「お前には二度と教科書貸さん」
「そう言わんとって! 助け合いや助け合い」
「何が助け合いやねん。部屋から勝手に教科書持っていって部室に置き忘れたままテスト勉強もしない奴に助け合いなんかあるかい。足の引っ張り合いや!」
「治も家おる間勉強なんてせんやん! せやからテスト前日になって気づいたんやろ!」
前期中間試験初日が終わり、翌日に試験がある教科くらい一夜漬けするかーと珍しく思った治は、しかしその教科書がないことに気がついた。鋭い勘が働いて片割れに聞けばビンゴで、侑は治の教科書を無断で借りパクした上に部室に忘れているという。
そんなわけで双子はギャイギャイ言い合いながら、誰もいない部室に向かっていた。
試験を控えた稲荷崎高校の生徒たちは帰宅するか、図書室で勉強するか、はたまたテストを諦めて遊びに出かけるかしている。
人の流れに逆らいながら早歩きをしていれば、やがて辿り着いた部室で、先客の存在に気づいた。
「お疲れ様です。侑先輩。治先輩」
桃井だった。部室のロッカーを開けてファイルを取り出している。
部活禁止期間に入りしばらく桃井と会えないと思っていた双子は、わかりやすく「会えて嬉しい!」という顔になった。カワイイ後輩に会えて嬉しくなるのは男のサガである。
しかしそういえば桃井は俺らに壁作っとるんやった、と思い出して、二人は同時に表情を引き締める。喜びを引っ込めるのに失敗して不機嫌な顔が並んだ。
しかし桃井は「あ、双子で同じ顔をしてる」と少し思って、ちょっぴり笑う。なんだかおかしかった。
「お疲れー」
「何しとるん? テスト終わるまで部活ないやろ」
「資料の回収に。家に持って帰るのを忘れてしまって……」
言いながら必要な資料を鞄にしまっていく。テスト期間でも家で分析するらしい。ふぅんと双子は流した。まあ桃井って頭いいしテスト勉強なんてせんでもええんやろうな、と。
それよりも白鳥沢関連のモヤモヤの方が、二人には大きかった。
「先輩方はどうして部室に?」
「このアホが借りパクした教科書を回収しに」
「侑先輩……良くないですよ本当に」
「手間取らせんなやクソボケ」
「ウッ」
放置されていた教科書の裏を見れば「宮治」と名前が書いてある。治はそれを回収して侑をスパーンッと勢いよく叩いた。遠慮がないので結構大きな音がして、侑は額を手で押さえる。
「痛った! は? 叩かんでええやろが! せっかく覚えた単語、今ので抜け落ちてもうたやんけ!!」
「おうおうどうせ何も覚えてへんのやから、脳味噌空っぽにしたるわ! そしたら一夜漬けが捗るやろな!」
「何やと!? そしたらクソ治の頭も空っぽにしたる! ついでに0点取ってしまえ!!」
早速ケンカが勃発した。教科書で頭を叩く治と、その辺にあったノートを丸めてやり返す侑。暴言と暴力の応酬に、桃井は慌てて止めに入った。悲鳴に近い声だった。
「やめてください二人とも!」
「……、ッ……」
その叫び声に双子はハッとなって動きを止める。
ついこの間、桃井が稲荷崎に来た頃に、双子のケンカにトラウマチックな反応をしていたと話をしたばかりだ。急に思い出して、カチンコチンに固まった二人は武器を下ろす。
桃井の心配そうな目線が侑の手元に注がれていた。
「それ、日誌です……」
「……え、……あーッ!!」
「あーあ。アホ侑」
侑が武器にしていたのはバレー部の日誌だった。北が丁寧に管理し、丁寧に記帳していた大切なものである。これにはちょっかいをかけるなと尾白に何度も念を押されてきたのに。今や丸く握り込んだクセがついてしまった。
北さんに怒られる! と青い顔をする侑。治は、俺は知らんと言うように合掌している。
「よりにもよって何で日誌使うねん」
「そこにあったから……」
「と、とりあえずクセがついちゃっているので、伸ばしましょう」
桃井は机に日誌を置いて丁寧にクセを伸ばすと、ロッカーに入れていた他の資料を何冊かその上に置いた。ドシンとした重みが机に乗る。暫くそのままにして、部活が再開した時に北よりも先に回収すれば何とかなるだろう。侑はホッとする。
「北先輩がいないのに、どこでもケンカしないでください」
「手ェ出した治が悪い」
「借りパクした侑が悪いやろ」
「どっちもどっちです。もう、せっかくのテスト期間なのに騒ぎを起こしてどうするんですか」
用事は済んだ。桃井は家で使う資料を、双子は教科書をそれぞれ回収した。
さて帰ろうかと桃井は部室を出る。しかし双子がその場から動こうとしないので、訝しんで扉から顔を覗かせた。
「? まだ帰らないんですか?」
「いや……」
「ちょっと……」
二人は同じ難しい顔で下を見ている。
今この場には、自分たちと桃井しかいない。気になっていたアレソレを聞くには丁度いい機会だと思った。
ずっとモヤモヤするのはテストにも悪影響だし。何なら今日のテストの結果が悪いのは、桃井のことを考えていて試験に集中できなかったからだし。
「……あの?」
桃井の声を無視し、双子は互いを見て顎でクイッと「お前から聞け」と命令した。しかし当然ながらお互いに責任を押し付けあって事態は膠着する。
何がしたいんだろうこの人たち……と桃井が呆れて帰ろうとすれば、「あっ!」と侑が声を上げた。
「……桃井」
「……はい」
侑は何やら神妙そうな顔だ。一体何を聞かれるんだろう。桃井も少し緊張して、手に下げた鞄の紐を強く握る。
「北川第一ん時、なんかあった?」
「……、どういう意味ですか?」
「いや、別に……。気になっただけやから」
ツンと唇を尖らせて侑はよそを向いている。治は内心ハラハラしながら、はたから見れば不服そうな目で桃井を見た。
桃井はほんの少しだけ考えるそぶりを見せて、よくわからないという表情を浮かべる。
「なにかと言われても。何も……今と変わらないと思いますけど」
突然中学のことを聞かれて、桃井は困惑した。何だか最近良く聞かれるなと思って、とりあえず赤木に答えたのと同じような返答をする。
質問の内容があまりに漠然としていたからだ。生活や勉強のことを聞かれてもあまり変化はないと言える。部活に関してもバレー漬けの毎日だし、周りから見える通りでしかない、と。
しかし双子はその答えを、"桃井にはぐらかされた"と受け取った。
直接的に「北川第一の頃に嫌なことあった? だから稲荷崎に来たんか?」と聞くほど性格は終わっていない。けれどどこまでを聞けばいいかわからず、そんな質問になってしまったのだ。
そして桃井は具体的なことは一つとして答えなかった。それが答えだと……"先輩たちに言うことはない"と感じたのである。
「ホンマに?」
「ええ。……何です急に」
「去年の宮城県予選の決勝、なんかあった、って聞いたけど」
「!」
治の言葉に桃色の目が開かれる。明らかに動揺していた。ここか、と双子は狙いを定める。扉付近に立っていた桃井は、部室の中に戻ってきた。
「その話、誰から聞いたんですか」
「ウシワカから。GW合宿の終わりに」
「またあの人は……」
桃井がため息を吐く。全くもう、という小さな怒りだ。しかし馴れ馴れしさを感じる。身内に対するまたアイツは〜……という感じに近かった。
そこにも双子はモヤモヤする。見えない棘が刺さったような、イライラしてムズムズするような感覚になった。
だが桃井がこれだけ反応するということは、指摘は正しいのだろう。
県予選の決勝で嫌なことがあったから、稲荷崎を選んだ。双子はそれが知りたかった。
侑がぶっきらぼうに言う。
「教えて」
「………」
桃井は押し黙っている。一向に口を開こうとしなかった。
ああ、彼らが知りたがっているのは、あのとても苦しい記憶のことだと腑に落ちて、桃井は暗い気持ちになっていた。
影山がコート上の王様と呼ばれていた頃。
金田一や国見と顔を合わせるのも辛かった頃。
チームメイトのみんながずっと沈んだ顔をしていた頃。
あの頃、練習では影山の暴言が止まらず、周りはうんざりした様子だった。桃井が必死になって現状維持に押し留めていたが、彼女も加害者だった。
色んな酷いことをした。彼らの気持ちを踏み潰し、見ないフリをして、沢山の人を傷つけた。友達との約束をふみにじり、仲間の声はもう聞こえず、勝利の意味すらわからなくなった。
そんな耐え難い記憶の断片が、桃井の内に浮かんでは重くのしかかる。
……だけど。
『じゃあやろう! バレーボール!』
『それに、そろそろ自分のために時間使っていいと思う』
『困ったらいつでも呼べ。些細なことでも何でも良い。俺はお前の力になりたいからな』
『じゃあソイツでやろ。どっちが先に攻略できるかゲーム』
『本当は高校で何やりたいの?』
『俺はお前に負けたくない。追いつきたい、追い越したい! 勝ちたい、勝ちたい。勝って、そんで───………』
日向に、国見に、岩泉に、孤爪に、木兎に、影山に、多くの人に背中を押してもらった。彼らのおかげで桃井は立ち直り、明るい気持ちで前を向くことができた。
迷惑をかけた全員に謝り、二度とあんな真似はしないと心に誓った。
高校に進学してからはチームへの指導や指示の方針を変え、鷲匠が気づいたように、必要以上の干渉をやめた。
意見と意見のぶつかり合い……"ケンカ"が怖くて、最初は双子が怖かったけれど、だんだん慣れていった。
あのトラウマは乗り越えた。
だから今、桃井は稲荷崎にいる。
「本当に大したことはないですよ。決勝戦は厳しい戦いだったので、それだけ牛島さんの記憶に残ったんじゃないでしょうか」
桃井はきっぱりと言った。自分の身勝手さ、未熟さを語るつもりはない。何より影山やチームメイトとの辛い記憶を言いふらすわけがなかった。
これは当事者にとって大切な過去で、外野が騒ぎ立てるようなものではない。それに、桃井と影山、桃井とチームメイトらの間では解決した事柄である。誰もが気安く触れていい思い出じゃない。
桃井は心の中で小さな憤りを感じながら、言葉を濁した。
「なんやねんそれ……」
そして、侑も桃井の返答に不満を抱いた。今度ははっきりと質問したのに、またもや誤魔化されたからだ。そんなに俺らには心開きたくないんか? と気の短い男は苛立たしげに目を細める。
「白鳥沢の連中は知っとることを、俺らには言えへんの」
「彼らは宮城の選手です。会場まで観に来ていたので……稲荷崎の先輩方が知らないのも当然でしょう」
「せやから教えてって言ってるやん。俺も侑と同じ気持ちやねんけど」
「何もなかったとお伝えしてます」
「そうやって誤魔化して、言いたくないならそう言えばええやろ」
「言いたくないなんて、そんな……」
治も根っこが侑も同じなので、桃井の煮え切らない態度に気が立った。双子の声色はどんどん低くなり、早口になる。いつ噛みつかれるかわからない緊張感を感じながら、桃井は必死に抵抗した。
どうしてこんなにも食い下がってくるのかがわからない。何とかこの場を切り抜けねばと思うが、本音やごまかしを混ぜ込んだせいで、どんな発言も「嘘や」「またごまかしとる」と受け取ってもらえない。
「俺らには取り繕ってばっかやん」
「そんなことありません」
「へぇ? ウシワカやゲスモンスターにはあんなに笑顔を振り撒いとったのに?」
「尻尾振る相手、間違えたんとちゃう?」
「さっきから何なんです。白鳥沢に敵意むき出しで……」
「桃井は俺らより白鳥沢の方が大事なんやな」
「比べません。取り繕うって、それは、北先輩と同じようにチームの空気を引き締めるためで、」
「今更桃井に厳しくされてもされんでも、影響せんのやない? 北さんやないし。意味ないねんからやめたら?」
「や、やめません。それだけが理由じゃないですし」
「他にどんなワケがあんの」
「それは……言えません、言いづらいです……」
「ほら!!」
稲荷崎で素の性格をあまり出せない本当の理由。北や監督らだけが知っているそれは、桃井からすればかなり恥ずかしくて取るに足らない内容だった。
モゴモゴ言いごもると、双子の勢いはさらに増す。怒りの矛先を見つけたと言わんばかりに猛撃され、桃井の不満もどんどん膨れ上がる。
三人とも平常心を失い、何を言っても言われても癪に障る状況が続いた。睨み合い、語気は荒々しく、険悪な雰囲気が部室に充満する。
そしてついに。
「おりこうさんって、しょーもないわ」
侑がうんざりした感情を吐き捨てるように言って。それが彼女の逆鱗に触れた。ついに桃井の怒りが爆発し、泣きそうな、悲鳴じみた声で叫ぶ。
「あなたたちには関係ないッ!!」
「……、」
「……あ?」
「………ぁ、……あ、の、す、すみませ、」
「もうええわ」
「ッ、」
桃井は一気に冷静になって、己の口から飛び出した言葉に血の気が引いた。言ってはいけない台詞だったと口元を手で押さえ、瞳を揺らした桃井が謝ろうとする。
しかしそれを侑は遮った。桃井の豹変に驚いて、一瞬怒りがなくなった治は、少し落ち着きを取り戻したが、侑の苛立ちは続行していた。
ドスを利かせた恐ろしく低い声で、ただただお前が憎いと全身で伝えてくる。
「そこまで言うんやったら、とっとと白鳥沢にでも帰れや。この偽善ブタ」
気合いを入れた大事な試合、一発目のサーブを邪魔された時のように、最大限の憤怒が桃井ただ一人に注がれる。
桃井はショックを受けたように顔を強張らせた。しかしすぐにキッと侑を目一杯睨みつけ、部室を飛び出していく。止める暇も、言葉をかける暇もなかった。
「桃井、待っ……」
翻る桃色の髪が残像のようになって、治は半端に開けた手のひらを扉に向けて伸ばし、やがて力なくだらりとさせた。胸の奥で、言いようのない後悔が広がっていく。
背後で侑の荒い息遣いだけが、静まり返った部室に響いていた。
影山が烏野であのトラウマと向き合ったように、桃井もそうなります。といっても乗り越えてはいますが。過去はずっと本人についてくるものですからね。
影山の場合、その場で見ていた月島や、金田一や国見など当事者が近くにいるので直接的に対峙します。
一方で桃井の場合、"コート上の王様"呼ばわりされていた影山のことは誰も知らず、稲荷崎の面々は桃井の口からしか過去を知ることはありません。ヒントは侑が握っていますが、気づくかどうか。この先の展開をお楽しみに。
アンケートへのご協力ありがとうございました。
桃井に懐かれそうな人第一位・銀島、おめでとう。そして圧倒的最下位・侑に笑いました。解釈一致。順位も中々に想定通りで面白かったです。
この懐かれそうというのは、廊下ですれ違った時に挨拶だけで終わらずちょっと会話したり、食事の時に桃井が隣に座ったりすることを指します。青春ですね。
今後の展開の参考にさせていただきます。
ありがとうございました。