桃井さつきinハイキュー!!   作:睡眠人間

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凡人と天才の決意

 体育館にてミーティングが行われる。ボードの側に立つ私は監督やコーチの話に耳を傾けたり、求められたら意見を述べていた。

 

 個人的な反省をすると、今日の試合で明らかになったが私の分析能力は白鳥沢に通用したということ。

 無論及川先輩のおかげであるため慢心なんてできるわけがない。誤差はたくさんあって正直1セット取れたのは彼らの実力であって私はまだまだ……という考えにどうしても至ってしまう。

 

 けれど実績はできた。チームとしても本格的に私を戦力として扱うと宣言され、嬉しいやら何やらでよくわからない気持ちだ。

 

「各々反省する部分はある。手応えも違っているだろう。だが言わせてくれ。お前たちの攻撃や守備はきちんと機能していた。これから鍛錬を積めばもっと白鳥沢と戦える。勝てる。お前たちにはその力がある。成長できていることを実感し、さらに上を目指せ。白鳥沢をおさえて行ってやろうじゃないか、全国の舞台へ」

 

 監督は眼鏡の奥で光る眼差しを均等に部員たちに送る。及川先輩の号令で「ありがとうございましたァ!!」と頭を下げてミーティングは終了した。

 

 午後に練習試合に行ってミーティングをぎっちりやったので、窓から見える世界は茜と濃紺が塗りたくられている。部員たちが帰る準備をしている中で居残り練のためにネットを立てる部員も多くいた。みんな練習熱心である。

 

 そういや及川先輩に残るように言われてたなぁ。怒られんのかなぁははっ、はぁ……。

 

「桃井、悪いが少し残れるか」

「はい。ミーティングルームですね?」

 

 監督に呼び止められるのは、だいたいミーティングルームで試合分析をする時だ。大人の観点というものを感じることも大事なので私としても有難い。今回は特にね!

 

「及川先輩、すみませんが今日は……」

「ああ、うん。しょうがないね。ゆっくりでいいからおいで」

 

 あっ逃してもらえないわコレ。

 あはははーと視線をそらして私は監督やコーチのあとについていった。

 

 

───

 

 

 何回も繰り返した動作が、途端にできなくなる恐怖。わずか一瞬の停止が引き起こす大きなズレは自分の武器だと自負していたサーブを呆気なく終わらせてしまった。

 

「……ハァッ!」

 

 悔しい。苦しい。あのチャンスをものにできなくて、何が打倒牛若だ。何が全国大会だ。鬱憤と焦りを発散するように及川は何度もサーブを打つ。

 

 鬼気迫る及川の形相に居残り練を志望した部員たちはほとんど帰ってしまった。残っているのは岩泉とフォームをじっと観察しては真似をする影山ぐらいだ。

 

 ───自分が一人じゃないことに気づいてください。

 

 澄んだ声が脳内で響く。及川は白鳥沢から帰るバスの中でずっとその言葉について考えていた。

 

 知っているさ。チームメイトは誰もが勝ちたいと努力を惜しまないし、幼馴染の岩泉だってオーバーワークの自分を止めてくれた。彼らがいなければ及川はとっくの昔に潰れていたことだろう。

 

 だが及川が何よりも信頼を寄せていたバレーの技術、すなわちトスを凌駕する天才が現れた。及川の技量をあっさり飛び越えてしまうほどの、天才と凡人との差を否応なく意識してしまう影山に及川ははっきりとした嫌悪を感じたのだ。

 

 残されたのは、つなぐことが命のバレーボールの中で唯一孤独なプレー。サーブだった。

 

 サーブはたった一人で自分の全てをかける。プライドも、勝負の行方も、はては選手としての存在価値までも。

 それを武器にする選手にとっては文字通りの絶対唯一の矛だ。

 

 リフレインする今日の記憶。煩いぐらい喚く鼓動と震えた手。そして痛みを訴える脚。大丈夫だ、まだ軽い方だからきっちり自粛すれば公式戦までに治る。しかし練習を控えれば及川は止まってしまう。そして後ろからやってくる天才に潰されるだろう。

 

 ───お前は変わってなどいない。

 

「うるさいっ……!」

 

 ダァン───!! 激しい衝撃音。気づけば視界いっぱいに転がるボールに及川は我に返った。

 

 呼吸が苦しくてたまらなかった。眉間から鼻筋に流れる汗が煩わしくTシャツで拭う。背中も汗でびっしょりだ。手のひらに残るひりついた痛みが、まるで成長しない己を責め立てるようで拳を握る。

 

 その様子を体育館の扉付近で見ていた岩泉は、何やら不穏な気配を察知した。ひと段落ついたと判断した影山が及川に近づいたのだ。

 

「及川さん。サーブ教えてください」

 

 本人にコツを聞いたらもっと上手になれる。純粋な向上心からどれ程あしらわれてもへこたれない影山は、ボールを両手で持っていた。その顔に笑みを浮かべて。

 

 及川はゆっくりと顔を上げた。茫然とした瞳に強い拒絶の色が揺らめく。嫌だ、置いていかれてたまるか、お前たちに負けてなるものか。こっちに来るな。

 

 いつまでも正セッターが自分である確証はもう今日の試合で粉々に砕かれてしまった。俺の大切なチームに、俺の居場所に、入ってくるな。

 

 ぐるぐる巡っていた歪な感情がついに溢れ出して身体が勝手に動き出す。握り拳を影山に振りかざし、いよいよ彼を殴る───その腕を岩泉が掴んだ。

 

「落ち着けこのボゲッ!!」

 

 あやふやだった輪郭線を引き直したように、岩泉の力強い手が彼の越えてはならない一線をすんでのところで留めた。不明瞭な思考を強制的に遮断する鋭い語気が及川の正気を取り戻す。

 

「ごめん………」

「影山。悪いけど今日はもう終わりだ」

「……あ、はい。失礼します」

 

 先輩たちのただならぬ雰囲気に影山は体育館を出て行った。岩泉は及川に向き直る。顔色を失った及川は、たった今自分が後輩に手を出そうとしたことに気づいて茫然自失した。

 

「岩ちゃん、俺……」

「……お前は焦りすぎだ。今日の交代だって頭を冷やすためだったってミーティングでも言ってたろ。オーバーワークのせいで不調があったのはコンディションを整えられなかった証拠だろうが。わかるか、及川。お前は牛若に勝ちたいがあまり、遠回りしてんだよ」

 

 我慢の限界だった。口を酸っぱくして言い続けてきた岩泉はだんだん苛立ってくる。このバレー馬鹿にはありったけをぶつけてやらねぇと。

 

 及川もそれが正論だと理解していた。脚と心の疼痛は岩泉の正しさの証しだ。だからといって口を閉じることはできなかった。何もかもをぶちまけてしまいたかった。

 

「でもッ! 今の俺じゃ白鳥沢に勝てない! 俺は全国に行きたいんだよ、俺は勝って証明してやりたいんだ! 天才なんかどうってことないって! みんな変わっている。俺だってもっと強くなって───」

「俺が俺がって、うるせええぇぇ!!」

 

 岩泉は怒りのままに頭突きを食らわせた。ゴッ、とかなり痛そうな音とともに鼻にクリーンヒットして及川は鼻血を出す。思わず尻餅をついた及川の胸ぐらを掴んで叫んだ。

 

「てめー1人で戦ってるつもりか! お前の出来がイコールチームの出来だと思い上がってんなら、ブン殴るぞこのボゲ!」

「もう殴ってるよ!」

 

 呻くようにしていつものノリで言葉を挟む。だが岩泉の言葉は止まらない。

 

「1対1で牛若に勝てる奴なんかウチには居ねーよ! けど、バレーはコートに6人だべや!!」

 

 コートに、6人。バレーをしていて当たり前のこと。今の及川にとっては単なるゲームを開始するための人数としか捉えられなかった。

 

「相手が天才1年だろうが牛若だろうが、6人で強い方が強いんだろうがボゲが!!」

「……6人で、強い方が強い……」

 

 仲間たちの顔が強く頭に浮かんだ。焦ってミスをしてばかりでも責めずに励ましてくれたチームメイト。追い詰められて潰れそうだった自分を救ってくれた幼馴染。ああ、そうか。そんな単純なことだったんだ。

 

 そう思えば今までまるで頭になかったことがおかしく思えて、及川は笑いを堪え切れなくなった。肩を震わせて笑うと、岩泉は頭突きし過ぎたかと心配する。

 

「なんだろうな、この気持ち……」

 

 立ち上がった及川が鼻血をこすって背筋を伸ばす。本当の表情を取り戻したその顔には晴れ晴れとした闘志を燃やす好青年の笑みがあった。

 

「俄然無敵な気分」

 

 

 

「6人で強い方が強い……ね。当たり前だけど、いい言葉だ」

「? そりゃ強えやつがたくさんいた方がいいだろ。チームなんだから」

「そうだね。いつか飛雄ちゃんにも実感が湧く日が来るよ」

 

 よくわかってない顔してるな。まあ飛雄ちゃんらしいや。監督との相談も終了して来てみれば飛雄ちゃんが体育館から出てくるところで、ストレッチついでに待ってもらっていた。いやだって帰ったらあとが怖いんだもん及川先輩……。

 

 やがて声も収まって後片付けの音が聞こえてきたため飛雄ちゃんと顔を見合わせた。手伝わないとね。

 

「手伝います」

「頼む。桃井も影山もまだ居たのか」

「及川先輩に言われていたので」

「あの野郎……こんな時間まで後輩残してんじゃねーよ」

 

 よし、及川先輩は岩泉先輩に怒られるがいい。片付けが終わって体育館の扉を閉めた及川先輩が振り返ると、私はそこで彼が鼻血を出したのだと知った。

 

「殴り合いでもしてました?」

「してないよ!」

「ティッシュ使いますか」

「うるさいっ!」

 

 飛雄ちゃんが先にポケットからティッシュを取り出していて、負けた……と敗北感に打ちひしがれる私。持ってたから! 鞄の中にティッシュは入れてるの! 咄嗟に出せなかったの!

 

 引っ掴むようにしてティッシュを受け取った及川先輩は鼻血を拭って鍵を返しに行った。その待ち時間、言っておこうと思って口を開く。

 

「監督やコーチの代弁します。及川先輩を立ち直らせてくれて、ありがとうこざいました」

 

 一瞬虚をつかれた顔をした岩泉先輩だが、すぐに思い至って片手で顔をおさえた。

 

「聞いてたんか……」

「声漏れてましたよ、普通に」

 

 別にいいじゃん。カッコよかったし。しれっと告げた私を一瞥して岩泉先輩は言葉を探す。

 

「あー……すまんな、桃井。影山を敵みてーに言っちまった。それに及川が指導を拒否してる。チームの未来を考えたらそれは……」

「ああ、大丈夫です。メンタル面だと飛雄ちゃんしぶといので。それにチーム内でギスギスしているわけでもないですし。もちろん及川先輩が指導してくださるのが一番嬉しいですよ。けれど……」

 

 何事か考え込む岩泉先輩は、けれど? と続きを促す。

 

「ポジション争いに弱肉強食はつきものでしょう? そこまで心配なさるのなら、正々堂々とセッターの座をかけて戦えばいいじゃないですか?」

 

 それで勝ったほうが実力者だからだ。薄く微笑んで言うと彼の表情に真剣味が宿った。芯の通った強い意思を感じさせる瞳が、ひたと私を捉える。

 

「桃井。お前は……」

「何話してんのー?」

 

 及川先輩が戻ってきた。岩泉先輩は別にと話を切り上げて先を歩いていく。

 

「オラ、さっさと用事済ましちまえ」

 

 帰る方向は途中まで同じだったので四人で帰ることになった。岩泉先輩と飛雄ちゃんが前で話す光景を眺めていると、及川先輩は落ち着いた声を出す。すっきりとした青空のような清々しい表情に、ああ、この人は吹っ切れたんだとわかる。

 

「俺、もう大丈夫だからね」

「はい。あの、言うべきか悩んでいたんですけれど、言いますね」

「……うん?」

 

 立ち止まって、目を閉じる。

 思い出せばメラメラと怒りのオーラが湧いてきた。

 

「牛島さんが、試合で実力が発揮できなければ意味がないと」

「………ふぅん」

「ムカついたので言ってやりました。次の公式戦でボコボコにしてやるって」

「ははっ、桃ちゃん言うねぇ! 実は負けず嫌いだ」

「まあ及川先輩がって主語だったんですけどね? だって悔しいじゃないですか!」

 

 すると及川先輩は優しい瞳を向けてくる。あ、これ、チームメイトを見るときの目。

 

「うん。悔しかったさ。初めてあんなに接戦したのにそこに自分の力がなかったら尚更。だからね、桃ちゃん。俺をもっと強くして」

 

 柔らかな風が彼の髪を揺らした。及川先輩の決意を讃えるように新たな希望を運んでくる。闇夜で光る凪いだ眼差しに震えた。

 この人は私を使ってやろうと決めたんだ。それが誇らしくもあり、同時に対抗心に燃える。

 

「は、い……それは、当然です。及川先輩の力はまだまだこんなものじゃありませんし。あなたが気づいていないような力だって、ちゃんと扱えるようにします」

「及川さんケッコー期待されてんだー」

「期待しない選手なんていませんよ。どうせしばらくは安静にしていないとオーバーワークで傷ついた身体を完治できません。監督と相談して、明日からあることに挑戦してもらいますから」

「りょーかい」

 

 ニッと笑んだ及川先輩は岩泉先輩に追いつく。あ、飛雄ちゃんに絡み出した。岩泉先輩に小突かれて痛そうにしてる。

 

 彼らには可能性がある。伸びしろがない選手なんていないんだ。それを拾って着実な力にしていくのが私の役目。そして立ちはだかる敵の綻びを見出していく。実際に隣で戦えない私が、一緒に戦う方法はそれだ。

 

 敗戦に浸ってる余裕なんてない。やれることに全力で取り組んでいくしかない。

 

 これから多忙な日々が続いていくだろうがやってやると意気込んで私は彼らに向かって走り出した。


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