北川第一の主要なエピソードって及川と岩泉のアレとかきくトリオのアレと日向の初試合しか思い当たらず、話を膨らませていたらストーリーが進まないというジレンマ……。
数日後。今頃体育館でみっちり練習しているはずの北一男バレレギュラーはミーティングルームに集合がかかっていた。その手に握るのは紙の束。私が提出したノートに及川先輩が加筆修正してまとめ直したものだ。
異様な空間に響くのは私が唾を飲み込む音。だってこんな公開処刑みたいな感じで一斉に資料を見られるとは思ってなかったんだもん! 真剣な表情で読み進めていく彼らと監督はさっきから無言で居心地が悪く、この気持ちを共感してもらおうと及川先輩に小声で話しかけた。
「あの、この沈黙すごく痛いですよね」
「そう? 上手に作られてたんだし、もっと自信持ちなよ」
「それは及川先輩の技量です。私は全然……」
すると及川先輩は一瞬暗い表情で顔を歪ませるが、一転して明るい笑顔を貼りつけた。
「そんなことないよ。これまで公式試合で戦った映像を貸したとはいえ、あそこまで精密に分析できるのって普通の人間には無理だ。目の付け所が全く違うんだから。欲を言うならもうちょっと情報整理してほしかったけどね」
「う、ですよね……」
自覚はしてた。頭の中ではまとまるのにいざ書き出したらゴチャゴチャになってしまっていたこと。逆にあれを整理できる及川先輩の柔軟な思考に脱帽したい。
つーかこういうことができたのも桃井というハイパーアナリストの器のおかげであって私の努力では……と考えていたところに、ぱたんと資料を読み終えた音がした。
真っ先に読み終えたのは岩泉先輩だ。目頭を揉みながら言いあぐねていたが、決心したように鋭い眼差しをまっすぐこちらに向けた。
「桃井」
「な、なんでしょう」
「お前はスゲーやつだな」
ストレートな褒め言葉に桃色の目をしばたく。待って、ずるい。他の先輩たちも口々に賞賛の言葉を口にしてくれる。
「さっちゃんってこんなこともできたの!? ほんとマネージャーになってくれてよかったよ」
「わかる。いるだけで目の保よ……じゃなかった元気が出るし仕事もテキパキしてくれるし、その上資料作りまでって。お疲れ様!」
なんだか認められた気がして、ぎゅっと胸元のジャージを握りしめた。そりゃ死に物狂いで徹夜して考え抜いたことだし、褒めてくれるのは嬉しいし、なんか、ずるい。
ツンと鼻頭が熱くなった。え、嘘でしょ涙腺弱すぎじゃない? もっと強靭にしてくれない?
「お前の頑張りはすごいぞ、桃井。長年やってきたがここまで詳しい分析ができる奴はそうはいない。一学生であるお前に負担はあまりかけられないが、これからの働きに期待する」
普段は厳しい監督からもそう言われて、いよいよ我慢が効かなくなった。
「ぁ、りがとう、ございます……」
ぺこりと頭を下げて、私はどうにか緩んだ表情を隠すことに成功した。
それからしばらく経って私も平静を取り戻し、ミーティングが再開する。
「さて。今月末に迫った白鳥沢との練習試合だが、資料を元に作戦を組み立てる。これまでとはかなり違ったセットアップになるだろうが頭に叩き込め」
「はい!」
そこからは監督の仕事だ。私はスクリーンの側に座って議事録を取っていく。どうやら私を中学一年生と見るのはやめた監督が遠慮なく指示を出すのだ。いや、こっちもやりたい放題できるかもしれないからいいけどね。
ミーティングが終わった頃には部活時間は終わりがけになっていた。ゾロゾロと部室に向かう先輩がたの後を追おうとしたところで、監督に呼び止められた。
「桃井、お前はどうやってこの資料を作った?」
「ええと……及川先輩に貸していただいた過去の対戦ビデオをリピートして、選手の動きを分析しました。選手の得意不得意、焦りが出た終盤の展開だとかその人の精神力が顕著に出てくる場面なんかは、地の実力がはっきりとわかりますし」
「見れば分析できたと?」
「はい……。ああ、ですがこのデータには及川先輩の実戦での経験も加えられているので、相当見やすくなっています」
証拠にと情報が散らばったノートを見せれば、監督は確かになと眉間のシワを緩めた。
「よし。さっきも言ったように、桃井には対戦相手校の分析を頼むことになるだろう。その時は及川に見てもらえ」
「わかりました」
まぁたしかにあの人すごいけど、なんでもかんでも背負ってもらうのは嫌だなぁ。中学三年生の多感な時期にかかるプレッシャーってキツイから。あの人が叩きたい奴というのもわかってしまったし、胸騒ぎがどうにも収まらない。
けれど阿吽の呼吸とまで言われる岩泉先輩が何かしてくれると思う。男気溢れてるし。
という漠然とした考えを断つように、監督はやや声をひそめて尋ねた。
「ところで、及川のプレーについて何か思うところはあるか」
「及川先輩の……ですか。努力に裏付けられたクオリティの高いプレーだと思います」
「お前の目から見て、そう思うのか」
「ええ。あの人を凌ぐ選手なんて牛島さん以外いないかと」
毎日朝早くから夜遅くまで真摯に練習に向き合っているからこそそう言ったのだが、監督は難しい顔をしていた。
「では、影山はどうだ」
「……彼に自覚はありませんが、とてつもない才能を秘めています。それが開花すれば……」
及川先輩よりも飛雄ちゃんは役に立つ。冷徹な指導者としての評価を飲み下した。だってそれは、及川先輩の努力を踏み躙ることだとわかっているからだ。
「……桃井。お前を信用して言っておく。及川が挫折を味わった相手は未だ高い壁として彼に立ちはだかっている。それは及川にとって相当なストレスだ。さらに年下に登場した同じ壁に挟まれ、苦しい状況にいるのだと思う。だが俺は自分たちの力で乗り越えてほしい。大人に邪魔されず、及川の信頼する仲間で敗北を払拭していけたらいいと思っている」
優しい目が体育館に向けられていた。しかし夕焼けに反射して次の瞬間には、通常の厳しい目つきになっている。
「しかし精神でプレーが乱れていると判断したら迷いなくセッターは交代してもらう。監督として、北一を率いる主将としてみっともない試合をさせるわけにはいかないからだ」
「……間違っているとは思いません。それでチームに悪影響が出ては目も当てられませんから。ですが私はそうなった及川先輩を見たくありません。なので、そうなる前に試合を終わらせます」
強気に言い放って失礼しますと退室した。
バレー部に入部した初日のゲームから抱いていた及川先輩に対する違和感はこれだったのだ。あの人は焦っている。息苦しくもがいている最中なのだ。
廊下を出て数歩。橙色に染まった校舎内に立つ及川先輩が、私を待っていたように手を上げた。
「言い忘れていたことがあってさ。これからも桃ちゃんには資料作ってもらうけど、俺と一緒に考えよっか」
「それはこちらからお願いしたいぐらいです。……あの、何かありました?」
逆にこっちはありまくりだったけど。
背中にひんやりした汗をかきながら返答を待つ。
「ううん。ウシワカちゃんを折れるまで叩き潰したいなぁって」
ニッコリ。整った顔の造作で、ゾッとするような微笑みはこれ以上ないほど柔らかく美しいのに、底冷えした極寒の微笑でもあった。橙色に染まった温かみのある空間に溶け込むようでずれた歪は、不安定な精神が表面化したようで。
ほっとけないと思った。
「及川先輩、この後居残り練しますよね? サーブのコントロール甘いので特訓しましょう」
「桃ちゃんだんだん遠慮なくなってきたよね」
及川先輩はやはり空虚な笑顔を見せた。
しばらく及川が主人公ターン続きます(開き直り)