「牛島さんっ!」
また奴が来る。
稲荷崎の選手は姿勢と配置を整え、即座に攻撃に備えた。資料で提示されたパターンに当てはめ、最適解の防衛線を張る。短期間で体と頭に染み込ませた、もはや習慣となった動きに無駄は一切見られない。
これまでの相手なら、それだけで事足りた。
けれど、この男は想定を超える。
「───シッ」
鋭く気合いを吐き出して牛島がスパイクを打つ。高い打点と並外れたパワー、何より珍しい左手で打つことから生まれる回転が、稲荷崎のディフェンスを見事に打ち破った。
三枚ブロックを弾き飛ばしたボールが高く跳ね上がり、遠のく。
その様をジッと観察する尾白は、動揺も興奮も見せずただ静かに次のパターンを思考していた。
他の選手たちもそうだ。初めて生で見る牛島の攻撃に目を輝かせていたのは最初だけ。二度目からの眼差しには別の何かが混じっていた。その意味を、対戦相手である白鳥沢の選手たちは知っている。
「気持ち悪ィチームだな」
ネットの向こう側に拡がる異様な雰囲気に、白布は舌打ちをこぼす。
試合が始まってから、ずっと稲荷崎は牛島の攻撃を目に焼き付けていた。
こんなことは今までになかった。
これまでの相手は、ほとんどが牛島に恐怖を抱いてきた。例外と言えば青葉城西の及川や岩泉くらいだろう。あの二人にはウシワカに負けてなるものかという気概がよく見えた。
しかし、稲荷崎の選手の目は違う。
狐の双眼に燃ゆるのは恐怖でも闘志でもない。
指の先まで情報収集・分析しようとするどこまでも冷静な理性だ。
それに牛島は見覚えがあった。
「あぁ、嫌だ」
自身が『強い』と認め、欲しいとずっと願ってきた人間の影響をまざまざと見せつけられているようで。
彫りの深い顔立ちにより一層のシワを刻みつけ、睨みつけるような目つきの牛島の圧を、一身に受ける侑の優越感は加速していく。
「すんまへん。ウシワカさんのオキニ、俺に夢中やから」
牛島は桃井が影山に執着していたのを知っている。故に彼を上回るセッターとしての実力を発揮する侑が、新たに桃井を引き寄せた要因だと考えていた。
同様にして、桃井が影山と仲がいいと(単に同じチームで同じくらいのバレーへの情熱があるから親しくなるだろうと───表面上そう読み取って)考えている侑は、あのウシワカが望んだ女が自分を選んで稲荷崎に来たと信じて疑わない。
「宮侑。奴がお前を選んだ理由、測らせてもらう」
「お好きにドーゾ。ジタバタしたって今更ですけど。桃井はもう稲荷崎のモンですし」
煽り合いである。
普段ならば牛島の攻撃にワクワクして精神年齢が下がっている頃だろうに、今日の侑はやたらと煽りたがりだった。
「今も俺にゾッコンで……」
「侑、侑」
「なんや銀」
チョンチョンと肩をつつかれて「ん」と銀島が指差した方、つまり桃井の方を侑が見れば。
「あ?」
輝く瞳に紅潮する頬。口元に手を当てて興奮を押し殺すように、彼女は震えていた。
カッコイイ。すごい。見惚れちゃう。
そんな副音声が聞こえてしまうほどの熱視線が牛島に向けられているとわかり、侑はワナワナと拳を握りしめた。
なんやあの女。
俺が欲しくて稲荷崎に来たんやろ。
そんクセ他の男に尻尾振るんか。
俺にはそんな目向けたことないのに。
「桃井のあんな顔、初めて見た……」
「な。……なんか、アレやな」
モヤっとする。稲荷崎の選手たちの無言の抗議に、気がついた桃井は即座に顔をキュッと引き締めた。
「桃井は俺の方が良いらしいが」
「ぐっ……」
牛島にもそう言われてしまえば、さっきまでの侑の余裕も消し飛んでしまい、ギリと恨めしげに歯噛みをする。
あの女の目をコッチに向けさせるには、やはり彼女が予想だにしないプレーを見せなければ。
「……まぁ! 試合は始まったばかりやし? まだまだ調整段階やし?」
「なに侑はブツクサ言っとんねん」
「次つぎー」
「シカトせんとって!!」
桃井の熱視線が牛島に集中していると気づいた稲荷崎の選手たちは、余裕な口ぶりで笑いながら、しかし冷徹な目で相手チームを分解しようと企んでいる。
これが第一セット中盤、白鳥沢がリードしている展開での一幕だった。
「立ち上がりが悪い」
鷲匠がそう口にした途端、グッと空気に重みが増した。隣に座るコーチが緊張した面持ちで理由を尋ねる。
数点差で白鳥沢がリードしているにも関わらず、鷲匠は試合開始から一貫して怖い顔のままだった。
「若利への対応が異様に早い。桃井の徹底した分析と、稲荷崎の地力のおかげだろう。三枚ブロックでキッチリ締めてきやがる」
「向こうは高さのあるブロッカーが揃ってますからね。とにかく圧をかけてやるという意図が見えます。まぁ、ここまで凄まじいのは中々いませんが」
「良い経験だな。最初から無傷で勝とうなんざ思ってねぇよ。質の高い練習試合をやりに来てんだ。このくらい追い詰めてもらわねーと困る」
普段大学チームなどと練習試合を組む白鳥沢にとって、このくらい当然の苦難である。言い換えると、稲荷崎はそのくらい強いチームだとも認識できる。
「だが、若利以外の押し合いなら向こうのが上だ。次の攻撃を牽制するスパイク、咄嗟の返球の位置、全てがこちらの攻撃への動作を一歩遅くする」
緻密に練り上げられた対策は、白鳥沢の翼を捥ぐためにあるのだろう。牛島がいるから現時点で勝っているものの、牛島がいなかったらとっくに点差は突き放されている。
それほど見事な嫌らしさだった。
「カーッ! 小賢しい!」
鷲匠はガクガクと片足を忙しなく動かし、貧乏揺すりの止まらない足を叩いてから、100%この作戦を立てたであろう少女を睨みつける。
稲荷崎の試合映像は事前にこちらも確認している。が、それは桃井が加入する前のものだ。
今の方がより強く、賢く、狡くなっている。
しかし想定以上の成長速度だった。
「桃井さつき……ですか?」
「フン」
コーチに恐る恐る言われ、鷲匠が鼻息で消し飛ばす。
『単刀直入に言う。中学を卒業したら白鳥沢に来い』
三年だ。三年間、桃井をスカウトし続けていた。
他校の監督・コーチ、関係者、誰よりも一番早く動いた自信があるし、必要ならばと白鳥沢への見学も許可した。
それだけ必死で、それだけ彼女の才能と努力を認めていたのだ。
「敵に回ったなら容赦しねぇ。いつもと変わらず、白鳥沢の強さを見せつけるだけだ。……だが、この展開は……」
そんなふうに稲荷崎に進学した桃井を否定したいと考える牛島、鷲匠と同じか、それ以上の憎悪を持ち、試合に臨む男がいた。
「牛島さん!」
憧れ、焦がれた一番かっこいいバレーボールを、阻んでくるあの女。
コートにいないくせに、コートにいる誰よりも影響を出すあの脅威が、心の底から気に入らない。
またしてもついてくる三枚ブロックと、ワンタッチで高く遠くに跳ね飛ばされる牛島のスパイク。
拾い、繋げ、攻撃を整える向こうのチャラチャラしたセッターにも、ずっとイライラさせられていた。
「白布! 若利に集め過ぎ! 他使え!」
「……」
コート外から前の正セッターである瀬見のアドバイスが飛んでくるが、白布はグッと顎を引くだけで了承も拒絶も見せなかった。
練習試合が始まってから、攻撃が気持ち良く決まっているのは牛島だけだった。
それ以外……例えば大平や五色のスパイクは必ず拾われるか、ブロックされて相手の得点に繋げられていた。
牛島によってリードしていた点差が、ジリジリと迫り始める。得点板から白布に目線を移した五色が、彼に近寄った。
「白布さん! 俺にもください! ストレート絶対決めてみせます!」
「……、さっきから稲荷崎に拾われているのに? 決まらねぇトスを上げるつもりはねーぞ」
「でも! 俺は牛島さんを超えるエースになるんです! その大事な初戦で挫けたくない!!」
今回が初の出場となる五色の純真な瞳が、かえって白布を苛立たせる。
「超える? お前が? どうやって。今向こうに通用してんのは、牛島さんの高さとパワーだ。お前にそれだけの力があんのかよ一年坊主」
「一年ぼっ……! それは、まだ、いえ、きっと……」
「練習試合とはいえ、勝つために俺たちはコートに立ってんだ。そこで断言できないなら、大人しくしてろ」
「〜〜〜ッ」
張り切っていた五色の威勢は萎み、何かを言いかけていた口がガチンと閉じる。
それでいい、と白布は思った。
余計なノイズは思考に邪魔だ。今はどうやって稲荷崎の防御を突破するのかを考えねぇと。
白布に余裕がないことを、彼自身だけがわかっていなかった。
「あー、クソ。視界狭まってんな、白布。まだ始まったばっかだっつーのに」
「瀬見さん。やっぱわかるんですか」
「そりゃお前、ついこないだまで俺はあそこにいたんだぞ。若利を頼りたくなる気持ち、スッゲーわかんの」
「頼りたくなる、か……」
コート外で、瀬見の発言に「そうかな」と川西は考える。
白布が瀬見と代わって正セッターに起用されたのは、最近のことだ。
彼は牛島にトスを上げるためにバレーボールをしていたような男だったので、正セッターの座が同学年に受け渡された時、川西は「すげーな」とも思ったし「やべーな」とも思った。
エースへの尊敬が行き過ぎて暴走しないかなと考えていたせいである。
『お前さ、牛島さんにだけトス上げたりしない?』
『あ? 急になんだよ』
『や、ホラ。念願叶って正セッターに選ばれたじゃん。攻撃の指示とか白布がするわけじゃん。だから……』
『……セッターはエースにトスを上げるのが仕事じゃない。チームを勝たせる司令塔だろ。んな勝手なマネはしねーよ』
白布は正しく求められているものを把握していた。
『確かに牛島さんは強いし、あの人に上げれば全部決めてくれるって信じられる。でも牛島さんの強さ=ウチの強さじゃない。それがわからない奴は、このチームでセッターは務まらない』
「多分白布の中では、仕方なく牛島さんを頼ってるって認識じゃないと思うんです」
「! お、おお」
ぽつりと川西が呟いた。マズイ瀬見さんの発言を否定しちゃったかも、と無表情ながら焦るが、瀬見は何一つ曇りのない顔で「なんでそう思うんだ?」と聞いてくる。
「けどこの状況だと、牛島さん以外の攻撃は通じてない。ヘタに周りを使って逆転されたらそれこそ終わり。白布は牛島さんにトスを上げるしかない。……向こうの作戦のせいで、そう思わされてる」
「………」
「だけど白布は勝つ手段を考えてる……と思うんです。それまで凌ごうと、牛島さんを使って点を稼いでるんじゃないかって。だから……えっと、」
やべ、何が言いたいのかわかんなくなってきた。
つーか先輩セッター相手に俺は何言ってだよ、と途中で諦めてしまう。
けれど、瀬見は優しく拾い上げた。
「そうだよな、あんな頑固な奴がやられっぱなしで終わるかってんだ」
コートの中にいる白布の目は死んでいない。
開幕からずっと思うように攻撃が決まらず、ネット際で負荷をかけ続けられた経験は瀬見にだってある。そのストレスは自身のプレーにも悪影響を及ぼし、やがてそれはチームワークの乱れに繋がった。
だが今回の白布は焦って、苦しんで、それでも勝つことを諦めていない。
「英太、準備しろ。賢二郎と交代」
「ハイッ!」
しかし刻一刻と状況が変わる試合中に、悠長に模索できる時間は存在しない。
鷲匠に呼ばれ、選手交代の際に瀬見は白布に言った。
「一旦流れをリセットする。あんま落ち込むなよ」
「落ち込みません、すぐ戻りますから」
「カァいくね〜〜……」
「賢二郎」
鷲匠は白布を呼びつけると、その頬を容赦なく叩いた。
「ッ、」
一度、バチンと大きな音がしたので稲荷崎の面々もついそちらに視線をやって、ぎょっとする。
自分のたちの作戦のせいで相手チームのセッターが監督にビンタされたのだ。これに驚かないほど冷血漢ではない。
「えっなん、そこまでのヘマになるん、アイツ」
「ウワ痛そー……」
ザワザワする稲荷崎と比べて、白鳥沢は平常通りだ。
だがビンタされるほどのミスではない……ああいう選択肢しか取れないくらい追い詰めてられているからしょうがない、と考えている。
だが桃井は、鷲匠の対応の速さに舌を巻いていた。
「もっと削れると思ったのに……」
そう不吉に囁くのだった。
一方、桃井の作戦に気がついた鷲匠は、ギッとパイプ椅子を軋ませながら着座する。
「お前は頭冷やせ」
「はい」
叩かれた跡が赤くなった白布を心配そうに見てから、瀬見は腕をグッグッと伸ばした。
瀬見はチームのこともよく知らない他人から、正セッターの座を後輩に奪われた気の毒な先輩と認識されるようになったが、実際のところは違うと理解している。
自分のプレースタイルがこのチームと合わなかった。ただそれだけのこと。そんなのは入部した時から知っていたし、だからと言って自分のやりたいバレーを曲げる理由にはならない。
「英太か。速攻増やしていくか?」
「おう。お前らガンガン使うからな。若利! お前は開幕からエンジンかけ過ぎ。様子見て本数減らすからな」
「いや。今のままでいい」
「あのなぁ」
「現状、稲荷崎が対応できていないのは俺の攻撃だ。ならそれを主軸に道を開く。体力なら問題ない」
その目が雄弁に語っていた。戦わせろ、と。
闘志充分。珍しいエースの姿に、瀬見は唾を飲み込んだ。
これを直に感じたから白布は牛島を使ったのだな、と同情に近い感覚になる。
「このままじゃダメだって判断で俺が投入されてんだからな。その意味がわからないお前じゃないだろ」
ちと冷静じゃないエースを諫めると、先程まで白布が立っていたポジションにつく。
「あれ? シラス君、もう下がったん?」
「ウシワカにしか満足にトス上げれへんかったしな」
クソ、さっそく潰しにかかってきやがる。
これにずっと耐え続けんのはきちーぞ。
「アイツはまた戻ってくるから。それまで俺が相手になるぜ」
「フーン」
他校とはいえ先輩への口の利き方がなってねーな。
瀬見は首をポキリと鳴らして、震えを抑えるように握った拳で、胸を叩いた。
ここまで早い選手交代はなかなかない。
白布は二年ながら強豪の白鳥沢でスタメンを勝ち取った実力者だ。どんな時も堅実に自分の仕事をこなしていた。そのプレースタイルがチームに合うから選ばれたというのに。
「ま、誰でもええわ。結局ウシワカ頼りやろ」
「かぁいくねーのは一人で充分だわ!」
ハッと冷笑する侑に、瀬見は挑発的に笑った。
先輩の意地、見せてやんねーと!
気づいたら白鳥沢目線になっていました。
でも物凄く悪っぽい主人公サイドは描いてて楽しいです。