影山飛雄の隣に正々堂々立つために、一人で強くなる。
そのために必要な環境としてどの高校を選ぶべきか、桃井は考えた。
まずバレーの分析に欠かせない高額ソフトを導入してくれる高校が第一条件。
上質な試合データが欲しいので強いチームと多く試合ができる強豪校がいい。
北川第一のように自分の作戦に依存するとチームが崩壊するから、ある程度個の力が強いと理想的。綺麗にまとまったチームではなく個性の力で殴り合うような……。
さまざまな条件や欲望に従って候補を並び替え、各校の選手データと睨めっこして……あ、と気づいた。
『それは条件であって、志望理由じゃない。サツキのやりたいことって何なの?』
『やりたいこと、それは……チームを支えて、勝利に導く……』
『本当は高校で何やりたいの?』
木兎が見つけてくれた光を見失うところだった。そうだ、もっと自分本位でいいのだと思考をやり直す。もっとシンプルに答えを導いていく。
『私は……飛雄ちゃんの可能性の果てを見たい』
強いところがいい。
味方チームも相手チームも、強ければ強いほどワクワクするから。
個性的なチームがいい。
より尖ったチームであるほど分析や成長が楽しくなるから。
そして……影山と同じような天才セッターがいてくれたら。
その人を通して、よりバレーボールに深い愛情が注げたら。
一つ一つの式を単純明快に紐解いていけば、唯一の答えに辿り着く。不安と緊張、それ以上の期待を胸に、桃井はスマホに手を伸ばした。
2011年 IH準決勝第3位。
2012年 春高準決勝第3位。
これが昨年度の稲荷崎高校の成績である。乱暴に言えば全国No.3のチームということだ。
スカウトに力を入れている高校で、事実他県からスカウトされた選手がチームで活躍している例は多々ある。桃井もその例の中に組み込まれるのだろう。
関西どころか全国でも名の知れた強豪校だが、堅実なチームとは正反対の特色を持っている。
爆発的な力はあるが一・二年が主力である為かムラっけがあり、攻めの姿勢が裏目に出ることも少なくない。
けれど決して攻撃の手を緩めぬ勇猛果敢なプレーこそ、最強の挑戦者と呼ばれる所以だった。
その最強の挑戦者として名を馳せる彼らは───ウッキウキだった。
「ちょお、勝手に俺のスプレー使うなや」
「いいやん別に。こん前のお返し」
「なぁ角名、俺の前髪おかしくないか?」
「変じゃない変じゃない、いつも通り」
男たちは意味もなく鏡を見てキメ顔をしたり制汗剤を振り撒いたりワックスをつけたりして、部室はカオスを極めている。
春休み初日。一般的な高校生なら学校という呪縛から解き放たれてどこかに遊びに出かけたりゆっくり家で過ごしたりするような日だが、男子バレー部には関係ない。普段通り死ぬ気で練習するだけである。
しかし今日だけは、否、今日からは違う。汗と疲労で塗装されたコンクリートは剥がれ落ち、美しく可憐な道のりが広がるのだと彼らは信じて止まなかった。
何故ならば、あの桃井さつきが来るからである。
始まりは侑に届いた一通のメッセージだった。
『稲荷崎高校に進学することを決めました。これからよろしくお願いします』
それまで侑が一方的に送りつけていた写真やら文章やらを無視した簡潔なそれに、侑は歓喜し二段ベッドの上から落ちて尻を打った。
桃井が稲荷崎を選んだ。
これはすなわち侑が桃井を口説き落としたことに他ならない。桃井本人がそれを聞けば全力で嫌な顔をして否定するだろうが、侑は確固たる自信を持ってやり遂げたのだと自慢する。
俺はあの女を落としたんや。
出会いは中学二年の全国大会。そこからウザがられて連絡を無視されるまでしつこく勧誘し、時には相棒の影山を煽り、桃井の意識を惹きつけた。
その努力がようやく実を結んだのだとガッツポーズをした。試合に勝利した時より勢いがあった。
「治、治!! 見てみぃコレ!!」
「なん……は! は!?」
「俺の勝ちや!! 桃井来るで!!」
「マジか!! マジでか!! グループラインに報告せな!!」
侑と比較してローテンションな治も、この時ばかりは好物の飯を食う時のように表情を賑わせた。
促されるまま侑はメッセージをスクショし稲荷崎高校男子バレー部のグループラインに投稿。
既読はみるみる数を増やし、加速していくトーク画面は『勝利宣言』『勝訴』『一生分の運使ったわ』『学食で定食奢れよ』『俺のハンバーグセットも頼む』『たかるんじゃねー』『お前賭けに負けただろ嘘つくなアホ』などという大盛り上がりを見せ、それは北の『落ち着け。侑はそれ転載許可取ったんか?』という鶴の一言でピタッと止んだ。
「アホなことするからや。北さんに怒られても知らんからな」
「ふ、ふん! 別にええねん! 今最っ高にテンション上がってんねんから!」
侑はもう一度桃井とのLINE画面を開く。そこには紛れもなく、自分のいる高校を選んだという宣言があった。
「ホンマ楽しみやなぁ……!!」
あの女は強い。
マネージャーの女の子を形容する言葉として的確であるかはさておき、侑はそのような認識を持っていた。
彼女のバレーボールへの愛情は、通常ならば他を寄せ付けないほどに鮮烈で過激だ。そして桃井の隣には影山がいて、彼もまた一心にバレーボールにのめり込んでいることを、対戦経験から侑は知っている。
ふと気になってメッセージを綴る。
『飛雄くんは?一緒なん?』
『いいえ。彼は宮城に残るそうです』
ふぅん。飛雄くんも来たらもっと面白く──もっといじめてやんのになぁ、と歪に口角を上げた。
残念な気持ちは残る。しかし桃井が稲荷崎を選んだ事実があまりに嬉しくて、侑は暫く桃井に熱心に絡んだ。
最初は自身の先輩になるのだからと根気よく返事し続ける桃井だったが、次第に面倒になったようで『春休みからそちらに行くので話ならその時にしてください』とバッサリ切るのだった。
とまあそんなわけで、監督からの情報提供もあり桃井の進学先が確定してから男たちはものすごく元気になった。今までも熱心だったが輪をかけて練習に熱中するようになったのだ。
これが桃井さつき効果である。
彼女は特別目立つ容姿をしていた。染髪ではあり得ない鮮やかな桃髪と可愛らしい顔立ちはもちろんのこと、何よりおっぱいがデカかった。街中で見かけたら男女問わず「オッ」となるようなおっぱいをしていた。
そんなおっぱいのでかい女、間違えたカワイイ女の子が後輩に!?
こうしちゃいられない、我こそは一番かっこいい男なのだとアピールしたくなるのも仕方のないことだった。
なんかバレーにめっちゃ詳しくて分析が得意らしいけど、まあマネージャーだし参考程度のものなんでしょ?
遠い東北の地の有名人など、兵庫の住民からすればそんな感じである。それに桃井の評判が轟くのはあくまで中学生の界隈であり、高校生となった彼らには関係が浅かった。
よって何も知らない健全な男子高校生たちは、桃井が来るという春休み初日を心待ちにしていた。
そして。
「失礼します!」
凛とした声色が、体育館の空気を一刀両断した。シンと静まり返ったそこへ足を踏み入れた少女は、真顔にも似た澄まし顔を緩ませることは一切しなかった。
桃井さつきの登場である。
北川第一を卒業し稲荷崎に入学する予定の彼女の格好は、至ってシンプルな部活着そのものだが、それでも目を惹きつけるおっぱい、間違えた可愛らしい顔に部員たちの目が集中する。
「待っとったで、桃井」
侑が意気揚々と話しかけに行こうとするも、頭を下げて面を上げた桃井は監督に呼ばれて行ってしまう。
一瞥もくれなかったことに気勢が削がれる侑だったが、全体集合がかけられてからそんなことを考える余裕はなくなった。
猛練習の始まりである。
その日、桃井に与えられた予定は───見学、ただそれだけだった。
稲荷崎高校の監督・黒須法宗は、彼女を完全なるアナリストとして起用することを決断。つまりドリンクを作ったりタオル等を洗濯したりするような、それらにかける時間をなくし、桃井の能力を100%生かす為にマネージャー業務には専念させないと明言した。
桃井に「先輩! タオルどうぞ!」とかのやりとりを期待していた男たちは崩れ落ちたが、侑は「妥当やな」と認識する。
もちろん残念だという気持ちがないわけではないが、そんなことに時間を割いている暇があれば分析に当てていた方がよっぽど有意義だろう。
そも稲荷崎男子バレー部のマネージャーには男しかいないし、それがこの先も変わらないというだけだ。
桃井も事前に話を通されていたのだろう。眉ひとつ動かさなかった。だがしかし、アナリストとして必要不可欠のPCがないことに面食らったようで、黒須監督に問い詰めるシーンがあり。
「スマンなぁ。あのソフト10万軽く超えるやろ。年度末は予算の都合もあって、今すぐにポンと渡せるもんやないねん。4月まで待ってくれるか?」
「………、はい……」
とやや気落ちした様子だった。
黒須監督は、それでも見学させることに意味があると考えていた。桃井がいたのは中学レベル。高校のそれは格が違う。しかも稲荷崎は全国指折りの強豪校。
まずは見て全体の流れを掴んでもらい、やがて彼女にはこの空気を操作する人材になってもらう。
そのようなことをつらつら思うと。
「では、自分で分析していてもいいでしょうか? 一秒たりとも無駄にしたくありませんから」
持ち込んでいたらしい薄型のノートPCを片手にそう言われて、断る理由もなく。
見学用にと置かれたパイプ椅子に座った桃井は、それが自分の使命だと言わんばかりの集中力でキーボードに指を滑らせ始めた。
「なんというか……拍子抜け?」
「何がや」
「や、桃井って子。今日一日、全然俺らと関わらなかったから」
春休み初日の練習を終えた角名倫太郎がなんとなく言えば、話しかけられた治も「あー」と意味もなく相槌を打った。
家に帰るために着替えに行くなり居残り練習をするなり、ゾロゾロと動きが分かれてもおかしくない時間帯だが、桃井という特殊な存在がいるおかげでなんとなく様子を見る空気ができあがってしまっている。
だからみんな体育館の隅で、ドリンクを飲んだり座って休憩するフリをして彼女にチラチラ目線を向けるのだった。
「ずぅっとパソコンカタカタしとったな。話してたのは監督とかコーチくらい?」
「あと北さん」
「あー」
「まあキャプテンやし」
彼ら一年生にとって、北信介という先輩は近寄りがたい人である。圧がとんでもなく凄いし、隙がないので逃げ道がない。苦手だと認識する後輩もいるくらいだ。
キャプテンでユニフォームももらっているのだが、北が試合に出場している姿を見たことは一度もなく、距離感に一番悩んでいる。そんなキャプテンだった。
輪に加わった銀島結が、汗を拭って口を開く。
「双子はあん子と知り合いなんやろ? 話しかけんのか?」
「入れ込んでんのは侑の方や、俺はそんなに」
「え、なんで。かわいいのに」
「……アレをかわいいだけで済ませとったら、ばくりと食われるで」
治が目線を逸らして低く言う。
並々ならぬ様子に、どういう意味だと聞こうとすれば近くまで来ていた侑も同じような表情をしていた。
「随分ピリピリしとんなぁ。飛雄ちゃん関連か……?」
「? トビオ?」
「ああ、こっちの話や」
確信めいた微笑みを向けた先にいる桃井は、難しい顔で監督とコーチと何かを話している。
初対面がほとんどの彼らにとっては「テレビとか雑誌とかの印象と違ってクールなんかなぁ」という印象を受けた。会話なんかほとんどしなかったし、桃井にジッと練習風景を観察され続けたために、ふんわりカワイイ後輩像を期待していた男たちにはちょっぴり期待外れだったのである。
しかし彼女と対戦経験がある双子、特に侑は桃井の雰囲気が鋭くなっていることを瞬時に見抜いた。
初めての場で緊張している。あるいは性格が変わった、猫被りしている。
色んな可能性が頭に浮かんでは消えていく。
「……なんだってええわ。
自分に言い聞かせるように、侑は違和感を腹の奥に押し留める。
そのようにして桃井が加入した一日目は、なんとも言えぬ消化不良のまま終わり。
「では、本日からこの分析データをもとに組み立てたメニューをこなしてもらいます。全国優勝を目標にチームを徹底的に仕上げます。全力でサポートしますので───全力で応えてください」
情熱に燃えていた桃色の瞳に凍てつくような冷淡さを湛え、桃井は辣腕を振るい始める。
不穏なスタートですね。