「あ!」
二人分の声が重なった。侑と治はお互いの頭を鏡越しに見ている。目を大きく開き、驚愕の眼差しは瓜二つの顔ではなく、涎が垂れている口元でもなく、髪に向けられていた。
金と銀。高校デビューをきっかけに染め上げていた自慢の髪色が、今日も変わらず並んでいる。しかし。
「逆やん逆」
「入れ替わっとる」
侑は金。治は銀。これまでそうやって染めてきたと言うのに、逆転した髪色、つまり侑が銀、治が金の髪に染められていたのである。
床屋で爆睡をかました結果、双子は普段と逆の髪色になってしまったのだった。
「あかんよなコレ」
「アカンアカン。気持ち悪ぅしてしゃーないわ」
「いいやん金。テンションあがるやんか」
「銀の方がええ。かっこええもん」
「金の方が派手でイケてんねん!」
家に帰ってきた双子は洗面台に並び、言い合っている。
普段利用しているお安い床屋のおばあちゃんはかなりの高齢で、最近はボケてきているのはわかっていたが、染髪中に二人して眠ってしまったのがいけなかった。いつも「俺が金な! ゴールド! 間違えんといてな!」とアピールしていたのに、できなかった結果がコレだった。
「合わん」
治は眉間にシワを寄せて染めたての髪を一房摘む。見慣れたシルバーではなくゴールドに変わった自分の髪に違和感を感じて仕方がない。
同じ顔をした片割れが普段の自分の髪色になっているので、まるで自分が治ではなくなったかのような気持ちになるのだ。
「髪の分け目変えたら治になったみたいやな」
「アホか。更にややこしくしてどうするんや。見分けつかんくなるやろ」
「どうせ来週からしか髪色変えてもらえへんねんから、ちょっとくらい遊んでみてもええやん」
侑はこの状況を楽しむことにしたらしい。前髪の分け目を逆にして、普段の治と全く変わらない姿になる。そうなると鏡に映った大柄な男二人は、顔も前髪の分け目も一緒なのに、髪色だけが違う姿になる。治は更なる違和感に肩を落とした。
十数年間ずっと反転した髪型で生きてきたのだから、それが崩れると調子までおかしくなる気がしたのだ。結局治も前髪を逆にセットして、普段の侑と同じ姿になった。
「入れ替わったな」
「な」
変な感じだ。髪型と髪色を変えるだけで、体も顔つきも同じ二人の人間がすっかり逆転したみたいだった。侑よりポヤンとしたところのある治は、俺は治やんな、と自分のことを少しだけ疑ってみたりした。
「明日コレで学校行こうや」
「はぁ?」
「だってみんなが気づくか気になるやん! 俺らが入れ替わったことに!」
「それは……気になるなぁ!」
侑の突拍子もない提案に、治は乗り気になった。
というのもこの双子、幼い頃に似たようなことをしょっちゅうやって周囲を困らせていた。その頃は二人とも地毛で、もっとヤンチャだったから、誰も自分たちの入れ替わりに気づかないことが愉快だったのだ。
中学に上がってからも、やらかして先生に後日廊下で呼び止められた時は、振り返る直前に前髪を逆にして「俺侑やないです。治です」と言って説教から何度も逃れていた。お互い何度もコレを繰り返したので、最終的にどっちかが説教くらうたびにもう片方も呼び出されていたけど。
高校では髪色を変えてこの手が通用しなくなったが、この入れ替わりごっこを久しぶりにやれるとわかって、二人のテンションがぶち上がったのである。
「ちょっ、荷物も入れ替えようや。明日、侑は1組な。俺2組行くわ」
「めっちゃ乗り気やん! せやったら銀と角名に協力頼も! 教室の奴らが気づくか楽しみやねんけど!」
「いや。朝練で気づかれなかったら二人もドッキリの対象や。アランくんは気づくかな、中学んときは紛らわしい! って怒られたな」
「北さん……は、バレたら怖いけど、スリルあって騙し甲斐あるやろなぁ」
怖いもの知らずな双子はアレコレ親しい人の名前を出して騙せるかどうか話し合った。
宮兄弟は顔こそ瓜二つだが、性格や言動に違いがある。双子といえども別の人間なのだから当然のことだ。しかし意識すればお互いのフリをすることが自然とできた。
中学の頃、片割れの友人に急に話しかけられてこちらが誰やコイツと思っても、フッと意識が切り替わってソイツの思う宮兄弟を演じることが何度かあった。
これに理屈や原因は存在せず、ただ双子だからできたとしか言いようがない。
ともかく二人はお互いのフリを完璧にすることができる。
だが高校生になってからやるのは初めてだったので、上手くできるかわからず、かえってドッキリの難易度を上げた。彼らはワクワクした。
「そんで一番楽しみなのはっ」
「あんたらいつまで洗面所おんの! 早よのいて!」
母親に言われて渋々その場は退散となったが、お互い誰のリアクションを一番楽しみにしているのかは手に取るようにわかった。
無論、桃井さつきである。
彼女は人の変化に敏感で、ジッと部員の脚を見ると「もしかして自主練のメニュー、下半身強化に切り替えました?」と聞いてくる。それまでの自主練の内容も、メニューを変えたことも告げていないのに、だ。筋肉のつき方やプレーの動きでわかるらしい。
その部員、つまり銀島は気づいてくれた嬉しさ半分、なんで見ただけでわかるんやというドン引き半分の微妙な顔をしていた。
そんな桃井は自分たちの入れ替わりに気づくことができるのか。
「楽しみやなぁ」
「楽しみやんな」
二段ベッドに二つ分の声が重なる。
遠足前の小学生のように、双子の目はキラキラして暫く眠れそうになかった。
あっ! と思って侑は1組の教室の入り口で立ち止まった。家の鍵を閉め忘れたことに気づいた時のような顔をしていた。
すぐ後ろにいた角名が「急に止まらないでよ」とスマホを片手に文句を言う。
「サ……俺の席どこやっけ」
「あー。窓側から二番目、一番後ろ」
「おん」
「ちなみに俺ちょっと遠いから。何かあっても助けないからね」
立ち止まる侑の隣をすり抜けるようにして、角名は先に教室に入った。いつも廊下から見るだけだった教室に、自分のクラスとして足を踏み入れるのはなんだか緊張する。
侑は平静を装って角名に教えられた席に向かった。辿り着くまでに複数の男女に挨拶され、適当に返す。先に着席していた隣の席の男子に声をかけられると、いよいよスイッチが入った。
「治ー、今日こそ課題プリントやってきたやろうな」
「やってへんなー」
「やと思ったわ。今日も男バレ朝練あったんやろ? やる時間ないわな。ホイいつもの。体育の授業ん後ジュース奢れ」
治の友人と認識している男子に気のない返事をして、侑はありがたくプリントを受け取った。答えを写させてもらうためである。
治と交換したカバンの底からクシャクシャになった課題プリントが見つかった。一ミリもやった形跡のないプリントを苦労して伸ばすと、クラスと名前を記入する欄に「1組 宮治」と侑は書いた。
さて。侑と治の入れ替わりドッキリだが、朝練の間にあっさりバレた。
双子が部室に着いた瞬間、尾白が「ん〜〜?」と二人を見つめてきたのである。
『どしたんアランくん』
『双子が変や』
『いつものことやんか』
『そうなんやけど』
『否定してアランくん!』
思わず侑が声を上げた。そこで尾白はクイズの回答ボタンを押した時みたいに、勢いよく二人を指差したのである。
『お前ら入れ替わっとるやろ!!』
双子入れ替わりドッキリ最短記録を更新した瞬間だった。ちなみに前の最短記録保持者はやっぱり尾白で、その時は一分ほどかかった。尾白は双子を小学生の頃から知っているので、その頃から自然と彼らを見分けることができるのである。
言い当てられた双子は見るからにガッカリした。
『なぁんで言うんアランくん〜』
『ネタバレ早いねん困るわぁ〜』
『えっ? え? 双子入れ替わってんの?』
『でも髪色も分け目も変わってへんな』
赤木と大耳の言葉に、他の部員たちもこくこく頷いた。はたから見ると双子はいつも通りに見える。それでも尾白は入れ替わってると断言し、双子は肯定した。
『昨日髪染め行ったやんか。そしたら俺が銀、治が金に染められとって』
『せっかくやし分け目も変えて、入れ替わりドッキリしよかってなって』
『へー! 全然気づかへんかったわ!』
『俺も。てか言われてもわかんないわ。双子の顔そんな興味ないし』
『コラ! 銀も角名もなんてこと言うんや!!』
『罰として教室ドッキリに付き合ってもらいます!!』
『だる』
バレてしまったと開き直った双子を中心として、部室は一気に騒がしくなった。二年生たちがガヤガヤしているのを横目に、尾白がなんだか落ち込んでいるように見えて赤木が話しかける。
『アランどうした? そんな顔して』
『俺が言ってしまったばっかりに……! アイツらの面白イベント潰してしもた……!!』
双子入れ替わりドッキリという、日常に突如舞い込んだ展開を秒で終わらせてしまったことに大変な罪悪感を抱いているようだった。気持ちがわからんでもない赤木が、あー……と言葉を探し、隣で聞いていた大耳も難しいなと呟く。
こういうイベント・ドッキリは、男子高校生にとっては何が何でも乗らなくてはならないノリが含まれている。かつ関西の血が流れているので、その強制力には凄まじいものがあった。
あの北でさえこういった突発的なイベントには逆らわないのだから、彼らにとってこの展開がどれだけ重要であるかわかるだろう。
それに全く気づかず爆笑も起こさず潰してしまったと嘆く尾白を、誰が止められようか。
『あ。信介は? 一番に部室来てからすぐ出てったやん。まだ双子の入れ替わりのこと知らんで』
『それや! 双子! 信介チャンスがあるで!!』
『何やと!!』
『てかそれなら桃井チャンスもあるやん。まだドッキリ続けられるやろ』
『よしっ! お前ら全員参加やからな!』
『先輩方もオナシャスッッ!!』
『おー、ええで』
北と桃井。両名とも双子が反応をかなり楽しみにしていた相手だ。それは他の部員たちも同じようで、協力を求める双子に快い返事をする。
何故ならこういうイベントに全力で乗るのが男子高校生だからだ。バカをやる瞬間が一番楽しいし、気分が上がる。尾白なんか一番の張り切りっぷりだ。
『信介が相手やからな。誰が上手くやれるか勝負や!』
『なんの勝負や』
『信介』
『あ、北さん……』
『ッおはざす!』
『おはようございますッッ』
『おはようさん』
いつの間にか部室の扉を開けていた北。彼に気づいて部室の空気がピンと張るのがわかった。一、二年生が素早く挨拶をし、北は普段通りに返す。
全員の顔に汗が滲んでいた。ついさっきまで騙すぞ! と気合を入れていた相手が来たので仕方がない。何なら角名は、北さんが騙されてるところ動画で撮れないかなと考えていたので、心臓が痛かった。
『あっ、じゃあ俺ら先行ってるんで……』
『え、お、おう。わかったわ……』
居心地の悪い空間からいち早く脱出したい双子は、北に直接勝負を挑む勇気もなく、へへ……と三下の笑みを浮かべて体育館に向かおうとする。三年生も動揺が抑えられず変にどもってしまった。
『侑。治』
『はい!!』
しかも双子の名前を北が呼ぶので、場の緊迫感はさらに迫真のものとなった。二人はその場で敬礼し、ドキドキして次の言葉を待つ。
『桃井は朝練来られへんよ。応援部と打ち合わせやから』
『そ、なんスね』
『あんま変なことしたらアカンよ』
『! 北さん、もう知って……』
『お前ら声デカいねん。周りに迷惑やからもう少し抑え』
『すんません!!』
勢いでまた大声でワッと謝ってしまった双子は、しまったという顔で北を見つめている。また怒られると思っているのだ。しかし北は怒らず、静かに言った。
『せやから、やるならもっと上手くやるんや』
『……!!』
双子入れ替わりドッキリ、続行の瞬間である。加えて北が桃井を騙すことを許容した事実に、部員たちは「おっ……?」と少しだけニヤけてしまった。
相手は些細な変化にすぐ気がつく観察眼を持つ女だ。正直騙せるとは思っていない。けれどあの堅物主将がGOサインを出したのだ。バレたらバレたでどういう結果になるのか。めちゃくちゃ楽しみやんなと目線で会話し合っている。
尾白はすぐに理解した。やっぱり信介もこういうイベント嫌いやないんやな、と。
そういうわけで男子バレー部の男たちはグルになって、唯一の女子部員を騙しにかかる。そこに後輩への遠慮や気遣いは一切なく、本気の勝負が始まろうとしていた。