桃井さつきinハイキュー!!   作:睡眠人間

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裏切り

 影山くんがトスを上げた先。

 ───そこには、誰もいなかった。

 

 ダン、ダンッ……ボールが床に落ち、転がり、やがて動きを止める。その様が嫌になるくらい静かな光景で、時間が止まったみたいに目に焼き付いて離れなかった。言葉も、意識も、何もかもを失った私は、浅く呼吸をしてまばたきをし、笛の鳴る音を聞いた。

 

 ピッ。

 その瞬間、世界に音が取り戻されて、騒めきが濁流となって耳に流れ込んでくる。だけど理解が追いつかなかった。目の前で何が起きたのか、自動的に意味を読み取る頭が、この時は機能しなくて。

 

 限界まで開かれた視界で、ひとりぼっちの影山くんが、転がったボールに視線を落として、次にチームメイトの方を見て……最後に私に顔を向けた。

 

 かつては何事にも煌めいていた瞳が、全てに絶望して濁った色をしていた。

 

 

 

「───ぃ、ももい、桃井!」

「は、はいっ!」

「この後、取材があるからいつものように……聞いているか?」

「シュザイ……しゅざい、あっ取材! わか、わかりました。大丈夫です」

 

 にこっと笑顔を浮かべると、監督は眉根を寄せて目を鋭くする。

 

「………。いや、記者の方には俺から言っておくから、少し休んでこい」

「いえ、少し疲れているくらいで……。優勝校へのインタビューですよね? もうみんな行っているでしょうし、待たせるわけには」

「監督命令だ。10分きっちり休んでこい。その頃には、選手への取材も終わっているだろう」

「……わかりました。ありがとうございます。………」

 

 頭の中がフル回転する。記者の方への対応を考えながら、今後のスケジュールを高速で組み立てた。

 残された練習期間はそんなに長くない。合宿での練習時間にどれくらいチームを指導できるだろうか。対戦相手の情報収集と分析、データに起こして予測を立てて、それに合わせる練習を……。試合に出ない選手のメニューも組んで、いや現状のステータスも把握できていないからしっかり見ないと。それから後輩たちに指導をして、えっと、そして……。

 

「あ………」

 

 施設を出た先、すっきりとした青空の下、影山くんが背中を見せて立っていた。ちょうど水道で頭を流した後のようで、首にかけたタオルで乱雑に髪の水分を拭き取っている。

 

 私はとにかくここにいてはいけないと直感した。影山くんと話をしたら、何もかもが終わってしまうと予感していたから。

 けれど彼と言葉を交わしたいと願う本心が、二本の足を凍りつかせ、その場から動けなくした。

 

「さつき」

「! か、影山、くん……」

 

 振り返り、私の名を呼ぶ。それだけのことなのに、今はどうしようもなく怖くて。視線を落とし、シューズのつま先を見つめる私に何を思ったのか、影山くんは静かに言葉を重ねた。

 

「優勝したな」

「そ、うだね……。北川第一の勝利で終わって、これで三連覇……偉業を成した。非常に光栄なこと、で……」

 

 心にもないことが口をついて飛び出した。取材のことが念頭にあったから、自動的に頭が処理しているにすぎない。

 影山くんと話をしているはずなのに、私は本心を声にできなかった。それを自覚し、唇を噛む。もうこれ以上、彼の前で自分を偽るのは御免だった。

 

 

 決勝戦。私は以前伝えていたように、敵方の情報は渡しても、チームメイトに指示は出さなかった。彼らは自分の思う正しい選択をして、試合に身を投じる。それはこれまでの試合と決定的に違う戦法だった。

 さらに……なんと彼らは宣言通り、影山くんにぶつかった。

 

『もっと早く! 俺のトスに合わせ───』

『〜〜〜〜だから! 速すぎんだよお前のトスは!! 打つのはスパイカーの俺たちだ! 俺たちに打たせなきゃ意味ねーんだよ!!』

 

 悲痛な叫びだった。数ヶ月の怒りや悲しみ、鬱憤が溜まりに溜まって爆発し、彼らは本心を曝け出した。自分が一番打ちやすいと思う位置で、高く飛んだ。それは相手ブロックやレシーバーの位置を無視した、普段ならあり得ないとされるプレーだった。

 

 けれど、私はそれで良いと認識していた。彼らはついに影山くんに真正面にぶつかっている。後は、影山くんの行動次第。

 初めはバラバラでいい。揃わなくて当然だ。でも、その先にある完全に噛み合ったプレーを私は見たい。

 

 太腿の上で握りしめた拳が震える。夢中になって試合を見守る私に、監督がタイムアウトを提案しても、首を振って拒否した。

 

『なぜだ。この空気のまま試合を継続させるとまずいことになるぞ』

『いいえ。だからこそです。ここ数ヶ月、みんなぶつかることをしてこなかった。今ここで、初めて表面化したんです。そのチャンスを閉ざすわけにはいかない』

『しかし! ………! おい、桃井……お前は何を見ている?』

 

 何かに恐れるように、監督が声を揺るがした。その時はまるで気づかなかったけれど、監督は私相手に恐怖したのだと思う。

 だって、瞳を爛々と輝かせてコートを見つめる私の横顔は、きっと恍惚として化け物のようだったから。天賦の才に魂を吸い取られた獣が、獲物を定めて牙を剥き、涎を垂らして時が満ちるのを待っていたから。

 

『止めないでください。あと少しなんです。あと少しで……影山くんは殻を破り、次のステージに進める。私はそれが見たい』

 

 天才が花開く瞬間を、かじりついて見ていたい。

 

 あの時の私は、どうかしていた。

 普段なら安全策を取ってクールタイムを入れるタイミングだった。けれど、熱くなりすぎて冷え切ったコートの空気も何もかもが目に入らなくて、その結果。

 

『もうお前にはついていけない』

 

 影山くんを繋ぐ最後のトスを、自らの手で突き放してしまった。

 

 

 

「悪かった」

 

 気づいた時には、影山くんのつむじが見えていた。あの影山くんが頭を下げていたのである。

 

「なん、で……謝るの」

「お前の言った通りだった。俺が……あんなトスを上げたから、……あの後ベンチに下げられて。アイツらを信じていたつもりだったけど、向こうはそうじゃなかったんだな」

 

 淡々と「自分は信頼されていなかった」と語る姿にどうしようもなく胸がずきりと痛んだ。つんと鼻の奥が刺激されて、込み上がった涙を押し込めるように喉が動く。

 

 影山くんは間違ったことをしていないのに。

 何をどうしたらよかったんだろう。何を伝えればよかったんだろう。

 

 ずっと前にチームメイトに影山くんとぶつかるように言えばよかった? 影山くんに王様のプレーを封印するように命令すればよかった? それともあのチームで勝てる道筋を私がもっとちゃんと探せばよかった? 私の分析不足なの? 私はどうしたらよかったの?

 

 ずっと頭の中で考えていた問いに答えが出ないまま、終わりが来てしまった。

 

『俺らでテッペンとるぞ』

 

 友達との約束をふみにじり。

 

『……わかってたことだ。影山のいないチームじゃ俺たちは進めないって』

 

 仲間の声はもう聞こえない。

 

 ……優勝したのに胸が痛い、息が苦しい。これが……こんなものが勝利と呼べるのだろうか? もう私にはわからない。じゃあ、勝利ってなんなの?

 

 

 心が疲れてしまって。チームの勝利を喜ぶことさえできなくて。正しさも間違いも消えてしまって。ただ虚しさだけが手の内に残った。

 気を抜けば倒れてしまいそうだった。倒れてしまえば楽なのに、理性が動けと命令する。にっこり笑って愛想良く。みんなの見ている桃井さつきであれと。

 

 それでも影山くんは違った。あの時濁りきっていた眼差しにもう光が宿っているのがわかって、私の胸も少しだけ軽くなる。

 やっぱりそうだ。影山くんはへこたれない。諦めない。彼がバレーボールに絶望することは、きっとない。

 

「次があるから」

「へ?」

「この大会が終わっても、次がある。そこで俺たちは全国の頂に立つ。一年の時、そう約束しただろ」

「……ッ!」

 

 期待と覚悟を込めた眼差しで真っ直ぐに射抜かれて、指先まで全てが凍てついた。真夏の茹だるような暑さが、呼吸を止め、背中に流れる汗を加速させる。

 顔面蒼白となった私に訝しむ様子の影山くん。彼が口を開くより前に絞り出された声は掠れていた。

 

「…………無理だよ」

「は……?」

 

 影山くんがすぐに立ち直ったのはこの先の未来を見据えていたから。まだ約束を果たせると信じていたから。

 だけど、もうそのチャンスは二度と訪れない。

 

「監督との約束で……影山くんが試合に出場できるのはここまでなの。次の大会からは、選手登録を外されることになっている」

「……あ? 何、言って……」

「っ変だと思わなかった? あれだけ好き放題チームを掻き乱して、それでも目立ったお咎めはなく、普通にセッターとしてプレーしていたこと。どれだけチームメイトに訴えられても、コーチや監督は君を正セッターの座から外すことはなかった。どうしてか……わかる?」

 

 まさか、と彼の口だけが動いて。でもその先は言葉にならなかった。揺れ動く暗い瞳が、再び濁り始める。

 

「私が、そう約束を取り付けたから。地区大会の間だけでも正セッターの座に置いて欲しいと。そしてそこで君に改善が見られたら、その先───東北大会や全国大会でも起用すると、そう約束してくれた。……もともと、影山くんはこの地区大会にすら出られない選手だったんだよ」

 

 私のせいだ。

 

 私のせいで影山くんの道を絶ってしまった。

 

「だから、北川第一の正セッターとして影山くんが試合に出場することは、この先二度とないの」

 

 

 

 

「あ、いた。桃井。監督が探してた、……?」

「金田一くん。ありがとう。すぐに行くね」

 

 笑顔を浮かべる私に、彼は怪訝な顔をした。顔が強張り、中途半端に掲げられ手は曲げられて、そして握り拳をつくった。

 じ、と地面に視線を落とし数秒後、弾かれたように面を上げ、何度か口を開閉し。

 

「……あー、桃井。……あのな、俺たち……」

「いいの、もう」

「……え?」

「謝られても、喜ばれても、どうしたらいいのかわからないから、何も言わなくていいよ。もう全部終わったんだから。……それより次の大会に向けて準備しなくちゃね。君たちの望んだ、王様のいないチームで戦えるよう、私も精一杯サポートするから」

 

 空っぽになった私の微笑みに、どうして君が傷ついた顔をするのだろう。




本当は決勝戦だけで一話終わるくらいしっかり描写しようと思ったのですが、心を折る過程をそんな丁寧に書いたら死ぬなあと思ったのでやめました。
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