烏野高校排球部
日向翔陽はその日、心の底からワクワクしていた。憧れの小さな巨人がいた烏野高校についに入学したのである。
高校生活最初のHRを終えた日向は速攻でジャージに着替え、有望な新入部員を捕まえる為にごった返す人混みを俊敏に駆け抜けると、目的の第二体育館に直行した。
これからいっぱい練習して、県内屈指の強豪校へ進むであろうあの王様に絶対リベンジをし、そして背中を押してくれた彼女に『ありがとう』と伝えよう。
そう決意して乗り込んだ体育館に。
「な」
ダン、ダン、とバレーボールを叩く音。その後ろ姿。自分と同じ色のジャージを着た背の高い男。丸っとした頭部のシルエット。
一年ぶりに見る背中は、けれど見間違えることなく。
「なんで居る!?」
「!?」
日向はその男───影山飛雄を指差して驚愕を露わに叫んだ。
これが烏野高校第二体育館、部活動開始25分前のことである。
日向と影山が顔を合わせ口喧嘩をしていると、先輩にあたる生徒たちがゾロゾロと体育館に入ってきた。
「影山だな? よく来たなあ!」
「おお……去年より育ってる……」
「最初が肝心っスよスガさん! 1年坊に3年生の威厳てやつをガッ! と行ったって下さい!!」
キャプテンの澤村、副キャプテンの菅原、二年生の田中である。そして。
「旭さんよかちっこいっスね!」
「コラコラ西谷、あまり大きい声で言わないで」
エースと目される東峰と、守護神と名高い西谷も揃っていた。計五名、他に部員は存在するが、烏野高校男子バレー部を形成する主役たちが並んでいる。
間近で見る高校生の迫力に感動を覚える日向は、あの北川第一の影山が注目を集める後ろで大きな挨拶をし、存在をアピールした。
「あっあの! ちわす!!」
「あ? ……あっ、おっ、お前ェッ……チビの1番!!」
田中がビシッと指を指す。雪ヶ丘と北川第一の試合で根性を見せていた日向を思い出したのだ。つられるようにして他の上級生も日向の存在に気づき、目を丸くした。
「いやあ、ちょっとビックリしたな……。そうか、お前らどっちも烏野か……!」
澤村が胸をドキドキさせて言う。あの試合には、単なる中総体初戦と片付けるには収まりきらない何かがあったと確信している。そしてそれは目の前にいる新入生、日向が生み出したものだった。
加えて、その日向を徹底的に負かした相手、影山が……北川第一の王様がここにいる。
柄じゃないが、運命的な何かが始まるような予感があった。
「俺達去年のお前らの試合見てたんだよ。お前のバネも凄かったよなあ!」
「それにしても、あんま育ってねーけど!」
「あっ……ぐっ、確かにあんまり変わってませんけどっ……、でも! 小さくてもおれはとべます! 烏野のエースになってみせます!」
日向は高らかに宣言する。そうだ、その為にここにやって来たのだと己を奮い立たせる一方で、影山は元々鋭い眼光をさらに殺人的に尖らせた。
田中が怖い顔で日向に近寄る。
「おいオーイ、入って早々エース宣言か! 良い度胸だなああ? この人を差し置いてそんなこと言えんのか!?」
「あっちょっ」
田中が背中をぐいぐい押して日向の目の前に立たせたのは、烏野高校のエースたる東峰である。当の本人は「やめてやめて」と小さくなろうとしているが、180cmを超える巨体はどうやっても隠すことができずにいた。
そして東峰の高校生離れした風格……ヒゲやロン毛にビビって、日向もまた菅原(この中で一番優しそう)の背中にさっと隠れるのだった。
「あーもう! なんで二人して隠れてんスか! オイ一年!」
「ぴゃいぃ!!」
「エースになりてぇっつーなら、旭さんを正々堂々倒しゃあいーんだよ! なれなれ、エースなれ!!」
小動物然とした東峰と日向の様子に痺れを切らした西谷がそう言うと、日向はビビっていた顔を引っ込めて、途端にキラキラした眼差しを向け始める。
「え、エース……? この人が、烏野のエース、ですか?」
「おうそうだ! 東峰旭! あの伊達工のブロック相手に負けず劣らずの激闘っぷりよ!!」
「わーわーわー! 西谷、その辺にしてくれ、わかったから……!!」
厚みのある体つきに反して、態度や言葉遣いに乱暴なところはない。見た目より怖くない人なのだとわかった日向が、今度はゆっくりと西谷に近づいた。
「というかこの人、おれより小さい……!?」
「ああ!? てめえ今なんつったァコラァ!!」
「ヒィ!! ご、ごめんなさっ……」
この人はエースと違って怖い!? ビビりながらも、ごくりと唾を飲んで質問する。
「あのっ、身長……何センチ……ですか……」
「159cmだ!!!」
「!!」
日向翔陽、15歳。この世に生を受けてからずっと身長順では男子の中で一番前だった。
そんな人生で初めて同世代で己より小さい男に出会えた衝撃は、筆舌に尽くし難い。
「おっ、おれ! 高校に入って初めて人を見下ろしましたっっ」
「大して見下ろしてもねぇだろ!! 泣いて喜ぶな!!」
「なんだこのチビ……俺を置いてノヤっさんと旭さんに夢中かよ!」
感涙する日向とワッと怒る西谷。ワタワタする東峰とオラオラする田中。彼らを見つめ、遠い目をするのは澤村と菅原だ。
「一気に話題持ってかれたなー」
「俺達すっかり蚊帳の外だ」
そう呟いて、おやと目を見張る。
さっきから黙り込んでいた影山が、目を細めて日向に迫っていたからだ。
「お前、エースになるなんて言うからには、ちゃんと上手くなってんだろうな? ちんたらしてたらまた3年間棒に振るぞ」
「! ……なんだと……」
「おお……どうしてそういう事言うんだ影山……」
「友達居なそうだな〜〜」
「え、もうけんか? はやくない?」
何やらよからぬ空気を察知した東峰は、おずおずと日向と影山の間に入る。大きな体は物理的に二人の空気を割るのである。
「あ! あのさぁ、えっと……うーんと、その……」
「旭さん! そこまでやれんなら最後までビシッと言ってやりましょーよ! ケンカはダメだって!」
「お前が言うかノヤっさん! 一番ケンカっ早いクセに!」
「け、ケンカは良くないぞ。もし自宅謹慎とか部活禁止になったらどうする……」
「そーだそーだ!」
「西谷、完全にガヤだな……」
気弱な東峰には、新入生同士の諍いを収めるのは少々難しい問題だった。それでも何か言わなければと思う彼は、あ、と影山を見た。
「そういえば影山って北川第一だよね? その、桃井は───」
その名を口にした途端、影山の目つきがギュンと硬度を上げた。怯んで声を引っ込めてしまった東峰の代わりに、西谷が続きを言う。
「桃井さんはいずこに!!」
「……アイツは烏野には来てませんよ」
「えっ」
「うう、やっぱりそうか……潔子さんと桃井さんで生まれる禁断の花園計画は崩れ去ってしまったか……」
「田中キモイぞー」
「てことは、やっぱり青城か?」
「いいえ」
「じゃ白鳥沢? 県内ナンバーワン」
「違います。というか宮城にはもう居ません。アイツは……他を選んだんです」
影山の返答に上級生たちには「ああ……」と残念ムードが漂う。同じ宮城の敵チームに居ないのは不幸中の幸いだが、それでも彼女の力を自チームで存分に発揮してもらえなかったのは、かなりの痛手である。
特に西谷の絶望顔たるや、そのまま美術館に飾って遜色ない出来栄えであった。たとえそれが、烏野の制服を着た桃井を見れないこと、彼女に「西谷先輩、タオルどうぞ。先輩のためにずっと待ってたんです」と言ってもらえないこと、色んな妄想が現実にならなかったことへの失望なのだとしても、周りは決して理解できない。
むしろ「そういえば西谷は北川第一と戦った経験があるから、なおさら桃井の脅威がわかっているんだな」と思われているだけである。事実はかなりしょうもないことだった。
みな一様に気を落とす空気の中、居心地が悪そうに身を捩る影山が真っ先に目に入ったのは、きょとんとする日向の顔。
「? てことは、全国行けばさつきに会えるってことですか?」
日向は、桃井さつきのことを全く知らない。ただ彼女のことを「バレー部のマネージャーで、バレーボールが大好きな友達」だと認識している。故に先輩たちが桃井の所在を聞いて落胆した時は「あれだけかわいいから人気者なんだな、さつきって」くらいにしか思っていない。
場違いなほどのんびりした疑問に、影山はついに苛立った声で言い放った。
「簡単に言ってんじゃねーよ。全国行って、テッペンまでのし上がることがどんだけ難しいかわかんねークセに……!」
「ぐっ……、おれだって精一杯……、やった結果が、あの敗北だった。……でも、さっきみたいに、今までのぜんぶ無駄だったみたいに言うな!!」
そこからは売り言葉に買い言葉で、ヒートアップしたケンカは止まることはなかった。騒ぎを聞きつけた教頭に目をつけられ、上級生達が焦って仲裁に入るも新入生二人はガン無視である。
もし。もしここに桃井さつきが居れば、二人の間をとりもって教頭を華麗に追い返してやっただろうが、生憎彼女は遠くに去ってしまった。
影山のストッパーとして生まれた時からそばにいた片割れのいない男が、たかだか先輩の口程度で止まるはずもなく。
影山のサーブを日向が取れるかという勝負は、記念すべき第一球目にして───教頭のカツラを見事に宙に投げ出すことに成功し、かのカツラは澤村の頭部に無事着地することとなった。
結果、仲間割れした挙げ句チームに迷惑をかけた日向と影山は、揃って部活への参加を拒否されたのである。
「王様のくせに、
先輩達と勝負をすることになった二人は、相変わらず部活に参加することができず、仕方なくグラウンドで練習をしていた。陽も落ちて辺りが暗くなったそこは、頼りない灯りだけがトスの特訓をする二人の影を作っている。
そこへ乱入して来たのは、日向と影山と同じ烏野高校男子バレー部の一年生である月島蛍と山口忠。
特に月島は影山へ並々ならぬ敵意があるようで、にへらとした笑顔を張り付けて言ったのが、先の言葉だった。
「あ……? 誰が、誰に、見捨てられたって?」
「あっれー。てっきり自覚済みかと思ってたけど、ひょっとしてわかってない? 周りに無関心だから王様って呼ばれてんじゃない?? ……決まってるデショ。桃井さつきに、だよ」
「!」
日向は再び桃井の名を聞いた。しかしどうやら自分が思う「桃井さつき」と、月島や他の先輩達が口にする「桃井さつき」の名前には重みがまるで違って聞こえたことを、敏感に感じ取った。
果たしてそれが何を意味するのかわからないまま、日向は戦々恐々と視線をずらす。
なんせ影山のまとう雰囲気が凄まじく苛烈になっていくから。
「彼女、北川第一の勝利の女神様なんだっけ。王様にご執心だって噂もあった。それなのに君の隣に居ないってコトは、そういうことじゃん」
「……」
月島は底の知れない笑みを浮かべたまま影山のそばを通り過ぎ、背中越しに語る。
「……県予選の決勝、見たよ」
「───!」
「あ〜んな自己チューなトス、よく他の連中我慢してたよね。僕ならムリ。……ああ! 我慢できなかったからああなったのか。勝利の女神様に見放されてトーゼンだよねぇ」
瞬間、影山の脳を支配したのはあのトラウマだった。咄嗟に体が強張る。指先が震える。どうしようもない苦しさが喉を締め上げて、乱暴に腕を振るいたくなった。
今すぐにでも月島の胸倉を掴んで、と勢いよく体を向けた影山の手は、しかし月島の制服に触れることはなかった。
「は……? なにやろうと、してんの、王様」
中途半端に掲げた拳をぎゅっと握りしめて、影山は深く息を吐く。
目を開く。そこにはあの景色は存在しなかった。トスを上げた先、だれも受け取ることのなかったボールが床に落ちていく景色ではなかった。
影山の目に浮かんだのは、隣にいたいと真っ直ぐに見つめてくる桃井の微笑みだった。
彼女が心を曝け出して伝えてくれた言葉が、態度が、眼差しが、愛が、影山の心を繋ぎ止めてくれている。
だから影山は月島の煽りに動じなかった。
なぜならば影山は知っている。
桃井は影山を見放すことはないと。
いつまでも、これからも、アイツは俺を裏切らないと信じている。
ずっと先にある未来には、二人並んで拳をぶつけ合う景色があると確信している。
「切り上げるぞ」
「!? ええっ、おい!」
去り際、月島のセリフにカチンと来た日向が宣戦布告をする出来事があったが、それすらも影山にとっては些事だ。
『そういえば影山って北川第一だよね? その、桃井は───』
『王様のくせに、女神様に見捨てられちゃったの?』
北川第一は、桃井ありきで見られている。
白鳥沢に勝てない県No.2を押し上げ、県大会三連覇、全国大会三連続出場へと導いた「桃井さつき」の存在が、彼らの存在を縛っている。
王様という不名誉な呼び名はあれど、それすらも桃井の名前の前には影となる。
彼女の存在はそこまで大きくなってしまったのだ。
そんな彼女の隣に並び立つには、一人でやれる強さを持たなければならない。
烏野高校に入学して暫く、部活参加ができずにいる影山はそのようなことを考えていた。
もし桃井がいれば、部活参加拒否なんて結果にはならなかっただろう。それどころかあっという間に部に溶け込み、コーチ然とした働きで烏野をビシバシ厳しく鍛え上げているはずだ。
今頃他校で活躍する幼馴染を想像し、影山の眉間に皺が寄る。
それでも桃井はいないのだ。アイツ抜きでやれることを証明しなければ、何も始まらない。
桃井がいつも資料を持ってきて、トレーニングメニューを考案してくれていた。今の自分に何が必要で、何をするべきなのかを指し示してくれていた。
それがない今、暗闇に放り出されたような不安が頭に生まれているのは事実だ。これは他の……青城に行った連中も同じだろうな、と思う。
桃井に甘やかされていた温度が、指の先まで染み込んでいる。
兎にも角にも、桃井に頼りきりだった過去から脱却しなければ。
影山は、頑張ろうと顔を上げてしばらく。
「えーと、まずは……何をやんねーといけないんだっけ……」
正解がない以上、試行錯誤でやっていくしない。
そんな当たり前のことを目の前にして、影山は頭を抱えるのだった。
お久しぶりです。劇場版楽しみだな〜という気持ちでいつの間にか描いてました。
ついに高校編スタートですね。いつ桃井を出そうか、楽しんでストーリーを構築しています。