本編通りin稲荷崎の桃井と北さんの話
呼び方は北先輩で統一してます
桃井さつきは北信介のことを好いている。
というのは稲荷崎高校男子バレー部では、共通認識である。
もちろん恋愛的な意味ではない。尊敬する先輩として、信頼できる主将として、彼女が北に好意を寄せているのは部員たちにはよくわかったし、何なら彼らも同じようなものだった。
清廉潔白。文武両道。ミスター隙無し。そういう言葉が似合う我らがキャプテンは、男たちの自慢だった。
だから桃井にとっても、さぞかし自慢の先輩なんだなとまっすぐに信じている。
しかし、これは間違いである。
桃井は恋愛的な意味で北のことが好きだった。
水面のような瞳と目が合うと、ドキドキした。柱時計みたいな性格に憧れた。ボール磨きや掃除など、儀式をする横顔をこっそり見つめて、ポッと頬を染めた。
入学前から北のことを知っていて、当時から彼の性質が好きだった彼女が、入学後に共に過ごすようになり、恋に落ちるのはもはや必然のようなもの。
そして恋に落ちた瞬間は、実に呆気ないものだった。
「ちょっと待ち」
「はい?」
「監督から伝言預かってんねん。複雑やから書いて渡すわ」
廊下を通りすがり(その時は)憧れの先輩と会ったので、ちょっと雑談しただけの時。別れ際に、北が言伝を思い出したので、どうやってメモするのか桃井は気になった。
北はメモ帳なんか持っている感じはなかったし、桃井も筆記用具など持参していない。書けるものはこの場にはなかった。
「あ、これでええわ」
「?」
「そこの、ペン借りるで」
「おー、ええよ」
北は制服の胸ポケットから生徒手帳を取り出す。そしてすぐ近くで鞄をゴソゴソするクラスメイトに一言言って、シャーペンを借りた。
普通の学生が友達の文房具を勝手に使う、みたいなラフさだった。何事もきっちりする北にしては珍しい。いや、北も一般男子高校生に違いはないから、そういう一面もあるんだろう。
そんなことを考えながら、桃井は北の手元を見る。生徒手帳をどうするんだろうとぼんやり思った。
「!」
北は桃井の目の前で、生徒手帳の後ろの方……メモ帳の部分をビリッと破った。手近にちょうどいいメモ帳がなかったので、生徒手帳を用紙代わりにしたのだ。
その動作は、荒かったし男っぽかった。
無防備だった桃井の心が、ちょっと予想外の仕草に少しドキドキする。
大半の生徒は生徒手帳を見ないし、桃井も例外なくそのうちの一人だ。手帳の後半部分にメモ欄があると知らなくて、知っている側の北の迷いのない行動が、かなり意外に見えたのだ。
「……、」
「これ」
「あ、ありがとうございます」
「じゃ。お疲れさん」
「お疲れ様です」
さらさらとペンを走らせると、桃井の手の上に切れ端をポンと置く。そのまま軽く挨拶して立ち去る北の後ろ姿をぽーっと見送って、桃井は紙片に目線を落とした。
そこには業務連絡のほかに、短いメッセージが付け加えられている。
『いつもありがとう。これからも頼む』
「〜〜〜〜〜!!?」
桃井の胸がずきゅんと貫かれた瞬間だった。恋の湖に突き落とされたのである。
北の男性らしい仕草と、自分の生徒手帳にサラッと書き残した個人宛メッセージ。とても美しい字が残されていて、これが桃井のハートを射抜いた。
もともと好感度が異様に高かったのもあって、この一連の出来事が最後の一押しとなったのである。
急いで自分の教室に戻った桃井は、鞄からパスケースを取り出すと、少し悩んでから、メッセージだけを切り取った。小さくなった紙を裏面にして、中にしまう。周りからメモの中身が見えないようにしたのだ。
ぱっと見では白い面しか見えなくて、紙切れが入っているとは誰にもわからない。
しかし、これでよかった。
北のメッセージをいつも身につけることができて、元気をもらえるようだった。
とまあそんなきっかけがあって、桃井は北に恋心を抱いていた。
同時に深い絶望もしていた。
相手が北信介だからである。性格は四角四面で機械的。自分は彼に好かれていると思うが、あくまで後輩としてだ。女としてではない。
自分は彼のそばに居させてもらえるような女だろうか……と桃井は不安になったのだ。
北の隣には……きっと清楚で控えめな女性がしずしずと控えているのがお似合いだから、慎ましやかさとは無縁の容姿と性格をしている自分がいると、酷く不釣り合いに思えた。
「はあ……」
桃井は下着姿になって、自室の姿見の前に立った。すると光り輝くような美しい少女が鏡の中にいて、自分をまっすぐに見つめ返してくる。
瞳も睫毛も長い髪も、とてつもなく目立つし派手な桃色だ。抜けるように白い肌が透き通るから、鮮烈な色合いは目が疲れるのでは、と心配になる。
腰つきがキュッと引き締まっているので、胸と尻がより大きく見える。特に乳は最悪だ。意味もないのに柔らかく大きくて、ちょっと動くだけでぷるんと揺れる。
今の彼女には、あり得ないくらい下品に見えた。自分はとてもはしたない女だと自覚した……。
「こんなの……北先輩は嫌だろうな……」
頭の中に思い浮かべるのは、黒髪の儚い女性が北の隣に寄り添う光景だった。淑やかで吹けば飛ぶようにか弱く、儚い大和撫子のような女性が、そこにはいた。
間違ってもこんなバカみたいな水風船はついていない。
それがものすごくしっくり来るから、桃井はふらりと後退する。
彼女は自身の顔やスタイルが生まれた時から大好きだった。面倒ごとも引き起こすが、それ以上に自信をくれる容貌だったからだ。
しかし今や、そんな自信はシワシワに萎んでしまった。
こんなふしだらな身体をした女が、北にふさわしいわけがない。
「せめて胸が小さければよかった……あとお尻……」
酷く気落ちした声で呟く。
忌々しくなった胸に触れる。可愛さのかけらもない、ごついブラジャーに覆われていない谷間の方を両手で押し込めば、しっとりした極上の肌が指を包み込み、どこまでも沈んでいく。
巨乳好きにはたまらない感触だろう。桃井にとっては自分の体だから、興奮も何も感じないが。
せめて北が巨乳派ならよかったのに。彼のことを勝手に貧乳派に分け、桃井はたぷたぷ自分の乳を弄んだ。
─────────
それ以来、桃井は猫背になった。胸が大きいのが恥ずかしくなってしまったのだ。隠そうとすれば、それまで伸びていた背筋が自然と丸くなった。
校則で染髪は禁止されていないから、試しに黒く染めてみようかとも思った。
「あの」
「おん? なんや」
「黒髪に染めようかと思って。どう思いますか?」
「……? 誰が」
「私が」
桃井に背中を向けて作業していた侑が、グワッと勢いよく振り返った。タレ目の目尻をキリリと吊り上げて口を開く。
「なんで?」
「き、気分転換です。侑先輩、高校デビューで金髪に染めたでしょう。あ、ブリーチって言うんですっけ」
「高校デビュー言うなや!! ……いや、うーん、そうやなぁ」
侑は少し考える。
何がどうして桃井が髪を黒く染めようか悩んでいるかわからないが、女子が気分転換という時は、あまり深堀するべきでないと、侑は知っている。実体験があるからだ。
ある時は髪をざっくり切ったクラスの女子に「失恋?」と聞いてビンタされたし、またある時はメイクを始めた後輩の女子に「好きな男できた?」と聞いて泣かれた。
二人とも侑のことが好きでやったことなのに、当の本人に揶揄われて、ショックを受けたのだ。
侑はデリカシーがカケラも無くて、人の心に疎かった。
しかし今の相手は桃井である。バレーボールが彼氏みたいなこの女が、失恋や好きな男などあるわけがない。
実はそのまさかなのだが、兎にも角にも侑はウーンと顎の下を掻いて、正直に言った。
「桃井に黒とか似合わんやろ。ピンクのイメージ強いし」
「……」
「まあ好きにしたらええんちゃう? 知らんけど」
無責任なことを言って、また侑は作業に戻ってしまった。
気分転換に染めたとして、綺麗に維持するのが大変だと侑は知っている。ダメージは入るし髪への負担もある。
かつての自分たちが地味な黒髪だったのもあって、こんな見事な桃髪を手放すのは、もったいないと思ったのだ。
ただし人でなしなので気遣うようなセリフは一切出てこず、自分勝手な意見を押し付けることになった。
これに桃井は突き飛ばされたような孤独感を抱いて……ふらっと部室の方へ向かう。
北に出会ってしまうので、暫く部室には近づいていなかった。
「じゃー角名はどの子好き? どれがどエロい?」
「えー? この子かなぁ」
「あー好きそう。お前目つきのエロい子が好きなんやな。顔しか見とらんやろ」
「うるさ笑。ちゃんと体見てるし。てか俺だけ答えさせないでよ。治は?」
「待って俺当てる自信ある。……このむちむちやろ!」
「銀、正解! 抱き心地良さそうなのがええのよな。お前らが選んどんのガリガリやん。折れそうで不安になるねん」
「いや細い方がいいでしょ」
「治が選ぶのはデカすぎる」
「このロマンがわからんとは可哀想な奴め」
よって、思春期剥き出しの話題が部室で出ることは、想像に難くない。
治、角名、銀島がえっちな本を開いてアレコレ盛り上がっているのを、その背後に立って桃井は見ていた。
男たちは、桃井が部室に近づかないとわかると、女子に見せられないものを持ち込んでいたのだ。
猥談に花を咲かせているところを桃井にバッチリ目撃されているが、目の前の本に夢中な彼らは気づかない。
「………」
桃井はえっちな本の中身をジッと見下ろした。
なるほど、胸の大きさは様々だ。色んな体つきの女の子が水着姿で写真に撮られている。
治の好みらしいむちむちは、全身がふっくらとしていて柔らかそうだ。マシュマロわがままボディといったところ。
逆に角名が選んだ女の子は、確かに目つきがエロティックだった。流し目がとてもセクシーで、脚がびっくりするくらい長い。
「へぇ、色んな好みがあるんですね」
「!」
突然彼女に話しかけられて、心臓に刃物を突きつけられたように、男たちはビクッと身体を震わせた。
ゆっくり振り返ると、想像に違わず後輩の女の子が手元を覗き込んでいる。しかし予想と違ったのは、軽蔑の眼差しではなく、真剣な目つきをしていることだった。
それでも死に際に立たされていることに変わりない。男たちは青い顔をして黙り込んでいる。
「っあ、」
「スッー……」
「あ、すみません。話しかけてしまいました。邪魔でしたよね」
「い、いや。ご、ごめん。こっちこそ」
「頼むから忘れてくれ」
「殴っていいから」
「? 殴りません。それより、聞きたいことがあるんですけど」
三人は彼女に「好みのどエロい女の子」の話を聞かれていたとわかって、死にたくなった。
しかし桃井がまるで気にしない顔で質問があると言ってくるので、サッとエロ本を背後に隠して「なに?」とコクコク頷いた。
この子に限って変なこと聞いてこないだろうし……と油断していたのだが。
「男の人って、胸の大きい子と小さい子、どっちが好きなんですか?」
桃井がとんでもないことを口走ったので、三人は思いっきりむせた。
さて、三人から話を聞いた桃井は……いよいよ幽鬼のようにフラフラ彷徨い歩くことになった。
なぜかといえば、三人は「人による」と答えたからだった。
当然である。後輩の女の子に巨乳派か貧乳派か聞かれて、それ以外に答えられようか。
しかも相手は巨乳なのだから、どっちを答えても角が立つ。平和的にその場を切り抜くには、実につまらない平凡な回答に頼るしかない。
そしてこれは、桃井にとって一番絶望的な答えだった。
「巨乳派なら万々歳……貧乳派なら……さらしとかなんとかして胸を潰すしか。でも、人による、か……。……ウッ!!」
桃井は前を見ることができなかったので、ガツンと壁に激突する。そのままずるずる座り込んで頭を抱えた。
「あの人が巨乳派なわけない……!!」
北は絶対貧乳派だ……と勝手に思って、桃井はこの世の終わりみたいな顔をしているのである。
ここまでくると桃井の固定観念は凄まじいことになっていて、頭の中にいる北の隣に並ぶのは、決まって黒髪の清楚な儚い系美人だった。
シルエットがすらりとしていて、とにかく凹凸がなくて、美しい筆で一筆すっと入れたように真っ直ぐな女性。水墨画のような影のある美人が、控えめに目を伏せるのは、同性の桃井でさえクラッとするほどの破壊力がある。
桃井は、そんな彼女こそ北にふさわしい、とありもしない幻想に打ちひしがれている。
無様だった。
北の周りに大和撫子系美人はいない。全て桃井の妄想の中の住民である。しかし病的に思い込みが激しくなってしまった桃井は、現実に存在しない架空の女性に負けた……と嘆いているのだ。
黒髪は似合わないと言われたし、北は貧乳派だから、逆立ちしたって勝てっこない。そんなふうにしてメソメソしている。
多分尾白とかが話を聞けば「なんでやねん!!」と本場のツッコミをしてくれるだろう。
「終わりだ……」
しかし、悲しいことにここには誰もいないので、桃井はただ壁に縋り付く変人となっていた。
ここまで導入です
この後麦茶汗だくセックス(未遂)するところまで描きたい
その時はR-18連載の方に持っていきます