『白布さんですね』
『やんなぁ』
合宿中、侑は桃井に『白鳥沢の狙い所は?』と聞いた。十中八九そうだろうな、という確信した疑問に、想像通りの答えが当てはまる。
『彼は正セッターになってから日が浅く、かつ牛島さんに強烈なこだわりを持っています。私に対しても対抗心があるようなので、普段より確実に多く牛島さんにトスを上げるでしょう』
『エースに球を集めさせて、優先的に体力を消耗させる。それだけでウシワカを止められるもんなんか?』
『無理です』
てっきり白布を利用して牛島を止める策だと思っていた侑は、桃井にバッサリ切られて面食らった。
小さな手には彼女専用の牛島の資料がある。情報整理して部員たちに配る前段階のそれは、他の選手と比べてかなり分厚い。
『あの人の脅威は昨日散々お伝えした通り。稲荷崎のブロックの精度と私の予測を組み合わせれば、止められる確率はグッと上がります。けれどそこに注力するより、もっと効率的なやり方があるんです』
そこで桃井は小さく息を吸って。
『牛島さんは、生かしたまま殺します』
と宣言したのである。一瞬、本当に彼女が口にしたのか疑うほどに残酷な響きを含んでいた。
物騒なワードが聞こえてきて気になったのだろう、チームメイトがそれとなく近づいてくる。
『どんなに優れたスパイカーだろうと、一部例外を除いて、トスが崩れていては本領を発揮できません』
『だから厄介な攻撃・難しい返球でレシーブを乱すんやんな? ちょっとでも100%を崩せるように』
『はい。そういうミスとも言えないミスの積み重ねは、少しずつエースとセッターのメンタルを削る。肝心なのは牛島さん以外の攻撃はキッチリ止めること。白布さんに、牛島さんじゃなきゃダメだと思わせるために』
桃井は軽く言ってのけるが、他校ならエース級の面子が揃った白鳥沢チームを完全に封じることは、かなりの難易度だ。
大耳は稲荷崎のブロックの要であり、今回の作戦の地盤を固める役割を担っていた。
彼が桃井から受け取った資料を無表情で見ていると、視界の端で桃色が揺れたのに気づく。
『できますね』
不可能を許さない完璧な資料……とは言い難い無茶振りが随所に見られる設計図と、言い訳を完封する強い視線。
文字通り全力で試合を勝たせる為にサポートしている桃井に、泣き言を吐くわけにはいかない。
『ああ。できる』
大耳は短く返答した。今まで培ってきたブロッカーとしての矜持を胸に。
しかし"牛島を完全に止めろ"とは言われなかったことが、彼の中にしこりを残した。
少し離れたところで、今のやりとりを見ていた他のメンバーが。
『すげー流石大耳さん。桃井に圧かけられて平然としよる。なぁ角名、お前あんなこと言える?』
『無理。最近の桃井の資料、最初の時と比べて人間辞めてるメニューあるし』
『お前らもああ答えられるようになるんや!』
『じゃアランくんは言えんの?』
『んん、それはやな……』
とガヤガヤ騒ぐのだった。
『それで? 向こうの大将を生かしたまま殺すのに、どう繋がるん』
北が話を軌道修正するも、侑には「殺す」というワードから例え話に聞こえないくらい迫真な重みを感じ取って、少し動悸が高まってしまう。
そして「はい」と続きを平然と話し始める隣の女に、「この二人って強心臓やな」とやや現実逃避をした。
『牛島さん以外の選手を攻略すれば……得点の差で稲荷崎は勝利します。当然ですよね。全ての球をエースに集めることは無理ですから』
『ウン? ……うん、そやな』
『チームメイトを止められ、白鳥沢として勝てないとなると、牛島さんは個人の得点でチームを勝たせようとしてきます。いえ、この言い方は適切ではありませんね。エースとしてのプライドをかけて、チームを勝利に導こうと躍起になるでしょう』
それは……そうだろうな、と尾白は納得した。
エースとは、チームの命運を背負って立つ強い人間の証である。
誰よりも得点能力が高く、かつチームメイトからの信頼を集めた選ばれた存在だと、彼は認識していた。
故に、エースの敗北はチームの敗北。
エースの勝利はチームの勝利。
しかし桃井の目的はこれを否定する。
『牛島さん自体は止めないから、彼自身は全力を出せている。それなのに、勝てない。点差が縮まらない』
『………』
『全力なのに勝利に導けないエースなど、到底許し難い"弱さ"の証明になる』
そうやって牛島を生かしたまま殺すと。
つまり殺す手段をあえて選ばず、生きたままエースの存在意義を殺すと。
桃井はそのように作戦を立てていた。
牛島が諦めることは絶対にないから、屈辱と憤怒に全身を滾らせながら敗北するだろうなんて、残酷な未来も予測していた。
『そして、それを導いたセッターにも心理的な綻びは必ず訪れます』
……この女は敵にも味方にも本当に容赦がない。
エースとしての矜持すら、彼女にとっては弱点にすり替わるのか。
かわいい顔してえげつないな。
そんな思いが選手たちの頭に浮かんだ。
『けれど、全国トップクラスのスパイカーを練習台にする機会でもありますし』
『練習台て』
『あのウシワカを練習台呼ばわりした?』
『左に慣れるためにも牛島さんのブロックはできる限り条件を揃えてくださいね』
『ああ。……かなり複雑で細かい指示になるぞ』
『これを常に走って飛んでってやっとる動きに加えるの、たいぶしんどいんとちゃう』
『練習試合ですよ? 体だけじゃなく頭ももっと酷使しましょうね』
『ハイ……』
さらっと鬼のような発言をしたアナリストに、皆の顔がシワくちゃになる。彼女は自分たちの限界を正確に見抜いてくるので、その限界値を伸ばそうとしているのは明らかだった。
『なあ桃井、聞いてもええか?』
『尾白先輩。はい、もちろんです』
『ここまで無茶なことせんでも、それこそ何本かウシワカの攻撃キッチリ止めて、とか他の作戦をお前なら立てられると思うねん。それなのに……』
『危険な方法を取ってまで牛島さんにこだわる理由、ですか?』
まるで知っていることかのように桃井は淀みなく答える。
少し恥ずかしいですけれど、と目を伏せて。
『白鳥沢は……鷲匠監督を筆頭に、私を最大限に警戒してくる。コートにいない、一介のマネージャーに過ぎない私をそこまで買ってくださるんです。だからこちらも、向こうが一番嫌がる作戦で……全力で迎えたいんです。それが誠意だと思いますから』
白鳥沢は個を育て、各々の好きなプレースタイルを貫くチームである。
牛島や白布、鷲匠は"高さとパワー"を。
天童は"自分が気持ち良いブロック"を。
瀬見は、たとえ正セッターでなくなったとしても"ブロックを振り切るセットアップ"を。
それらで構成されたチームが成立している。極めて特殊であり、そこには鷲匠監督の目利きの良さと、絶妙なバランス感覚が機能していた。
ならば、その"個"を潰してみせる。
桃井を倒したい・否定したいと考える牛島、白布、鷲匠と同じように、桃井もまた彼らを徹底的に敗北に追いやりたかった。
それがスカウトまでしてくれて、本気で自分を欲してくれた彼らへのお礼になると考えていた。
『お礼しなくちゃ』とGW合宿前に桃井が言っていたのを思い出す。
なるほどそういうことやったんか、と納得はできても男たちの感情は追いつかない。
『変な関係……』
『普通お世話になった人を潰そうとする??』
『性格歪んでる』
『聞こえてるんですけど?』
片眉を器用にあげて心外だとアピールする桃井は、ああそれと、と前置きし美しく微笑んだ。
『6人で強い方が強い。なら稲荷崎が勝利するのは当然ですから』
「あの女ァ……!」
ワナワナと震えるのは白布だ。鷲匠から桃井の意図を聞かされて、標的にされた屈辱と気づけなかった後悔で、顔がどんどん怖くなっていく。
事実、追い詰められた自分は牛島に球を集めさせられていた。
尊敬するエースを危うくその手で殺しかけたのである。
「許せねぇ。俺を利用して牛島さんを……」
「だからお前を下げたんだ。全く掌で踊らされおって」
鷲匠に指摘されてぐうの音も出ない。ビンタされた時以上の衝撃に、白布は頭の奥が熱くなるようだった。もちろん怒りのせいである。
暫く拳を力強く握り締めて、怒りの炎を燃やし続けていたが、ハッと何事かに気づいた。
「あの野郎共の煽りもその為か……!」
稲荷崎の面々、特に宮侑が、牛島の名を多く使って煽ってきていた。あれもエースに意識を向けさせる作戦の一つだったのだろう。
実際はそんなことはなく、ただ単に桃井が牛島に夢中なことにムカついた男たちが勝手にやったことであるが、白布にわかるわけがない。
「ぅおっ!? 悪寒!」
「どうせ雑に扱った女子からの恨みの念でしょ」
「絶対そうやん」
「ちゃうわ!!」
侑が敏感に白布の殺気を感じとり、角名と治から雑に流されていた。
稲荷崎はジワジワと左の脅威に慣れていく。点差がひっくり返ってから白鳥沢が追いつけずにいると、相手チームには随分と余裕そうな雰囲気が漂い始めていた。
さっきまで牛島さんのスパイクに静かになっていたクセに。もう攻略した気になってんのか?
「賢二郎」
「はい」
鷲匠は自身の膝小僧をパンと叩き、白布の意識をこちらに戻した。
「中学ん時と比べて桃井の作戦は随分荒っぽくなっている。何の変化があったのか……。けどな、予測を上回り結果をもぎ取る圧倒的な強さ……ウチはそれだけじゃねーんだよ」
「と、いうと……あ」
白布は思い出した。
去年、桃井が白鳥沢に来ていた時に絡みに行っていた、ある先輩の愉快そうな顔。
直感で縦横無尽にネット際を駆けるモンスターを。
「完璧に全て予測したとしても、その根底にある規則性から外れた人間はいる。理屈が通じない相手っていうのは、それだけ奴には脅威だ」
過去の試合データから完全な対策を立てる桃井と、目の前の相手の動きから全てを悟る天童。
対極に近いこの二人が対峙すればどちらに軍配が上がるのか、この試合でわかるというのか。
「それは楽しみですね。あの女が悔しがる面が拝めます」
「いや、桃井なら喜んで分析に取りかかるだろうな」
「……想像に難くないですね」
白布は、このことに少しワクワクしている自分がいることに気づいた。そしてそれを隠すように、上擦った声色を抑えようと腹に力を込めて発言する。
白布の目線に気づいたコートの中の天童が、ヒラヒラと余裕そうに手を振ってくる。同じように、やや顔の固い瀬見が後輩正セッターの普段通りの様子を見て、ホッと安心した小さな笑みを浮かべた。
「あ。賢二郎がヤな顔になった。英太君のせいでしょ」
「なんでだよ! あの感じならマジですぐ戻ってきそうだなクソ!」
稲荷崎のプレッシャーは変わらず、ネット一枚を挟んだそれに耐える瀬見のおかげで、流れを持っていかれることは防げている。
だがこのまま瀬見と白布が交代したところで、何も変わらないことは明白だった。
コートに戻った自分は何をするべきなのか。
牛島さんに頼ることだけが、自分の仕事なのか。
考えろ。導き出せ。瀬見さんがコートにいる間に、自分ならどうするのか答えを出さなければ。
白布は叩かれた頬をそっと撫でてから、今まで以上に真剣な眼差しでコートの観察を開始する。
「ワオ。熱視線だねぇ」
「見て盗む気なんだよ、白布は。入学してからずっと変わんねー」
「後輩のさらなる成長イベントって感じ? なら俺も魅せちゃおっかなー。若利君もそろそろ自由に動きたいでしょ」
牛島からの返事はない。ただ試合開始からずっと迫力の増し続ける瞳には、ゴウッと激しく燃える闘魂が見えた。
その視線がセッターを掠めた時、瀬見は背筋の凍るような気持ちで、次に攻撃を上げる先を決める。
牛島以外を選んだら殺されんだろうな、と確信した。
「……わかったよ。ただし! 無理だと思ったら他の奴使うかんな」
「無理ではない」
「ったくもー」
相手のセットポイントを前にして、エースのらしくない強がりがどう転ぶのか。不安になるけれど白布に見られている手前、顔に出すわけにはいかない。
瀬見は深呼吸を一度して、ポジションについた。
稲荷崎はこれまで牛島以外の攻撃を徹底して止めてきている。そして牛島の攻撃すら対応し始めていた。
白鳥沢の生命線が途切れかかっている。
だが、こんな窮地を打ち破ってきたエースがウチにはいる。
今回だって、きっと。そう信じている。
「いけっ!」
強烈なサーブを山形が上げる。Aパスだ。セッターの選択肢が格段に広がる。
こちらの状況は。相手チームの状況は。攻撃手段は。防御手段は。複雑に読み取った情報を組み立て、頭の片隅でブロックを振り切ろうと答えを叩き出す、その寸前に。
「ッ、」
全身が粟立つほどの存在感が、瀬見の脳を支配した。
体が反射的に動く。エースにトスが上がる。
充分な助走。充分な跳躍。美しい空中姿勢。これを決めなければ死を選ぶとさえ叫んでいるような、牛島の渾身の一球。
しかし。
「無傷では通さん」
「!」
低く宣言した大耳がそこにいた。前に突き出た手の片方に、凄まじい勢いのスパイクが衝突する。
なんという威力! まるで大砲を生身で受けているかのようだ。汗をかいた大耳の顔が凶悪に歪み、阻まれた牛島の面持ちは憤怒で揺れていた。
ボールは遠くへ弾かれ、落下地点に走り込んでいた赤木が飄々とレシーブする。
「オラ決めろ!」
「トドメ刺したらァ!」
侑が嬉々として叫ぶ。
大耳さんが珍しく主張してウシワカを殺しにかかった。奴はまだ致命傷は免れている。なら確実に心臓を刺しに行かんと。
敵エースの魂の一撃を防ぎ、この攻撃はこちらのセットポイント。ここで稲荷崎が第一セットを制すれば、流れを完全に握ることができる。
そしてここでトスを上げるべき先は一人しかいない。
牛島を止めかけた流れで、稲荷崎のエースが勝負を決めたなら。
ここで完全に牛島を殺すことができる。
桃井でさえ稲荷崎が100%牛島を止めることを指示していなかった。つまり、あの女の予測を超えることができる!
「っお、」
トスを上げるモーションに入った瞬間、相手コートで誰かが突発的に動く足音がした。
侑の手は止まらない。頭に思い描いた通りの人物へとボールが託される。
「ハァアア!!」
完璧なトスを受け、尾白が第一セットを握るべく腕を振り抜いた。
が、すぐさまバチン! と激しい音を立ててボールが稲荷崎コートに落ちていく。
クッ、と眉間にシワを寄せた侑と鋭く舌打ちした尾白を流し見して、完璧にブロックしてみせた天童はゆっくりと腕を上げた。
「ああぁ〜〜〜〜コレだよコレ、気持ちいいバレーってのはさぁ……」
細長い人差し指が大耳に向けられる。
まるでお前のブロックは不完全だと宣言するかのように、舞台に上がった演者は大袈裟に表情を作った。
「コレしかないって一球を叩き落とした瞬間だよ」
恍惚とした笑顔が赤い髪に彩られて、ぐにゃりと捻じ曲がった。
点差はまだ開いている。依然として稲荷崎が優勢なのに変わりはない。
けれど天童のブロックによって流れが確実に変化したのを、誰もが肌で感じ取っていた。
「ドシャットォォオオ!!」
「……出た。ゲスモンスター」
五色が両腕を挙げて高らかに叫び、角名が嫌そうに目を細めた。