかな唇を吊り上げて、うっとりと恋する乙女のような微笑みを浮かべていた。穏やかで幸せに満たされた微笑とは裏腹に、その瞳はギラついた渇望を映し出す。見つけたと言わんばかりに目を輝かせ、日向をまっすぐ見ていた。
到底意図など読めそうにないその表情はすぐに切り替わったため、菅原の他に気づいた人はいなかった。その笑みを向けられていた本人でさえ。
影山は最後の日向のスパイクを思い返す。あんな無理な姿勢から片足を踏み切って、そしてあのジャンプ……。正直、目で追うだけで精一杯だった。
……今のは完全にセッターのミスだった。バックトスなんて予測していたわけがない。にも拘らず打てたのか? あいつはあのトスに反応できるのか…?
桃井ならば影山の疑問にも答えてくれるだろう。だから考えるのはそこでやめにして、影山は俯いて動かない日向に近づいた。試合が進むにつれて腹の底に溜まっていた疑念を怒りに変え、言葉にする。
───高い運動能力。反射。自分の身体を操るセンス。そして勝利への執着。それらを持っていながら。
「お前は3年間、何やってたんだ!?」
「───ッ」
日向は何も言えなかった。爪痕が残るくらい拳を固く握りしめ、奥歯が擦り切れるほど強く噛み締めると、ぎこちなく足を動かした。
中学最初で最後の公式戦。
獲得セット数、ゼロ。
総試合時間、わずか27分。
中学時代のバレーの思い出が走馬灯のように流れた。小さな巨人に憧れて入部したバレー部に仲間はおらず、友達もたまに付き合ってくれるくらいで練習はいつも一人ぼっち。三年になって初めてできた部員にすごく喜んだのを覚えている。そして、なんとかメンバーを掻き集めて、試合をしに、バレーをしに、ここにやってきた。
───……勝ちに来た。中学最初で最後の試合を。
本誌が全て単行本化されたら中学時代を時系列に直してまとめます。
アンケートありがとうございました。
牛島さんの圧勝でしたね。納得です。本編でもそんな感じですからね。逆にホイホイされてるような気もしますが。
なかなか面白かったので続けます。