この人が私の知っている選手ではないのは、中学時代に目立った活躍をしていないからだろう。しかし白鳥沢にいるということは鷲匠監督のお眼鏡に適う実力の持ち主であることは明白。一体どんな選手なのか……。
厄介そうな相手には最大限の笑顔で武装し対応するのが私の常だ。にこっと笑い、朗らかに口を開く。
「びっくりしました。急に話しかけられたものですから。えっと、あなたは……?」
「あ~、びっくりさせてゴメンネ。俺は天童覚。MB~」
「天童、覚さん………。……はじめまして、先程自己紹介させて頂きましたが、私は……」
「モモイサツキちゃん。若利くんと連絡取り合ってるでしょ?」
「え?」
唐突に言われて、ぱちりとゆっくりまばたきをする。
連絡を取り合っている……うん? 牛島さんから連絡が来るのは大会まで偵察や試合に行っている日だけで連絡を取り合っているというよりは一方的に送られる感じだけど……何でこの人それを知っているの?
牛島さんってそういう話題を誰かに話すタイプではない。となると、まさか……。
「…………。……もしかして牛島さんに変な助言をしたのはあなたですか?」
「変な?」
「その、数分置きに連絡するようにとか……」
まさかね。まさか。そんな気持ちで口にすると天童さんはニンマリ細めていた目をカッと開き、腹を抱えてゲラゲラ笑い出した。
「ホントに細かくメール送ってんだ!? ちょっ面白すぎるでしょ若利くん!!」
「なっ、笑い事じゃないでしょう!? あの人天然で素直だから言われたことそのまま実行しちゃうのに!」
「女の子に連絡するって聞いたから、たまにしか連絡を寄こさないオトコは嫌われるってアドバイスしたんだヨ」
「それでアレ……? 極端過ぎる……」
「ふふ。こまめにやってんだあ。がんばるねえ、若利くん」
中学生の初恋の様子を面白がっているような、そのくせ優しい声色で呟かれた言葉に、私は押し黙った。
どうしてそこまで関係を持とうとするのか。どうして大会のたびにあの人に遭遇する羽目になるのか。理由はわかる。それほどまでに『桃井さつき』という存在が大きいのだ。自意識過剰とかではなく客観的な意見として、私は理解していた。
鷲匠監督が求める突出した才能。その中でも異色な存在である私を獲得するメリットは十二分にある。
そのために全国津々浦々からスカウトやら何やらやってきて捌ききれなくなった結果、苦渋の判断で条件を出したくらいだ。私的には出したくなかったけれど本当に対応しきれなくなったからね……。
ふっと遠くに視線をやる。だとしても、白鳥沢を選ぶ可能性が高いのにあの牛島さんが私を気にかけるのは異常な気もするが。ずっとくすぶっていた疑問に、天童さんはいとも簡単に答えて見せる。
「なんてったって約束の日が近いもん。必死になるよね〜」
「約束?」
「うん。約束……え? 若利くんとしてるんじゃないの?」
「何のことです?」
察するにその約束とやらが原因らしいがまったく身に覚えがなく、本当にわからないという顔をした私を見て。
「………あー、若利くんも報われないねえ。そりゃ不機嫌にもなるか。前までは良かったのに」
底冷えする目つきになった天童さんはそうこぼした。不審に思った私が口を開くよりも早く、二の句を継ぐ。
「ま、俺は俺が気持ちいいバレーができたらそれでいいの。モモイちゃんがウチに来るなら歓迎するヨ」
ゲーム終了の合図が鳴る。チーム交代だ。コート外に出る影山くんとすれ違うようにして牛島さんが入っていく。
「残念。時間切れ~。答え合わせはまた後でネ。それまでに思い出しといて」
にこぱっと笑顔に切り替わる天童さんもまた、その輪の中に加わっていった。
「約束……約束……。そんなのあったっけ……?」
記憶を探るが本当に心当たりはない。もしかして天童さんが牛島さんに対してしたように私を揶揄ったんじゃ……? モヤモヤした思いを腹に抱えたまま作業を再開する。
ちらりと影山くんのほうを見ると、先程ゲームをしていた人たちと休憩しつつ交流しているようだった。学年も出身校も様々だが、共通するのは確かな実力。遠目からでも活発に話し合いが行われているとわかり、ほっと安心する。
この際、合格するかどうかは些細な問題に思えてきた。そりゃ本人の希望通り推薦が通れば嬉しいけれど、それよりも影山くんの考えを改めさせる方が先決だ。
久しくなかったチームプレーと人の温かみが彼を変えてくれると嬉しいのだが……。
「んぇっ、ぐっ、んん!」
今誰か殺されかけなかった? と思うほどにわざとらしい咳払いの音。失敗したのを誤魔化そうとしてるけど誤魔化せてないからね。けれど相手は今し方ゲームを終え、緊張状態から解放されたばかりだ。わざわざ指摘する必要もなければそれほど仲が良いわけでもない。
……まあ話しかけて欲しそうにしてるから、そうするけれど。
「大丈夫? 五色くん。座ってゆっくりしててもいいんじゃない?」
「別に。俺まだまだできるから。ていうか、やっぱ名前知られてるんだな」
「中学生ながら高校生顔負けのストレート打てるんだし、有名だから知ってるよ。私でなくともね」
「ふ、ふーん」
五色くんはタオルを首にかけ、スポドリ片手に興味なさげな顔をしているが、嬉しそうにソワソワしてるのは隠し切れてない。チョロいな……。
それにしてもなんでこっち来たんだろう。今まで試合で当たったことはあれど話したことはないので、興味本位かしらと当たりをつける。
「桃井さんて白鳥沢志望なんだ。青葉城西とかじゃないのか?」
「うん、まあ……悩み中かな」
「ああ、始まる前にウシワ、……牛島さんと喋ってたアレ?」
「聞いてたの?」
「いや。ゲーム前に白鳥沢の先輩が言ってたから。……でも、俺は悩むまでもなく、ここが一番良いと思ってる」
「その心は?」
「俺がエースになるから。牛島さんじゃなくて、俺が」
ピタッとデータを打ち込む手を止めると、五色くんを見上げる。きっちり切り揃えられた黒髪から覗く決意に満ちた眼差しが、コート上に君臨する大エースに向けられている。
プレースタイルも性格も全然違うけれど、その不遜なまでの自信が、あの人に通ずるものに感じられた。
……もし影山くんが白鳥沢に入学したら、いずれは五色くんとチームを引っ張っていくことになるのかな。それはそれで面白い、かもしれない。
あ。約束、思い出した。
二年前の中総体。そこで私は及川先輩と共に、牛島さんから白鳥沢に来ないかと勧誘を受けた。当然及川先輩は一蹴し、私も一年生の段階で決められるわけがないと断ったが、そのときにこう言ったのだ。『時間をください。具体的には2年くらい』と。
あれからおよそ2年が経ち、志望校を決断する時期は近くなった。天童さんが言っていたのはこのことだろう。
……まさか、牛島さんはあれを約束だと思ってたの? 私でさえ忘れてしまっていたことを、1人だけ忘れずにいて。あまり得意ではないだろう携帯でこまめに連絡し、ひたむきに勧誘し続けた……?
「……、ふふ」
「! わ、笑った……」
「いや、かわいらしい人だと思って」
「へっ!?!?」
裏返しになった声を出す五色くんが顔を真っ赤にして狼狽した。「まさか、桃井さん俺のことを……??」などという言葉は私の耳には入って来ず、ひっそりと心の中で決断する。
あの人にここまでのことをさせた。
ならば、私も相応なものを返さなければならないだろう。
そんなことを考えてしまうほどに牛島若利という人物は私の中で大きな存在となっていた。天童さんの入れ知恵も意味があったかもしれない。だってあの人、アイツと似て、素直で天然で真っ直ぐで、どこまでも突っ走っていきそうな……それをそばで支えたいと思わせるものがあるから。
「ありがとう五色くん。助かった」
「なっ!? べ、別に……何もしてねーけど」
「牛島さんを超えて白鳥沢のエースになる、か……。うん、頑張ってね。応援してる」
「おぉう!?? あ、ああ! 必ず!!」
あの人、私が約束を忘れてたから怒ってたのか。だから迷いを断つなんて言ったのか。あとで謝ろう。本当に、どれだけ、必死に……。
「…………」
「呑気だな。もう受かった気でいるのか?」
突然、温度のない声が空気を両断した。彼の名前は知っている。白布賢二郎。豊黒中出身で我の強いセットアップをする人。今の影山くんほどではないが、彼も強気なトス回しでチームを引っ張っていた。……それと、明らかな敵意を込めた目が印象的。この人とは初対面なはずだが、何か私悪いことをしたのかな。
「そこのお前。次あっちのチームだろ。行け」
「ハイッ!!」
びしっと敬礼する勢いで返事をした五色くんを追い払うと、白布さんは私を睨み下ろした。
「お前、何しにここに来たんだ? 敵校の情報収集? それとも男を漁りにか」
かちん。いきなり今日日私に好意的ではない女子でさえ本人を目の前にして口にしないことを平然と言い放った白布さんに、顔がひくりと引き攣る。
けれど久しぶりに言われたなあと懐かしさすら覚えるほど、私には余裕があった。というのも、白布さんがどうして私を嫌悪するのかわかったからだ。
「違います。……ですが、白布さんの思うように、本気で来ているわけではないのも本当です。……それはみなさんに申し訳ないと思っています」
「………ふうん。俺が思うってのは? 何がわかってんだよ」
「鷲匠監督や牛島さんに気に入られ、望めば白鳥沢への入学が決定的になる。そんな立場にありながら進学を迷っている私が気に入らないんでしょう?」
肯定は舌打ちだった。見透かされているのが気に食わないご様子。……この人ほんと顔に似合わずヤンキーみたいだなあ。ガラ悪っ、五色くんが泣きそうになりながら去っていくわけだ。
「根拠は」
「失礼なことを言ってしまうかも……」
「んなもんどうでもいい」
「……先程のゲームを拝見して、中学の頃とは違うプレー……まるで主力をサポートするかのように影に徹していらしたので。過去の白布さんのプレーは鷲匠監督が求めるものではないし、また豊黒中の偏差値的にも、あなたは一般入試で合格し、ここにいるのは間違いありません。一般となるとかなりの猛勉強と学力維持が必要となります。そこまでするわけは、今のプレースタイルと私を嫌う理由から、一つしかない」
私と同じように、コート上に君臨する天才に惹かれたのだろう。だからこそ、牛島さんに気に入られている私が嫌いってことだ。もっと言ってもいいんですよ、とゆるりと微笑み混ざりに見上げると、少しだけ敵意を削いだ瞳とかち合う。まあ、まだ認められるわけないよね。
「……ついさっきまで話したこともないくせに、そこまでわかるのか」
「白布さんは前に分析したことがあったので。……あ、でも決定的になったのは、あなたのその態度のおかげですよ」
「ちっ、だとしても異常だ。ああクソ、なんであの人たちがお前に執着するのか理解できちまった」
宮侑さんのように遠回しな嫌味とか言ってこないからマシだなとは思ったけど……悲しいかな、佐久早さんのおかけでこういうタイプには慣れてしまった。
「それで、どうしてあなたはわざわざ嫌いな私に話しかけてきたんですか? イライラを発散するため? それとも噂の『桃井さつき』の実力を確かめに?」
お眼鏡に適ったでしょうかと笑顔で意趣返しをすれば、白布さんはハッと鼻で笑って心底鬱陶しげに吐き捨てた。
「最近結果を残してないのに随分偉そうなこと言うんだな。高嶺の花気取りかよ」
白鳥沢学園一年の川西太一は、そのぼんやりした目で噂の彼女を見ていた。しゃんと伸びた背筋に流れる桃髪とパソコンに何やら打ち込む様子が珍しいので、つい視線がそちらにいってしまうのだ。……いや、本当は人目を惹く派手で可憐な美貌が目の保養だからなのだが。かわいい女の子を見てしまうのは男の性なので、川西の他に桃井をこっそり見てしまっている部員は多くいた。
そんな状況の中で構わず突撃しにいった同じクラスの白布がすぐに帰ってきたので軽口を叩く。
「返り討ちされてやんの」
「うるせえ」
川西はすぐにチームメイトの不機嫌を感じ取って大人しくすることを選んだ。スポーツ推薦で入学した自分と違って一般入試で合格した白布は、あの牛島若利を支えるセッターになるという壮絶な目標の為に、かつてのプレースタイルも遊びの時間も捧げるヤバイ奴なので、こういう時は刺激しない方がいい。
川西の考えは正しく、白布は桃井との会話を終えて自分の浅慮を痛感しているところだった。
桃井が気に食わなかった。その理由すら初対面なのに完全に看破されてしまい、ますます眉間にしわが寄る。あの瞬間まで話したこともないくせに、プレースタイルの変遷と白布の態度や状況から、全部見透かされた。
むかつく。たった少しの会話から、どうして周囲が奴を欲するのか理解できてしまった。それだけの価値があるのがわかってしまった。あれはあの女の才能のほんの一部に過ぎないのに。
敵にいたら厄介この上ない女だが、うちのチームにいても嫌だなと白布は思う。
「……来るなら来い。そん時は可愛がってやる」
「お前、桃井さんに何かされたわけ?」
川西はゴウッと怒りの炎に包まれる白布を一瞥し、大変そうだなあと呟いた。
「桃井、こっちに来い」
「はい」
今日初めて鷲匠監督に呼び出しされた。パソコンを抱えてそちらに向かうと、鷲匠監督の隣に並べられたパイプ椅子に座るよう指示される。それに倣うと目の前にはコートが広がっていた。
「お前には今からアナリストとしての振る舞いをしてもらう」
「それは、ゲームに口出ししても良いということですか?」
「ああ。両チームにな。指導もだ。ここに入部してからの働きを今示せ」
「わかりました」
会話終了。まあここから先は論争の嵐かもしれないので、今はこのくらいがちょうど良いのだろう。
もし白鳥沢に入学したら、か……。
まず白布さんとは仲良くなれないだろうなあ。一方的に敵視してくるんだもんあの人。同じく牛島さんを支えたいと思う人間だろうに。影山くんとの喧嘩は避けられないのは確実だ。
五色くんは問題なしだな。チョロい以外の言葉が今のところ見つからないが、素の影山くんとも息が合う、と思う。
天童さんはわからない。悪い人ではないのだろう。だけど愉快犯に近い人間だから、影山くんとの相性は抜群にイイとは言えない。
で、一番怖いのが……。
「お、影山と牛島、同じチームか」
「マジかよ……どうなんのコレ」
異様な雰囲気を漂わせたまま対峙する二人に、周囲は息を呑む。ああ、きた。一番結末がわからない組み合わせで、鷲匠監督への最大のアピールになるチャンスが。その終わりを見届けるのが怖くて、不安でたまらないけれど、最後まで突っ走ると誓ったからには、目を逸らすことは許されない。
この試合が終わって、影山くんがどう変化するのかわからない。考えを改めるかもしれないし、悪化するかもしれない。けれど、それが欲しくてここまできたのだ。
どうかお願いだから双方刺激するようなことを言わないでよね……。
「コート上の王様、か」
「!」
「どれほどの実力か見せてもらおう。奴がこだわるに値する選手なのか、俺は知りたい」
あバカ牛島さんのおばか! なんで言っちゃうの! なんで一番の禁句を一番言っちゃマズイ人が言っちゃうの!! てか関係ないって言ったじゃん!! 信じてよ!
頼むから噛み付かないでよ影山くん……ここは穏便に行くべきだ。合格したいなら間違いなく平静を装うべきだ。いくら単細胞の影山くんでもそれくらいわかっている、はず……。
「……いくら牛島さんでも、聞き捨てなりません。………俺をその名で呼ばないでください」
……、ぅ、や、セーフだセーフ。敬語だし。私が下の名前呼ばないでくださいって言ってるのと同じレベルでしょこれは。顔に陰ができるくらい、不快ですと直ぐわかるくらい、怒りを発露した声音と表情だったけど! ウチのチームの時はプラス暴言や突っかかるのが常だから、全然、マシな、ほう。多分。
チラリと隣に座る鷲匠監督を見ると、死ぬほど怖い顔をしていた。ついでにコートの空気もびりびりしていた。
「まあまあ、始まる前にそこまで緊張しなくてもイイんじゃない?」
「していない」
「してません」
「息ピッタリじゃん。同族なんだから仲良くすれば?」
て、天童さん……! さっき愉快犯って言ってごめんね! その場の空気をものともせずネット越しに話しかける勇者に周囲はホッと息を吐いた。私もそのうちの1人で、入っていた肩の力を抜いて背中を預ければ、ぎっとパイプ椅子が軋む音がした。
鷲匠監督は新生白鳥沢学園男子バレーボール部の活躍を見たいのだ。未来のセッターとアナリストの実力が、主軸たるエースとどれほど噛み合うのかを確かめるために呼ばれたのだ。
ここで結果を出せばセッターとしての合格もあり得る。だから頑張ってよ。影山くん。高嶺の花気取りだとかふざけたことを抜かしてくれた白布さんには悪いが、彼の将来のポジションをぶっ潰すつもりで行って欲しい。
なんせ、ポジション争いは弱肉強食なので。
今日一番の集中力を発揮するべく深呼吸して、数秒後。ゲーム開始の笛の音が響いた。
もし、影山くんと牛島さんが同じチームになる日が来たら、私はきっと堪らなく嬉しいんだろうな。
大好きと大好きが一緒になったら嬉しいアレ。