「これからの試合、私は相手チームの情報は渡すけど、こうしろああしろって指示は出さない。君たち自身の力で戦うことになる」
そう告げられたチームメイトの動揺は計り知れない。この2年間、チームの主軸だった私の作戦なしに試合をしろと突然言われたのだ。どういうつもりだと訴えてくる目をひとつひとつ真っ直ぐ見返して、真剣な表情で続きを述べる。
「影山くんとぶつかってほしい」
「!」
「それは、あの……どういう……」
わざわざ試合に出る影山くん以外のメンバーだけを集めた意図を一番に理解したらしい国見くんは、そっと目を伏せた。
「桃井は影山を俺たちに止めてほしいんだろ。まさかずっと王様の味方だった桃井に言われるとは思わなかったけどな」
それまでの均衡を崩しても構わないという覚悟の現れを、しっかり感じ取ってくれたらしい。
けれど私やみんなが思っていたような、庶民のことなど目に入らない王様は幻影だった。彼はずっと私を通してみんなを見てくれていた。
そのことを伝えなければ。口を開いた瞬間、国見くんが頭を振る。
「でも、そんなこと急に言われても無理に決まってる」
国見くんの武器を肯定し、試合で形にしたのは私だ。そんな私から見放され、自分のスタイルを否定する影山と衝突しろと言われたのだ。拒否されるのは目に見えていた。
……白鳥沢での練習会の後、影山くんはこうしてにべもなく突き放されたわけだ。その痛みのカケラでさえない小さな刺激が胸を刺す。
「だってほら、王様って桃井に散々言われても直んなかったしさぁ」
「そうそう。今更俺たちが何か言ったって聞く耳持たないって」
そんなことを口々に言われ、元々あった苛立ちが腹の底から迫り上がってくるのを感じる。
今までもそうだった。チームメイトに影山くんのことをお願いするたび、『桃井で無理だったんだから』と一歩線を引いて、何もしてこなかった。安全なところで被害者ぶって縮こまっているだけだった。自分たちを攻撃する王様と、自分たちを指導する私に全てを押し付けて。
「そうやって楽して逃げてるくせに、よくもまあ私の責任にできたものね」
影山くんが悪いのは紛れもない事実だ。それに振り回されている哀れなチームメイトがいるのも当然のこと。
けれど、同じように影山くんがチームのことを一番考えて一番練習して一番真摯にバレーボールをしているのも、また真実なのである。
そんな彼と向き合おうともせずに王様と罵った彼らが、私は……。
「も、桃井さん……?」
「どうしたんだ……?」
数ヶ月にわたるストレスの日々を思えば、この程度のこと、なんてことはなかった。
少し漏れてしまった憤りを胸に仕舞い込んで、深く息を吐く。影山くんに暴言は良くないと諭しておいて自分で言うのはナシだ。
「確かに、昨日私は影山くんと話をしたけど、彼を変えることはできなかった」
最終的には変える必要がないと判断したわけだが、別に嘘は言っていない。実際影山くんは未だ横暴の域にいるのだから。
「だからこそ、チームメイトの君たちにお願いするの。影山くんとぶつかってほしいって。言葉を交わして、本当は何を求めているのか伝えてほしいって」
でなければ、このチームは瓦解する。彼らも薄々わかっている。この独りよがりの劇に幕を下ろさねばならないことを。
「んなこと言われたって……」
「それを言わせてくれないのがアイツだろ」
影山くんが狂犬のように吠え、みんなが冷めた顔で流す。それが常態化していて、誰も今の影山くんが何を考えているのか全く見えていなかった。隣に立っていた私でさえ。
だが、そこで引いていてはダメなのだ。今までと同じでは。
チームメイトの顔には未だ晴れない翳りが見える。彼らにも相当の苦労と我慢を強いてしまった。
私も本音でぶつからなければ、何も変えることはできない。
私の、本音……。
深い思考の海に沈みかける寸前、金田一くんが鋭い声音で意識を引っ張り上げた。
「桃井の思惑通りに影山と意思疎通できたところで、何か変わんのか」
チームで一番背が高く、影山くんに次ぐ実力のある金田一くんが、最も王様の下僕のような扱いを受けていた。それでも彼は何も言ってこなかった。
そんな金田一くんが……。一年や二年の頃、明るい笑顔と積極的な振る舞いでチームに良い雰囲気をもたらしてくれた彼の姿が久しい。
高いところから私を見下ろしながら紡がれる言葉は揺れていた。
「俺は。……俺は、アイツとどうこうするよりも、アイツを……影山を下ろした方がいいと思う」
「金田一、お前……!」
「みんなが表立って言わないからここで言うだけだ。そうだろ、桃井。前に言った時、お前は了承しなかったが」
お前なら、影山を抜いた北川第一でも戦える作戦を練ることができるだろ。
そんな信頼を込めた視線を受けて、私は真実を話すことにした。
「そうだね。私なら、独善的な彼のいないチームが、全国で戦える術を教えられる」
「なら───」
「でも、そこまでしても全国止まり。頂点には届かない」
言い切った私の耳に響めきがノイズとなって滑り込んでくる。
これまで多くの試合結果を的中させてきた私の予言じみた発言は、チームの士気にかなり影響を及ぼす。だからどの発言が今のチームに必要で、どの未来が彼らには不要かを冷静に見極めることが重要だった。
この口から発せられる全てに神経を注ぎ、プレッシャーと闘いながら、いつも正しく在るように振る舞っていた。
私の予測を打ち破ろうとする選手は、好戦的で我が強い傾向にある。
そして私の指示に忠実に従うチームメイトのみんなは、従順で大人しい。そんな彼らに告げていい内容ではなかったと反省する。誰も自分たちの力に程度があると思いたくないだろう。
結論を急いでしまった。もっとゆっくり……。
「これはあくまで可能性の話であって───」
「けど絶対だ。お前が言うならそうなんだろ」
「その、私に絡めて何でも諦めようとするの、やめて」
強い口調に金田一くんが口をつぐむ。周りの反応を見れば、驚きと後悔で半々に分かれていた。
「とにかく。チームで頂点を目指すなら、影山くんを正セッターに据えて……」
「……わかってたことだ。影山のいないチームじゃ俺たちは進めないって」
「……えっ?」
金田一くんには届かないが、それでもチームでもかなり背の高い選手の言葉に耳を疑った。
「桃井の指示に従ってこれまで試合してきたんだ。それが北川第一の強さで、俺たちが一番効率的に勝利することができる道だって教えてくれた」
「……たしかにな。それを突然撤廃されても、……俺たち、どうしたら」
───まさか、ここまでとは、思っていなかった。彼らがここまで積極性を持たなかったとは。勝利にしがみつくという試合の命運を握る鍵を、彼らは自ら放棄したのだ。
どうして。熱意の塊みたいな影山くんを嫌ううちに、同じく勝利を渇望する気持ちを遠ざけてしまった? それとも私の作戦を遂行することに慣れ過ぎて、機械的になってしまった?
少なくとも去年までは違った。影山くんとの軋轢はあったが、それでもみんなの闘志は十分感じていた。
……三年の春季大会。あれがきっかけだ。例年のような満足のいく結果を得られず、沈んだ顔がずらりと並んでいて。主将が中総体で巻き返そうと声掛けしても、反応は芳しくなかった。
「俺らはお前の強さを知ってる。信じてる。だから、桃井、どうか───」
痛感する。しくじったと。
私は誰も見ていなかった。チームメイトのみんなも、影山くんも。分析と情報収集で精一杯で。チームの軋轢が決定的なものにならないように止めることに夢中で。こんな私では、チームの意識を変えることなど───
「待ってくれ」
発言者は度々影山くんを制止してくれていた主将だった。
彼は主将という役目を任された際、自分では務まらないと私にだけ教えてくれたことがある。実力は金田一くんの方が上だと。
確かに天才である影山くんに最も近しいのは金田一くんだ。しかし、チームを鼓舞しまとめる役割を担うことができるのは、彼しかいないと断言できる。
「俺はキャプテンでありながら、今までちゃんとお前らを引っ張って来れなかった。だけど、最後までこのチームで勝ち上がっていきたいと、そう思ってる」
「キャプテン……」
「ここまで桃井が拘るのは、アイツが鍵になるからなんだろう? なら、それを信じるべきだ。桃井の信じる影山を、俺も信じる」
その言葉が熱を伴って私の胸を温かくした。ありがとう。その想いを込めた眼差しに気づいて、主将は強張った顔を和らげる。
「でも、今までアイツはずっと俺たちを振り回して……!」
「ああ、そうだな。そして、影山と正面からぶつかろうなんてしなかったのが俺たちだ。桃井に全てを任せておきながら何もしないなんて、仲間じゃない」
率先して言ってくれた主将の、熱い心意気に何度救われたことか。
今、皆んなの心は揺らいでいる。畳み掛けるならここしかない。
「影山くんだって皆のことを知ろうとしてる。なのに、君たちが拒絶したら、何もできないじゃない……」
心当たりがあるのだろう、彼らの表情が一斉に曇る。その中でも一等苦しそうに眉根を寄せた金田一くんが、絞り出すような声を響かせた。
「知ろうとしてるって……影山は、いつも勝手で」
「本当にいつものことなの? 合わせようとしたことはない?」
白鳥沢での練習会の後のように。皆が黙るのは肯定の証だ。特に金田一くんは顔面蒼白である。
その顔を一瞥して、国見くんが躊躇いがちに口を開く。
「じゃ、ぶつかるって具体的に何したらいいわけ。王様の合わせられないプレーに無理やり合わせろってこと?」
「いいえ。むしろ、こっちに合わせればいい」
「……そんなこと可能なわけ?」
疑わしいという正直な目。本音を隠さない国見くんのこういうところは好きだ。私にとってとてもやりやすいから。
「今の影山くんは、私の作戦を忠実に遂行した上で発揮される最高のパフォーマンスに合わせてる。けど、今のチームじゃそれは実現不可能なの。それならいっそ、その前提を覆す」
「ああ……だから、この先の試合じゃ桃井は指示を出さないって言ったのか」
合点がいった様子の国見くん。そこに更に説明を付け加えていけば、納得はしていないが理解してくれたチームのみんなが、心配そうな声で訊いてくる。
「俺たちに、できるだろうか」
「できる」
即答し、強い光を宿した瞳に魅せられて、彼らはようやく答えを出した。
「……わかった。やってみるよ」
「期待はすんなよ。口でダメなら実力行使してやる」
「えー、マジでやんの?」
「まあ桃井とキャプテンにここまで言われたら、なぁ? っと……」
やべえ、なんて目で私を見てくるが、別にもう構わなかった。私を理由に諦めてきた彼らは、私を理由に実行することもあるのだとわかったから。
「大丈夫だよ。……君たちの実力はちゃんとある。私が保証する。ずっと頑張ってきたのを、知ってるから」
優しい微笑みを貼り付けて言うと、彼らは神妙な顔でこくりと頷く。話も終わり、ぞろぞろと歩き出すみんなの背中を見つめながら、口元を真横に引き結ぶ。
きっかけは掴んだが一抹の不安が拭いきれない中、主将が歩くスピードを緩めたので隣に並んだ。
「助かったよ、ありがとう」
「いや。むしろ遅くてごめんな。お前に言われてはっとなったよ。今まで責任を押し付けて悪かった」
頭を下げられて面食らった。すぐに顔を上げてもらうと、主将がまじまじと私を見ていて疑問に思う。
「どうしたの?」
「ああ、なに……監督があまり口出ししないのは、俺たち自身の力で解決させたいからだろうなぁ」
彼は言おうとしたことを飲み込んで、そんなことを口にした。
それは監督自身の理念であるように見えて、実際には私と交わした約束が影響している。
決勝戦までに影山くんを入れたチームが強いと証明できなければ、彼は選手登録から外されることになるだろう。そのこともあって、私は必死になっているのだった。
「及川先輩の代の時もそうだったからね。で、本当は何を言おうとしたの?」
「桃井には隠し事できないな」
苦笑いをして主将は核心をつく。
「さっき、初めてお前の本当の気持ちを知ったような気がしたんだ」
そして、現在。決勝戦の真っ只中。
私は決定的なその瞬間を、ただ見ていることしかできなかった。
次回、ようやく決勝戦です。