「さつき、そろそろお迎えが来る時間じゃない?」
「あっ本当だ、準備してくる!」
自分が二度目の人生を歩んでいることに気付いたのはいつだったか、もう思い出せない。ただ赤ん坊の頃から「自分は自分ではない」という感覚だけが子守唄のように脳みそをくるくる回っていた。
お母さんに促されて玄関口に設置された姿見で全身を確認すれば、そこには活発そうなかわいらしい少女がこちらを見つめている。
白磁のように透き通った肌はきめ細かく、小ぶりな鼻と桜色の唇、まん丸な瞳が完璧なバランスで配置されている。将来の美貌を約束された顔立ちに、瞳と同色の鮮やかな桃色の髪。
どう見たってあのキャラクターだよな……とすっかり見慣れてしまった己の顔と睨めっこしていると、玄関前がにわかに騒がしくなった。
「今開けるね!」
玄関のドアに嵌め込まれたすりガラス越しにぼんやりとした人影が見える。インターホンを鳴らされる前に扉を開けば、予想通りの三人がそこにいた。
「さつき、バレーボールするぞ!」
「うん!」
きらんと闇色に輝いたサラサラな髪。ツリ目気味の目と突き出た唇は相変わらず無愛想な印象を受けていたが、幼さのおかげか不思議な愛嬌を持っていた。
幼馴染である影山飛雄に誘われて、私は今日もバレーボールに熱中する。
桃井さつき、小学1年生。某バスケ漫画のマネージャーに憑依していた私は、今日も幼馴染一家に引っ張られるようにして体育館に足を運んでいた。
「あら一与さん、今日もお孫さんを連れてきたのね」
「きゃーっ。美羽ちゃんさつきちゃん、今日もカワイイわ〜」
「飛雄くんもよく来たねぇ」
ここはママさんチームが練習で使用する体育館だ。なぜそこに私が連れられているのかといえば、一与さん……飛雄ちゃんの祖父が大きく関係している。
影山一与さんは9人制バレーボールママさんチーム『北川⭐︎バード』のコーチだ。忙しい飛雄ちゃんの両親に代わって、よく飛雄ちゃんと美羽ちゃん、そして私を練習に連れてきてくれる。
孫である二人だけでなく私まで誘ってくれるのは、ひとえに私が一緒に行きたい! 連れてって! とお願い(決して我儘ではない。全くそんなことはない)したからだ。
「じゃあじいちゃんは指導してくるから、三人とも仲良くするんだよ」
「はーい。じゃあ飛雄、さつきちゃん。こっちでやろっか」
溌剌と駆け寄ってくるのは、飛雄ちゃんの姉であり私を妹のように可愛がってくれる影山美羽ちゃんだ。濡羽色の髪は艶やかで美しく、同性の私でさえハッとするような端正な顔立ちの中学三年生である。
美羽ちゃんの綺麗な髪に憧れがあって私も髪を伸ばそうかなと計画していることを言ってみれば、照れた顔でありがとうと微笑まれたのは記憶に新しい。
「さつき、きょうはおれがかつぞ!」
「ふん。今日も私が勝つからね!」
「二人ともアツイねー、じゃあ行くよー? よーいっ」
ドン! と美羽ちゃんの掛け声を合図に、私と飛雄ちゃんはボールを壁に向かい放つ。タンタンタンタン……同じリズムでボールを受け、壁に当て、跳ね返ってくるボールを受ける。その繰り返しだ。
親指と人差し指の三角形を崩さず、壁とボール、額との距離感を意識する。この動きに集中していれば余計な雑念が消えて思考を深めることができるから、好きな時間だった。
桃井さつき。私はその存在を知っている。前世とも呼べるのだろうか、かつての自分という生き物が読んでいた漫画に登場するキャラクターだった。
しかしそれはバスケ漫画だったし、幼馴染はガングロだった。間違ってもバレー大好き飛雄ちゃんじゃない。
私は一体何なのだろう。偶然にも二度目の人生を得ただけの女、くらいだろうか。
とっとっとっとっ。寸分の狂いもない動きが自分の手から生み出されるのが気持ちいい。
バレーボール。6人でボールを繋ぐ競技。5人で戦うバスケとは違うスポーツ。幼馴染に誘われて始めたこのスポーツが、私は大好きだった。
体育館の空気が好きだった。シューズがキュキュッと擦れる音が好きだった。
きっとこれは本能に近い。そして同じように本能だと感じているものがある。それは。
「ぐえっ」
「わーっ、大丈夫?」
「あははっ、飛雄また顔にぶつけてる」
私と美羽ちゃんに声をかけられた飛雄ちゃんは、目を白黒させた後、顔のパーツをクッと中心に寄せる。痛みに耐えている顔だった。笑いを堪えていると「何笑ってやがる」という睨みをプレゼントされたので口笛を吹いて視線を逸らす。
「今日も飛雄ちゃんの方が先にミスしたね」
「ぐぬ……もういっかいだ! もういっかいショーブ!」
「いーよ? どうせ私の勝ちだろうけど!」
「二人とも、同世代の他の子と比べたら相当上手だからね? ってもう始めてるし」
美羽ちゃんが呆れているようだが、目の前のボールと隣の幼馴染の存在に夢中になっている私たちには届かなかった。
私と飛雄ちゃんの仲はほんの小さな頃からスタートした。家が隣同士で、5月生まれの私と12月生まれの彼とでは、数ヶ月の差はあれど赤ん坊の時から交流があるのは必然に近かった。
妹が欲しい! という美羽ちゃんが私を可愛がってくれるのも、また。
幼稚園も同じ組、入学した小学校のクラスも一緒。放課後はボールに触るか、一与さんに連れられて体育館へ。
バレー三昧の日々は同い年の子たちと比べても異質だと思う。みんなグラウンドで鬼ごっことか縄跳びとか、他のボール遊びに明け暮れている。
それでも、私たちの間にバレーボールがあるのが当たり前だった。
「ぐっ……う! もういっかい!」
「受けて立つよ。何度でも!」
彼の動きはとても拙い。よくボールを頭にぶつけるし指を怪我する。目の前のボールばかりを見ていて距離感を上手く掴めていない。経験もないし体自体が未完成だから当然だろう。
けれど、その未熟な動きが私の目にはキラキラしたものに見えた。洗練されたものとは程遠い初心者同然の動作が、なんだかとても美しく思えたのである。
私は本能で影山飛雄に才能があることを見抜いた。
それはこの器、桃井さつきの能力が発揮されている証拠だ。原作では、彼女は選手たちの性格・弱点・長所短所・癖など、あらゆる情報を収集・分析してチームに貢献していた。
なら、私はどうする。
ヘタクソな今の影山飛雄の才能を知って、今の私に何ができる。
小学2年生になった。飛雄ちゃんはリトルファルコンズというジュニアチームに所属した。私も美羽ちゃんが所属していたチームに誘われたけれど、少し思うところがあって遠慮した。
「えっ、美羽ちゃんバレーやめちゃうの」
夜、飛雄ちゃん家の庭で練習していた時のこと。一与さんが確認の意を込めてもう一度尋ねるも、美羽ちゃんの返答に変化はなかった。
「うん。髪切りたくないから。高校のバレー部、ショートが暗黙のルールだし」
「そっかー」
「……一与くんもくだらないって言う?」
「え、何で」
「彼氏に『そんな理由くだらない』って言われた」
「そっ!!!」
雷に打たれたような衝撃を受ける一与さんだが、高校に進学してから浮かない顔をしていた美羽ちゃんが心配だった私には腑に落ちる理由だ。
「アレ、知らなかったの? 美羽ちゃんずっと彼氏いたよ?」
「カハッ!!!」
「さつきちゃん、トドメ刺さないであげて」
一与さんはワナワナ震えつつ、笑顔を浮かべて。
「くだらないかどうかなんて、誰かに決められる事じゃないよ……! 自分の大事を一番わかっているのは自分だよ……!」
あれだけ丁寧に手入れしていた髪の方が大切だと考えた美羽ちゃんの背中を押した。
美羽ちゃんはホッとしながらも「ねぇ本当に大丈夫??」と声をかけている。
自分の大事を一番わかっているのは自分。
なんだかその言葉は、チームに所属していないのに飛雄ちゃんと練習をしている私にも感じるものがあった。
バレーボールは大好きだ。
けれど私が好きなのは。
「私も美羽ちゃんと一緒かな」
「! バレーやめるのか」
飛雄ちゃんが私の腕を掴む。美羽ちゃんの話を聞いていた時も透明な色をしていた瞳に、動揺が見える。
少し意外だった。いや不思議でもないか。飛雄ちゃんが競争相手だと認識しているのは私で、チームに所属してからも事あるごとに勝負を申し込まれていたから。
その競争相手がいなくなるのが寂しいのかな。飛雄ちゃんの手を握る。
「ううん、バレーはやめない。けど、こうして一緒に練習する機会は減ると思う」
「キカイ……ロボット?」
「ロボットじゃなくて! 体を動かすことがなくなるかもってこと」
飛雄ちゃんは私がバレーボール自体をやめないことを理解してくれたので、安心している様子だ。
悩んでいたことだった。チームに所属するなりして体力をつけボールに触れ続けていれば、飛雄ちゃんと長く競い合える。
だけど私がやりたいのはそれではないのだ。今までどっちつかずで中途半端だった道が一本に定まる。
「さつきちゃん……それってつまり」
ゴクリ、と神妙な顔をしてシリアスな雰囲気を作っている一与さんは、私のやろうとしていることが見えているらしい。
つまるところ、一与さんが少しばかり恐れていることが現実になろうとしているのだ。
「一与さん。これからもよろしく!」
「う、うん……! じいちゃんがんばる……!!」
決意を新たにする私たちを前にして、飛雄ちゃんと美羽ちゃんは顔を見合わせて?マークを浮かべるのだった。
桃井さつきという少女を、影山一与はとても面白い子だと思っている。年齢の割に冷静で大人しく、かと思えば予測できないことをやろうとするからだ。
「試合DVDが見たい? いいよ」
「やったー! ありがとう!」
学校終わりに飛雄がチーム練習に行く日は、桃井が影山家で試合映像を見る日だった。
試合観戦をする……などというわけではない。ある種の緊張状態にありながら、一与は桃井の口から飛び出してくる言葉に身構える。
「今」
桃井がリモコンで映像を止め、10秒前に巻き戻す。桃色の瞳がこちらを向く。
「今セッターの動きで相手ブロックを誘導したよね? ほらここ」
「おお、そうだね。よく気づいたね」
「なるほど。こういう動き方があるんだ……」
静かに頷いてじっとテレビ画面を見つめ、しばらく黙る。もう一度巻き戻してセッターの動きを脳みそに焼き付けているようだった(飛雄がセッターをやりたいと言い出してからは、よりセッターに注目することが増えている)。
まろい輪郭に手を添えて目を細める桃井。情報をインプットしているのだな、と彼女の年齢に似合わぬ思考の重ね方に毎度のことながら感心する。
桃井は以前のように熱心にプレーや練習をすることがなくなった。それはバレーボールに向ける情熱が失せたということではなく、今のように『観る』ことに集中し出したからだ。
体育館に来て一緒に練習することはあれど、彼女は昔からどちらかといえば見るのが好きなようだった。ママさんバレーや拙い幼馴染の練習をじっと見つめることが多かった。
『なんか……さつきちゃんって、時々すごい目でこっち見てますよね』
『あはは。まあ、バレーボールが面白くて見ちゃうんだろうねぇ』
観察眼が恐ろしく鋭いのだ、と一与は桃井の才能を見抜いていた。観察眼が鋭く、自分のプレーに昇華することが上手だった。だから飛雄より技術力が高いのだと確信する。
試合映像を見ている時も「今のプレーは何?」「どうしてこのタイミングで選手交代したの?」「ここを狙うのはなんで?」などとひたすら疑問を投げかけてくる。時にはおっ! と思うような鋭い質問が飛び出してきて、それは時間が経つほどに増えていった。
そしてさっきのように「どうして?」ではなく「これはこういう意図があってこういう動きをしたの?」と正解を求めることが多くなった。正解すれば喜ぶし、間違っていても「なるほど……」と思考パターンに組み込む。
試合を見て楽しむというより、試合を解析しているような子だった。
小学二年生にしては賢い子だなぁと少しズレたことを思う一与は、かつて尋ねたことがある。
『さつきちゃんはいつもバレーの動画をじいちゃんと見てるよね。学校のお友達とかと遊んだりはしないの?』
『……。飛雄ちゃんとの仲をからかってくる子ばかりだから、あんまり好きじゃない』
『そっかぁ』
『それ以外の子とはうまくやってるから大丈夫。学校にいる間は』
それは果たして大丈夫なのだろうか。そんな言葉は飲み込んだ。そんなかなり大人びている桃井だが、子どもっぽい場面もある。
「きょうはこっち! セッターのやつ!!」
「違う、頭脳プレー特集がいい!!」
「オマエのはまえ見たことあるヤツだろうが!」
「昨日は飛雄ちゃんの番だったでしょ! もう一回コレ見直したいの!」
「順番だよ〜、飛雄、さつきちゃん」
どの映像が見たいか飛雄と騒ぐこともあれば。
「おい見たか!? セッターのうごき! チョーはえートス!!」
「見た見た! すごかったね!! コートの端から端まで、敵ブロックを置き去りにして!」
「ソレうてんのか!? っておもったけど! トスの先にはスパイカーがとんでた!」
「どかーんって打った! かっこよかったー!!」
仙台市体育館で生の試合を観戦した帰り道、普段の語彙力を溶かして年相応に喜んだりする。
飛雄と桃井、二人が試合の感想をマシンガントークするのを一歩後ろでニコニコ見守りながら、一与はふと考えた。
もし二人がこのままバレーボールにのめり込んでくれたら、テレビで試合をしている様子が見れたりするんだろうか。さつきちゃんはプレーしないから、じいちゃんと一緒に飛雄の試合を観戦しに行けるかな。
バレーボールを続けるかどうかは二人の自由だけれど、もしそんな日があれば楽しみだなぁ。見てみたいなぁ。
長生きしないとな、と一与は思うのだった。
既に投稿している話を、原作全巻を踏まえて過去回想に沿った展開へと修正したいと考えています。
ただ原作最新話が更新されるたびに発覚するキャラクターたちの過去に叫びながら修正するべきか悩みまあええかと放置した話も、当時でしか書けなかったものとして思い出に残っています。
なのでハーメルンではこのまま残しておき、大きく変化する話(主に小学生時代辺り)だけ追加で投稿し、細部に合わせた展開はpixivに投稿する際に修正すると思います。